小説 ONE-COIN

たった一度、過去へ電話をかけることが出来たなら、あなたは、誰にかけますか?

十二月の出来事 3

2005年05月25日 | FILM 十十一十二月
曇りのち雨【十二の三】→→→ 一番遠い駐車場へ回され正面の道路を通らずに、中庭を抜け正面の玄関を目指そうと足早に進んでいく。

「僕に何か出来ることがありますか?」

 突然飛び込んできた声に歩調が緩み、ぱたりと歩みが止まる。
 病棟前、茶色の歩道沿い、花が咲いていない花壇が続く。花壇向こうのベンチに座る大きな背中は肩を落とし、小さな背中は頼もしさと優しさが滲み出ている。二人は、芝生が広がる中庭を前にしている。黒のダウンジャンパーを着た青年。紺色のカーディガンに、ベンチから覗く足元の白いスカート。突然、飛び込んできた一言でも、ダウンジャンパーの青年がどんな立場なのか大まかに予想が付いた。患者の家族か、友人か、恋人か、助けたい人がいて、自分に出来ることを探している。それをナースに相談しているのだろう。私は、前にいる二人に気づかれないように、二歩前へ出る。聞き耳をたて、悪いと思いながらもその答えが知りたかった。真直ぐ前を見ていたナースが、俯きぎみに少し前を見続ける青年の方へ体を向け斜めに座り直す。ナースの横顔が青年を見つめた。

「たくさん笑うと、免疫力を上げることがあるんです、まだ、実証されていないんですが、そんな症例があります」

 淀みのない疑いすら浮かばない、青年に向けられる視線のように真直ぐな言葉。躊躇うこともなく続け、微笑んで見せた。青年が大きく肩で息を吸い込み吐き出した。空気は、吐き出されたけれど、萎んだ背中に空気が入れられたように見える。すくっと立ち上がり、座るナースと向き合い照れながら笑顔を薄っすら浮かべた。俯いていた頭が真直ぐと前を見据え、その中に私が偶然入り込むと、私がナースに用事があるのかと勘違いしたらしく、ぺこっと頭を下げ、ナースにお礼をいい立ち去った。ナースは、立ち上がりながら、後ろを振り向く。
 優希にとってお世話になった人は、病院の医師や看護士で担当の方に会えば、優希と遭遇するのではないかと考えていた。間違ってはいなかった、けれど肝心な事が抜け落ちていたらしい。どうして、もっと早く気づかなかったのかと、益々自分が情けなくなる。優希が一番お礼を言いたかったのは、おそらく目の前にいるナースだろう。隠されていたのか、それとも、また、騙されていたのか、ただ、言いたくなかったのか。今となっては、分からないし、知る必要もない。

 向かい合う二人の間を、白い何かが横切る。視線は奪われ咄嗟に追う。花壇の上を通り抜け、芝生の上を低空飛行し、突然の風に煽られた紙飛行機は体勢を崩し巻き上げられ芝生の上に突き刺さる。今更目の前にいるナースと話す事などない気がし、優希は、もうこの病院にいない予感もする。優希を追うパワーもなく、虚無感が占領していく。花壇を乗り越え、ナースの横を通り過ぎ、柔らかな芝生の上を歩き、先が芝生に突き刺さる紙飛行機を拾った。先の部分が潰れている。紙飛行機を手にしたまま後ろに振り向き、病棟に開いた窓がないか探してみたけれど、どこから投げられたものなのか分からない。

 近づいてくるナースのカーディガンが風にぱたぱと揺れ、胸元についてる中村と書かれた名札がカチカチと音をたてている。

「優希、長野へ帰ったよ」

 強くなり始めた風、後ろから吹き抜け中村の髪が前へ流され顔に触れると右手で押さえる。

「過去形?」

 潰れた紙飛行機の先端を爪をいれて出来るだけ伸ばしてみるが、衝撃が強かったのか跡は消えずに、戻ろうとする。

「駅まで飛ばせば間に合うかも」

 中村は腕時計をみながら、時間を計算している素振りを見せ、私は紙飛行機の軸を指先で持ち、二、三回飛ばす素振り見せる。

「飛ぶわけ無いじゃん、ちょっとの風に煽られてすぐに庭に落ちる紙飛行機なんかさ、届くわけがない」

 紙飛行機を突き出し、中村の前へ翳す。冗談にもならない言葉しか発せられず、虚無感を埋めるのは苛立ちしかなく、徐々に占領を始めていく。

「現実逃避か」

 紙飛行機は無視され、私を真直ぐに見据え大きくため息をつくような言葉が吐き出される。

「所詮、こんなものだよ」

 苛立ちを見せるのは、大人気ないし出来るだけ隠しておきたくて笑いたくもないのに、笑って見せると、中村は、私を見透かしたように嘲笑い目を細め腕を前で組み肩を振るわせる。しばらく笑いが続き、突然腕が解かれると、ぴたりと止まり、表情は一変し仏頂面になり、水泳の息継ぎのように空気を吸い込んだ。

