小説 ONE-COIN

たった一度、過去へ電話をかけることが出来たなら、あなたは、誰にかけますか?

十一月の出来事 1

2005年05月04日 | FILM 十十一十二月
みえないもの【十一の一】→→→ 「きっくううううう!!何しているのおおおお!!」

 街を真っ二つにする川の板チョコのように均一に並ぶブロックの一つの上にキックが立ち川を正面に腕をバタバタと動かしている。その川には、街を繋ぐ橋が掛けられ多くの人が主要道路として利用し夜中以外は混んでいる。橋を渡るとそれぞれ両岸の砂利道へ降りれる道があり、その脇には、生茂った草が連なり所々に空いた隙間から川へ降りる事が出来た。釣り人などは、その砂利道に車を停め自然と掻き分けられた草むらを通りながら目的地へ向かう。
 数分前、渋滞中の橋の上から川を眺めていて、その中の一台に見覚えのある車が停まっていた。優希の家に向かう途中であったけれど約束をしているわけでもないので、寄り道をし、川へと降りる砂利道へ車を走らせる。アスファルトから砂利道へ入ると、ハンドルに不規則な振動が伝わり、車体と体も揺れる。砂利を擦るタイヤの音が響き、砂埃を上げる。見慣れた車の後ろに車を止めエンジンを切り外へ出て、辺りを見渡すとブロックの上に十字架のように腕を広げてすくっと立っているキックを見つけ叫んだ。
 キックをよく見ると、右手に何かを持っている。手帳のようなものに見える。
 私の声に気づいたキックは、振り向きそのブロックから他のブロックに石飛でもするようにポンポンと渡っていく。ブロックとブロックの間はただの溝で水が流れているわけでもない。砂利道とブロックの間には背丈程の斜面になっていてそこは草が茫々と生えている。数メートル先のキックの場所まで行くには、もうしばらく橋下方向に歩いて下りる必要があるために、わざわざ降りていく気にはなれず、少しだけ背伸びをして出来るだけ顔を出すようにしてみたが、たいした効果はなく、キックが出来る限り近くに来るのを待つ。

「こんなところで、何してるの?仕事は?配達カー置きっぱなしだし」

 配達カーの置かれている方へ腕を上げる。キックは、適当に頷き右手に持ったものを私へ見せ左手で指差す。

「てばさきしんこう」

 やや大きめな声で小さな本をもっとよく見えるようにかざす。

「てばさきしんこう?」

 てばさきしんこうとは一体なんの事だろう。あの手の動きといい、「てばさき」はともかく「しんこう」というのは、列車が出発するときの最新の号令だろうか、聞きなれない言葉で聞き間違えたのだろうかと、訳が分からない顔を投げかける。

「手・旗・信・号」

 声を出さなくとも、口の形で解りそうな程唇がはっきりと動いたが、私にはなぜ、手旗信号をやっているのかが解らず、結局疑問は膨らむばかりで思案に暮れた難しい顔をしていたに違いない。

「誰に?」
「はい?誰にじゃなくて、いざという時に誰かにやるために練習しているんだよ、わかる?」

 憤慨したように、やや声を強張らせながら今一度手にしている本を私に見せる。
 私として見れば、川岸で、キーボードのボタンのようなブロックに十字架みたいに立って、本を参考にひたすら手旗信号の練習をしているキックすべてが疑問の塊だ。
 これが職業に必要ならなんの疑いも抱かないだろうけれど、キックは文房具屋だ。たとえば、万が一でも危険な目にあって誰かに何かを知らせなければならなくなったとき、これがいざというときだ、手旗信号で知らせるしかない、なんて意気込んでかっこよく言葉を体で表していくとして、その言葉をどれだけの人が理解することが出来るのだろうか。少なくとも、私の周りで手旗信号で会話をしている人も見た事がないし、それを大いにフル活用している人も見たことがない。果たして、誰にでも出来る手旗信号ブックを買ってマスターすることが、意味があるのかどうかいえば、意味なんてこれっぽちも感じず、それどころか無駄でしかない気が強いのだけれど、キックにとっては、それをこれから先たった一度も使う機会がなくても、そこには何かしらの意味があるのだろう。
 私は、誰でも出来る手旗信号本のページが所々折られているのをみてそんな事を思っていた。

「なるほど、頑張ってね」

 キックの表情がやや明るくなりやる気を漲らせていくのが判る。私にどこへ行くのか聞き、私は優希の部屋へ行くと答えると、キックは、頷きながら本でパタパタと腿を叩きながら配達が終わったら自分も行くと言い、また、溝のブロックに落ちないようにピョンピョンと飛び跳ねていき、再び太陽に反射してキラキラと光る川を前に、本へ視線を落としてから右手でそれを持ってバタバタと腕を動かし始める。
 しばらく、そんな姿を眺めていると人の気配を感じ横を振り向くと、太りすぎで水風船のように弛んだ体をした芝犬が私の靴の上に腰掛けていて、その首輪に付けられたピンクの紐を背の低い老人が持ち手旗信号を眺めていて、口元が動いていく。老人の口元とキックの手旗信号を交互に見る。

「ふ・く・や・ま・ま・さ・は・る」

 柴犬が、重い腰をあげ立ち上がり、ぶらぶらと肉を揺らしながら歩き始め、それに気づいた老人も体を川から道へと向ける。この人は、キックの手旗信号を読んでいた。キックの手旗に合わせて言葉を呟いていてからそうに違いない。となれば、たった数分の間に一人手旗信号を理解する人が現れたわけだから手旗を理解する人は多いのかもしれない。もしくは、私が知らないだけで手旗信号のブームがやってきているのか。
 キックは、私が見ている間ずっと似たような動作を繰り返していて、それが間違っていなければ、延々と福山雅治と信号を送り続けていることになる。
 私は、目の前で繰る広げられるメッセージの嵐を見ていながら、根本的な意図をみることが出来ずにいて、このまま時間が経過したところでそれが明らかになる事がないだろうと声を掛ける事無く車へ戻り、優希の元へ向かうことにした。


