昨日は、夜中まで仕事で、朝目を覚ましたときは案の定体が起きる事を拒否した。けれど、そんな事は許されずに無理やりだるく重い体を起こしソファーから立ち上がる。体の節々が痛くいつもの事だが、ベットで眠ればよかったと後悔する。
のそのそとキッチンへ向かい金物屋で買った銀色のヤカンに水をいれコンロの上に置く。ガスをつけ青い炎が出ているか覗いて確認し後にする。
水きり台に置かれたままになっているスプーンを口に銜え、数年前に温泉で買って来た藍色のマグカップを取り、棚の上に置かれた金色の蓋のココアの瓶へ手を伸ばす。
出窓にマグカップとココアを置き、窓の外の天気を伺う。雨が降りしきる音は聞こえず、溜まった雨水がポタポタと垂れる音だけが聞こえる。けれど、雨が降っているのは確かだ。外の景色は音を立てないような細かい雨に霞んでいる。
「いやな雨だな」
くわえたスプーンをカップに入れ呟く。銀色の蓋を捻り、瓶をカップに傾けトントンとカップの淵に当てると、粉がどさっと落ち小さな山がカップの底に出来る。置いたココアの瓶の金色の蓋を閉める。振り向き、ヤカンから白い蒸気が噴出している事を確認し、カップを持ちコンロへ向かう。
沸騰したヤカンのお湯を、カップの五分の一だけ注ぎスプーンでかき回す。ドロドロとしたココアに粉残りがないか確かめ冷蔵庫の中からミネラルウオーターを取り出し五分の四まで注ぎ再びかき回しながら、髭の伸び具合を確かめ、冷凍庫から氷を三つ取り出しココアの上に浮かべる。スプーンを流しの中に置きカップを持ちソファーへと向かった。
甘いけれど、疲れているときは、この甘さが堪らなく愛しくひんやりと喉を流れ落ちる時の感触がとても気持ちが良い。疲れた体にじわじわと滲み込み力を取り戻していく。色は、あまり好きではないけれど、特に差し支えるような色ではないので気にしないようにしている。
健康ブームで、毎日ココアを飲む事が流行っていた時期もあり、甘くないココアなんてものまで登場し華やかな時代を迎えたときもあったけれど、結局、平常に戻ったようだ。ココアといえば、冬に湯気をフーフーと吹き飛ばしながら、少しずつ飲む事が多いだろうけれど、私は、断固ココアは、アイスである。夏はもちろん、冬もコタツでアイスココアである。
なぜ、ホットよりアイスなのか、基本的に甘いものがあまり好きでなく、同じ砂糖の量でも、ホットよりアイスの方がすっきりとしている気になるのだ。以前友達に話したとき、その友達も同じ理由で、ホットの方を好んでいたので、人によって甘さの感じ方は違うのかもしれない。ちなみに、その友達も、時々堪らなく飲みたくなるらしい。
もしも、この世界からココアが無くなったらどうなるだろう。
ある日を境に突然ココアが滅びてしまったら、もうひとつだけでも多くココアをストックしておけばよかったとまず、思うだろうし、ひと粉もなくなったときは、空になった缶を捨てずに貯金箱にでもして記念に取っておくかもしれない。
溜まらず、ココアが飲みたくなったらどうしよう。どうすることも出来ずに、ココアが飲みたいなあとあった頃のことを羨ましげに思い浮かべるしかない。それでも飲みたくなったならばどうする。きっと、そのようなことを考えるのは、私だけではないはずで、世界のココアファンは黙っていないだろうし、もし、ココアの製造が可能ならば、製造を求め、プラカードを掲げ、ココアを作れと行進する。けれど、製造事態が不可能ならば、これまた熱狂的なファンが、ココアに変わるものを夜も寝ないで開発に勤しむに違いない。
私自身は、熱狂的ファンでもなく、ファンという部類に属せるかどうかも微妙であるが、心の中では、あったらよいなと切望しているのは間違いない。
とりあえず、ココアに変わるものが出てきてそれが、ココイになるのか、ソコアになるのか、新ココアになるのかはわからないが、そんな類似品が出てくれば、それを買って飲むに決まっている。でも、もしかすると、慣れたココアの味とは、少し違ってそこがやけに目だって、冷水に溶ける新ココアの元を見ながら、昔のココアはよかったなとぶつぶつ文句を言うだろう。けれど、ある程度その新ココアを飲み始めてしまえば、いつしかそれも気にならなくなり、愛しいココアの味を忘れ、思い出すことも出来ずに新ココアの味に慣れてしまうのだ。
万が一、奇跡が起こって一杯だけココアが飲める事になったとき、期待して口にしてみると、案外今の新ココアの方がおいしく感じてしまうことだってあるだろう。
