みえないもの【十一の四】→→→「あのお、もうすぐ終わりですか?」
不気味な手術室を作り上げたフロアの真ん中に、天井からの白いライトが手術台を浮かび上がらせ、その上に覆い被さるように、一人のお化けがいた。私の足音にぴくりと体を動かし、ぐいっと顔を上げる。セメントのような顔、額にべっとりと血がこびり付き汚れた白衣を振り乱しながら、だらりと腕を垂らし肩を力強く動かし不自然に進み続け、半分白目の眼球がぐるりと私へ向けられ、いよいよ悲鳴をあげなければならない状況にも関わらず私はこんな問いかけをした。
平日深夜のお化け屋敷は、客がまばらで入る時間がずれていれば他の客と出会う事もなく、孤独を背負って進まなければならない。本来なら非常に楽しい状況の中、友達同士だけで恐怖を味あうのだが、生憎、私は一人で悲鳴をあげたところで動悸が激しくなり無駄な体力を使うだけであって、それを楽しむ事など出来ない状況に置かれている。
セメント顔のお化けの目は明らかに困り果てた人間の目に変わり、左右に黒目が動いている。私を脅かそうとした顔の頬がぴくりと痙攣している。
「友達がリタイアしてしまって、なんか一人じゃただ怖いだけでつまらなくて・・・」
申し分けない気持ちを表しながら話しかけてみたがセメント顔のお化けは、犬が唸るように声をあげ垂らしていた両腕を前へあげ、私の喉もとに手を掛けるように、空中で動かしている。私の言葉は届いているだろうか。近づきすぎたお化けは、すっぱい匂いと黴臭い匂いがし、思わず、一歩後ずさりセメント顔を覗き込む。低く唸っていた声が、時々妙な高さに上がり、口の周りに皺ができセメント顔に筋が入る。
「うううう・・・真直ぐ行ってえええ・・・角を左に曲がれば出口だあああああ・・・」
背が高いお化けは、私を覆いかぶすように体を動かしながら、これからの進路を教えてくれている。このお化け屋敷は、廃墟した病院がモチーフになっていてその中を歩き回る設定になっている。そのためか、一本道を歩いてすぐに出口というわけにもいかず、入り組んだ通路を通っていかなければならない。人によっては、なかなか脱出出来ずに時間が掛かってしまったりする。そんなわけで、たった一人で、この中を歩き回るのも、非常に不気味でただ怖いだけでなんの面白みもなく勇気を振り絞って話しかけやすそうなお化けに聞いてみたのだった。案の定、シチュエーションを出来るだけ壊す事無く教えてくれたのだろう。しかしながら、かえって不自然というか場違いというか、私がこんな質問をしたこと事態間違っているのだろうけれど、聞いてしまったのだから仕方ない。
「ありがとおおおお」
行き場を失い覆いかぶさったまま停まっているお化けをすり抜け、背を向け教えてくれた道をひた走る。三人のお化けが声を上げる暇もないほどの勢いで気にせず走りぬけ、一直線に出口から飛び出した。走りながら外へ出たせいか肺に入り込んだ冷たい空気に体が驚いて咳き込むと、入口のレンガの上に座り込んだ二人が振り向き空いた手をあげている。
歩調を緩め、切らした息を出来るだけ整えながら近づく。二人の横には、それぞれ缶ジュースが置かれていた。ジュースでも飲んで気持ちを落ち着けようとしたのだろうか。
「もう、一人じゃただ怖いだけだよ」
うな垂れ、憔悴した二人に話しかける。優希とキックは、入口に踏み込む前から極度に緊張し、私を軸に巨峰の房のように密着していたが、中へ入って最初の非常口が目に入った瞬間に、房から零れた粒のようにお化けを蹴散らしてまで一分一秒でも早く脱出するために駆け出していった。滞在時間は、たった数分でしかないはずなのに、目の前で座り込む二人は随分とテンションが低く力なく私の言葉に反応が遅い。
「あんなの耐えられない、というか設定が病院ってどうなの?少なくとも私は一年前入院とかしていたわけでさあ」
優希は、恐怖を怒りへ変えながら、自分の入院話にまで結びつけようとしている。たしかに言われて見れば、不謹慎であるかもしれないが、本人も今更気づいた訳でただの八つ当たり以外の何者でもない。優希は、空き缶を数メートル先にある屑篭に頬リ投げる。缶は、ゴミ箱を掠めることもなく通り越し暗い木々の中へ見えなくなった。私は、缶を取りに林へ振り返ろうとしたとき、キックが持った缶がぐにゃりとへこみジュースが飛び出すと、体が地面の方へ屈み濁音交じりの音がキックの口から漏れた。