「何をどうしたかったわけ?支えてあげようとか、決心していたりしたの?もともと、出来ることなんてたいした事ないでしょ?」

 こんな中村は初めてで、いつもより二倍のスピードで言葉が飛び出している。一瞬、驚き固まってしまったがすぐに解凍した、なぜなら腹が立っていたからだ。

「随分とはっきり言ってくれるね!!そんなの分かってるよ、私は、医者でもないし、看護婦でもないし、家族でもない、現に優希が長野へ帰る事すら知らなかった訳で、気づくことすらなかった、ペアルックを着ちゃうようなやつに、いちいち言われる筋合いはない!!」

 中村に怒りをぶつけるのも筋違いだというのは、片隅で理解し、大人気ないぞとも、もう一人の自分が言っていたけれど、止める事は出来ずに、捲し立てるしかなく、声を荒げている自分を恥ずかしく思いながらも、掻き消すように尚、張り上げる。

「ぺ・・・ペアルック?何言ってんの?馬鹿じゃない!!あたしがここの看護師だって事も知らないすっとこどっこいが、優希に何をしたかなんて分かるわけ無いじゃん。それとも、何?知って知らぬふりでも決め込んでた?ぜひとも言ってみてよ、ペアルックがどうして悪いのか、私が優希に何をしたのかをさあ、さああ」

 ナースは冷静な判断を要求される職業ではないのだろうか。少なくとも数分前までは、立派なナースが目の前にいたはずだ。あんな心遣いはどこにも見えないどころか、まるで別人である。これほどまでに怒り捲くるナースも、中村も今だかつて見たことが無く、気が付けば呆気に取られ、吹き抜ける冷たい風が、辛うじて私を引き戻してくれる。中村は高揚し体全体に力が漲っていて立ちはだかる壁のようだ。

「知るかああああ、そんなのおおお」

 叫ぶ前に、遠くの空に光が走り、語尾のところで、ゴロゴロと地響きのような音が鳴り、それに驚いた私は、肩をビクつかせ声が裏返ってしまう。咄嗟に恥ずかしさを補うように右手で中村の左肩を押すと、予想以上に力が入っていたのか、掌がつるりと滑って宙に浮いてしまいそのまま引き戻す。

「私は、優希がこの病院に来る前から、ここで働いていたんだよ。ここに、私が居たから、優希は色々話しただけで、馬鹿な二人みたいに、一緒に泣く事も叫ぶことも、笑うことも出来なかった。してあげることは、幾らでもあったけど、することは出来なかったんだよ。優希はねえ、馬鹿な二人だから言いたくても言えないことだってあったはずで」
「馬鹿ア??」

 馬鹿という言葉に過剰に反応し、言葉を遮り中村の目を睨みつけると、その目には、溢れんばかりの涙が溜まり、今にも、ぽろぽろと流れ落ちそうだ。私が泣かしたのか、いや、泣かされるのは私ではないだろうか。それとも、ペアルックがあまりにも悔しいのだろうか。

「馬鹿じゃん、大馬鹿だ。優希が、どんなに塞ぎ込んでいようが、無理矢理笑わせて、立ち上がらせて、いつの間にか、動かざるおえなくなって、優希は、いてもたってもいられなくなって、その繰り返しで、苦しい時間も、少し短くなって、忘れさせて、おまけに馬鹿の一人は、病状聞かされて、私とぶつかっても、気づかない程、動揺しているし、それでも考えて、苦しんで、叫んで、車をへこませたり、でもさあ、いろんなことあるのに、傍からみたら羨ましく思うほど、楽しそうに過ごして・・・笑って・・・」

 怒鳴られているにも関わらず、羨ましがられているとは、冷たいものと温かいものを一度に口で含んだような戸惑いがあったけれど、中村の何度も途切れながら放ち続けた言葉の単語が、辞書を引いたときのように心に入り込み重さを感じさせていく。中村は落ちそうになる涙を堪えながら、話し続け、大きく息を吸い込み吐き出した。