やがて、ココアを知る人は消え、忘れられてしまうに違いない。
もし、ココア博物館があるなら、とびきりのココアマニアが博物館に寄贈し、カチコチに固まった絶対飲むことが出来ないココアが飾られるかもしれない。
今、考えてみればココアは意外と幸せ者ではないか。
もちろん、これは、オレ自身の想像もしくは空想でしかないけれど、オレが考えるココアは、間違いなく幸せの部類に入る。世の中の人に予想以上に愛されているではないか。愛している者がいるからこそ、動いてくれる人がいる。でも、一方的に愛されただけで、果たしてこれほどまでの展開になるだろうかとも思える。必然的に考えれば、ココアも愛を送っていたのではないか。いうならば、送られた人がココアに魅了され結果的に愛した。
しかしながら、この世の中には、一方通行の愛も山ほど存在するわけだし愛とは言えない可能性が高い。ならばなんだろう。好きとも違うな。思い入れがあるからこそ忘れられない人もいて、ふと思い出し懐かしむときがあるわけだから、なるほど、思いだ。ココアは、お湯を注がれ、水を注がれ、牛乳を注がれ、時には、ありえない液体を注がれていたかもしれないが、いつだって、飲む人へ思いやりを何が注ぎ込まれようとも共に送ろうとしているのではないだろうか。
ココアは、自分を愛そうとしたからこそ、飲む人を思いやり、やがて思われるようになっていく。ココアが消えても、その思いを受け止め捧げようとした人々が、動くことが出来たのだ。
あの心地よい感触は、そこから来ていたのだろう。
「ココアって、偉いよな、俺も人を思いやる人間になろう」
カップをテーブルの上に置き、ソファーに体を沈めた瞬間に眠りの世界に落ちていた。けたたましく鳴り響く電話のベル。開かない瞼で電話を手探りで探し耳に押し当てる。
「もしもしい!!ちょっとお!!何時だと思ってるのよお!!」
電話の向こうで、オレと待ち合わせした彼女が怒りまくっていた。開かなかった瞼が突然ぱっちりと開き、慌てて立ち上がり仕度をしようとソファーから離れようとしたとき、左足のすねがテーブルに強打し、揺れるテーブルの上でカップが倒れ、カップの中から溶けて小さくなった氷の欠片がテーブルの上に流れ零れた水の中で溺れるように溶けていく。
服だけ着替え、オレは部屋を飛び出した。外は、いつの間にか雨は上がり青空が出ている。
散々なデートとからぐったりとした体で帰ってくると、堪らなくココアが飲みたくなり、座ることもせずに準備を始める。倒れたままのカップを手にし、テーブルを拭き流しへもっていき、カップを漱ぎ、ついでに、スプーンも洗う。洗ったままの濡れたスプーンを口に咥え、水が滴るカップを持ち棚へ手を伸ばすがココアの瓶がない。辺りを見渡すと、朝、出窓で入れた時のまま置かれている。出窓へ移動する。
カップに咥えたままのスプーンを入れ、ココアの瓶を取り蓋を捻る。
蓋は回らず、手が滑り、もう一度握り直して捻る。
「あれ?」
気の抜けた声が漏れ、オレは、ココアの蓋を開けられない程まで憔悴しているのだろうか。力を込めても蓋がどういうわけか、開かない。朝、そんなにきつく閉めただろうか。再び、力を込めて回してみるが、手が滑り赤くなるばかりで、ぴくりとも動かない。中のココアだけが、無常にもカサカサ動くだけだ。
「くそお!!」
布巾を床に叩き付ける。布巾で捻ってみても、全身全霊を込めて捻ってみても無駄だった。息を切らし、開かないココアの瓶を右手で持ちながらだらりと力なくぶる下げ、肩を落とす。
オレは、ココアにも見捨てられたのだろうか。ココアへの思いやりが足らなかったのだろうか。だからこそ、自分自身がこんな惨めな姿になっているのか。俯いた顔をあげ、出窓に映る情けない姿を眺める。
窓に映る高く上がり続ける白い蒸気。ヤカンが怒り狂って蒸気を噴出していることに気づき慌てて火を止める。持ったままの瓶をコンロの上に置きしばらく呆然と立ち尽くす。
蒸気が納まりつつあるヤカンの横に、思いやることが出来なかったココアの瓶。
振り返りソファへ向かおうとしたとき、コンロの上で、ポンと何かが音を鳴らした。
踵を返し、コンロを見つめる。今の音は、ココアの方からした、もしかすると、もしかするぞ。ゆっくりとココアの瓶を、やさしく包み込むように手に取り、金の蓋を捻る。いつもの抵抗の後、ゆっくりと蓋は回る。懐かしいココアの匂いが鼻をやさしく擽る。
