小説 ONE-COIN

たった一度、過去へ電話をかけることが出来たなら、あなたは、誰にかけますか?

十月の出来事 3

2005年04月23日 | FILM 十十一十二月
アンテナ微弱【十の三】→→→ 鉄板の前でしゃがみ込んだ優希は、豚のロゴが印刷されたスーパーの袋を左腕に提げていたが、袋は地面に付きその役目は、船を停泊させるブイのようなものだった。そんな左腕を気にしながら、箸は勢いよく進む。
ポケットに入れられた肉袋の口部分がひらひらと風に煽れていることに、何も感じていないキックの箸も止まる事無く動き続ける。

 私は、低い姿勢を保ったままアヒルのように体を揺らしながら荷物へ向かい手探りでフランスパンを探していた。
 一瞬だけでも、キックの光が欲しかったが、箸を口に銜えたままだったので声がだせずに、片っ端から手を入れていく。包装紙が当たり、それを掴み、硬くて軽い、しっかり握っていなければ吹き飛ばされてしまうだろうフランラスパンを引き抜いた。
 たしか、このフランスパンを買うとき、バーベキューの素材の話を三人でしていてそれを聞いた店員が、バーベキューでフランスパンなんて、とてもおしゃれで羨ましい言っていた。しかもそれを夜の海でやると聞くと、細い目を尚も細めながら、一人空想の世界に入り頷いていた。あの店員は、今頃、空想のような世界に三人が浸っていると思っているだろう。まさか、こんなおぞましい状況に陥っているなんて考えもしないに違いない。そう思うと、可笑しくいつの間にか頬が緩んでいた。

 フランスパンを持ちながら、アヒル歩きで戻る。

「何笑ってるの?」
 
 優希が、何も起きていないのに笑っている私を不思議に思ったのだろう。

「なんか、おもしろいなあと思ってね、この状況がさあ」

 店員の話はやめて、そう返す。持っていた皿を、優希に差出すと受け取った。
 フランスパンを長い袋から出し、袋を丸めてジーンズのポケットへ詰め込み、パンを適当に三等分に引き千切った。

「端と真ん中どっちがよい?」

 考える事もせずに、二人は同時に答え、同じ言葉でなかったので、そのままキックに真ん中を、優希に端を差し出す。
 三人は、片方の手にパンと箸を持ち、もう片方に皿を持ち、鉄板へ箸を伸ばしては、握ったパンを噛み切った。

 バッサーン!!バッサーン!!と、波が岩を叩きつけている。その度に、風に乗った潮が頭を掠める。

 ウインナーを誰よりも多く食べたキックが、喉の渇きに気づいたようで、振り返り自分が岩に挟んだペットボトルを探す。すぐに照らされたペットボトルへ、キックが体を捻り手を伸ばす。キャップ部分を摘み上へ力強く引き上げる。手元にもってくるとキャップを取り、一リットルのペットボトルの口を唇につけようとしているとき、キックの握った側面が不自然に思えた。そして、徐々に傾けられていくペットボトルから、雨の道筋のような線がキックのライトに反射したように見えた気がした。

「あ」

 誰も聞き取れない声が漏れ、ペットボトルの口がキックの唇に触れ傾けられたとき、側面にキックの指がブスリと刺さり歪んだ。

「ぼこぼこぼこ」

 風呂の栓が抜けたときの音が聞こえ、あっというまに流れのよくなったペットボトルの中身はすべて零れ出る。
 飛び散った中身が、鉄板の上にも届きバチバチと音を上げる。
 風呂栓が抜けたときの音に混じり、蛙が潰れたような声が漏れ、手元から皿が落ち箸とフランスパンが転がり、一旦水圧でエビゾリになった体は、強力な腹筋でくの字曲がった。ペットボトルが飛び、石に当たりプラスチックが割れる音がしてバウンドしながら風に飛ばされる。へんな音をだしながら咽返るキック。
 フランスパンを齧ったまま目の前で起きていることを、眺めていた。
 むせ返る回数が減ると、全身で喘息のようにヒューヒューと何度も息をする。

「溺れ死ぬところだった・・・」

 ヘッドライトが鼻の頭まで斜めにズレ落ち呼吸をするたびに揺れ、搾り出した声は、長い間プールに潜っていて耐え切れず水面に向かい顔を出した瞬間のようだった。

「大丈夫?」

 鉄片に並べられた肉をひっくり返しながら、優希が言い、キックは依然苦しそうで息を切らし、私は優希につられ同じセリフを言ってみる。
 キックはヘッドライトを外し手で持つと表情が照らされる。本当にプールから浮かび上がったときのように、前髪は、真ん中でぴっちり分かれ額に張り付き、髪を伝う雫が、顎へと流れポツポツと落ちる。

「馬鹿力で引き抜くから、ボトルが割れて、それを知らずに握るから、そんな事態に巻き込まれるんだよ」

 滴るお茶を拭うこともせずに、キックの手は、鼻の下の爪楊枝程のニキビに突付いている。私は、そんなキックを見ながら、なぜこんな事になったのか、自ら言葉に出しながら理解していく。

「いちいち説明すんな!!」

 突付く指先が、イライラと動いている。

「初めてみた、お茶で溺れている人」

 キックが優希に、わざとライトを向け被ったタオルの水玉が妙に浮き上がり優希が眩しそうに背けながら片目を閉じる。

「でも、牛乳とかドロドロトマトジュースとかでなくてよかったじゃん」

 鼻と下唇にマッチ棒をつけたら一芸出来てしまいそうな優希に向けられていたライトが私へ向けられる。持っていた皿で光を遮り肩が震え笑いが零れ始めていた。優希は、私の言葉に同意し、口の端が何度もくいっと上がる。
 交互に照らされたライトがチカチカと細かく明滅し、キックがライトを叩くと再び光を放つ。

「もう、人事だと思ってさあ、冷たい奴らめ」
「さあ、そろそろ焼きそばにいきましょ」

 潮の匂いが滲みこんだタオルを頭から剥ぎ取りキックの頭に押し当てると優希は焼きそば作りに取り掛かる。アヒル歩きで、荷物置場まで向かいそばの準備をし、私は、まだ鉄板の上で置き去りにされている水分が飛びきり炭化している野菜や肉の破片を隅の方へ寄せ、ゴミ用ビニール袋を作りそれに入れる。
 お茶でまみれた髪を乱雑に拭き、そのタオルを美容院のように肩にかけているキックが鉄板の上へ新たに油をひき、ポケットの中から肉袋を取り出し鉄板へ落とし始め、じわっじわっと細かな音を上げている。優希から野菜袋を受け取った私は、肉のとなりで袋から野菜を落とし、少量になった野菜袋をパーカーのボケットに入れる。甘い匂いと香ばしい匂いがたちこめ、鼻をくすぐる。
 野菜をかき混ぜ、肉をひっくり返すと、鉄板は更に賑わい、二玉のそばがドサリと落とされた。

 若干一名、ハプニングがあったにせよ、なんだかんだかバーベキューがうまく進んでいることに安堵し、カップめんの焼きそばは、どこのメーカーが好きかなんて話に花を咲かせながら、手元だけは動いていて、ふとあることに気づき手を止める。

「あれ、さっきひっくり返した肉、片面全然焼けてないような?」

 キックのライトが、私の箸を中心に照らす。随分前にひっくり返したにも関わらず表面は明らかに生である。

「なんで?」

 疑問と共に優希の手元が止まる。たとえば、この状況がテレビで流れ、それを見ているオヤジがいたら、優希のなんで?なんていう質問に、おいおいそれは火力が弱まっているだけだろ、つまり、ガスが終わったんだろよ。なんて突っ込みながら、茶の間で寝ころがって、鼻でもほじりながら、おまえら、前兆があっただろう、コンロの火が弱まって焼きが甘くなっていた事に、話に夢中で気づかなかったんだよ、なんて言っているに違いない。

 けれど、現実はそんなに冷静でなく混乱が判断を鈍らせる。
 音がまったくしなくなった余熱だけの鉄板の下のコンロを、キックが覗きこむ。

「火がついてない、風かな?」

 キックは、点火ダイヤルを何度もカチャカチャと捻ってみたものの、虚しく音がするだけで炎が灯されることはなかった。
 鉄板は、急速に冷えていき、波と風の音が突然大きな音をあげたように、耳へ届く。
 荷物がバタバタと揺らされ、上に乗せた石がぐらぐらと動いている。

「ボンベ替えはないよね?」

 優希が問い、キックのライトが上下に動く。

「やきそば、そろそろ、食べれないかな」

 突然の打ち切りに、こんな事を言ってみたけれど、食べれるはずはない。肉も焼きそばも生そのものだ。
 肉をもう一度ひっくり返してみても、すでに鉄板から音が上がることもなく、変化のないオセロだ。

「どうする?」

 鉄板を照らし続けるライトが深刻さを伺わせる。不自然な明滅。チカチカと冷めた鉄板へ送られていた光が、不安定な光になり始め、次々に明るさを変えていく。

「うそっ」

 嫌な予感が、脳天に突き刺さる。
 優希も同様だったのか、キックのライトを前から掌で叩くと、バチンと音がし、キックの頭がぐらりと前後に揺れる。
 それでも、ライトは絶頂時の明るさに戻ることがなく、それどころか、徐々にフェイドアウトするように光が薄れていく。
 うろたえている間に、光はすべて消えた。
 最後に映したのは、一番慌てふためいたキックの眉毛と真ん丸の目だった。

「うっわああああ、暗いいいいいい」

 キックが叫んだところで何も変わらず、叫びは瞬く間に強風に掻き消されていく。


「きゃああああああ!!」

 ドアが開いたことに気づいたウエイトレスがメニューへ手を伸ばし、それを取り客へ体を向けた瞬間、笑顔がべたりと顔に張り付きメニューを手から落とし、フロアにひらりと落ち、貼り付けた表情の口元が僅かに開くと、ヒクヒクと頬が動き目を剥き一歩後ずさりをしながらレジカウンターにぶつかり体勢を崩しフロアに倒れると、全身に力をいれ、鼓膜が切れそうな声を張り上げた。
 夜中のファミレスは昼間と客層が変わるだけで同じように賑わいざわついていたけれど、この悲鳴でぴたりと静まり返る。

 男性従業員が、厨房から血相を変え駆けつける。
 入口を見つめたまま、緊張感が体を固まらせ後を追いかけてきたブラシを持つ従業員に少しだけ顔を向け、小さく口元が動いた。警察、そう言った。キックが、慌てて一歩踏み出すと、駆けつけた従業員が身構え叫ぶ。

