(画像は、ニッカンスポーツより拝借) 昨日の大相撲、千秋楽の優勝決定戦は、見ていて思わず力が入る、いい取り組みでした。今まで、向かうところ敵なしの観があった朝青龍の前に、負けはしましたが、白鵬が確実に力をつけて追いついてきたことを見せつけてくれました。勝負の世界は、どんなに力がある者でも、永遠に頂点に居続けることはできません。いつかは新旧交代の時期が来る非情な世界であるからこそ、勝負の一瞬一瞬が輝いて見えるのかもしれません
。
もう一つ感慨深かった勝負が、土曜日に行われた、WBC世界バンタム級のボクシングの試合です。野球の世界一に沸く日本で行われた、もう一つのWBCの試合です。
私は、いわゆる「格闘技」のファンではありません。K1とか異業種格闘技とかも見ませんし、良く知りません。でもボクシングだけは、なぜか特別なものを感じます。もしかしたら「あしたのジョー」に多分に感化されたのかもしれません。あの、「燃え尽きたよ、真っ白にな….」というラストシーンを見ると、今でもジーンと来てしまいます。また、他の格闘技と大きく異なり、過酷な「減量」とそれに伴うストイックさに独特な何かを感じるのかもしれません。
と、余談はさておき、土曜日のチャンピオン戦、防衛を果たした長谷川選手は序盤から素晴しい動きでした。見ていて、長谷川選手の方がリーチがかなり長く感じられるくらいの早くてムダのない動きでした。対戦相手は、かの辰吉を2度退け、14度の防衛を果たしてきたタイのウィラポン。「この人に勝つ選手なんて出てくるんだろうか」とさえ思わせるような、強い選手でした。しかし、前回長谷川が判定でウィラポンを破ってチャンピオンベルトを奪取した時も、そしてTKOで防衛を果たした今回も、新旧交代の勝負の非情さを垣間見た気がします。長谷川25歳、対するウィラポン37歳。確かにウィラポンは試合運びがうまく、打たれても前に前に出てくる気力はさすがでした。並みの選手なら、数ラウンド前にとっくに膝をついていたでしょう。しかし、9Rで長谷川選手の右がカウンター気味に入りマットに沈んだ時、自分の時代は終わった、と彼自身が一番痛切に感じたのではないかと思います。

亀田兄弟のように、アッケラカンと強く、見ていてもスカッとするボクシングもいいのですが、終わった後も余韻を残すような試合が私は好きです。もっともこれは、見ている方が勝手にセンチメンタルになってるだけなのですけれど…….

もう一つ感慨深かった勝負が、土曜日に行われた、WBC世界バンタム級のボクシングの試合です。野球の世界一に沸く日本で行われた、もう一つのWBCの試合です。
私は、いわゆる「格闘技」のファンではありません。K1とか異業種格闘技とかも見ませんし、良く知りません。でもボクシングだけは、なぜか特別なものを感じます。もしかしたら「あしたのジョー」に多分に感化されたのかもしれません。あの、「燃え尽きたよ、真っ白にな….」というラストシーンを見ると、今でもジーンと来てしまいます。また、他の格闘技と大きく異なり、過酷な「減量」とそれに伴うストイックさに独特な何かを感じるのかもしれません。

と、余談はさておき、土曜日のチャンピオン戦、防衛を果たした長谷川選手は序盤から素晴しい動きでした。見ていて、長谷川選手の方がリーチがかなり長く感じられるくらいの早くてムダのない動きでした。対戦相手は、かの辰吉を2度退け、14度の防衛を果たしてきたタイのウィラポン。「この人に勝つ選手なんて出てくるんだろうか」とさえ思わせるような、強い選手でした。しかし、前回長谷川が判定でウィラポンを破ってチャンピオンベルトを奪取した時も、そしてTKOで防衛を果たした今回も、新旧交代の勝負の非情さを垣間見た気がします。長谷川25歳、対するウィラポン37歳。確かにウィラポンは試合運びがうまく、打たれても前に前に出てくる気力はさすがでした。並みの選手なら、数ラウンド前にとっくに膝をついていたでしょう。しかし、9Rで長谷川選手の右がカウンター気味に入りマットに沈んだ時、自分の時代は終わった、と彼自身が一番痛切に感じたのではないかと思います。

亀田兄弟のように、アッケラカンと強く、見ていてもスカッとするボクシングもいいのですが、終わった後も余韻を残すような試合が私は好きです。もっともこれは、見ている方が勝手にセンチメンタルになってるだけなのですけれど…….