このところ余丁町にある『蛍』という居酒屋へ日参している。オーナーは石山さん夫婦で3年前までは『ブルドッグ』というお好み焼きのお店をキラー通りで開店していた。その店の閉店の日に偶然行ったのはきっと何らかの縁があったのかも知れない。閉店に至るまでにはいろいろな理由があったのかも知れないが、一番の原因が奥さんの病気であったらしい。『癌』と告知されたとの事だった。その日以来、今年の正月に友人の退職パーティの席でお酒のメーカーの人から『蛍』の話を聞くまでは全く音信が取れなくなっていた。話を聞いて、早速友人を引き連れて食べに行ったのだが、その場所柄、店構え、料理内容にすっかり惚れ込んでしまった。40-50年は経っている様なバラック建ての店舗は、しっかりと磨き上げられその外観と本当に一体となった内装になっている。入り口のドアは、今はどこへ行っても見ることが出来なくなった『がらりの引き戸』、カウンターの外は人が座ると後ろを通るのが難しい程狭い通路。。すべてがレトロで、暖かく、コージーなのである。料理はオーナが好き勝手に作って出してくれるが、それが中々美味しく、粋なのである。決して贅沢な料理ではないし、本格的な料理でもない、又そこが好きな理由でもある。。安作りの店で、安物の酒、安物の料理で売っている『わたみん家』とあまり変わらない値段で食べれる料理は、それとは比較にならない程、気持ちと文化がしみ込んでいる。この店を見つけたよろこびもそうだったが、それ以上に『癌』告知を受けたママが元気でお店に出て来てる事が一番の酒の肴なのかも知れない。
開会式は毎回驚きの内容で回毎にましてそのアレンジのすばらしさには驚きを抑えきれない。今回の開会式もすばらしい物だと感じた。ただ最後の点火は間違いなくシステム問題があったと思ってみていた。4機あるべき柱が3機しか立ち上がらず5輪にちなんだ5つの炎が4つしか出来なかった事はシステムトラブルにほかならないと思ってみていた。少し気になった事であるが、オリンピックの開催がそこで行われるスポーツ以上に重さを持っている様に感じた事である。興行性、報道関連の視聴率の確保、そしてオリンピック協会の権力の維持が際立って目に見えて仕方がない。。
『バンクーバー冬季五輪の日本選手団の入村式が10日、当地のバンクーバー選手村で行われ、橋本聖子団長らの役員とスノーボードの一部選手ら30人が出席した。同ハーフパイプ男子の国母和宏(東海大)は当地への移動時の服装の乱れから注意を受け、参加を自粛した。』とのニュースが各テレビ局から放送され話題になったが、シャツがパンツから出ているのとネクタイがルースなくらいで、必要なジャケットもシャツもパンツもちゃん着ているように見えたのだけど?今のファッションでルースな着方は当たり前の世の中、ましていつも着た事の無い様なダサイズボンにジャケットを着せられた上にネクタイまでしなければならない押しつけへのささやかな個人の最低限の抵抗でしかないと思う。そもそも、与えられたジャケットもズボンもネクタイも決してフォーマルなスタイルではないのだからそれ程目くじらを立てる様な問題ではない様に思える。それに油を注ぐ様な報道も如何なの物だろうか?反骨精神を通した国母くんに星3つ!
「みつばちマーヤの冒険」や「ファーブル昆虫記」など、昆虫や花の作品を数多く制作し、生物画家としてその世界を確立している熊田千佳慕さんが亡くなったとのニュースが流れた。彼の比較的若い時代から最近までの放送をNHKで見る事が出来た。その虫への執着は尋常な物ではなかった。虫と同じレベルで考え、虫のすべての行動を熟知した昆虫画家であった。コマーシャルに流された我々のデザイン、絵画に対する物の見方の甘さをつくづく考えさせられた。一つの絵を完成する為に何ヶ月も時間を費やし、満足が出来るところまで妥協は許さなかった。挿絵とはとても言えない芸術の世界に入った本物のイラストレーターだった。
何度も放映される漫画ミュージアムの完成予想図であるが、プロの目から見て余りのレベルの低さに驚きをこえて、このようなプレゼンで何十億ものお金が出ると言う事に驚きを感じています。僕たちが関わるプロジェクトはどのようなレベルであってもあれ以上の完成予想図は不可欠なものである。いくらやっつけのプランにしてもあの絵はないというのが僕の意見である。
どの局の番組を見ても、どこかに民主党のネガティブイメージを作り上げようとしている裏の意図が見え隠れしていてとても不愉快である。長年アメリカ生活が長かった事もあり、新政権に対してこれまで悪いイメージを作ろうとする番組を今まで見た事がなかったので、ある種日本の国の陰湿性がねちねちと感じられて仕方がない。まだ、政権が正式に発足してない時点から、これが出来るのか、あれがおかしい、2重権利構造になっているのでは等、批判ともならないネガティブキャンペーンを展開している。その裏にある報道機関と前与党との利害関係が大きく関連しているのだろうなと、客観的に見守るしかないのだろうと思っている。
先日、ふと見たテレビ番組でお笑い芸人の爆笑問題の二人が東京芸大へ行った番組を放送していた。まずは東京芸大の施設の豪華さに驚いたのと、コメントをする教諭達の迎合的な生徒に対する姿勢にむかつきを感じた、又、売れる事が芸術の神髄である様な爆笑の太田氏の発言も、大衆芸能と芸術の根本的な意識の違いを垣間見る事が出来てある意味面白かった。僕は芸術と一般商業作品とは基本的に違うべきであるという立場を取っているので、少し冷ややかに彼の意見を聞いていた。また、このキャンパスの豪華さにいささか驚きと失望を感じてしまった。発表している学生もどちらかというと、独りよがりであり、芸術本来の持っている内面から滲み出てくる来る様な迫力を感じる事が出来ない、一人の学生は顔を塗りたくってみにくい物にすることと、奇抜な衣装で自分を表現しようとしていたが、そこのあるのは実は自分のか顔は綺麗であるという優越感がそこにある事に気づいていない、醜い顔をした人なら決してそれ以上自分を見にくくしようとはしないからだ、、また、学校の施設も驚く程豪華でこれで本当に芸術作品が生まれるのか疑問である。芸術の生まれる原因は突き詰められた環境と、それにも増した個人の創作意欲であると思う。色々な作品を見たが、どの作家もいろんな意味で苦労し、創作意欲が充実した時の作品が、見る人,聞く人の誰に対してもメッセージを発する事が出来ているように感じた。決してすばらしい環境から芽生えるとは思えない。学校のあり方、生徒のあり方、先生のあり方、漫才師のあり方を考えさせられる番組であった。。
渋谷のデパートの催し会場で山下清の作品展があったのでのぞいてみた、週末という事もありかなりの人が列んでいた。会場は作品を保護するという目的で薄暗く、山下清の細かな作品を見るのは暗すぎた。山下清の細かな貼り絵を期待していたが、かなりの量の作品が展示されていたが、貼り絵の作品は半分にも満たず、あとはマーカーの作品が多く目立っていた。際立っていたのが、初期の作品で、古切手を使った毬栗の作品と黒っぽい花火の2典だった。それ以外は、兵隊を描いたものが時代背景をうまく表現していたくらいで、僕には絵画の評価をどうこう言えるものではない様な気がしてならなかった。彼の奇行が取り上げられ、逆に人生を翻弄されてしまった様な気がしてならない。彼が望んだ本当の人生は違っていたように感じられた展覧会であった。