西日本新聞では現在<戦後70年>の連載をされています。一夜で10万人の方々の命が奪われた1945年3月10日の東京大空襲、今年も遺族の方々等による追悼法要が行われたそうです。当時の「防火法」の問題点等も注目されています。知らないことも多く、しっかり読ませていただいています。
3月20日号には「大牟田空襲」を柳川市の伝習館高校演劇部が劇化し、19日柳川市で上演されたと、取材されていました。
何故ー伝習館の演劇部が「大牟田の空襲」を?
大牟田の空襲は1944年2回、1945年4回あっています。(『大牟田の空襲』第26集 P98 「大牟田の空襲を記録する会」2013年発行 より)
そのうち1945年8月7日の大牟田空襲が「この道」という劇になっているそうです。
新聞には「1945年8月7日の空襲では、大牟田市内の軍需工場に学徒動員されていた旧制中学伝習館の生徒17人が犠牲になっている。部員たちは70年前の同世代と現在の自分たちを対比し、悩みながら演じきった」とあります。(下:2015年3月20日西日本新聞<戦後70年>布谷真基「大牟田空襲高校生が劇に 軍需工場で17人犠牲の伝習館高 同世代に思いをはせ」より)
劇のストーリーも紹介されています。演劇部長の上野さんが「命の問題がより身近にあった戦時中の若者に思いをはせ、伝えていくことが同世代の僕らの役割かもしれません」と話されています。
なるほど!そうーだったんですか。感動です!
ぜひ、大牟田でも「この道」を上演して欲しいと思いました。
*大牟田藤田町には8月7日空襲の慰霊碑があります。
*大牟田の工場で勤労中、8月7日の空襲で亡くなった学生さんは、わかっているだけでも「中学伝習館17人、三池中学7人、八女工業5人、県立大牟田高女3人、大牟田商業学校2人等々、合計41人いらっしゃるそうです。中学伝習館や三池中学、大牟田高女には慰霊の碑があります。(「大牟田の空襲」第26集 P77 より)