考える暇もないほどの速さで飛び跳ね一歩後ずさりし見守る。キックは、吐き気だけで収まった様子で肩で息を整えながら顔を上げると、お化けに負けないほど顔色が悪い。
「駄目だ、あの匂い、鼻と口の奥にへばりついているみたいで気持ち悪い」
優希が驚いた顔をして、耳を疑ったのかキックに聞き返している。匂い。そういえば、薬の匂いというか古い病院独特の匂いで支配されていたお化け屋敷で、キックは、これを一番の理由としてリタイアしたというのだろうか。まあ、ありえない事でもないかとカバンの中からティッシュを出しキックに渡し、林の中の缶を拾いに行き屑篭に捨てる。
「さてと、なんか、あったかいものを食べるか飲むかしようよ」
ハンバーグセットについていたアスパラだけ残し箸を置き目の前にいる二人に今の時刻を聞くと、優希がキックより早く一時半と答える。
「一時半かあ、今日は昨日になったわけだ」
「今は今日だけど、さっきは昨日」
優希はエビフライセットのコーンスープを残して食べ終え、皿の上に海老の尻尾が乗っている。右手でカップを持ち時間をかけて啜っている。
「そういえば、昨日の話しなんだけど、病院に行って検査したんだあ」
優希は、カップをクルクルと回しながら底についているコーンを浮き上がらせている。私は、揺れる黄色いスープから目を放せずにいる。
「大丈夫、まだまだいけるよ、全然死ぬようには見えないもん、保障するよ」
キックは特製釜飯定食を米粒一つ残さず食べ最後に残されたきゅうりのお新香を口に放り込み噛み砕いたところで、何かを思い出したかでもあるように言い放ちその言葉に私は思わず、再び箸を取り、大嫌いなアスパラへ伸ばし口に入れていた。
横にいる優希の目を一時も離さずにひとつ頷くキック。私は、アスパラの味が分からなくなるほど混乱し、鼓動が胸を通り抜けて対面する二人に聞こえてしまうのではないかと心配になる。
キックは、医者でもなく医学生でもなく、保険屋でもなく、預言者でもなく宇宙人でもない。この言葉を裏付けるものは、何一つないはずで、医者ですら、検査を繰り返して出来る限りの推測をしているにも関わらず、躊躇い無く言い切ってしまい、それどころかどんなものかは知らないが勝手な保障までして見せた。
何も考えてない馬鹿なのか、よほど自分自身の感に裏付けるほどの根拠があるのかどちらかに違いない。もし、この場しのぎのものだったら、私は一生キックと話をすることはなく人間性を疑い、ゴルフのカーステレオを引き出してアスファルトに投げつけ、ボディにもうひとつ窪みを作るかもしれない。
ところがキックからは、淀みない百パーセントの確信が全身から出ている。そう信じているのは間違いない。もしも、今日の検査の結果が思わしくなかったらキックはいったいどうするつもりなのだろうか。そういった事は、考えないのだろうか。いつもの三倍くらいキックの頭の中を疑って、考えれば考えるほど腹が立ち、私には、軽率な言葉にしか思えない。
言葉は、何も出てこない。箸が手から落ちトレーの上に転がるのをみて、窓の外のスケートリンクへ顔を向ける。聞こえないように深呼吸をした。
万が一検査の結果が思わしく無かった場合傷つくのは優希か、いや少なくともこの言葉に関しているならキックなのかもしれない。間違いなく自分を責める事になる。なら、その事を覚悟しての発言か。私は、そんな勇気もないまま、自分自身が悔やむのを恐れているのだろうか。スケートリンクから二人へ視線を戻す。
キックは、冷めたお茶を啜り、優希は、空になったカップの中にへばりついたコーンをホークで差し全部食べ終え、ホークを置き、僅かに緩んだ口から泡のような笑いが浮かび上がっては零れて、そうだねと言い、キックがそうだよと続けた。私は、どんな表情を浮かべているのだろうか。普通の表情になっているだろうか。今の自分の顔を鏡で見たらきっと、がっくりと肩を落とすだろう。分かってはいてもどうする事が出来ない。二人はポツポツと会話を続けていたが、私に向けられることはなかった。
声以外の雑音が聞こえ耳障りで、椅子を引く音や、厨房から片付けを始めたのか何を擦る音が響く。音のする方をみても、壁で隠されまったく見えない。閉店へ向けブラシで何かを洗っているのだろうか。その時、風呂掃除をしている優希の後姿が脳裏を掠める。