「動くな!!」

 キックの足元がぴたりと止まったが、右手が発作的に鼻の下へ伸びていく。

「動くなあああ!!」
 
 声が裏返る。

 ファミレスが緊張に包まれ、三人が強盗扱いされている中、こんな切羽詰った空気を打ち破ったのは、優希だった。
 クツクツと肩を震わせて笑い始めた。従業員は、呆気にとられ何が起こったのか飲み込めないようだ。目を動かし答えを求めている。
 キックの後ろから前へすり抜ける。キックの指は、アンテナを鈍らせているらしいニキビを触れたままだった。笑いが喉に詰まって音をあげそうだったのを、ぐっとこらえ比較的真面目な顔を装う。

「すいません、強盗ではないです。海でバーベキューをしていて、ライトが消えてしまって、辺りが真っ暗で、それで・・・色々ありまして・・・とにかく、ここで休ませて頂けますか?」

 パーカーのポケットから野菜袋が顔を出していて、身振り手ぶり説明している拍子に、千切られたピーマンや、キャベツが、パラパラとフロアに落ちる。優希は、無理やり笑いを押し込めている。従業員が、私達三人の体を下から上に食い入るように見上げていき、ため息をつく。

「申し訳ありませんが、お客様の迷惑になりかねませんので今回はお引取り頂きたいのですが」

 明らかに平静を装う従業員が、頭を下げる。私達は、そうですよねと従業員に同情するように後にした。
 外へでて、車へ向かいながらふつふつと湧き出す笑いが外へ漏れ、腹を抱えガハガハと体を捩らせ、バッティングドームでホームランを打ったときのファンファーレのように駐車場に響き渡り反響する。
 駐車場の蛍光灯の下、優希の髪はどこが分け目なのか分からないほど乱れ絡まり上着には、べたりと模様のようにおたふくソースがしみこみ、キックの右のポケットからはナイフの柄が出ていて、左のポケットからは血に染まった肉袋が顔を出している。髪はお茶まみれでぐっしょりと濡れ、上着の肩から胸元に掛けては黄緑色の染みが出来ていた。そして、三人からは、強烈な潮とバーベキューの臭いがムンムンと放たれている。

 車の中を覗けば、車を二、三回転がした後のように、散乱している。座席の上には、ビニール袋に詰められた生ゴミ、いや違うあれは、後で作り直そうとした焼きそばで、臨時に入れられたものだった。道理からいえば、あのまま、フライパンの上にいれ、そのまま火を通せば焼きそばが完成するはずなのだが、間違いなくこれから先作られる事がない気がする。これから、この車に乗る込むわけだけれど、我を取り戻した今、きっとこの車内は、とんでもない臭いが漂っているだろう。
 三人の様もそうだが、それは嵐が残した爪痕のようだった。

「まったく、今日一日、その爪楊枝の先っちょ程度のニキビのおかげで酷いめにあった」

 優希が、ニキビの悪影響をふいに認めてしまい、私も認めざるおえなかった。キックが、鼻の下をつつきながら、悠長に言い放った。

「でしょ?」

 私の尻のポケットからしっぽのようにフランスパンの袋がダラリと垂れ下がっていることに気づかず、絶句するような車内に乗り込みドアを閉めると、尻尾が挟まり十センチほど車外に袋が出ていて走るたびにバタバタと揺れていたことに気づいたのは、信号を十五個ぐらい過ぎた頃だった。
 

thank you
終わり・・・


十一月の出来事 1は、一週二回休みのため、五月四日更新です。

十月の出来事 2

2005年04月20日 | FILM 十十一十二月
アンテナ微弱【十の二】→→→ 街路灯が、真っ暗な港を所々浮かび上がらせ、並ぶ船が波に揺れている。見る限り人はいない。信号を左折し、町の集落から外れ、港沿いの道をひた走る。静まりかえった港を後にし、車は緩やかな上り坂に差し掛かり、しばらくすると、右へ左へカーブが現れる。辺りは、一層寂しくなり、海は見えず鬱蒼とした木々に囲まれている。時々、現れる街路灯がそれを浮かびあがらせる。昼間なら、木漏れ日が地面に落ち気持ちよく通り過ぎるのだろうけれど、闇に覆われたいまは、僅かな光に照らされるすべては不気味でしかなかった。
 ヘッドライトの光は、上向きにしても深い闇の中に次々に吸い込まれていく。ぼんやりとヘッドライトに照らされた公園駐車場を知らせる白い看板が現れ、閑散とした駐車場へ車を入れた。ステレオに光る時計は、九時二十五分を示している。
 車内から、駐車場を見渡す。駐車場の隅には、潰れたペットボトルが転がっている。車は、点々と三台停まっていて、二台は、人のいる気配は感じられない、一台は、カップルの影がステレオの光でぼんやりと確認出来る。その車は、私達が現れるとエンジンをかけ、車を走らせた。辺りは、私達以外誰もいなくなったようだ。

「なんかさあ・・・」

 闇に襲われそうというのは、こういう事をいうんじゃないかとふと思い、二人に伝えようとしたとき、それを察したかのように優希が言葉を遮る。

「準備準備!!」

 声が裏返っている。前に座る二人は、同時にドアをあけ外へ出る。冷たい風が音をたてて渦を巻くように入り込み、思わず肩をすくめた。
 トランクが開けられ車が揺れる。二人はせっせと準備を進めているので、闇への不安を振り払い後部座席に置かれている食材やその他の荷物を運び出す。
 車の外は、三百六十度木々に覆われ、風に煽られる葉がカサカサと音を立てて、それに混じりキーキーとどこからともなく鳥の叫びが聞こえてくる。ホラー映画の冒頭のシーンで十分使えるのではないだろうか。暗闇の中に車をとめ、怖いものしらずに歩き出し、踏み入れてはいけない世界に踏み入れ、タイトルがでて登場人物の名前がクレジットされていく。要らぬ想像を膨らまし続けたあげく、勝手な鳥肌まで腕にたち、慌てて楽しい夜のバーベキューを想像する。花火は失敗に終わり、今度こそ海を前に、火を灯しのんびりとバーベキューをしながら語らう。これを我慢すれば、そんな世界が待っている。
 気を取り直し、持ちきれるだけ荷物を抱える。優希とキックもそうしていた。

「海岸まで歩くから、忘れ物ない?」

 優希が、上着を着込み後部座席とトランクを順番に覗き込みながら問いかけ、私達は、根拠無く頷く。駐車場にあるたった一つの街灯は、チカチカと不規則な明滅を繰り返し、今にも電球が切れてしまいそうだった。そんな中、確かめるほどの明るさはない。唯一頼りになるライトは、キックの額についているヘッドライトであるが、キックの視線の先を飛びかっている。
 キックが車をロックし、鍵をジーンズについている金具に繋ぐと、その右手が再び鼻の下へ伸び、首を傾ける。しっかりとは見えないけれど、間違いなく、爪楊枝の先っちょ程のニキビを触っているに違いない。私の視線に気づいたらしく、ヘッドライトが私を捉え眩しくて眉を細めた。キックは、光を遊歩道へ向けそのまま歩き始める。
 
 石造りの遊歩道が続き、急な階段が始まる。相変わらず辺りは、真っ黒な木々が覆いかぶさっている。闇の階段を降りている錯覚に陥る。鉄板が、コンロに当たり音を上げ跳ね返った鉄板が、腰に当たり痛みが走る。途中見晴台が現れ空を覗かせた。けれど、星ひとつなく嫌な風が吹きつけていた。土産でも売っているのだろう小屋が、その風にバタバタと煽られている。深く見ず横目で通り過ぎ、再び、石段へ足をだす。
 背にした小屋の方から、何かがドサリと倒れる音が体を固まらせた。

「きゃっ!!」

 優希は、敏感に反応し悲鳴をあげ震え上がり、ばさっと何かを落とす。私は、親指を潰しそうになるほど押していた。
 キックが振り向き優希の足元を照らす。何かをいれたビニール袋が落ちていて、それを拾いあげ優希の手元へ乗せる。

「キック、後ろ照らしてみてよ」

 私は、小屋へ振り向いたけれど、真っ暗で何も見えない。唯一照明があるキックをうながしてみたが、キックは、怖いからという理由でそれを拒否し、階段を下り始めた。確認しない方が恐いのではないかと反論してみたけれど、耳を貸さずに降り始めたキックの後を仕方なく続いた。

 三人は一列に並び、揺れる一筋の光を頼りに一段ずつ確かめながら下り続け、ようやく、波の音が耳へと届く。最後の階段を降り、木々に覆われた闇のトンネルを抜け、肩を撫で下ろした。張り詰めた気持ちを、揉み解す。
足取り軽やかに進み歩道から、足場の悪い海岸に変わる。その時私達を待ち受けていたのは、闇のドームを吹き荒らす、海からの突風と強烈な潮の匂いだった。

「おいおい」

 漏らした言葉は、出鼻を挫かれる、いや違う、予想と掛け離れた悪状況にあっけに取られた末に、知らずうち、にやけてしまいそうな自分自身への突込みだった。


  今日の災いは、すべてキックから始まっているようにも思える。バッティングセンターは優希の要望で、ハプニングなく楽しめたし、キックが提案した、ラーメンから四つ石まで災いが続き、これから、バーベキューが決行されれば、この災いは継続するのだろうか。もしくは、三度目の正直で逆転か、それとも、二度あることは三度あるで、悲劇の継続か、ここは、キックの強運を信じ前者を願いたいものだ。ただ、気になる事といえば、キックの鼻の下にある爪楊枝の先っちょ程度のニキビが、直感を鈍らせているという真実味も出てきているということである。

 持っていたビニール袋が旗のようにバタバタと煽られ痺れ始めていた指先に負荷が掛かる。時折高い波が押し寄せるのか、白い飛沫が巻き上がり風に吹き飛ばされ肌に当たる。

「ううううう」

 肩をあげ再び全身に力が入り唸るような悲鳴が漏れる。優希とキックも同じような状況の中、絶句している。
 私の横を、カランコロンと喧しい音を立てながら優希が前へ五歩進み立ち止まる。

「とりあえず、この風に耐えられるような準備を整えよう」

 優希の声は、すべてを聞き取る前に波と風に瞬く間に吹き飛ばされる。それでも、撤退と言った様には思えず、決行だと認識し踏み出した。キックの揺れるヘッドライトを頼りに比較的大きな石の風下を探そうと足場の悪い海岸を風に煽られながら歩き続ける。どういうわけか、ヘッドライトの光すら風に流されているように思えた。
 一寸先は闇。そんな言葉を身をもって実感する。
 私の肩ぐらいの背の高い石をみつけ、その風下にある転がる石を足で退かし、三人が抱える荷物を一纏めに置く。

