もったいない・ご恩返しの心を!太田清蔵の世界世直し運動

地位と名誉と資産と収入を一番大切にする自己中心主義を替えて、戦争とテロと貧乏と病気と麻薬撲滅に全力集中

〔提言2〕国民個人金融資産からマッカーサー元帥に対する恩返し金を

2008年08月31日 16時41分42秒 | 太田清蔵の提言
日本は、かつては敵国であったアメリカに対して、戦後復興の恩義はあるにしても、アメリカが抱えた負債を負担しなければならない理由は、何もありません。
しかし、日本は、カーター・福田(赳夫)、レーガン・中曽根のトップ会談で、すでにマッカーサー元帥に対する恩返し金を提供することを約束しています。
原資となるのは、国民個人金融資産(預貯金)である約1500兆円です。その7掛けである1050兆円を国法で設定し、日本銀行券とは別の政府発行貨幣をます。
このうち700兆円は、国内の国民年金と厚生年金の赤字分、538兆円の返済と建築設計法の設定に失敗した162兆円の赤字を乗せて、計700兆円を日本国内で消費し、残り300兆円を海外のODA(政府開発援助)資金に回します。
そのうち140兆円は、マッカーサー元帥に対する恩返し金に、140兆円は、砂漠の緑化費用、20兆円は、国連大学の援助に回すことになっています。
従って、アメリカのブルジョアに対するロシア側の攻撃を牽制するために、この140兆円の一部を使って頂ければ、非常に大きな力となって、ロシア軍のレーザー牽制をすることができ、日本の米軍に対する仲介役を果たすことになります。
砂漠緑化140兆円のうち、35兆円は世界人口の4分の1を占める中国に4分の1を支出します。日本の技術を使えば、中国は足りない水をロシアから十分に受け入れることができるようになるでしょう。東京地熱発電大学にも10兆円を入れて第2位となります。
日本はEU、ロシア、韓国(4兆円)に対する返済活用させることになっております。
欧米の世界支配の題目は、地位、名誉、資産、収入であることに対し、日本は困った人を助けるこ
とによって、仏様と同じ境地になる喜びが一番大切であると考えており、これならば賛同する人はあっても反対する人は一人もいないでしょう。

〔提言1〕戦後日本の最大の恩人・マッカーサー元帥の好意に感謝を

2008年08月30日 16時02分48秒 | 太田清蔵の提言
ルーズベルト大統領から対日極東司令官に任命されたダグラス・マッカーサー元帥は、戦後の日本にとって大変な恩人でした。ソ連のスターリンが、「北海道北半分を支配させろ」と強要してきたのを峻拒していただき、朝鮮戦争が始まりますと、アメリカで武器弾薬を自給自足するものの、その他の軍需品については、常識を破ってすべて日本に特注していただきまし。そのお陰で日本が世界第一位の輸出超過国家になることができたほどです。戦後日本の最大の恩人であるマッカーサー元帥の好意に、日本人は感謝しなければなりません。
マッカーサー元帥は、日露戦争の折、父のマッカーサー極東司令官の副官(陸軍大尉)として任務に就かれておりました。マッカーサー司令官は、日本側の最大の味方として自他共に認めておられました。
乃木希典大将は、旅順攻略戦に勝利し、ロシアのステッセル将軍と水師営で会見しました。そこでの乃木大将の紳士的で寡黙な雰囲気は、諸外国の記者が持つ日本観に大きな影響を与えたといわれています。乃木大将は、ロシア軍幕僚に帯剣を許し、従軍記者たちの再三の要求にも関わらずロシア軍との会見風景は一枚しか撮影させず、彼らの武人としての名誉を重んじたのでした。そればかりでなく、乃木大将は、マッカーサー極東司令官が会見の席に仲間入りさせて欲しいとに願い出られたのを峻拒しました。そのとき、乃木大将は、「武士道では勝敗は時の運であっても敗戦軍司令官に恥をかかせることは出来ない」といわれたそうです。
この姿を側で副官として見ていたマッカーサー元帥は、乃木大将の一言から、すっかり乃木信者になり、生涯の人生観を確立され、太平洋戦争中も「乃木大将の写真を個室から外されなかった」と言われています。「対日戦の責任」をも痛感させ、その代償として朝鮮戦争での特需を日本に発注されたのは、まさにマッカーサー元帥のお人柄を示すものです。

太田 清蔵 (おおた せいぞう)・プロフィール

2008年08月29日 17時45分23秒 | 太田清蔵・プロフィール
太田清蔵(おおた せいぞう)(昭和61年2月8日新太郎改め)
大正14年12月20日生
本籍(福岡県)

◆学歴
昭和22年 9月 東京大学経済学部卒業
昭和24年 4月~26年 3月 日本大学夜間部電工科中退
昭和26年   講和会議を期に渡米
昭和26年 9月~27年 6月 サフィールド アカデミー サフィールド コネチカット
昭和27年 2月~27年 6月 ボードンカレッジプロンズウィックメイン
昭和27年 6月~28年 5月 ハーバードビジネススクールにて修学
◆賞罰
昭和63年 6月 紺綬褒章受賞
昭和63年10月 (学)明知学園明知大学校(韓国)名誉経営博士学位受賞
平成 7年11月 (財)山階鳥類研究所功労者表彰
平成 8年 5月 神社本庁規定表彰
平成 8年11月 民団創団50周年表彰
平成 9年 6月 韓日親善協会中央会(日韓親善協会中央会)感謝状
◆職歴
昭和22年10月 日本発送電株式会社入社(昭和26年退社)
昭和26年~28年米国留学
昭和28年 9月 東邦生命保険相互会社監査役以降、取締役、常務取締役、専務取締役、取締役副社長
昭和52年 6月 東邦生命保険相互会社代表取締役社長
平成 7年 7月 同社代表取締役社長退任
◆兼職
府立学校同窓会理事、東京大学経友会理事、大本山永平寺信徒総代、日本大学太田海外学術交流基金委員会委員、福岡県人会顧問、日韓親善協会中央会参与、チュウーレン大学学長諮問委員、科研アメリカ財団理事、東京都港区立青南小学校相談役、(社)北太平洋地域研究センター理事、日本対外文化協会顧問、ミシシッピー州ナチュズ市名誉市民、日本童謡の会顧問、(財)生涯学習振興財団理事、日本砂漠緑化実践協会理事、アスベン研究所名誉理事、グアム名誉無任所大使、日本樹木医会会長、島根と県外人との文化の架け橋遣唐使
◆著書
「私にとって毎日が入社試験日」(毎日新聞社刊)
「米ソ二社択一より世界緑化を」(毎日新聞社刊)
「アジア興しこそ日本列島均一繁栄への道」(毎日新聞社刊)
「北方四島を世界の環境回復に、三州三直制を日本の人間回復に」(毎日新聞社刊)