もったいない・ご恩返しの心を!太田清蔵の世界世直し運動

地位と名誉と資産と収入を一番大切にする自己中心主義を替えて、戦争とテロと貧乏と病気と麻薬撲滅に全力集中

「君子ならずや」~人生潤す愉快な人々

2009年07月29日 14時40分01秒 | 君子ならずや
「太田清蔵の半生と今」、そして「交遊録」を体系的に構成して連載いたします。
タイトルは、孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した「論語」の「巻一第一学而篇1」冒頭を飾る不朽の名言から「君子ならずや」とさせていただきます。構成と内容は、以下の通りです。(ただしブログへの掲載は、章立て通りの順番ではございません)。

 「君子ならずや」~人生潤す愉快な人々
はじめに―子曰、学而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎。

目次
第1章 太田財閥の嫡男
①東京・原宿に生まれる
②太田一族のルーツ
③黒田藩御用
④父・五代目太田清蔵の肖像
⑤鴻池財閥第十三代当主に嫁いだ姉・禮子
⑥浜口儀兵衛第十一代に嫁いだ叔母・房子
⑦従弟・太田誠一
⑧明治神宮界隈
⑨鎌倉街道・会津藩邸
⑩幼少時代の遊び場「加藤清正の井戸」
⑪「グリーンファンタジア」の秘密
第2章 電力事業に夢を託す
①竹馬の友
②日本発送電
③陸軍中将・宮川清三
④中将の娘・和子
⑤ハーバード大学留学
第3章 生命保険事業を継承する
①太田財閥と徴兵保険
②東邦生命が献納した靖国神社の神門
③渋谷駅前の土地買収
④クロスタワービル建設
第4章 飛ぶ鳥を落す勢い
①バブル経済
②トンチン年金
③東邦生命研修生・岡村義明
④六代目・太田清蔵を襲名する
⑤磯村英一から国連大学後援会長を命ぜられる
⑥日韓民間交流事業
⑦日本列島均分繁栄構想
⑧世界に誇る浮世絵美術館
第5章 海外に広がる華麗なる交遊録
①エドモンド・ロスチャイルドと会談する
②ロシア・プリマコフ首相と会談する
③英国サッチャー首相と豆満江開発計画
④中国・李鵬首相と会談する
⑤中国・小平と会談する
⑥カーター米大統領令嬢と会う
⑦マレーシア・マハティール首相が健康パスポート提案
⑧ペルー・フジモリ大統領に学校づくり提案する
⑨ローマ法王
⑩アジア宗教者会議
⑪立正佼成会・庭野日敬
⑫靖国神社と新施設、世界宗教殿堂
第6章 双頭ワシ・米国金融資本の毒牙にかかる
①なぜだ!突然の社長退任
②裏切り者
③GEキャピタルに乗っ取られる
④大蔵官僚の陰謀
⑤アメリカ金融資本の対日攻撃
⑥東邦生命が狙われた理由
⑦破産財団
⑧妻の同志の厚情
⑨助かった浮世絵美術館
⑩長閑な日本の社長会
⑪ローランス・サマーズ元米財務長官から謝罪の手紙
⑫ミスター円・榊原英資(元大蔵省財務官)への恨み骨髄
第7章 奇想天外!世界を変える構想
①西沢潤一のダム掃除ロボット 
②ビーボコーポレーション
③水力発電
④東京湾の海底
⑤ライシャワー大学院大学設立準備委員会
⑥日本人の特性を活かす
⑦第二国連大学構想
⑧インターネット政党「平和環境党」設立
第8章 「もったいない・ご恩返し」に生きる