「まいったね」

 この最悪な状況に苦笑する。キックの灯りが一畳に満たないスペースを照らしそれを眺め考える。優希は、風下からややはみ出ていたので、髪がバサバサと巻き上がり片手で押さえ座り込む。

「焚き火は無理だから、コンロでやるか?」

 キックの放つ光の真ん中にコンロが置かれている。私と優希は、迷う事無く同意する。

「よし準備しよ!!」

 優希が、スポーツタオルを取り出し、立ち上がりながら、それを頭に被り顎の下で結び威勢の良い声をだす。
 周りに転がる石を出来るだけ一畳余りのスペースから退かし、小さな池の淵のように積み上げていく。平らにした砂地に押し付けられたコンロを置き大きめの鉄板を乗せ、ダイヤルを回しガスが出る音と、カチカチと着火させる音が響き、青白い炎が作られる。度々入り込む風に揺らされては勢いを取り戻す。キックは、優希の手元を中心に照らしていて、光の中では、小さなまな板を石の上に置き野菜が置かれ、一歩後ろに置かれたままになっていた果物ナイフを取ろうと振り向いた隙に、キックの声と共に、無数のキャベツが闇の中へ飛び立った。結局、キャベツを追う様にモヤシ数本とピーマンが飛び立つと優希はまな板をしまい、果物ナイフの刃をケースにいれ、キックへ手渡し、それが大きめのポケットに仕舞われるのを確認すると、用事を言いつけた。キックの光が別の場所を照らすと、優希は、ビニール袋の中へ野菜を詰め込みガサゴソとし始める。私としてはレタスは手で引き千切っても許せるが、キャベツや玉ねぎは幾分抵抗がある。けれど、この不足の事態にそうも言っていられず、そんな思いを振り払った。ところが、それに気づいたキックは、わざわざ優希に向かって何をしているのかと問い、優希は、見過ごしてくれと歯切れ良く言い放ったが、なぜかこそこそと背を向ける。キックは、こくりと頷き身近なビニール袋を持ち作業に戻った。作業を終えた優希はビニールの中から手を取り出し、風船のように膨らませ、今度はしゃかしゃかとシャッフルし始める。たとえば、このビニール袋を箱の中にいれ、箱の天井面だけ腕が入る穴をあけ何が入っているのでしょうかゲームをしたら、きっと難題に違いないだろう。
 鉄板に手を翳すと、熱が掌に当たるのを確認し油を滲み込ませたキッチンペーパーで鉄板を擦る。

「鉄板おっけーだよ」

 風除けの石に当たる風が、ヒュウヒュウと音をあげ、パチパチと音を上げる鉄板を通り過ぎ、その風を避けながら三人で囲む。

 優希のもつビニール袋が傾けられ、バラバラと鉄板の上に落ち残った水分が跳ね上がる。キックがいつのまにか持っていたビニール袋が斜めに傾けられる。けれど、何もでてこない。何が入っているのか聞こうとしたとき、キックの手は、詰まった物を出すようにビニール袋の中身を振り落とそうとし、何度か繰り返すと鉄板の上にどしゃりと物体が撥ねをあげ、崩れ落ちる。食欲不振に陥りそうな嫌な音だった。キックのヘッドライトに照らされたものは、十分な明かりの中にないせいか、赤黒い肉の塊に見えた。
 あまりの醜さに、声を失ったが気を取り直し、持っていた割り箸で、恐る恐る塊に触れ絡み合った肉を一枚一枚剥がし、出来る限り並べていく。そうすると、幾分食べ物らしく見え、音と共に、香ばしい匂いも鼻の奥へ届き始める。このとき、数時間ぶりに空腹を知らせるアラームが、頼りない音を上げていた。

 優希が、手探りで、バタバタと風を受ける石の下に置かれた荷物から、使い捨ての皿を取り出し、闇に浮かぶ僅かな明かりの中へ戻る。焼肉ダレを、石と石に挟み私とキックに皿を差し出す。立ち上がりながら受け取ると特大スーパーボールを、掬えなかったかのように、指で触っていた皿の淵を残し、あっけない音を立てながら風に吹き飛ばされた。偶々、風に飛ばされていく皿の道にいたキックが咄嗟に手を伸ばしみごとにキャッチをしたが、皿には五本の指の痕がくっきりと残り使い物にならなくなり、結局新しい皿を貰ったのだけれど、なぜか石の上に置かれ、その中にはコブシぐらいの石が入れられていた。わざわざ入れられた石を取り出し出来るだけ風に背を向け刺さった焼肉ダレを注ぐ。ゴマが混じった茶色いはずの液体は、どちらかというと黒に近く泥なのではないかと疑いそうになる。

「ウインナー入れた?」

 準主役のウインナーの行き末が気になり、二人に聞く。キックは、ライトの明るさのせいで、口元のあたりしか見えず、一層表情が見えにくい。

「入れたよ」

 キックの口元が動き、手に持っている肉袋を振る。野菜をかき混ぜていた優希の手元が固まり、キックのヘッドライトがゆっくりとビニール袋の移動していく。見たくないと、心が拒否反応を起こし、咄嗟に鉄板へ視線を背ける。

「ウインナーあった、ほら、野菜の中」

 私よりも早く優希もの線が鉄板へと戻っていて、ウインナーを見つける。キックのヘッドライトがようやく鉄板へ向けられほっとする。

「ウインナー、こんがり焼こうね」

 さり気無い言葉を出してみたものの、心の中では、焼きすぎなくらい火を通そうと硬く決めていた。それから、野菜を担当していた優希の箸は、頻繁にウインナーを転がすようになる。

「いい匂いだ、バーベキューになってきた」

 一人テンションが上がり続けているキックは、わざわざ立ち上がり、頭の上を強風が掠めている事もきにせず、嬉しそうに言い、飲物の準備を率先して始める。

 一リットルのペットボトルが岩の間に挟まれ、風に吹き飛ばされることなく、コンロから僅かに漏れる明かりに照らされる。皿を持ちながらコップを持つことは不可能だったので、飲むときはそのままラッパ飲みすることになった。

「そろそろいいんじゃない?」

 目を凝らし鉄板を見つめながら、焼き加減に自信を持てない優希が同意を求める。キックのライトが出来る限り隅々を照らし、野菜が撓り、焦げ目がつき弾けたウインナーと、手ごたえがある肉を確かめた。
 三人の箸が、同時に動き、私と優希は野菜へ伸び、キックは迷わずウインナーを取る。
 キックは、箸で挟んだウインナーを風が遮られることなく通り過ぎる場所へ、ひょいと出し、自動冷まし機、しかも天然塩風味と、楽しそうに言い、自分なりの加減で口へ運びポキッと噛み切った。
 私と優希は、もちろんそんな事はせずに、弾け過ぎたウインナーへようやく箸を伸ばし味わい、うまいと呟いた。

 不思議なもので、海岸へ降りたときの不安はいつのまにか身を隠したのか、消えたのかは定かではないけれど、こんな状況の中、バーベキューを始めてしまった今は、頼りない灯りでも、慣れればなんとも思わず、ゴーゴーと不吉な音を鳴らす風や、ベタベタした潮風にも気を取られる数が減っていた。
 ウインナーと肉が入った袋をみてもそれ程のショックを受けることもなく、薄暗い中で食材を手探りで取り出すのに多少の時間がかかっても急ぐわけでもないので、待てばよい。いつの間にか、気にする事が減っていたのだ。どうにもならない状況で、出来ない事をすっぱり諦めてしまうと、不便な事でも、不便でなくなるようだ。
 キックは、二人よりも早くその世界に順応していたのかもしれない、私と優希は、一歩送れてようやくこの狭い空間を楽しめるようになっていた。

 キックのヘッドライトの灯りがそんな世界を作り出していた。光の外にあるのは、どこまでも続く闇と荒れる海で、その存在すら忘れていく。


thank you
つづく・・・

十月の出来事 1

2005年04月16日 | FILM 十十一十二月
アンテナ微弱【十の一】→→→ バッティングドームの中に、快音が鳴り響く。八十キロのエリアに入り、液晶画面に移る弱そうなキャラクターが投げるまねをし、液晶に開けられた小さな穴からボールが飛び出し、網で挟まれるボックス目掛けてやってくる球を金属バットで力任せに叩く。

 もちろん、野球経験などなくスイングは、プロ野球の延長時に、次に始まるドラマを待ちながら、なんとなく見たものを参考にする。しかしながら、良いスイングをすることが目標でもなく、これから、野球サークルに入部する予定もない。私が求めているものは、ストレスの発散と、適度な運動と、斜め上に掲げられたホームランマークを目指すことだった。私を挟んで、左側には、私と変わらない考えの優希が、子供用の短く軽いバットでスイングを続けていた。右側では、バットを持たずに、トヨのような溝を転がってくるボールを握り、大きく腕を振り被り、なぜか大リーグで投げていた佐々木投手の真似をしながら、鋭い眼差しで、並べられたパネルに向かいキックは投げ続けている。キックのホームをみて、あっ佐々木選手の真似をしている、なんて思う人は誰もいないだろうけれど、パネルを見つめる眼差しは真剣そのものなので、あえてその事に触れない。このストライクアウトを以前、私も挑戦した事があったが、そのとき半分はパネルに届かず、山形に投げて辛うじてパネルに触れる程度で、肩がきしきしと痛みだし、おもしろくもなんともなかった。ところが、キックは、山形ボールなど一度も投げずに、振り被った腕からは、まっすぐな直球がパネルに向かって突き刺さる。ちなみに、野球の経験はまったくないので、フォークのようにボールが沈むことはない。それどころか、野球を見ないキックがフォークをしっているかも疑問である。今、見る限り、何球投げたかは定かではないが、九枚中、四枚のパネルが開けられている。けれど、ひとつだけ違う点があった。それは、し切りに鼻の下辺りを気にし、手で摩っているところだ。疑問に思いながらも、そんな姿に、ただ、関心するばかりだ。

