小説 ONE-COIN

たった一度、過去へ電話をかけることが出来たなら、あなたは、誰にかけますか?

雪が解けるまで 2

2005年12月26日 | 雪が解けるまで
 バス停が見えなくなるまで車を走らせる。辺り一面に真っ白な田んぼが広がりようやく自動販売機の光を見つけ車を前に停め一息つくことにした。積もり積もったある思いがミキサーのように頭の中で疲れと後悔が思い迷ったまま再び七時間の運転を続ける事は不可能だろう。エンジンを切らずドアを開き外へ出て自動販売機で百二十円を入れビターなホットコーヒーのボタンを押すと振動とともに落ちた。乗り込まないままタブをあけ一口飲む。太陽がもうじき顔を出すだろう。空はオレンジ色から濃紺のグラデーション、白い月も一番星も輝いている。車の中から流れる音楽が僅かに聞こえる。
「これで良かったのかな」
 ホットコーヒーで温められた真っ白な息が独り言と共に吐き出される。

 七年前のあの日、原を寮に誘ったのは私だった。彼氏が一人で留学することになり原は一方的に別れを告げられ、見送りにいくことを迷っていてた原に飲み明かそうと誘ったのだ。夜を飲み明かし疲れ果てぐっすりとコタツの上に項垂れたまま眠った。朝一度、トイレに置きカーテンの隙間から外を伺い、そろそろ彼が出発する時間だと時計を見ながら思ったがすやすやと眠る原を見てそのまま眠りに戻った。二人の眠りを妨げたのは鳴り響く電話のベル。昼間近くだった。電話を持つ原は一瞬全身が固まってしまったのではないかと思うほど動きが止まり、何か大変が事でも起こったのだろうかと不安のまま原の顔を見て肩に手を伸ばし軽く揺さぶる。
「事故にあったって、駅前で。病院で手術を受けてるって・・・彼が事故に、行かなきゃ」
 原はコタツを飛び出て立ち上がり鞄だけを走りながら持ちあげそのまま靴を履き外へ飛び出した。薄着のまま飛び出した原のコートを取り後を追おうと玄関のドアを開けたけれどもう姿はなく部屋の中へ戻るしかなかった。

 三時間後に戻ってきた原は、部屋一歩入るなり膝から崩れ落ち体を曲げた。顔は真っ青で言葉の一つも発するのが難しそうで冷たくなった体を温めてあげる事しかやることがなかった。

 トイレに立ったとき眠っている原を起こし駅まで送り届けるべきだった。そうすれば、こんな事にならなかったのではないかと原の姿をみてそう思い、私がこんなに飲まさなければいや、そもそも誘わなければ良かったのかもしれない。そんな私に原は何も言わなかった。ただ憔悴しその後を静かに過ごした。もし、原が私に当り散らしてくれたらこの罪悪感はもっと違ったもので七年経った今でも悔やみ悩むこともなかったかもしれない。

 鳥のさえずりがどこからともなく聞こえオレンジ色の空を小さな鳥たちが一斉に羽ばたく。体がぶるっと震え冷めてしまったコーヒーはもう飲む気にはなれず、再び温かいコーヒーを買い車の中へ戻ろうとドアに手をかけたとき、まっすぐな道のずっと先にいる原は今何をし何を考えているのだろうと見えない原を見つめ車に乗り込んだ。
 七年越しにやっと、送り届けることが出来たけれど、この選択は本当に正しいのだろうかと送り届けた今でも答えは見つからないが、これで良かったのだと今は思える。たとえ間違っていたとしてもだ。愛想を尽かされても、嫌われてもそれでいいと、助手席で眠る原の横でハンドルを握った時決心したののだから。