検査が終わって、不安だったのかもしれない。だからあんな掃除を始めた。思い過ごしかもしれない、聞かなければ本当のことは分からないけれど、私には、聞く事が出来なかった。キックなら平然と聞いているかもしれない。尚更、キックの言葉を肯定することが出来ずにいた。
「ほら、行くよ」
二人はいつのまにか立ち上がり、キックは伝票を持ち、優希は持っていた荷物を私の頭の上に乗せる。意味の無い行動に、その荷物を見上げそのまま立ち上がり荷物がずるりと落ちる。優希の横にいる何食わぬ顔をしたキックを睨み付けると睨まれた本人はなぜ睨まれているのかと不思議な顔を浮かべ出口に向かう。後に続き横にいた優希の肩がぶつかり、私はよろめき元に戻ると腰の部分をぱしりと叩かれた。
「温泉旅行は、内緒にしてやる」
よろめきながら呟くと、優希は、くすくすと笑う。大人気ない事は重々承知であるけれど内緒にして、お土産を突然渡してやろうと決意していた。
このご時世何が正しくて何が間違っているかなんてなかなかはっきりしないものだ。
一連の出来事で多少テンションは落ちていた。けれど無理に上げる必要はないだろう。真夜中のリンクを滑りながら、時々立ち止まっては、デカイモミの木を見上げたり、目の前を通り過ぎていく人を観察したりしながら、それぞれの立場でそれぞれの事を考えていたのかもしれない。
それでも面白い話は笑えたし冗談も言える。見えないものは、相変わらず見えず、偶にもどかしさを感じるけれど、訳の分からないものを、手探りで受け止めて見たり、ただ見過ごしてみたりと少しずつ、受け止められるようになっていた。
季節より早く飾られたツリーはどんと立ち時折吹き付ける風に揺らされては飾り付けられたベルたちがからからと安っぽい音を奏でていく。一足早いクリスマスが一年という年月の流れを早く感じさせていた。丁度一年前、私はゴルフを蹴り上げていて、いまだに治さず窪んだままで最近では気にする事も無くなり、ゴルフの一部のようにも思えていたが、この考えは私だけかもしれない。
どこに生えていたかもわからぬツリーを見上げながら、車の事は忘れ、あのツリーが普通に過ごしていただろう森を勝手に思い描いていた。
thank you
おわり・・・
不気味な手術室を作り上げたフロアの真ん中に、天井からの白いライトが手術台を浮かび上がらせ、その上に覆い被さるように、一人のお化けがいた。私の足音にぴくりと体を動かし、ぐいっと顔を上げる。セメントのような顔、額にべっとりと血がこびり付き汚れた白衣を振り乱しながら、だらりと腕を垂らし肩を力強く動かし不自然に進み続け、半分白目の眼球がぐるりと私へ向けられ、いよいよ悲鳴をあげなければならない状況にも関わらず私はこんな問いかけをした。
平日深夜のお化け屋敷は、客がまばらで入る時間がずれていれば他の客と出会う事もなく、孤独を背負って進まなければならない。本来なら非常に楽しい状況の中、友達同士だけで恐怖を味あうのだが、生憎、私は一人で悲鳴をあげたところで動悸が激しくなり無駄な体力を使うだけであって、それを楽しむ事など出来ない状況に置かれている。
セメント顔のお化けの目は明らかに困り果てた人間の目に変わり、左右に黒目が動いている。私を脅かそうとした顔の頬がぴくりと痙攣している。
「友達がリタイアしてしまって、なんか一人じゃただ怖いだけでつまらなくて・・・」
申し分けない気持ちを表しながら話しかけてみたがセメント顔のお化けは、犬が唸るように声をあげ垂らしていた両腕を前へあげ、私の喉もとに手を掛けるように、空中で動かしている。私の言葉は届いているだろうか。近づきすぎたお化けは、すっぱい匂いと黴臭い匂いがし、思わず、一歩後ずさりセメント顔を覗き込む。低く唸っていた声が、時々妙な高さに上がり、口の周りに皺ができセメント顔に筋が入る。
「うううう・・・真直ぐ行ってえええ・・・角を左に曲がれば出口だあああああ・・・」
背が高いお化けは、私を覆いかぶすように体を動かしながら、これからの進路を教えてくれている。このお化け屋敷は、廃墟した病院がモチーフになっていてその中を歩き回る設定になっている。そのためか、一本道を歩いてすぐに出口というわけにもいかず、入り組んだ通路を通っていかなければならない。人によっては、なかなか脱出出来ずに時間が掛かってしまったりする。そんなわけで、たった一人で、この中を歩き回るのも、非常に不気味でただ怖いだけでなんの面白みもなく勇気を振り絞って話しかけやすそうなお化けに聞いてみたのだった。案の定、シチュエーションを出来るだけ壊す事無く教えてくれたのだろう。しかしながら、かえって不自然というか場違いというか、私がこんな質問をしたこと事態間違っているのだろうけれど、聞いてしまったのだから仕方ない。