「球、勿体無いよ、無心に振るべし」

 背中越しの、優希の声とスイングの音で我に返り、躊躇なく穴から飛び出る球が、キャッチャー代わりの緑の網に受け止められていた。バットを握り直し、構えボールに集中する。ボールが当たると、ずしりと重くなり腹に力を込め前へと押し出す。低い位置にまっすぐ飛ばしたときは、特に重く、逆にホームランマークへ飛んだときは、その抵抗も少ない。テレビで、力じゃなくタイミングだと聞いた事がある。まさしく、それに近い。そして、そんなときは、溜まらず気持ちよく爽快な気分になる。
 当たりは良かったが、明らかに力がなく高くホームランマークへ目指すものの、ふらふらとしていて、それを追い抜かしていくボールが一つ通りすぎ、マークを揺らす。私の放ったフラフラボールは、山を下るように落下しメカピッチャーの上にある緑の屋根に落ち、ぼこりと音をあげ弾んでいた。
 誰かのボールが当たり、音の割れたファンファーレがドームに響き渡る。
 隣で、優希が声をあげ喜んでいる。見て見ぬ振りをし、バットを振り続けたが気が散ってしまい、網に突き刺さるボールの数は増え、当たりがないまま、液晶画面がプツンと終わりを告げた。
 後ろを振り向き網越しに、優希が喜ぶ姿を見る。ホームランを聞きつけ店員がかけより、一回無料カードを、笑顔で手渡す。

「勝ったぜ」

 優希は、ひらひらとカードを振ってみせ、にんまりと笑う。私は、負けたと気の抜けた言葉を発し、網に掴まりながらうな垂れた。このバッティングドームにはよく出入りしていて、そのたびに、私達二人は、一番遅い球のスペースに入り、ホームランを競っているのだ。

「さて、喉も渇いたことだし、ジュースをおごってもらおう」

 胸をはり、金属バットを筒の中に差しフロアを指差す。これも、恒例である。私は、はいはいと同じ返事を繰り返し、ピーピーと喧しく鳴るバッティングカードの排出口からカードをとり、フロアへと繋がるドアを開けた。
 腕を回しながら、自動販売機へ向かう。カバンの中から財布をだし、小銭を握り販売機に入れる。

「お好きなものをどうぞ」

 バスガイドのように、撓った掌を灯りがついたボタンへ向ける。優希は、一瞬迷ったが、結局スポーツ飲料のボタン押す。がたっと音がすると同時に、手を伸ばし缶を取り出し優希に手渡す。続けて小銭をいれ自分のコーラを買い、キックが、いまだに投げ続けているスペースの後ろのソファへ向かい腰を深々と下ろした。

「プロ野球選手にでも、なったつもりなのかな?」

 休む事無く投げ込み続けるキックの後ろ姿をみながら、冷たい缶を爪であけ、音が上がりチリチリと缶の中でコーラが弾ける音を聞きながら優希に投げかけた。
 優希は、笑いながら、きっとキックにしか分からないおもしろさがあそこにはあるんだよ。と返す。

「なんかお腹空いたなあ」

 コーラが、喉を流れ胃へ辿りついた途端に、空腹に襲われる。シュワシュワが胃を刺激しているに違いない。優希は、腕時計をみる。私は、それを覗き込む。六時を回ったところだった。

「何食べる?」

 優希の問いにしばらく考えを巡らす。目の前のドアが開き投げ込みを終えたキックの右足がフロアについたところだった。息をきらしたキックは、両掌でコブシをつくりぽきぽきと揉み解しながら鳴らしている。手を止めると、何かを思い出したように、ややしかめっ面へ表情が変わり、右手が鼻の下へ伸び、今度は、ちょんちょんと早いスピードでクリック擦るように指が動く。
 その指の動きを止め、座り込む二人の前に立つと、多少の汗臭を漂わせながら言う。

「スタミナが切れた。ラーメン食べに行こう!!」

 ソファーに座る二人は顔を見合わせ頷く。夕食は、ラーメンに即決である。

 自動ドアから出ると街は、夕映えの中にあり、冷たい秋の空気が、熱を発する体を冷やしていき、肌寒く思える。空腹優先で、夕日を気にすることなくゴルフに乗り込み、キックがうまいと絶賛する最近出来たラーメン屋に向かう事にする。
 国道を十三分程走り、キックが指差した先には、真っ黒な建物の屋根に赤く長細い看板がのった一際目立つ店が現れる。店先に三台止められる駐車場があり、今現在、一台も止まっていない。普段は、運がよくない限り、めったに駐車できないと十三分の間に話していたが、すべて空いている。店の外に、並べられている椅子も、夕日に照らされ、駐車場へ陰を伸ばしているだけである。嫌な予感が走る。車は、ウィンカーを出し、駐車場に入ったけれど、案の定暖簾も出ていなければ、入口のドアに赤い楷書文字で定休日と書かれている札が掛けられ揺れている。

「どうみても、休みのようだけど」

 助手席に座る優希が、札をみながら漏らす。キックは、ハンドルから右手を離しその指先を鼻の下へ持っていき、小さな円を描くように触れている。ブレーキを踏んだまま、考え事をし、指が鼻の下から離れると、無表情から少し晴れやかな表情になる。二つの表情を写真にとってテーブルの上に並べ見比べてみたら、多くの人はこっちの方が、なんだか明るい気がするというだろう、その程度の差では有るが。

「バーベキューしよう!!」

 キックは、目を輝かせ、変更、変更と口ずさみ車をバックさせ、走らせる。ゴルフのエンジン音も俄かに軽やかに思える。そんな雰囲気の中、反論の声が上がることもなく、決定となる。
 車は、一路キック家納屋へと向かう。以前洗車した空き地に車を滑り込ませ、エンジンを掛けたまま、キックは、飛び出していき、壁の向こうにある納屋からゴソゴソと物がぶつかり合う音が聞こえ、しばらくすると、バーベキューセットを抱えたキックが現れた。トランクの下におき、今度は、優希を連れて納屋へと向かう。残された私は、トランクをあけ、箱が瞑れたセットを、持ち上げ押し込める。鉄板と、いつ利用したかも不明な炭箱と薪を無理やり詰め、もしものためのカセットコンロも入れようと試みたがスペースがなく、後部座席に放りなげ、トランクを閉めた。優希が、キックに何かいうと、キックは踵を返し家へと戻り、厚手の上着を抱え車に乗り込む。
 空は、太陽が沈み、薄明へと変わっている。三十分も過ぎれば、濃紺の空から夜へとなるだろう。金星が、ちかちかと存在感をアピールしていた。

 そんな空に見向きもせず、テキパキと無駄のない行動でスーパーへ向かう。

 夕飯時とあって混雑するスーパー。カートを出しカゴを乗せ足早に進む。カット野菜、肉、ウィンナー、海老、ホタテ、さざえ、小分けされている好きなものを各々放りこむ。立ち止まる人たちをすり抜けながら進むカート。誰かが、口に出して、必要なものを呟くと、一番早く行動を移したものが、売り場へ向かいそれを取り戻ってくる。流れ作業のように必要なものを揃え、長蛇の列を作るレジへと向かい列に加わる。その時間を利用して品物を確認する。列に並ぶ人たちは、カゴを手で持ち今日の晩御飯の分程度の買い物であるようで、列は長くても次々に進んでいく。

 三人はカートをガードするように囲み立っている。私が後ろで左右にキック。何気に前を見ていると、キックの手が鼻の下を細かく摘んでいることに気づく。そういえば、バッティングドームのときもそんな仕草をしていたことを思い出す。鼻毛のチェックか、鼻水でも出てきているのだろうか。そんなことを考えているうちに会計の順番が回ってきた。

 会計を終え、キックがどこからかダンボールを持ってきて台の上に置き、そこへ詰め込む。足場やに、ダンボールを抱え戻り、後部座席に置く。ダンボールからは、食材が混ざり合った匂いが車内に立ち込めた。

「どこでやる?」

 三人が、車に乗り込みゴルフ音が響いている。優希の声に、キックの鶴の一声、四つ石に従い、迷うこともなくヘッドライトが付けられ、車は進む。

 四つ石は、海沿いの突き出た山のようなところにあり、浜辺はないが、石が乱雑した海岸で、そこに、山のように巨大な石が四つ並んでいる。昼間は、釣り客や、観光客や、バーベキューの人で溢れている。海岸から続く階段の先は、公園になっていて、おみやげ屋や、レストランもあり、そこを訪れる人は、そこへ車を停め、急でくねった階段を降りて海岸へ向かう。

 国道をひた走り、四つ石方面へ向かう。灯された街の光が、だんだんと遠く離れていく。民家は、まばらになり、時折現れるコンビニが放つ光が、車内に入り込み照らし通り過ぎていく。

「もう!!さっきから、なに鼻の下触ってるの?」

 コンビニの光が、キックの顔も浮かび上がらせたとき、偶然横を見ていた優希が問いかける。私には、見えなかったけれど、キックは、再び鼻の下を気にするように触っているのだろう。優希もその仕草に気づいていたのか、溜まらず聞いたのだろう、優希の声には、もどかしさが十分含まれていた。

「朝起きたら、鼻の下にニキビが出来てて、それがなんかめちゃくちゃ違和感あって、触ると痛いんだけど、気になってつい触っちゃう」

 キックは、珍しく困り果てた声をだし、以前右手はハンドルから離れている。

「触ると酷くなるよ、ほっとくのが一番」

 優希は、キックの右手をはらう。諦めたキックは、ハンドルへ戻す。

「でも、スーパーで顔みたとき、ニキビ全然目立たなかったよ」

 バッティングドームとスーパーの件を思い出し後ろからキックに話しかける。キックは、ちらりとバックミラーで私を見る。

「小さいけど、気分的には顔の三分の一くらい占領されている感じ」

 再び、右手が鼻の下へ向かおうとしたとき、優希が制す。
 優希は、随分大げさだなと言いながら、携帯の灯りを近づける。白く浮かび上がる横顔は若干不気味であって、一番びっくりするのは対向車だろう。優希が、顔を近づけそのニキビを見つけると、指を伸ばし、ぴんぽーんと言った。

「イタッ」

 ゴルフが、センター車線により慌ててハンドルを戻し、蛇行する。

「爪楊枝の先っちょ程度」

 助手席に座りなおす優希。

「爪楊枝って・・・」

 爪楊枝の例えが適切であるかは定かではないが、有触れたタバコ何個分とか、東京ドーム何個分とかで例えられるよりはマシである。キックは、それを笑うこともなく数ミリ口を尖らせ、続ける。

「なんか、五感が鈍るっていうか勝手が違うというかさあ、アンテナが弱いっていうか」

 五感?と私が聞き返す。

「直感が鈍るっていうかね」

 どんな直感かと聞くと、さあとしか戻ってこない。

「直感ねえ、ラーメン屋の定休日を見抜けなかったとか?」

 優希が笑いを含みながらいうと、キックは答えず、鼻を鳴らし、爪楊枝の先のようなニキビが痛かったのか顔を顰めた。爪楊枝の先っちょ程度のニキビに惑わされているキックが可笑しくて、欲をいえば、チャイムを押したくてたまらなかった。