 真東へ歩いていた。町の中心部へ向かうには田畑を突っ切る一本道を進むほかなく道路沿いに詰まれた雪を避けながらザクッザクッと踏みしめ白い息を定期的に吐き出し前へと太陽の方へ向かう。軽いロングコートにニット帽に厚手の手袋にマフラー、靴底には靴底ホッカイロに衣類に貼れるホッカイロ。防寒対策は完璧だった。バス停のベンチの上に置かれ疑うこともなく準備を整えた。バスの時刻表を念のために確認はしたがバスが来るのは三時間後でとくに気にすることもなく歩き始めた。

 一歩ずつ進みこの遅さではなかなか町中心部が見えてこない。けれど静かな光の中を歩くうちにこれで良かったのかもしれないと思い始めていた。突然町の中心部に置き去りにされたらきっと私は電車に飛び乗って引き返してしまったかもしれないし、このどうにもならない状況では歩く事しかなくその行為が私の心の準備を整えていくように思えた。不思議なことに私はこの町にやさしくゆっくりと歩み寄り受け止められているように思えた。友人の心遣いに感謝した。けれど、冷たい風が田畑を走りぬけ巻き上がる粉雪が顔に当たるたびにその気持ちは薄れていく。

 どのくらい歩いただろう。用意されていたリュックを背負い正面だけを見つめ一歩一歩ふみだしていく。民家がぽつぽつと現れ雪に埋もれた生垣や自転車が生活を現している。目の前にある景色が記憶とシンクロしピントを合わせていく。直線だった一般道がこの先T字路になりその右側に四角い緑の箱が光っていて七年前と変わらずにあるコンビニを確認した。この一般道をそのまま進むよりも田畑を突っ切る車が通れない細い道を進む方が早い。コンビニまで一直線で両脇は踏み荒らされていない真っ白な雪に足跡が残る細い道。一般道は除雪され歩きやすいが、この道はそうでなく歩くたびに靴の中に雪が入ってしまうかもしれない。立ち止まり真っ直ぐコンビニへ伸びる道を見つめる。
 ザクッ・・・ザクッ・・・。
 気持ちは決まっていた。ただ、踏み込むタイミングを相談していただけだった。二つの足跡が並ぶように続いていて、自然と歩幅が狭いほうに靴をはめ込むように進む。

「どうして、踏まれたところを歩かないんだよ、普通はわざわざそこを踏むだろうが」
 楕円型の足跡が真っ直ぐと伸びていて周りの壁は所々崩れている。行き交う人がそこを踏みしめて通っているのだろう。ジーンズの裾は粉雪が纏わり付き真っ白になっていたが気にすることなくまだ踏みしめられていない雪面をわざわざザクリザクリと踏み込んでいた。
「すいませんねっ雪に慣れていないもんで」
 言いながらも、ざくりざくり。
「踏むたびにニヤリと笑うなよ」
 ジャンパーのポケットに両手を入れ呆れた顔で私を見ている。彼は雪と一緒に育ってきたからきっとこの気持ちは分からないだろう。このサラサラ雪のすばらしさにワクワクし、いてもたってもいられず、つい、ざくりといってしまうのだ。これが自分一人では収まらず三段ステップをしながら三段目で彼を力いっぱい突き飛ばした。彼は、田畑にばったりと仰向けに倒れた。
「大丈夫・・・くっ・・・ぷっ」
「おまえなあ、俺が倒れた場所に杭とかあったらどうすんだよ、危ないだろっ」
「くい・・・まさかあ」
 立ち上がった彼は、雪まみれでパタパタと叩き雪を振り落としていく。田畑には彼の倒れた跡がくっきりと模られている。カメラを持ってくれば良かったと後悔したが彼には言わなかった。しばらく眺め彼を見るとすでに歩き始めていた。コンビニに到着する頃には私は相変わらず裾に雪をたらふく付けおまけに息も切らしていた。それを見るたびに彼は呆れ顔で笑った。