 公園に車を停め、少しだけブルーの空が色を変え始め、太陽も傾き西日が建物を照らし強い光を浴びせ車道を走る車はその光を反射させてはどこかを照らしていた。そんな中を車の鍵についているキーホルダーを指にひっかけクルクルと回しながら歩いている。コンビニの前へ通りかかると自然と視線はそっちに移動しウインドウ越しに並べられた雑誌を眺め、そのひとつの温泉マップ本をみてひとつ忘れかけていたことを思い出す。今年前半、スノーボードへ行ったとき、スキー場主催の大会に出て副賞で温泉旅行ペアー券をもらっていた、そういえばこの券を使っていない、たしか年内期限だったはずで、今年も残すところ一ヶ月ちょっと、これは使わなければならないと、速る気持ちがのんびり歩いていた足取りの回転数をあげるが、信号は赤にかわったばかりで立ち止まり、青に変わるまでの間中、あの券はどこの温泉だっただろうかとか色々考える。

 目の前をトラックが風を巻き起こしながら通り過ぎ、後方を走っていた乗用車が後を続く。淀んだ排気が、冷たい空気が巻き上がり肩を竦める。横断歩道の信号は、青に変わっていてトラックはともかく乗用車は信号無視だろう。ため息をひとつ落として、白いストライプを踏みだす。温泉の事ばかり考えていたせいか、風に吹かれて初めて肌寒いことに気づき、どうやら季節は冬へ変わってしまっているようで、だからこそ温泉の事を思いだしたのだろう、正確にいえば、季節に敏感なコンビニに並べられた雑誌をみて思い出したのだが、きっかけはどうあれ、冬がやってきたということが少しだけ時間の重さを背中に感じていく。
 国道沿いの歩道から脇へと逸れ、住宅が並び塀から覗くもみじの葉は、枯れ落ちている。じれったくぶら下がる葉が、僅かな風に煽られるとくるくると回っている。
 優希の住む部屋が見え、そのベランダには洗濯物が干されていて、ブルーのバスタオルが物干しに掛けられ洗濯バサミ二つでとめられている。その下を通り過ぎ階段を上る。

 チャイムを鳴らすと、しばらくしてカギが開きノブを捻りドアを開けた。腕まくりをした優希の後ろ姿が風呂場へ消え、私は、靴を脱ぎ部屋へ上がる。
 洗面所と風呂場の前で立ち止まり中を覗くと優希は、風呂の淵に手をつき、中へ体を乗り出し浴槽を泡まみれにしながら力強く洗っていてその背中に話しかける。

「キック後から来るって」
「うん、わかった」
「ねえねえ、スノボーでとった温泉旅行どうした?」
「あるよ、テレビの下の引き出しの中」

 考える暇もないほど素早い返答をしたということは、忘れていたわけではないようだ。優希の手元は止まる事無く動き続けているので、断ることなくテレビの下の引き出しへ向かう。優希の部屋はなんだかとても乱雑で大掃除の途中のようだった。掃除機は捲り上がったコタツの横に置かれ、コンセントの下に落ちたプラグとコードが引き出されたままで実に中途半端である。風呂の掃除をする前に、先にこっちを片付ければいいのにと思う。けれど、私は実家暮らしなので文句を言える立場ではなく、放置された雑巾と掃除機を跨ぎ引き出しの前に立つ。

 引き出しを開けると、光熱費や電話料金などの請求書や多くの封筒が束にされ入っていて、その横には、ホッチキスやハサミなどの文房具が入れられている。副賞は見つからず、今年始めのものだから下の方かもしれないと請求書の下の方に手をいれ探してみたけれど、それらしきものは挟まっていない。覗きこんで、もう一度始から探してみたけれど見つからず、他の引き出しなのではないかと疑い始めとなりの引き出しに移ろうとし上体をあげたとき、引き出しの一番手前に一回り大きい封筒に入った副賞を見つけた。一度視線が捉えると、どれよりも一際目だっていて、どうして探せなかったのだろうと不思議に思える。言い訳がましいが、どんなものでも近くで見るよりも一歩ひいた時の方が見えるときもあるという。これが、そんな感じだったと無理矢理解釈する。

 封筒を取り出し中身を出す。箱根温泉旅行ペア券と書かれた素人がプリンタで作ったような頼りない紙が入っていて、子供が作る肩叩き券の方がよっぽど豪華に見えるのではないかと思うほどのもので、果たして、この紙切れは、本当に二人を無料にしてしまうほどの威力を持っているのか不安なる。
 ひっくり返すと、注意書きが印刷されていて、期限は、予想通り年内、記載されている青雲館に自ら連絡をとり予約をいれなければならない。紙を持ちながら壁に貼られたカレンダーを捲る。年末は、誰もが忙しい時期で、休みなんて取れない、行くなら仕事終わりの年末しかないのだけれど、今から予約がとれるだろうか。これは、一刻を争う。

「優希!!優希!!期限が今年中だよお!!」
 
 一人興奮し叫んでみたものの風呂場からはなんの返答もなく、聞こえてくるのは、浴槽を流しているだろうシャワーの音のみで、仕方なく風呂場へ向かう。


thank you
つづく・・・

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