お寺ふぁん・続々

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226事件 オリンピック年 コロナ

2020-02-25 | 日記

 2月25日、明日はいよいよと陸軍将校が緊張の極に達している時期であったろう。

 知りもしない昭和11年2月26日未明、帝都で陸軍将校の一部が蹶起した。

 226事件である。

 

 過去のオリンピック開催を見ていてふと思った。

 ベルリンオリンピックって・・カレンダーを見て、あかん今年のになってる・・違った、昭和11年(1936年)と今年のカレンダーは、曜日、日数(うるう年)までぴったり一致である。

 南岸低気圧の接近で東京は強い雪となった。この中で蹶起する。

 陸軍には皇道派と統制派という大きな流れがあった。

 一言でいえば、目標は共に“強兵”で一致、達成手段として皇道派は農村の疲弊なども背景に兵員の拡充(それがいわゆる“雇用の創出”にもなる)、統制派は欧州戦線なども実際に視察していて兵装の近代化(費用捻出のため兵員は縮小)を言う大きな対立がある。

 

 詳しい背景など知らないが、時の非主流皇道派青年将校によるクーデターに至る。

 一旦は成功に見えた。不況の憤懣が大衆受けしたということもあるのだろう。

 “朕の大切な臣に対して凶刃を向け、世を乱しけしからん、直ちに軍は叛乱軍を討て。軍部が躊躇するなら朕が兵を率いる”と厳しい叱責を受けたとし、軍上層部も“ほ~ら、だから言ったのに・・”的流れとなって急速に収束に向かう。

 首魁(首謀者)の自決、逮捕、兵の原隊復帰等により武力蜂起は29日に終結、日本を震撼させた大事件は事後措置に向かっていく。

 

 写真は首魁の一人、安藤輝三大尉。思慮深い実直・朴訥な面立ちに見える。揖斐の人らしい。

 彼は蹶起の消極派だが一旦起った以上は徹底主戦派に転じたという。昭和の士(さむらい)かなと思う。部下にも慕われたらしい。

 

 一方で同志が闊歩するこの姿はいかにも恐ろしい光景だ。(中央 栗原安秀歩兵中尉)

 

 事件は大きな波風を起こしたようであるが、北一輝らの思想家に不逞な思想を吹き込まれた若い将校の血気にはやった行動として処理される。

 首謀者の多くは一審制の軍事法廷判決により死刑(銃殺)。

 これで一応幕を閉じたものの、世は確実に戦争への道を歩み始めることとなる。

 

 そして今、さすがにクーデターはないが、同等のもの・・コロナ真っ盛り。

 混乱ついでに五輪も10月過ぎくらいに先延ばしできないもんなのかな~ 前の大会も気候を勘案したということだし・・・

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