 七年前の彼の言葉を守り足跡を辿り歩く。細い道の終わり際に振り向くと二人分の足跡が残っている。彼と一緒に歩いたかのように錯覚した。


まだまだ続くよどこまでも。

雪が解けるまで 1

2005年12月18日 | 雪が解けるまで
 チーン。
 モーターが息を吐き出すように止まり勝手に終わりを告げる。キッチンでコーヒーを淹れている最中になり電気ポットを押す手を止め振り向き電子レンジに近づく。
「あーまた、三十秒で諦めてるし、まったく根性見せろってんだ」
 すっかり働く気のないレンジの横をボンと叩いてみる。
「何?またレンジに八つ当たりか、もうおじいちゃんなんだからさあ三十秒で褒めてやれば」
 仕事場から顔をだした風間が古いレンジのかたを持つ。私はレンジをあけ中に入っている温め切れていないピザを出し風間が見える範囲のカウンターに載せる。
「そうだね、レンジを労わってあげよう、まだちょっと凍っているけどせっかくだから食べてあげてね、風間さんの昼だからさ」
 風間の態度は一変し部屋から出て腕まくりをしながらレンジに近づきそれを両手で抱えて側面、底面などを三百六十度念入りに調べ始めた。
「買わないと駄目かな、もう、十年もたっているからなあ」
 あんなにレンジのかたをもっていた風間は結局自分に降りかかると話しは別のようで直せるはずもないレンジと格闘した後元の位置に戻す。
「十年も経ってないよ、だって、あのとき、ホームセンターで買ったやつでしょ」
 このレンジは大学を卒業して地元に戻りしばらくしてからホームセンターでレンジの箱を抱える風間に再会したときのものだ。三回、レンジのコンセントを入れなおしリセットしていく。そのたびに液晶がピコピコと点滅する。
 レンジはあてにならなそうなのでフライパンを出しコンロにかける。ピザはフライパンで焼くことにする。

 焼きあがったピザとコーヒーをテーブルに載せると同時に風間が席に座り食べ始める。その姿を見届け出かける準備を始める。洗面所から戻ってくると風間はテレビの天気予報をピザを口に運ぶのを忘れたまま見入っている。自然と私の視線も天気予報に向く。
「寒いはずだよね」
 十二月だというのに爆弾寒気が日本列島に張り出し日本海側は各地で例年以上の大雪を記録していた。太平洋側にいる私たちですらその寒さに気づき例年よりも早く厚手のコートや手袋、マフラーなどの防寒具を必須アイテムにしていた。
「今週末は、ひとまず落ちつくみたいだな、良かったな」
「休みの日に落ち着かれてもなんら意味がないような気もするけど、それに、こっちは寒いだけで雪降らないしさ」
「まあな、でも、ほら、ささやかな気持ちだよ」
 風間が何を言いたいのか良くわからないまま出かける準備を続けた。準備をしていると風間が暖かい格好で行けよと声をかけた。ただの友達との飲み会であるのにその気遣いは過保護であり不自然だった。
「じゃあ、行ってくる、今日はここに泊まるんで内鍵を開けておいてね」
 風間は天気予報から私へ視線を移し頷いた。鞄を持ち部屋を出ようとしたとき、風間が私を呼びとめたけれど何も言わずに持っていたピザを皿に落とし立ち上がろうとしたがそのまま椅子に沈んだ。私は待ち合わせの時間が迫っていたのでそのまま部屋を出る。

 車を走らせる。ダッシュボードの上に置かれた一枚の葉書が吹き出る暖房にフルフルと震えている。朝自宅を出るとき、ポストを確認するとこの法事を知らせる葉書が入っていた。そのまま持ち去り車に乗り込んだ。

 なぜ、私へこの葉書が送られてきたのだろうか。その意味がまったくわからず動揺するほかなくどう受けとればよいかも見当たらない。考えることをやめ信号待ちをしているときその葉書を取り鞄の中へ入れた。ラジオへ手を伸ばしDJの話に耳を傾けながら空を見ていた。夏のような背の高い山のような雲が町の所々の上空に浮かんでいる。その周りには薄い綿菓子のような雲がぼんやりと纏わりつく。雪雲だろうか。気がつけば町の向こうにある山肌は白く色を変えていた。