「ありがとおおおお」
行き場を失い覆いかぶさったまま停まっているお化けをすり抜け、背を向け教えてくれた道をひた走る。三人のお化けが声を上げる暇もないほどの勢いで気にせず走りぬけ、一直線に出口から飛び出した。走りながら外へ出たせいか肺に入り込んだ冷たい空気に体が驚いて咳き込むと、入口のレンガの上に座り込んだ二人が振り向き空いた手をあげている。
歩調を緩め、切らした息を出来るだけ整えながら近づく。二人の横には、それぞれ缶ジュースが置かれていた。ジュースでも飲んで気持ちを落ち着けようとしたのだろうか。
「もう、一人じゃただ怖いだけだよ」
うな垂れ、憔悴した二人に話しかける。優希とキックは、入口に踏み込む前から極度に緊張し、私を軸に巨峰の房のように密着していたが、中へ入って最初の非常口が目に入った瞬間に、房から零れた粒のようにお化けを蹴散らしてまで一分一秒でも早く脱出するために駆け出していった。滞在時間は、たった数分でしかないはずなのに、目の前で座り込む二人は随分とテンションが低く力なく私の言葉に反応が遅い。
「あんなの耐えられない、というか設定が病院ってどうなの?少なくとも私は一年前入院とかしていたわけでさあ」
優希は、恐怖を怒りへ変えながら、自分の入院話にまで結びつけようとしている。たしかに言われて見れば、不謹慎であるかもしれないが、本人も今更気づいた訳でただの八つ当たり以外の何者でもない。優希は、空き缶を数メートル先にある屑篭に頬リ投げる。缶は、ゴミ箱を掠めることもなく通り越し暗い木々の中へ見えなくなった。私は、缶を取りに林へ振り返ろうとしたとき、キックが持った缶がぐにゃりとへこみジュースが飛び出すと、体が地面の方へ屈み濁音交じりの音がキックの口から漏れた。
考える暇もないほどの速さで飛び跳ね一歩後ずさりし見守る。キックは、吐き気だけで収まった様子で肩で息を整えながら顔を上げると、お化けに負けないほど顔色が悪い。
「駄目だ、あの匂い、鼻と口の奥にへばりついているみたいで気持ち悪い」
優希が驚いた顔をして、耳を疑ったのかキックに聞き返している。匂い。そういえば、薬の匂いというか古い病院独特の匂いで支配されていたお化け屋敷で、キックは、これを一番の理由としてリタイアしたというのだろうか。まあ、ありえない事でもないかとカバンの中からティッシュを出しキックに渡し、林の中の缶を拾いに行き屑篭に捨てる。
「さてと、なんか、あったかいものを食べるか飲むかしようよ」
ハンバーグセットについていたアスパラだけ残し箸を置き目の前にいる二人に今の時刻を聞くと、優希がキックより早く一時半と答える。
「一時半かあ、今日は昨日になったわけだ」
「今は今日だけど、さっきは昨日」
優希はエビフライセットのコーンスープを残して食べ終え、皿の上に海老の尻尾が乗っている。右手でカップを持ち時間をかけて啜っている。
「そういえば、昨日の話しなんだけど、病院に行って検査したんだあ」
優希は、カップをクルクルと回しながら底についているコーンを浮き上がらせている。私は、揺れる黄色いスープから目を放せずにいる。
「大丈夫、まだまだいけるよ、全然死ぬようには見えないもん、保障するよ」
キックは特製釜飯定食を米粒一つ残さず食べ最後に残されたきゅうりのお新香を口に放り込み噛み砕いたところで、何かを思い出したかでもあるように言い放ちその言葉に私は思わず、再び箸を取り、大嫌いなアスパラへ伸ばし口に入れていた。
横にいる優希の目を一時も離さずにひとつ頷くキック。私は、アスパラの味が分からなくなるほど混乱し、鼓動が胸を通り抜けて対面する二人に聞こえてしまうのではないかと心配になる。
キックは、医者でもなく医学生でもなく、保険屋でもなく、預言者でもなく宇宙人でもない。この言葉を裏付けるものは、何一つないはずで、医者ですら、検査を繰り返して出来る限りの推測をしているにも関わらず、躊躇い無く言い切ってしまい、それどころかどんなものかは知らないが勝手な保障までして見せた。