日本の外貨準備金と海外援助④~マッカーサーへの恩返し

2009年07月21日 13時07分12秒 | 太田清蔵・プロフィール
私の、竹馬の友のI氏が言っていたことですが、戦後すぐに朝鮮半島の南北で戦争が始まることになっていて、I氏は当時、北朝鮮一帯のいわゆる気象条件を全部、何年間かに渡って調べておられました。朝鮮戦争が始まる5年も前のことですが、私に向かって、
「間もなく朝鮮半島で戦争が始まるから見ていろ」
と言っていましたところ、本当に戦争が始まってしまいました。
 そういたったことで、アメリカ軍は武器弾薬は全部自給自足で調達しましたけれども、武器弾薬以外のものは、敗戦の日本に向かって特別発注をしました。これがいわゆる朝鮮特需といわれるものです。今の金額に換算しますと140兆円です。ですから、日本が戦後復興を経てここまで経済的に発展したのは、ダグラスマッカーサーのお陰であるということなんですね。しかし、このことを日本の新聞は書かない。だから、日本を潰したのはダクラス・マッカーサーだと言う人がいるくらいです。
 もちろん実際には、敵であったアメリカ軍に対して、お礼をする必要はありません。しかし、ダクラス・マッカーサーの武士道に対しては、いろいろやって下さった140兆円は、どうしてもアメリカのために民生品としてお返ししなければいけないのではないか。そのことがアメリカを助けるだけでなく、南北朝鮮を助けましょうということにもなる。
(太田清蔵勉強会『もったいないご恩返しの会』2009年6月19日スピーチより)

日本の外貨準備金と海外援助③ ~中曽根康弘首相とレーガン大統領の約束

2009年07月15日 19時23分42秒 | トンチン年金
 中曽根さんは、1982年から1988年まで総理大臣をやっておられました。その間に、アメリカではレーガンさんが80年から88年まで大統領をされ、最後の6年間がお互いに大統領と総理大臣として交流を深めました。
 1987年(昭和62年)にレーガン大統領が中曽根首相をワシントンに呼び、かつて福田赳夫がカーターと約束した20兆円ずつの話をします。15年も経っているので計算し直すと、300兆円をODAで外国に出さないと、不公平になるよということで、中曽根さんは
「日本で特別立法をつくって日銀券とは別に政府発行貨幣で出すことになっていて、それが貯まりたまって1000兆円になっている。だから、1000兆円のうちの700兆円は、日本の国民年金、厚生年金の赤字分、538兆円と、建築基準法の改定をやらなければならなくなり損をさせた262兆円、あわせて700兆円は日本の国内で生じた赤字のために使って、残りの300兆円を世界の困っている地域を支援するために使う。これらは法律で決まっているので心配しないで下さい」
 と、約束させられたのです。しかし中曽根首相が帰るなり、大蔵省と厚生省から、
「そんなことをしたらハイパーインフレーションになるから駄目だ」
 と言われてしまいました。結局、それも実現しないまま、外国に対する援助というものは途絶えてしまった。

 ところが、この話はこれまでにも幾度となく話してきました、ダクラス・マッカーサー元帥につながります。(マーシューペリーが観た日本の武士道)

 この話も以前しておりますが、乃木将軍の大変な信奉者であったマッカーサーの居室には生涯、乃木将軍の肖像画が飾られていたといいます。それにも係らず、ルーズ・ベルト大統領から日本を叩き潰せ、原爆を使えと言われて、2発も落とされたわけですが、しかし、マッカーサーは、そのことに対する申し訳なさでいっぱいだったわけです。いてもたってもいられない気持ちだった。これは、戦争が終わってからマッカーサー自身が言っていたことです。どうしたらお詫びをすることができるかと考えます。
(太田清蔵勉強会『もったいないご恩返しの会』2009年6月19日スピーチより)