ソファーの上で、アイスココアを飲み干すと、電話の受話器をとり、彼女の番号を押した。カップの中の氷が、崩れ小さな音を上げる。
thank you
おわり・・・
のそのそとキッチンへ向かい金物屋で買った銀色のヤカンに水をいれコンロの上に置く。ガスをつけ青い炎が出ているか覗いて確認し後にする。
水きり台に置かれたままになっているスプーンを口に銜え、数年前に温泉で買って来た藍色のマグカップを取り、棚の上に置かれた金色の蓋のココアの瓶へ手を伸ばす。
出窓にマグカップとココアを置き、窓の外の天気を伺う。雨が降りしきる音は聞こえず、溜まった雨水がポタポタと垂れる音だけが聞こえる。けれど、雨が降っているのは確かだ。外の景色は音を立てないような細かい雨に霞んでいる。
「いやな雨だな」
くわえたスプーンをカップに入れ呟く。銀色の蓋を捻り、瓶をカップに傾けトントンとカップの淵に当てると、粉がどさっと落ち小さな山がカップの底に出来る。置いたココアの瓶の金色の蓋を閉める。振り向き、ヤカンから白い蒸気が噴出している事を確認し、カップを持ちコンロへ向かう。
沸騰したヤカンのお湯を、カップの五分の一だけ注ぎスプーンでかき回す。ドロドロとしたココアに粉残りがないか確かめ冷蔵庫の中からミネラルウオーターを取り出し五分の四まで注ぎ再びかき回しながら、髭の伸び具合を確かめ、冷凍庫から氷を三つ取り出しココアの上に浮かべる。スプーンを流しの中に置きカップを持ちソファーへと向かった。
甘いけれど、疲れているときは、この甘さが堪らなく愛しくひんやりと喉を流れ落ちる時の感触がとても気持ちが良い。疲れた体にじわじわと滲み込み力を取り戻していく。色は、あまり好きではないけれど、特に差し支えるような色ではないので気にしないようにしている。
健康ブームで、毎日ココアを飲む事が流行っていた時期もあり、甘くないココアなんてものまで登場し華やかな時代を迎えたときもあったけれど、結局、平常に戻ったようだ。ココアといえば、冬に湯気をフーフーと吹き飛ばしながら、少しずつ飲む事が多いだろうけれど、私は、断固ココアは、アイスである。夏はもちろん、冬もコタツでアイスココアである。
なぜ、ホットよりアイスなのか、基本的に甘いものがあまり好きでなく、同じ砂糖の量でも、ホットよりアイスの方がすっきりとしている気になるのだ。以前友達に話したとき、その友達も同じ理由で、ホットの方を好んでいたので、人によって甘さの感じ方は違うのかもしれない。ちなみに、その友達も、時々堪らなく飲みたくなるらしい。
もしも、この世界からココアが無くなったらどうなるだろう。
ある日を境に突然ココアが滅びてしまったら、もうひとつだけでも多くココアをストックしておけばよかったとまず、思うだろうし、ひと粉もなくなったときは、空になった缶を捨てずに貯金箱にでもして記念に取っておくかもしれない。
溜まらず、ココアが飲みたくなったらどうしよう。どうすることも出来ずに、ココアが飲みたいなあとあった頃のことを羨ましげに思い浮かべるしかない。それでも飲みたくなったならばどうする。きっと、そのようなことを考えるのは、私だけではないはずで、世界のココアファンは黙っていないだろうし、もし、ココアの製造が可能ならば、製造を求め、プラカードを掲げ、ココアを作れと行進する。けれど、製造事態が不可能ならば、これまた熱狂的なファンが、ココアに変わるものを夜も寝ないで開発に勤しむに違いない。
私自身は、熱狂的ファンでもなく、ファンという部類に属せるかどうかも微妙であるが、心の中では、あったらよいなと切望しているのは間違いない。
とりあえず、ココアに変わるものが出てきてそれが、ココイになるのか、ソコアになるのか、新ココアになるのかはわからないが、そんな類似品が出てくれば、それを買って飲むに決まっている。でも、もしかすると、慣れたココアの味とは、少し違ってそこがやけに目だって、冷水に溶ける新ココアの元を見ながら、昔のココアはよかったなとぶつぶつ文句を言うだろう。けれど、ある程度その新ココアを飲み始めてしまえば、いつしかそれも気にならなくなり、愛しいココアの味を忘れ、思い出すことも出来ずに新ココアの味に慣れてしまうのだ。
万が一、奇跡が起こって一杯だけココアが飲める事になったとき、期待して口にしてみると、案外今の新ココアの方がおいしく感じてしまうことだってあるだろう。
やがて、ココアを知る人は消え、忘れられてしまうに違いない。