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つづく・・・

九月の出来事 3

2005年04月13日 | FILM 七八九月
玉露と豆腐【九の三】→→→ コンビニの駐車場に三台車を並べ、そのうち一台は、ルーフの上に長い板が、窓から出されたビニール紐で括られ、アスファルトに置かれた巨大ちょんまげにも見え、違和感を放っている。前を通る客は、自然と視線を向けていく。そんなことを気に留めるはずもなく、冷蔵棚に並べられる色とりどりのケーキを物色していた。三人の意見は、中々纏まらずにいると、そこへ、見知らぬ腕が棚へ伸び私が持つカゴにケーキを入れられ、重くなり強く握り直す。
 ペアルック中村が一人で立っている。
 三人とも、コントのように仰け反り驚き目を丸くする。丸くした目を、元のサイズへ戻すと同時に優希が、胸の支えを取るように、あの男性が誰なのか問い詰める。

「憶えてない?」
「思えだせないから聞いてるの!!このままじゃ窒息しそう」

 中村は、笑いカゴへ棚に並べられている豆腐を入れる。

「あのときの、警察官」
「お花見?」

 キックの問いに、中村は照れながら頷き、続ける。

「偶然会って、なんとなくね、うん」

 なんとなくを、もっと詳しく聞きたい気もしたが、最後に頷かれ、話は強引に幕が引かれる。中村は、勝手に手を振り、レジへ向かい男性が待つ車へ戻っていく。
 それを、ウインドウ越しに見届けると、優希とキックは、納得したように、声をあげ首を大きく上から下へ何度も動かす。私だけが、頷くことが出来ずに取り残される。その後優希が、補足する。男性は、四月のお花見と五月の鈴木の鮭と田川のバーベキューセットで、ちゃんちゃ焼きが出来上がる直前にやってきた警察官だった。
 世の中は、偶然だらけで、中には、こんなうれしい偶然もあるのだと、ポテトチップスをとりながら関心していた。


 車を置き、優希の部屋に入るなり、調子の悪くなった自転車の鍵を取り替えにいく事になった。靴を履いたまま、すでに数字四桁は、ダイヤルにセットされているらしく、そのまま閉めればよい状態になっている。新品の鍵を受け取る。

「前の鍵の番号は何?」
「誕生日四桁」
「月、日?」
「そうそう」

 部屋をでて、廊下を歩き外の自転車置場へ向かう。数台の自転車が並べられ、青いGIANTのMTBが一番端に置かれている。屈み込み、タイヤに付けられた錆びた鍵に手を伸ばす。ダイヤルに何かが絡まっているかのように、回りづらく指の先が擦れる。力を入れると、回りすぎてまた一回りしてしまい、何回か失敗して、誕生日の〇九二四に合わせる事が出来た。金具を、引っ張ってみても、がっちりと固まったままで数ミリも動こうとしない。何度引っ張っても変わらず、一番右側の数字だけ動かし、もう一度セットし直す。状況は、変わらず、自転車の横で屈んだまま、古い鍵を見つめながら考え首を捻る。


 四角い豆腐が、頭の中に浮かび、水の中で話すような篭った声が響く。

「とーふよ」

 その言葉を自然と声に出す。声にだしたその音が、耳の中から入り、頭の中へ再び戻っていく。よりはっきりとした言葉が、一つの光景を、浮かび上がらす。
いつだったかは、思い出せない、みたらし団子を食べていたとき、お茶を啜りながらの会話だった。私が、他人の誕生日が憶えづらいと、漏らしたとき、優希は、こんな言葉を返した。語呂合わせで憶えてしまえばよいと。自分の場合は、とーふよ、と何気に教えながら、みたらし団子を頬張りお茶を啜った。
記憶は、確かに、とーふよと言っている、つまりそれを変換すると、一〇二四。〇九二四ではない。

 新たに、ゼロからイチへとダイヤルを変え、引っ張ってみると、鍵が小さく、カチっと音上げた。タイヤから、外し地面に置き、新品の鍵を取り付ける。
 苦し紛れの見えすぎた嘘を付きやがって。一瞬でも騙されるほうも問題がある気もしないではないが、所詮、友達なんてそんなものなんだろうなとも思い、折角の語呂合わせですら、覚えられなかった自分自身と、それを見透かされことが、可笑しかった。古い鍵を指先でくるくる回しながら、部屋へと向かった。

 一ヶ月早い誕生日祝いを、あまり聞いた事も見たことも参加したこともないけれど、そんなものは、気持ちの持ちようで、来月の二十四日を祝う気持ちがあれば、それは誕生日祝いに値するに違いない。けれど、私自身の気持ちとしては、そんなまだ先の誕生日を祝おうなんて気は、一瞬にして消え、目の前に置かれたケーキは、ただのデザートになっている。けれど、考えてみれば今まで誰が誕生日だろうとお祝いをするなんてことに慣れてなく、いまこうやってコンビニのケーキがただあるだけで、見知らぬ人がみたら誕生日祝いをしているのだと判らないだろう。だから、言い訳がましいが、誕生日を憶えるということも欠落していたのだ。実際、会は始まっているが、相応しい会話は一つもなくすべていつもと変わらないのである。

 パックから、皿に移されたケーキに、緑茶と紅茶が並べられ、各々カップに入れた。話は、今日起きた偶然について急速に傾いていく。

「玉露さんが運ぶ、お茶のトラックもすごい偶然だよ」

 ココアが振掛けられた三角のチョコレートケーキの角にフォークを入れる。ふわりと弾力があり弾かれるようにスポンジが切れる。

「偶然かあ、中村はいいなあ、あんな偶然いいなあ、それとも、赤い糸ってやつかな」

 優希は、羨ましそうにいいながら、茶色いモンブランを一口頬張る。優希は、いつも黄色いモンブランよりもやや豪華な茶色いモンブランを選ぶ。

「玉露さんも、運命ってやつだったのかも」

 紅茶を啜り、再びチョコレートケーキにフォークを入れる。口の中は、ほろ苦く甘いチョコレートが広がっている。キックは、半分飲み干した紅茶の入ったカップの中に、私が淹れた緑茶の急須を持ち傾ける。

「玉露と紅茶が出会った~」

 味覚を疑う行動と、嬉しそうなキックの言葉に見ぬ振りをしたが気にする素振りもなく一番シンプルなショートケーキをパクパクと口に運び、ズルズルっとカップを啜り満足げに頷く。ちなみに、イチゴを一番に食べ、なぜか、真ん中からフォークを入れている。

「出会いかあ、なら、偶然の積み重ねは、必然の一歩手前のようなものなのかも、中村と警官がそうだったように」

 優希は、モンブランを食べ進め頂に到着するとき、フォークでマロングラッセを皿の上に落とした。転がったマロンを食べることなく、クリームをたっぷり乗せたスポンジを一口食べ、そのまま、フォークを持ったまま動きを止める。

「そっかー、やっぱり玉露さんは、偶然あのトラックを運転したわけじゃなくて、その前に偶然の出会いがあって、あのトラックを運転することになったのかもしれない」

 どこまで言っても変化のないチョコレートケーキを半分を食べ終えたとき、大きなスポンジの欠片がぽろりとチョコクリームと共に、皿の上に落ちた。それをフォークで掬い、口へ運ぶ。

「そういえば、中村、冷奴買ってたなあ、二人で食べるのかな、くっそお、ホームセンターの時なんか、接着剤でくっ付いているみたいに、熱々だったしさあ」

 ため息が漏れると突然動き出した優希の腕は、フォークが音をたて上品なモンブランに突き刺さり、スピードをあげ口の中へ吸い込まれていく。

「しまった、接着剤買うの忘れた。ああああ、豆腐も忘れた、くう~嫌なこと思い出してしまった」

 楽しむ事無くチョコレートケーキを食べ終えたとき、豆腐と接着剤を買い忘れた事を思い出し、今日の数ある偶然のひとつは、豆腐のおかげで起きたということをうっかり置き去りにしていた。

「豆腐。うわあ、思い出した、そうだ豆腐だよ」

 キックは、半分に切断さえたショートケーキを、片方ずつ二口で、口にいれ飲み込むと、稀にみる高い声を上げ、優希へ向かい興奮しながら豆腐と連呼した。おそらく、一〇二四に気づいたに違いない。優希は、はにかみながら、最後のマロンを口に入れた。

 生活に張り巡らされた線が重なりあい偶然というスイッチが点灯したとき、それは始まる。もしくは、見えないゴムのようなものが、重なる事無く知らぬうちに、伸び縮みを繰り返すものかも知れない。三人の引き合わせは、どちらかというと、後者に近い気もする。もしそうなら、それは、本当に偶然なのだろうか。偶然と必然の境界線が判らなくなっていた。

 放り出されている携帯が、光を放ちブルブルと触れている。ディスプレイには、自宅からだと知らせていた。


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終わり・・・

九月の出来事 2

2005年04月09日 | FILM 七八九月
玉露と豆腐【九の二】→→→ 安穏を取り戻した車内で、助手席に置かれた携帯電話が、ブルブルと妙な動きをしている。ちらりと着信を確認し、バックミラーへ視線を移しウィンカーを出し歩道に並べられている赤と青の自動販売機の前へ車を寄せ、ウィンカーからハザードへと変える。

 振るえる携帯の液晶には、自宅の表示が出ている。通話マークを押し耳へあてると、母が一方的に話し始める。まず、仕事が終わったどうかを聞き、それを確認すると用件を告げた。ホームセンター横の豆腐屋で豆腐を一丁買ってくるようにとだけ言うと、ツーツーと電話は切れた。私は、帰宅ルートからやや、南へ外れ行き付けのホームセンター駐車場へと向かう。いつも、そこへ停め豆腐屋へ行っていた。

 街で三番目に大きいホームセンターの駐車場は、三番手に相応しい駐車場面積であり、さほど広くもなく、多くのスペースが埋められている。白いバンと、赤いアルトの間が空いているのを見つけ滑り込ませエンジンを切る。陽が暮れ、肌寒く七分袖から腕を摩りながら外を歩く、ガラス越しの照明が、駐車場まで光を伸ばしていた。このまま、豆腐屋へ向かうのも気がひけたので、一週間前に招き猫の腕がぽきりと掛けてしまい、それをくっ付けるために接着剤を買ってこようと考えていたが、まだ実行に移していなかったので、ついでに購入しようと、入口へ向かった。

 安売りのティッシュペイパーを抱えた主婦や、作業服姿の男性など、様々な客層が、各々目的の場所で物色をしている。接着剤は文房具だろうかと考え、店内の天井から吊るされているブルーの看板を見上げる。大雑把な項目が書かれその場所を示す。