日本の外貨準備金と海外援助② ~福田赳夫首相とカーター大統領の密約

2009年07月14日 22時12分41秒 | トンチン年金
 実は、当然、そのへんのところは、そんな勝手なことを民間の連中にやらせるわけにはいかないと言っておりますが、しかし、このことは、1978年頃、時の総理であった福田赳夫さんがカーター大統領からフィンランドの首都カトマンズに呼ばれ、
「日本はいま海外でもって非常に利益を上げて外貨準備金がたくさんある。英米両国が外貨準備がたくさん余っていたときに、何に使っていたかというと、GNPの6~8%を世界の安全保障に使っていた。ところが、日本は安全保障はアメリカに任せて1%しか出していない。英米両国は世界一の外貨収入のときに、GNPの2%をODAとして困っている国に出してあげることにして、安全保障と困っている国に対する援助両方を合計すると、GNPの8~10%を出していた。だから、日本も外貨準備がある間に、安全保障は1%で仕方がないとしても、少なくともこれだけ外貨収入が多いのであれば、0.13から0.28しかODAに出していないことになるから、英米並みに4%まで、つまり500兆円の外貨収入から毎年20兆円ずつ外国に対する援助費として出してもらいたい」
 と言われた。
そのときに福田赳夫さんが、お答えなさったのは、
「日本がいま財政的に非常に苦しくなって国債をたくさん出しているので、この国債の出している率が減って、外貨準備金が十分に他のことに使えるようになったら早速、20兆円ずつ出しましょう
 ということであっのです。
 ところが、実現する前に福田内閣は退陣し、大臣も変ってしまったので、結局そのままになってしまいました。
(太田清蔵勉強会『もったいないご恩返しの会』2009年6月19日スピーチより)

日本の外貨準備金と海外援助

2009年07月13日 18時37分37秒 | トンチン年金
これまでにも何度かお話しして参りましたが、イタリアの数理経済学のトンチンという方が17世紀に出まして、それまで年金というのは付加式年金といいまして若い人が保険料を払って年寄りがそれを受けるというやり方でした。しかし、若い人は多くて年寄りが少ない場合には、そうした年金は可能ですけれども、若い人が少なくて年寄りのほうが多い場合、今の付加式年金ではつぶれるのを待っているしか方法がないです。そういうやり方ではない、同じ世代同士で年金を構成しようということで、1689年(ルイ王朝時代のフランス)にトンチ(Tonti)という方は、元金はいろいろな形で契約者に戻るような形にして、後の利息や配当金だけは、最後まで長生きするほどたくさんもらえるという方法を編み出しました。そういうやり方でやれば、長生きの奨励策にもなるではないかということで、提案しました。
それを聞いて一番喜んだのは、フランス革命の犠牲者になられたルイ14世という王様でございました。これでやれば、カネが集まってしょうがないという状態にもなるというわけで、早速始めたのはいいのですが、当時は戸籍も整備されていませんし、当然コンピューターなどはなく、何から何まで手作業の時代でしたから、結局すぐに行き詰って破産してしまいました。
それを見たある小説家が、フランスのルイ14世がトンチン年金を始めたら、同じ年齢同士で殺し合いを始まって、殺し合いが途絶えなくなり、その結果フランス革命が起きたんだというような筋書きにしてしまった。ヨーロッパやアルリスでは、今でもトンチン年金というと、同じ年代同士の殺し合い年金だと信じている方が過半数なのです。

ところが日本においてこのトンチン年金、一ツ橋大学をお出になって今生きていらっしゃったなら百歳を越えていらっしゃる元日本興業銀行頭取・会長であり経済同友会の代表幹事をされました、中山素平先生が提唱します。
「日本は戸籍がしっかりしているし、また日本のように外貨準備金が余っているところでは、この外貨準備を世界の困っている国に渡すためには、このトンチン年金が一番よい。大蔵省、厚生省は、このトンチン年金を、国民年金、厚生年金といった付加式年金に代わって変えるべきだ」
ということを訴え続けられました。
しかし、それに対して、日本の大蔵省並びに厚生省は、そんなことをしたら、ハイパーインフレーションが起こって止まらなくなるから駄目だというようなことで、外国でやったことのないものはやれないとした。
今度は日本経済復活の会会長の小野盛司さんと、筑波大学の副校長から新潟の国際大学の学長におなりになった宍戸駿太郎先生方が中心になって、それをもってひとつの、世界共通のテーマを取上げるようになれば、日銀発行券とは別の政府発行貨幣を発行することができるから、これを我々にやらせてもらいたいということを言っていらっしゃいます。
ということで、外貨準備金と外国支援に関連したことを少しお話ししたいと思います。。(太田清蔵勉強会『もったいないご恩返しの会』2009年6月19日スピーチより)