もし、ココア博物館があるなら、とびきりのココアマニアが博物館に寄贈し、カチコチに固まった絶対飲むことが出来ないココアが飾られるかもしれない。
今、考えてみればココアは意外と幸せ者ではないか。
もちろん、これは、オレ自身の想像もしくは空想でしかないけれど、オレが考えるココアは、間違いなく幸せの部類に入る。世の中の人に予想以上に愛されているではないか。愛している者がいるからこそ、動いてくれる人がいる。でも、一方的に愛されただけで、果たしてこれほどまでの展開になるだろうかとも思える。必然的に考えれば、ココアも愛を送っていたのではないか。いうならば、送られた人がココアに魅了され結果的に愛した。
しかしながら、この世の中には、一方通行の愛も山ほど存在するわけだし愛とは言えない可能性が高い。ならばなんだろう。好きとも違うな。思い入れがあるからこそ忘れられない人もいて、ふと思い出し懐かしむときがあるわけだから、なるほど、思いだ。ココアは、お湯を注がれ、水を注がれ、牛乳を注がれ、時には、ありえない液体を注がれていたかもしれないが、いつだって、飲む人へ思いやりを何が注ぎ込まれようとも共に送ろうとしているのではないだろうか。
ココアは、自分を愛そうとしたからこそ、飲む人を思いやり、やがて思われるようになっていく。ココアが消えても、その思いを受け止め捧げようとした人々が、動くことが出来たのだ。
あの心地よい感触は、そこから来ていたのだろう。
「ココアって、偉いよな、俺も人を思いやる人間になろう」
カップをテーブルの上に置き、ソファーに体を沈めた瞬間に眠りの世界に落ちていた。けたたましく鳴り響く電話のベル。開かない瞼で電話を手探りで探し耳に押し当てる。
「もしもしい!!ちょっとお!!何時だと思ってるのよお!!」
電話の向こうで、オレと待ち合わせした彼女が怒りまくっていた。開かなかった瞼が突然ぱっちりと開き、慌てて立ち上がり仕度をしようとソファーから離れようとしたとき、左足のすねがテーブルに強打し、揺れるテーブルの上でカップが倒れ、カップの中から溶けて小さくなった氷の欠片がテーブルの上に流れ零れた水の中で溺れるように溶けていく。
服だけ着替え、オレは部屋を飛び出した。外は、いつの間にか雨は上がり青空が出ている。
散々なデートとからぐったりとした体で帰ってくると、堪らなくココアが飲みたくなり、座ることもせずに準備を始める。倒れたままのカップを手にし、テーブルを拭き流しへもっていき、カップを漱ぎ、ついでに、スプーンも洗う。洗ったままの濡れたスプーンを口に咥え、水が滴るカップを持ち棚へ手を伸ばすがココアの瓶がない。辺りを見渡すと、朝、出窓で入れた時のまま置かれている。出窓へ移動する。
カップに咥えたままのスプーンを入れ、ココアの瓶を取り蓋を捻る。
蓋は回らず、手が滑り、もう一度握り直して捻る。
「あれ?」
気の抜けた声が漏れ、オレは、ココアの蓋を開けられない程まで憔悴しているのだろうか。力を込めても蓋がどういうわけか、開かない。朝、そんなにきつく閉めただろうか。再び、力を込めて回してみるが、手が滑り赤くなるばかりで、ぴくりとも動かない。中のココアだけが、無常にもカサカサ動くだけだ。
「くそお!!」
布巾を床に叩き付ける。布巾で捻ってみても、全身全霊を込めて捻ってみても無駄だった。息を切らし、開かないココアの瓶を右手で持ちながらだらりと力なくぶる下げ、肩を落とす。
オレは、ココアにも見捨てられたのだろうか。ココアへの思いやりが足らなかったのだろうか。だからこそ、自分自身がこんな惨めな姿になっているのか。俯いた顔をあげ、出窓に映る情けない姿を眺める。
窓に映る高く上がり続ける白い蒸気。ヤカンが怒り狂って蒸気を噴出していることに気づき慌てて火を止める。持ったままの瓶をコンロの上に置きしばらく呆然と立ち尽くす。
蒸気が納まりつつあるヤカンの横に、思いやることが出来なかったココアの瓶。
振り返りソファへ向かおうとしたとき、コンロの上で、ポンと何かが音を鳴らした。
踵を返し、コンロを見つめる。今の音は、ココアの方からした、もしかすると、もしかするぞ。ゆっくりとココアの瓶を、やさしく包み込むように手に取り、金の蓋を捻る。いつもの抵抗の後、ゆっくりと蓋は回る。懐かしいココアの匂いが鼻をやさしく擽る。
ソファーの上で、アイスココアを飲み干すと、電話の受話器をとり、彼女の番号を押した。カップの中の氷が、崩れ小さな音を上げる。
thank you
おわり・・・