「これが、馬鹿以外なんのよおおおお」

 瞬きを堪えていたが耐えかねたらしく瞼が閉じ、開いたときには、一筋の涙が猛スピードで頬を伝い流れ落ちるかどうかのとき、中村の手が涙を拭い線が崩れ、次に涙が溢れそうになると背を向け肩で息をしながら、ズカズカと、芝生を削り取る程の勢いで怒りを撒き散らしながら病棟の方へ歩いていく。反論する暇もなく、言われるだけ言われ続け、幕が一方的に下ろされていた。
 吹き下ろす風当たりが尚、強さを増す。病棟の間を音をあげ抜けていく。いつの間にかすべての窓が閉められている。辺りを見渡せば、今にも大泣きしそうな空を避けるように、誰もいなくなっていた。覆い尽くす雲はめまぐるしく流動し一層、グレーの上にもっと濃いグレーが塗りつぶしていく。
 みもふたもないほど打ち砕かれ粉々になった虚無感と苛立ちをなくし、深夜放送を終えた後の砂嵐の前のカラフルな画面のようになっていた。そこへ、緊急ニュースの画面に切り替えられたように、大変な事を思い出した。うっかり忘れていたといえばそれまでだが、優希はもう、この街を出てしまっただろうか。

 自らの不甲斐なさを反省していると、ポケットがブルブルと揺れている事に気づき携帯を取り出すと優希からの着信だった。
 随分とタイミングが良いじゃないかと受話ボタンを押し、何も発せず、耳に押し当てる。

「のり?」

 始めに話したのは、優希だった。

「うん、長野に行くんだって?中村に聞いた、随分酷いやつだな」

 いつもと変わりなく会話をする自分が不思議に思える。出来れば、今さっき中村に懇々と言われ続けた事を伝えたい気分だったが、そんな時間はないだろうし、伝えるのも迷惑だろう。したがって、確信的な若干の八つ当たりを言葉の節々に織り交ぜながら続ける。優希はなにも言わない、自分の事で怒っているのだと勘違いしているのかもしれない、けれど、一概に間違ってもいないので、あえて訂正するのをやめる。

「優希」

 今まで何回この名前を呼んだのだろうか。優希の名を始めて呼んだのは、いつだったか、始めは苗字で呼んでいて、一緒に居る時間がちょこちょこと増え始めたくらいからきっと、優希と呼ぶようになった。呼びなれた名前を呼ばなくなると、よそよそしくなったり、忘れてしまったり、するのだろうか。

「優希、あの本、あの意味もなく分厚い本。あれ、読み終わった。それで今日返してきた、というよりも佐々木に押し付けてきた。まったく、最後の一文字まで感動もなにもありゃしない、最低の本で最高につまらなかった、間違いなく今まで読んだ本でダントツのワーストワンだ。どこの誰だか知らないけれど、誰が何の為に書いたのか疑うよ、きっと金の力で無理やり本にしただけだな、あれは、ただの自己満足だよ」

 話しているうちに、また別の怒りが顔をだし、佐々木のメッセージ、一生忘れませんなんていう言葉も怒りの炎の燃料へ変化し、怒りがふつふつと湧き上がり、ぶつぶつと受話器に向かって重なる怒りをぶつけ続けていると、まるで落語でも聞いているかのように、随所で優希の笑い声が上がる。

「あのねえ、笑ってる場合じゃないよ、どれだけの時間を費やしたと思っているのさあ、一時間や二時間、三日や四日じゃないんだからあ」

 足元の芝生の中の一部が切り忘れた髪の毛のように伸び放題で飛び出している。二つに分けて先端を結んだら、誰かが躓くだろう。中村が躓けば良いなと勝手な想像をする。左足で、おもいっきり掠るように蹴り上げるとパサッと音が鳴る。

「のり。私達は、自己満足を手にしたんだよ、分厚い本を読んだっていう」

 私達。優希も読んでいたということなのか。と、なれば、またひとつ騙されていたということだろう。今更驚きも落胆もなく開き直って聞くことにする。

「私達?読んだの?」
「もちろん」

 やはり、そうだったのか。何気にあの本を私が気づくように置き、食いつくのを待っていたと考えても不思議でないだろう。

「つまらないって教えてくれれば、多くの睡眠や自由な時間を手に出来たと思うんですが?」

 優希は、つまらないという事を知りながら進めたのは、無意味な時間の多さを誰かに体感させたかったのか、あまりにも退屈な時間の連続で、八つ当たりでもするように私に同じ思いをさせたいがために勧めたのかもしれない。

「あはは、それはどうかな?頭が痛くなるほど爆睡して、何をしたかも憶えていない時間が増えただけだよ。うん、間違いない。あっ電車来たからもう切るよ」
「うん。じゃあ、また、って、おいっ!!こらあ!!」

 まるで、昼休みの電話のようだ。優希の声が聞こえず、切られてしまったのかと受話器に耳を傾けていたが、電子音は聞こえず雑踏だろうノイズが聞こえる。優希は、何も言わずにただ携帯を握っているようだ。その中で、電車を知らせるアナウスが聞こえる、優希が切れないなら私が切ろうと耳元から携帯を放そうかと考えていた。

「あっ」

 篭ったアナウスの音に混じり優希の何かをみつけたような声が漏れると、離しかけた携帯を再び握り直し耳に押し当てた。


thank you
次回、ラストへつづく・・・

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