 ガラスのような夕焼けが濃紺に色を変えた頃、絶品と噂されている焼き鳥屋のカウンターに二人で並んで座り午後に買い物したものは車に詰め込み再び店へと繰り出していた。
「風間さんと付き合ってどのくらいになる?」
 砂肝をひとつ呑み込みもうひとつ食べようとしたが串を持つ手がぴたりと止まる。どう答えれば良いか戸惑う。これは友人の嫌がらせだろうか。出会ってどのくらいと聞いてくれればずっと答え易かったはずで、付き合うというのは恋人同士になってという事だろうし単純に考えれば二人がそれを認識したときでその月日を答えればよい。ところが、レンジを持った風間に再開してから今日までたった一度も言葉でそれらしい事を交わした事がなく私たちの関係は曖昧の中にいた。でもそれは傍から見れば恋人同士に見える。だからこそ、この事を話すのは友人でも抵抗があった。けれど、私は風間を必要としたし今の私があるのは間違いなく風間と再開したからだろう。でも、こんな状態はこれから先続くはずがないことも分かっていた。
「わからない、付き合っているのかって聞かれても答えが見つからないよ」
 持っていた串を置き生ビールへ手をかけ一口飲む。友人は何もいわずに枝豆の皮を皿の上に投げ捨てため息をひとつついた。
「なんでそんなの事聞くの」
「確認だよ」
「何の確認?」
 友人の答えは何もなく、手持ち無沙汰にビールを飲み干すともうひとつビールを注文してくれ今日は飲めと店員から受け取ったジョッキを目の前に置いた。友人は珍しく飲まず私の車を運転して帰るつもりのようでもくもくと焼き鳥を食べ続ける。友人の分も飲まされ途中からすっかり記憶が飛び私は酔いつぶれた。眠りに落ちる前、こんな感覚は前にあった、いつだろうと考えてみたが勝手に頭の中の何かが鍵をカチャリと掛けなおしてしまった。

「え・・・」
 顔がひりひりと痛む。息を吸い込むたびに鼻の中が痛い。何が起こっているのだろうかと重い瞼をゆっくりと上げる。クモの巣が張った蛍光灯がチカチカと音をたて今にも切れそうだ。どうして蛍光灯が瞬いている。瞼が完全に開いたとき汚れた天井と目の前にある鉄製のバス停があり私の体は木製のベンチに座らされている。その椅子とバス停をすっぽりと覆うように屋根と壁がある。音。車のエンジン音が突然聞こえる。いや、認識したのだろう。私の車だった。運転席のドアが開き友人が姿を現す。何が起こったのかさっぱり理解出来ず、考える要素すら見つからない。友人が近づいてくると、その顔が切れそうな蛍光灯の光にちらちらと照らす。友人の顔色は悪く目の下に立派な隈を作っていた。
「じゃあ、このへんで。荷物は横にあるから」
 友人は呆然としたままの私になんの説明もせずに背を向け車に乗り込み走り去っていった。ハンドルを握った友人はベンチに座る私に一瞥もなく通り過ぎ、車の先にあったのはどこまでも広がる真っ白な世界が色を変え始めた空にぼんやりと照らされていた。驚きのあまり座っているにも関わらず腰を抜かしずるりとコンクリの上に滑り落ちバス停に書かれた文字が飛び込みふいに目を閉じてしまった。今のは見間違えたのかもしれないと恐る恐る瞼を開きその文字を読む。
「うそでしょ・・・」
 それは焼き鳥屋から高速道路・一般道を七時間走り続けなければ辿り着けない町の地名だった。夜が明ける直前の出来事だった。



次回に続きます。