 文房具売り場へ行ってみたが、どこを見ても見当たらない。接着剤は、文房具ではない
らしい。仕方なく、工具などがあるフロアへ向かう。棚に並べられた品を見ながら優柔不断に歩く。中央通路を歩き隣の通路に移ろうとしたとき、目の前に材木板が縦通路から中央通路へはみ出している。棚になりそうな平らな木目がはっきりしたもの。横に避け自然と材木の持ち主に目を向ける。
 脇に背丈よりも長い材木を抱え、目の前に並ぶビスへ手を伸ばすキックがいた。気配で顔を横に向けたキックは、間抜け顔で目を丸くする。

「キック!!」

 数十分前の私の救世主であるキックが、邪魔な長い材木を抱え突っ立っている。私は、キックに歩み寄り感謝を素直に述べ、バシバシと肩を叩く。その度に、長く邪魔な材木が団扇のように振られ、その空気の流れが、棚に並ぶ小分けされたビス袋を揺らす。
 勢いは収まらず、なぜあんな事態に陥ったかを人目も憚らず語ろうとしたとき、迷惑気味な弱ったキックの視線が、私を通り越していき、あっと声を漏らした。
 あっけなく話の腰を折られ、嫌々後ろを振り向くと、広告に載っていた三段収納ケースを抱えた優希が、中央通路の先に立ち、斜めに抱えた収納ケースから、顔を覗かしている。
 自分の眉間に力強く跡が残る程、皺が寄っている事に気づく。現れた小悪魔に、沈静化されつつあった怒りが、再び燃え上がり始める。おそらく、私の体からは只ならぬ気配が、漂っていただろう。そんな事を悟ったのかは知らないが、優希は慎重に一歩一歩進み、中央通路を渡る直前に、足を止め抱えている収納ボックスを床に置いた。
 優希の表情は、いつもになく引き攣り、無理やり笑いを作り、ヘラヘラと消えそうな声を漏らし、睨む私の視線を俯き加減に見事に逸らした。

「誕生日なんだよね、あ・・・あたし、24日さ」

 完成前のパズルのような自己申告に、深い眉間の皺を戻すことすら忘れ、この言葉をどう返すべきか混乱する。表面は怒りを彷彿させているのだけれど、頭の隅では、そうか誕生日だったのか忘れていたなと、やや反省をしている自分もいて、情緒不安定な表情へ変わっていったに違いない。
 キックの顔を見ると、やや首を傾け考え事をしているようにみえ、ぼそっと豆腐と呟いた。小さすぎて、聞き取りづらく聞き返すと、本人もどうしてそんな言葉を呟いたのか困惑し、さらに首を傾けた。誕生日から真っ白な四角い豆腐が頭の中に浮かび、私まで、その豆腐が胸につかえた。置き去りにされていた優希へ振り向くと、じっと動きを見守っている。

「おめでとう」

 二人は豆腐を浮かべたまま、挨拶でもするように、そんな言葉が口から漏れていた。
 その後の優希は、こんな日に会うなんて、偶然だねえと陽気に話しながら、収納ケースを抱え中央通路から、私達が立つ通路へやってきた。色々なものが、喉に引っかかり何がなんだか判らなくなる頃には、それらがどうでもよくなり、腹立たしさも消えていた。

 一番大きなカートを、ガラガラと押しながら、二人が抱えたものを乗せ、優希の自転車の鍵を求め、通路を移動していく。
 優希は、並ぶ鍵をみながら、どれがいいかなと言い、私とキックが答えると、答えたものでないものを手に取り、カゴに入れる。始から、聞かなければよいのにと思いながら、レジへと私がカートを押す。先頭を歩く優希が、突然足を止め、カートが背中にぶつかるように止まる。体が、前のめりになり、肋骨に食い込み痛みで、声が漏れた。後ろから来たキックが、ビスをカートに入れ、立ち止まる優希の横を通り過ぎようとしたとき、優希の腕がキックの腕を掴み引き寄せた。丁度、棚に挟まれた通路から、レジのフロアへ出ようとしているときで、優希は、キックに判るようにどこかを指差し、棚に隠れるように一歩下がり、カートも押し戻される。私は、カートから離れ、肋の辺りを摩りながら、優希の横へ行き棚の先へと顔を出す。

「手前のレジに並んでいるの、中村だよ」

 フロアへ体が出ないように背中を押さえられながら、優希が耳元で囁く。タンクトップの上にシャツを羽織、ジーンズにサンダル姿の普段着中村が、緑のカゴを提げ、レジを待つ列に並んでいる。

「誰だ?あの横にくっ付いている人」

 中村のとなりに寄り添うように立つ男性がいた。私の問いに二人は答えず考えている。体格は、がっちりし、背は低くもなく高くもない、髪はやや乱雑で、中村同様普段着である。悲しいことに、上着はサイズ違いのチェックの同型に見える。そして、男性は、右手にトイレットペイパーを持っていた。生活臭が、二人の空気を作り上げている。

「どっかでみたことあるような・・・ないような・・・いや、あるような・・・」

 優希のもどかしい言葉の連続で、頭の中を覗いて探してあげたい衝動にかられる。唸りをあげると、優希に続きキックまで似たような事を言い出す始末。私には、まったく心辺りもなく、奥歯に物が挟まった状態が続く。

「二人とも、良く見なよ!!」

 煮え切らない二人に耐えかね、思わず声を張り上げる。三人は、棚から顔を出した状態で、振り向いた中村の視線と合わせるという事態へ陥った。中村の表情は、男性に向けた笑顔から、険しい顔へ変わり、首を棚方向右へ振った。会話が途切れことに不振に思ったのか、入口の方を見ながら話していた男性が、中村の顔へ視線を移動しようとしたとき、それを察した中村は、再び表情を緩め、私達三人へ目じりを下げた瞳の奥から、鋭い眼差しを送り、男性にレジが進んだ事を教えられると、カゴをレジへ置いた。

「これって、お前ら引っ込んでやがれ、ってことかな?」

 私の知らない中村の行動に、驚きながらも、偶然現れたこの光景を楽しみ、言葉は、弾んでいる。
 三人は、不自然な体勢で顔を交互に見合わせ、表情は緩み、呼吸と共に笑いがこぼれていく。中村が、なぜあんな行動を取ったのかは、定かではないが、見られてはいけない関係だったのか、それとも、時代遅れのペアルックを茶化されたくなかったのか、もしくは、一番確率が高いのは、この三人が側にくる事を嫌がったのかもしれない。
 中村が、出入口から出ていき、三人がレジを済ませても、優希とキックは、あの男性が誰だったのか思い出すことが出来なかった。二人が、知っていて、私が知らない人物。そんな駄菓子のくじのような確率に等しく、当たりを見つけることなど出来るはずもない。



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つづく・・・

九月の出来事 1

2005年04月06日 | FILM 七八九月
玉露と豆腐 【九の一】→→→  午前十時、課長に来客があり、ステンレスの棚に挟まれただけの応接ブースで世間話を続けている。二人にお茶を出し机に戻ると、窓の外へ視線を移した。トンボが、通り過ぎていく。空は、夏の空から、秋の空へと移り始めていた。入道雲は、どこにも見当たらず、気まぐれな千切れ雲が、思うまま風に流されていく。そんな事をぼんやり考え、ブースから漏れる声に耳を傾けながら数字が羅列するパソコン画面に視線を戻し、整理していく。冷めたコーヒーを、一口含み、提出用の資料へ手を伸ばし立ち上がる。眠たそうにしている立花の後ろを通り過ぎ、窓沿いのコピー機へと向かう。資料を、コピーに挟みスタートボタンを押す。機械音が鳴り、仕事を始めると、目の前を飛び交うトンボへ再び視線を移し、そのまま地上を見下ろした。ビルを挟み、県道が一本走っている。歩道を、パラパラと通り過ぎていく。

 一台の白い軽バンが、減速し歩道へ車をよせ、ハザードを点滅させ停車した。もちろん、駐車禁止だけれど、多くの人は、警察の目を気にしながら、一時の仕事のために、路駐していく。その軽バンも例外ではなく、車のドアには、紺色の字で、文房具店の名と、電話番号が入っている。見慣れた車だった。
 運転席のドアが開き、使い古され色あせた緑色のエプロンを掛けたキックが、伝票を持ち車から降りる。道路を通り過ぎる車の行き来を確認すると、車後方に回りこみ、後部ドアをあげ、ダンボールの上に伝票を挟み、両手で抱え、ガードレールを跨ぎ、目の前のビルに入っていった。視線をそのままにしておくと、階段を駆け下りてくるキックが、すぐに現れる。ガードレールを勢いよく跳び越え、跳ね上がったドアを閉め、走り抜ける車を見過ごして、小走りで運転席に乗り込んだ。席で何か作業をし、体が前屈みになり、手動の窓が下ろされていく。ウィンカーが、チカチカと点滅し、サイドミラーを覗かずに、自ら後ろを振り向いたとき、キックの視線が、向かいビルを見上げた。
 私は、咄嗟に、右手を上げると、キックは、狂いなく口角を釣り上げ、絵に描いたような微笑みを、私の脳裏に残し、県道の彼方へ消えていった。あの不吉な普段見せない笑顔は、もしかすると営業用スマイルかもしれない。とっくに吐き出され冷え切った用紙を取り、机へ戻り作業を続ける。


 昼休み、弁当を買いに外へ出る。行き付けの弁当屋ランランチで、ランランチ特製日替わりランチ弁当を買い右手にビニール袋をぶる提げ、電信柱の横にある自動販売機の前で止まり、小銭をいれクールマークのお茶を押した。がしゃりと音をたてて缶が落ち、手を伸ばす。冷えた缶に指先が触れたとき、感触に物足りなさを感じた。予感は的中し、しかめっ面のまま、冷えきっていない缶を握り歩き始める。数メートル先、歩道沿いにお茶マークが描かれたトラックが停められている。運転手は、いくつかのダンボールを歩道の上で広げ、クリーニング店の横に並ぶ自動販売機に缶を補充している。私は、自らがかった自販機のメーカーを確認すると、その運転手が補充している自販機と同種のものだった。どうりで、冷えていないはずだ。八つ当たりもいいところだが、やや運転手へ言い掛かり的な視線を送り続けた。手にした缶を、片手お手玉のように、ぽんぽんと宙へ浮かす。運転手は、明らかに目を逸らし作業に没頭している。後ろを通りすぎたとき、一台の青いボックスカーにクラクションを鳴らしていった。周りを歩く人々が、一斉に音の出元を探す。私は、ふいに出されたクラクションに肩を竦め、立ち止まり通り過ぎていく青い車の後ろ姿を目で追う。この車にも見覚えがあり、優希が勤める移動図書館の車だ。それに、優希が乗っていたのだろう。
 右手は缶があったという感触だけ残し、缶は手元から地面に落下し、二、三回跳ね、お茶のマークが歪んだ。ため息を吐き屈み缶へ手を伸ばす。
 温く、へこんだお茶缶を、拾うと突然、後ろめたくなり振り向くこともせずに、そのまま足早に歩き出した。
 それにしても、今日は偶然が重なる日だ。