何も考えてない馬鹿なのか、よほど自分自身の感に裏付けるほどの根拠があるのかどちらかに違いない。もし、この場しのぎのものだったら、私は一生キックと話をすることはなく人間性を疑い、ゴルフのカーステレオを引き出してアスファルトに投げつけ、ボディにもうひとつ窪みを作るかもしれない。
ところがキックからは、淀みない百パーセントの確信が全身から出ている。そう信じているのは間違いない。もしも、今日の検査の結果が思わしくなかったらキックはいったいどうするつもりなのだろうか。そういった事は、考えないのだろうか。いつもの三倍くらいキックの頭の中を疑って、考えれば考えるほど腹が立ち、私には、軽率な言葉にしか思えない。
言葉は、何も出てこない。箸が手から落ちトレーの上に転がるのをみて、窓の外のスケートリンクへ顔を向ける。聞こえないように深呼吸をした。
万が一検査の結果が思わしく無かった場合傷つくのは優希か、いや少なくともこの言葉に関しているならキックなのかもしれない。間違いなく自分を責める事になる。なら、その事を覚悟しての発言か。私は、そんな勇気もないまま、自分自身が悔やむのを恐れているのだろうか。スケートリンクから二人へ視線を戻す。
キックは、冷めたお茶を啜り、優希は、空になったカップの中にへばりついたコーンをホークで差し全部食べ終え、ホークを置き、僅かに緩んだ口から泡のような笑いが浮かび上がっては零れて、そうだねと言い、キックがそうだよと続けた。私は、どんな表情を浮かべているのだろうか。普通の表情になっているだろうか。今の自分の顔を鏡で見たらきっと、がっくりと肩を落とすだろう。分かってはいてもどうする事が出来ない。二人はポツポツと会話を続けていたが、私に向けられることはなかった。
声以外の雑音が聞こえ耳障りで、椅子を引く音や、厨房から片付けを始めたのか何を擦る音が響く。音のする方をみても、壁で隠されまったく見えない。閉店へ向けブラシで何かを洗っているのだろうか。その時、風呂掃除をしている優希の後姿が脳裏を掠める。
検査が終わって、不安だったのかもしれない。だからあんな掃除を始めた。思い過ごしかもしれない、聞かなければ本当のことは分からないけれど、私には、聞く事が出来なかった。キックなら平然と聞いているかもしれない。尚更、キックの言葉を肯定することが出来ずにいた。
「ほら、行くよ」
二人はいつのまにか立ち上がり、キックは伝票を持ち、優希は持っていた荷物を私の頭の上に乗せる。意味の無い行動に、その荷物を見上げそのまま立ち上がり荷物がずるりと落ちる。優希の横にいる何食わぬ顔をしたキックを睨み付けると睨まれた本人はなぜ睨まれているのかと不思議な顔を浮かべ出口に向かう。後に続き横にいた優希の肩がぶつかり、私はよろめき元に戻ると腰の部分をぱしりと叩かれた。
「温泉旅行は、内緒にしてやる」
よろめきながら呟くと、優希は、くすくすと笑う。大人気ない事は重々承知であるけれど内緒にして、お土産を突然渡してやろうと決意していた。
このご時世何が正しくて何が間違っているかなんてなかなかはっきりしないものだ。
一連の出来事で多少テンションは落ちていた。けれど無理に上げる必要はないだろう。真夜中のリンクを滑りながら、時々立ち止まっては、デカイモミの木を見上げたり、目の前を通り過ぎていく人を観察したりしながら、それぞれの立場でそれぞれの事を考えていたのかもしれない。
それでも面白い話は笑えたし冗談も言える。見えないものは、相変わらず見えず、偶にもどかしさを感じるけれど、訳の分からないものを、手探りで受け止めて見たり、ただ見過ごしてみたりと少しずつ、受け止められるようになっていた。
季節より早く飾られたツリーはどんと立ち時折吹き付ける風に揺らされては飾り付けられたベルたちがからからと安っぽい音を奏でていく。一足早いクリスマスが一年という年月の流れを早く感じさせていた。丁度一年前、私はゴルフを蹴り上げていて、いまだに治さず窪んだままで最近では気にする事も無くなり、ゴルフの一部のようにも思えていたが、この考えは私だけかもしれない。
どこに生えていたかもわからぬツリーを見上げながら、車の事は忘れ、あのツリーが普通に過ごしていただろう森を勝手に思い描いていた。
thank you
おわり・・・