 定時どおりに会社を出て、ひとつ取引先に資料を届けそのまま直帰することになった。普段通ることのない道を、混雑時に通るのは、予想以上にストレスが溜まる。
 近道を知らずに、ひたすら国道に連なる車の一つになっている。街の主要道路であるせいか上下線共に混雑が止まない。歩道も、駅とオフィス街を行き交う人々で途切れる事無く歩き、信号が変われば横断歩道は、瞬く間に埋め尽くされ、点滅しても迷惑を省みず走りぬける人がいる。

 先頭で信号待ちをし、青へと変わると左折してきた大型トラックが、前を走ることになった。箱の後ろには、デカデカと最近CMでも見かけるお茶のマークがプリントされたものが張られ一際目立っていた。そういえば、今日の昼にみたトラックと同じメーカーだと気づく。あれが、小なら、前を走るのは特大だ。後方扉の下のほうに、運転手のネームプレートが付けられている。名前は、露玉良と書かれている。珍しい名前だと読み方を考える。ツユタマリョウだろうか。それ以外に読み方が思いつかない。
 瑞々しい広告を見の前にし、思わずカップホルダーに置かれたお茶缶へと手を伸ばす。同じメーカーの、その缶のレイアウトに目が釘付けになった。

「はっ!!よいぎょくろ・・・」

 これは、気の利いたギャグだろうか。まさか、偽名なんてことはないだろう。偶然か必然か、このお茶を運ぶのに、もっとも適任な名前の持ち主ではないか。取引先も、一度聞いたら忘れないだろう。どんな人物があのトラックのハンドルを握っているのだろうかと、好奇心が湧き上がる。

 十字交差点。四方に信号待ちをする人だかり。露玉良さんが運転するトラックとはここで別れなければならない、右折するためウインカーを出す。信号が赤へ変わっていたことに気づいたのは、突然加速したトラックが隠していた信号が視野に飛び込んだ時だった。反射的にブレーキを踏んだけれど、車の先は、交差点にほんの少し進入し、車体は、横断歩道の白線の上に止まり左折を知らせるウィンカーがチカチカと点滅を繰り返す。
 バックしようと、ギアを入れるが虚しく響いたのは、歩道の横断を知らせる故郷の空だった。
 流れるに逆らう石のように、車の前後をあからさまに不満を貼り付けた人々が通りぬけ、前を通るサラリーマンが運転席を睨みつけ、口元を動かしながらフロント部分を叩きつけ渡っていく。よいぎょくろムードは一変し、嫌な喉の渇きがお茶を欲しがったが、顔を上げることは出来ず、ハンドルを強く握り俯き続けるほかなかった。ちらりと顔を上げると、横断歩道を渡る人々の流れは、パラパラとなり、左右へ横切る車線を流れる車が通り過ぎていく。その中に、向かって左側から私がいる反対車線に侵入しようとする右折の車が、交差点真ん中までやってきて、横断歩道が空くのを待っている。その車の運転手を頭の中で認識したとき、噴出す汗が、体を凍らせる。

 運転手は、横断歩道から出る車を指差し、口元で三文字を何度も口ずさむ。それは、すぐにどんな言葉を表しているのかわかった。

「で・て・る」

 これを繰り返しクツクツと笑っている。怒りなんてものは、込上げてこない。湧き出るのは、冷たい汗と悲しく恥ずかしく切ない気持ちだ。

「仕方ないじゃん、仕方ないじゃん、玉露が、玉露が・・・」

 手から噴出す汗を握り締め、右折待ちの優希に志離滅裂な言い訳を伝える。窓越しの訴えは、笑い続ける優希に伝わっている様子はなく、横断を知らせていた故郷の空から終了を知らせる二音の繰り返しになり、優希の車は、右折し、反対車線に侵入し私の横を通り過ぎていった。遠ざかっていく優希の車をサイドミラーで追っていた。
 クラクションが、鳴り響く。信号は、青に変わっている。アクセルを踏むが、数メートル先でブレーキランプが付く、この車は、相変わらず、右折ウインカーが出されている。後続車の落胆が聞こえてきそうだ。追い抜くほどの、車線の広さはなく私が右折しない限り、後続車は、進む事ができない。
 潤み始めた眼差しで、対向車線の通り過ぎる車へ救いのたけを送り続け、止まらない車の間に無理やり先端を捻じ込もうとしたが、けたたましくクラクションを鳴らされてしまった。

「バカバカ、優希のバカ」

 今頃になり、優希を罵る。後続車が、待ちきれずクラクションを鳴らす。なんだろう。この理不尽さは、ここは、右折が禁止されているわけでもなく、しかも、迷惑をかけたのは、横断歩道の人々であって、後続車はなんら関係がないはずなのに、なぜにこんな事が、絶対絶命そんな言葉が、汗と共に、額にぺたりと張り付いた。

「ぽわ~ん」

 気の抜けた、天使のおならのような救いの音が響き渡る。ワイパーが新品のゴルフが止まり、ライトをチカチカと明滅する。

「キックウ~」

 涙を堪え弱弱しい声を絞り出す。正面反対車線にいるキックのハンドルから離れた指先が、右折方向へワイパーのように動く。私は、ぐしゃりと乱れたた顔に満面の笑みを浮かばせキックへ送りアクセルを踏んだ。キックの表情は、なぜか固まった。私は、バックミラーにいつまでも、走り去ったゴルフを愛しく描き続ける。

 高鳴る心臓が、平常心を取り戻したとき、ホルダーに置かれたままのお茶をとり、喉の渇きを潤すために、ぐいとすべて飲み干し、ぐにゃりと缶を握り潰した。


thank you
つづく・・・

八月の出来事 4

2005年04月02日 | FILM 七八九月
折れたワイパー【八の四】→→→ 「はあ、はあ、はあ・・・」

 三人の息が、弾み続ける。ぎらつく太陽の下、車一台分の道路は、眩しく輝く緑に挟まれ、所々罅割れたアスファルトからは、草がスクスクと成長を続けている。数メートル先のアスファルトは、上昇する熱の中で歪んでいる。その匂いを吸い込みながら三人は、ガソリンメーターの針が振り切れたゴルフを、押し続けていた。手は痺れ、足の膝は笑い、滴る大粒の汗。真夏の太陽は、予想を超えて体力を奪い続けていく。
 ゴルフの尻を、押し続けていると、突然、重くなる。顔を上げると、助手席側を押す優希が肩で息をし立ち尽くし、手を目の上に翳し太陽を見上げている。
 重さに耐えかね、私とキックは、同時に手を離すと、ゴルフはピタリと止まった。

「まったく、あの太陽、ねに持っているんじゃないの。ジリジリと嫌がらせしているのかも、のりがあんな事言うから。太陽は、月と違って、手厳しいんだよ」

 相変わらず、呼吸は乱れ、真っ赤な顔をした優希が、八つ当たりに近い言葉を、私へ投げる。そんな言葉を言われたままにしておくのも悔しかったが、からからの口内は、開かれ、出来るだけ生暖かい空気を肺へ送る事が先決だった。キックは、シートへ手を伸ばしサイドブレーキを引く。
 熱を帯びるボディから、手を離し車道の木陰を指差す。

「ちょっと、休もう」

 水分不足の擦れた声を絞り出す。昨日買ったペットボトルを持ち、影を落とす場所へと向かう。エネルギー不足な上、照りつける太陽のおかげで、目眩が襲う。木々の間を見つけては、草の上へ座り込んだ。アスファルトの温度に比べれば、土の上は、オアシスと言っても過言ではない。地面は、ひんやりと冷たく、日差しを遮り葉の筋が浮かび上がる緑の天井の効果で、気温も幾分下がっているように感じる。三人は、その中で、半分も余っていないそれぞれのペットボトルを一気に流し込んだ。
 立ちはだかるこの現実に、うんともすんとも言えぬ三人は、ひたすら呼吸を整えることに専念する。風が吹き抜ける度に、背の高い木々の葉や生茂る草が、かさかさと音をあげ揺れる。鳥のさえずりが、どこからともなく森の中から聞こえてくる。顎から滴り落ちた汗の粒が、緑の細長い草の上に、ぽつりと落ちた。
 時間がどれだけ進んだのか見当もつかず、閉じた瞼の先に光を感じていると、となりに座っているはずの優希の辺りから、草を踏みしめる音がする、カサカサと必然的に木の葉が擦れ合い、バキッと枝がへし折られた。そして、パサッバサッと数回それは風を切り、緩やかな風が目の前を通り過ぎていく。優希は、何をやっているのだろうと考えながらも、目をあけ確認するまでもいかず、遠ざかる足音を聞き流していた。ゴルフに何かを取りにいったのだろう。しばらくすると、足音が近づき、また、草の上に座る気配を感じた。止まない苦しさに、後悔が浮かび上がっては消えていく。

 なんでこんな事になったんだ、他に方法があるんじゃないか?


 一日の中で、見渡すものが、もっとも白に近づく頃、私は、冷たい石の上で身震いしながら目を覚ました。夜が、消える瞬間だったのかもしれない。音が、聞こえない世界に、足を踏み入れたようだった。体を摩りながら起き上がり膝を抱え、首を振り見える限り視界を確認する。どこを見渡しても近くにあるのは、森で遠くには山が連なっている。闇を照らし続けた月は、見当たらず、白々と森は、東の空が赤く色を変え始めると共に、ゆっくりと緑へと戻されていく。
 東の空が、光を放ち始める。山肌は、目を細めなければ、見ることが出来ない。強さを増し続ける光の中に、目眩がするほどの強烈な太陽が頭を出す。すべての世界が、一瞬で色を変え、長い影を伸ばす。その光の中に、入ったとき、冷えた腕が、陽の温かさを感じた。頭を出した太陽は、止まる事無く力強く昇り続ける。直視出来ない光が、突き刺すように放たれ、無理やり見ようとすると、こめかみがズキズキと痛んだ。視線を移せば、残像は消える事無く焼きつき、視界を多い尽くす。立ち上がり、太陽を正面に、思いっきり息を吸い込んだ。

「こらあ!!太陽!!眩しいだよ!!適度ってもんをしれ!!目が、ちかちかするだろ!!聞いてるのかあああああ!!」

 体をくの字曲げ、絞りだした全身全霊の叫びに、キックは、声をあげ体は跳ね上がり危うく石から落ちかけた。そして、強烈な太陽の光に、目を細めながら、私の顔を不思議そうに見上げている。
 一つ残らず吐き出した息。もう一度、大きく吸い込む。

「太陽!!ここは、いったい、どこなんだああああああ!!」

 全貌を現した太陽は、真っ赤な空をバックに昇り続ける。返答のない太陽を前に、力んだ体を緩め、浅い呼吸を繰り返した。

「帰ろうか?ここがどこか判らないけど、とりあえず、バックで進んでみますか」

 石にいる二人は、同時に声の出された方へ体を向ける。ゴルフの助手席のシートの上にのり、ヘッドレスに凭れ眩しさに目を細めている、いつもと変わらない優希の声。


 草を押し潰している二本のタイヤ痕。それを頼りに、ゴルフはルーフが開かれたままゆっくりと下っていく。
 窮地に陥った猪突猛進型の人間の力は凄まじいもので、その後処理をするということは、非常に困難な作業だった。太陽は、ぐんぐんと昇り続け、共に気温も上昇していく。四時間かけ、ゴルフのタイヤが、アスファルトを踏みつける事に成功した。行き止まりのアスファルトの道路の端に、錆びた看板が刺さっていて、そこには、行き止まりの文字と、山へと向かう林道を指す矢印の下に、Uターンと大きく書かれ、その上に赤く太いバツ印が、べったりと描かれていた。この行き止まった、石が無数に転がるアスファルトから、見過ごしてしまいそうなほどの林道へわざわざ侵入したことが不思議で仕方なかった。
 ゴルフが、進行方向へ頭を向けたとき、エンジン音が、急速に静かになっていき、細かな振動へと変わり、ぷすりと、頼りない音が上がる。ゴルフは、ぱたりと動きを止めた。

「ガス欠かな?」

 ハンドルを握る頼りないキックの声、前屈みにメーターを覗き込む。その姿を見ていたら、冷たい汗が、首筋から背中を滑り落ちた。
 何度エンジンを掛けても、息を吹き返さないゴルフ。こんなところに、他車が来るとは思えず、すぐ近くに街があるとも思えない。再び苦境に立たされたようだ。
 森を横切るように、まっすぐと伸びる古びた道路。この状況から、一歩抜け出すために取らなければならに行動は、おそらく一つだろう。あれこれ悩んでいるのは、迷っているわけでもなく、その行動を取ったとき、間違いなく苦しいはずで、それを考えると踏み切れずにいるだけなのだ。
 三人は、偶然顔を見合わせる。ため息が漏れた。
 言葉にすることは出来ず、立ち上がりドアを開けずに、跨ぎ外へ足をつける。後ろに回りこみ、二人も降り押す体勢に入る。力を入れるが、ゴルフは前へ進まない。前の二人は、澄ました顔で、力を込める、それにつられ両腕に力を注いでみるが、動かず、息を吐き出した。

「あたしはさあ、こうやってゴルフを押している瞬間でも、他の方法があるんじゃないかって後悔しているんだけど、二人は、そんな事とか考えたりしない?」

 二人は、顔を見合わせ表情が緩み、含み笑いをしながら、私の顔を見遣る。場違いな言葉でも言っただろうか。

「さあね、そこはノーコメントで」

 キックが、首を捻りながらさっぱり答え、優希が続く。

「いやあ、考えもしなかったなあ、私は、どちらかというと、超越な類だからなあ」

 今にも、笑いを噴出しそうな表情をしているにも関わらず、バレバレの優等生顔を装い言い放つ優希に、私は、馬鹿にしたように、ハイハイと挑発交じりに返す。クツクツと笑い始めたキックを睨み、車のボディを、コツコツと叩く。二人は、体勢を整え力を入れる。同時にボディへ力を突き出す。タイヤが、アスファルトと擦れる音がし、ゆっくりと前へ進み始める。この焼きつくアスファルトの上を、二コブラクダが、通り過ぎても不自然ではないほど、灼熱の世界が真直ぐと伸びていた。


「はあ、はあ、はあ・・・」

 休憩を終え、呼吸が整っていたのは、つかの間で、事態は休憩前よりも悪化していた。考える余力など失せ、一心不乱で押し続ける。
 一歩進めば進む程、徐々に重くなっていく。俯きながら押し続け頭を上げると、いつのまにか緩やかな坂に入っていた。どうりで、足元を歩いていたカナブンが、ゴルフを追い越していくはずだ。

「さかあ?もう嫌だあ」

 声が裏返り、泣きを入れるが、手を離すわけにもいかず、力を入れ続ける。大きく息を吸い込むことすら出来ず、荒く息切れを繰り返す。熱を上げるアスファルトの上に、ボタボタと落ちる汗の痕が、滲んではすぐに消えていく。ひたすら押すのみ。いつしか、視線を落としていたアスファルトが時々白く霞むようになる。限界が近い。意識も、途切れ気味になる。

「ちょっとお!!どうやったらそんな格好ができるわけえ!!」

 消えそうな意識が、キックの擦れた怒鳴り声に引き戻される。私は、どんな格好をしているのだろうか。これといって、特別な事はしていないように思えるが。うな垂れている頭を上げると、優希が、ドアで鉄棒でもするように、腕を張り掴まっていた。私が怒られたのではないようだ。それにしても、優希は、なぜ、こんな事をしているのだろうか。もしかすると、休憩をしているのだろうか。汗玉を撒き散らすキックは、この休憩を怒っているわけでもないようだ。なぜだ?と、蜃気楼のようにぼやけた頭の中で、巡らせる。疲れた二本の腕で、体重を支え休むなんて業がよく成し遂げられるなと不自然さを感じ、そうでない事にふと気づいた。きっと、優希の体重を支えているのは、以前、私が蹴り上げた窪みに違いない。それを、見抜いたキックは、声を上げたのだ。

 手の感覚がなくなったのかと錯覚してしまうほどすうっと重力がすり抜けた。ゴルフは坂を上りつめ下りにさしかかろうとしている。
 ゴルフは頭を下へ向けると徐々に加速し始めた。優希は姿勢を変えず行く先を眺めている。キックは持ち前の運動神経のよさで、アスファルトを蹴り、横っ飛びでドアを飛び越え運転席に納まった。

 ゴルフ後部は、すでに私の手元から三十五センチ離れている。腕を伸ばしても、空を切るだけ、諦め、ボルトが緩んだ鉄骨のように、関節はがくがくと揺れ力があちこちに飛び散り、体はふにゃふにゃと軟体動物のようになり、それでも必死で地面を蹴り上げる。後ろから、飛び乗ることは、不可能、ならば、サイドドア後部座席から、飛び乗ろうとゴルフの横へ飛び出る。そのまま、全身の力を振り絞り、ゴルフの横を並走することを試みる。さほど、スピードに乗れていないゴルフのドアが、手を伸ばせば届く位置にある。手を伸ばす、爪の先がボディに掠れる。息が漏れ、力が抜けまた差が開く。
 穴に体重をかけていた優希は、ドアを跨ぎすんなりと助手席に座る。キックが、ハンドルを握りながら、振り返る。
 足が、絡まりそうで限界に達していた。息の根が止まりそうなほど、心臓は激しく動き、目からは、汗交じりの涙も飛び散っていたかもしれない。

「跳べ!!」

 キックの視線が、私の藁をも掴みたい揺れる視線を捕らえたとき、叫んだ。アスファルトを、蹴り放し、体から伸ばした腕がドアを捉え、手のひらが窓枠を握り、体を引き寄せる。勢いが、後押しし上半身が、ゴルフの中へ入り込んだとき、体はまだ浮いていた。一秒後には、後部座席に体がバウンドし、前の座席に弾かれ、後部座席の足元へ打ちつけられた。足元のゴムくさい匂いを認識するまでは、いったい何があったのか理解不能に陥り、体があちこち痛みを感じ始め、五感というものが、本来の活動を始めた頃、今の私の居場所を理解する。
 狭いスペースから、体を起こしベタリと張り付いた前髪を払い、立ち上がる。酷く息が乱れている。

「こ・・・こ・・・ころ・・・殺す気かあああああああ!!」

 恐怖と怒りでわなわなと震えた唇。車を停めてさえくれれば、こんな危険を冒すこともなかった。二人は、気を使う素振りも、一ミリもみせずに、大口をあけて、ガハガハと涙を溜めながら笑い続けている。

 ゴルフは、カナブンを追い越しスピードをあげ、蜃気楼で歪む道路を突き抜け、走り続ける。もし、老人が乗った軽トラが横を走っていたら、間違いなくあっというまに追い抜かれていくだろう。

「簡単に死んでたまるか」

 笑いと怒りの中に、優希の言葉が混じる。照りつける太陽は、ジリジリと焼き尽くす。熱風が、通り抜ける。こんなときでも、空腹知らすアラームが、情けない音を上げる。浴びるほど、冷たいビールを飲みたいし、骨付きカルビを、炭焼きで腹が膨れるほど食べたい。プールの中で、のんびりと浮いていたいし、強いシャワーを頭から浴びて泡まみれになりたい、クーラーの効いた部屋で布団の上でぐっすりと眠りたい。巡り続ける想像の中に、優希の言葉が入り込む、私は、深く頷いた。

 坂を下り続け、勢いが途切れたとき、気まぐれなガソリンメーターは、いつの間にか中央を示し、試しにエンジンをかけてみると威勢のよい、やる気満々な音が振い、何事もなく動きだした。こんなことは、よくある事であるのだけれど、さすがに今日は、肩が地面に付くほど落胆し、駄々をこねたい気分だった。
そんなとき、フロントガラスのボディとの境に木の枝が張り付いていることに気づく。

「あれ、山から下りてきたとき、入り込んじゃったのかな?」

 キックに、フロント部分を指差しながら、知らせると、今初めて気づいたらしく見続けている。車を停めることを躊躇い、このまま進もうと決めたとき、優希が、ハンドル横へ手を伸ばす。カチっと音がした。

「バサア~、バサア~、バサア~・・・」

 フロントガラスを、定期的に擦る二本の青葉がついた枝。よく見ると、折れたワイパーのプラスチック部分に、どこから持ってきたのか針金で、ワイパーぐらいの背丈の枝を括り付けてある。随分と、視界を妨げるワイパーだ。
 あまりの、可笑しさに絶句する。いつの間にこんな事をやったのだろう。しだいに涙が出るほど、力なく笑い続ける。
 ギラギラと、光を降り注ぐ太陽が、今日の主役であり続けることに、初めて感謝した。



thank you
終わり・・・