小説 ONE-COIN

たった一度、過去へ電話をかけることが出来たなら、あなたは、誰にかけますか?

雪が解けるまで 7

2006年01月30日 | 雪が解けるまで
 路地を歩き雑踏の中へ飛び出した。町一番の大通りだろう。ここは七年前とは大きく変わっていた。見慣れない街灯に街路樹に整備された歩道に信号、それに続く先には街一番の近代的な駅が建っている。その脇を固める低層のビル群。駅へと向かう横断歩道はなく歩道肩に小さな建物入り口に人の出入りがある。入り口上柱に矢印が書かれている。地下道があるのだろう。七年前の古びた駅の面影はどこにも見当たらなかった。

 きょろきょろと見渡しながら進み、地下へと降りる階段に近づくにつれ自然と足早になっていた。飛び込むように階段を降り道路下を横断し階段を上ると駅の中なのかと勘違いしてしまうほど大きな屋根がバス停まで覆い、ここなら雨でも雪でも気にせずバスを待てるだろう。駅ホールから出てきた観光客数人がメインの地図看板を見つけ足を止める。その向かい側に、バスを待つ人が思い思いに並んでいた。二色のレンガで突き詰められた歩道、その先ごみ箱からさらに横にある掲示板、その前に水色のダウンジャンパーを着た女性がガラス戸を開けポスターを張り替えている。足元に置いておいたポスターが駅外から吹き込む風にパサパサと煽られた途端丸められたポスターが開きひらりと風に飛ばされた。
 みるみるうちに近づくポスター。私の横を飛んでいこうとするポスターに駆け寄り飛びついた。リュックの重みが反動で左肩にのしかかる。張り替えていた女性が風の音に気づき、今貼っているポスターを抑えたまま振り向く。私は手に掴んだポスターを見せながら傍へ向かう。
「すいません、有難う御座います」
 ポスターの角四箇所に画鋲を刺してから、手が冷えてしまったのか寒そうにぎゅっと握り私の持つポスターへ手を伸ばした。
「もう、お祭りの宣伝ですか」
 雪が降りしきる冬に金色の画鋲が角で輝く春祭りのポスターに目をやる。女性は私が拾ったポスターをくるくると丸めながら春と秋の祭りは町の大きな財政元ですからと話し、私に旅行かと聞き、私は、はいと答える。まさか、朝方友人に放り出されてしまってとは言えない。若い女の子集団が大きな声を上げながら駅から出てきて視線がそちらへそれた。
「駅、随分と変わりましたね、地下道とかも出来ているし」
 騒がしい女の子達は地下道へと降りていき声が響いたかと思うと吸い込まれたかのように消えた。注意が女性に戻ると、女性がほんの一瞬だけ曇ったように思えた。私の言葉を考えるというよりも、それをキーワードに何かを思い起こすような表情。何か悪いことでも言ってしまったのだろうか。それとも、昔の駅の方が好きだったのだろうか。
「本当は、この駅開発はもう少し先になる予定でした、でも、早まったんです、以前はバス停が道路を挟んでこの先でしたが、今はこの通り誰もが安心して乗れるようになりました」
 安心して、その言葉が気になり胸に引っ掛かる。いらぬ想像が勝手に頭で繰り広げられる。便利ではなく、安心。この女性は私と同じくらいの歳だろうか、背格好も似ている。けれど、ダウンジャンパーの袖口は色が落ち、所々解れ縫い直している。このジャンパーにどれほどの愛着があるのだろうか。確かにこのジャンパーは世間で売られているものではなく、缶コーヒーについているポイントを集め当選しないと着れないものである。もちろん、当時は人気がありプレミアまでついたものだ。だから今も大切に着ているのか。もしくは、洋服は、あまり気にしない性格なのか。
「便利になりましたね、でもどうして早まったんですか」
 ジャンパーの事を聞きたかったが初対面でそんな質問するのは気が引ける。ありきたりの質問を投げかける。女性は、指先を口元に当て一度温めてから掲示板のガラスを締めた。きっと、氷のように冷たいに違いない。小さな鍵穴に鍵を入れ締めた。紙袋に入ったポスターの本数を確かめそれを抱え、ある方向へ体を向け、ひとつ息を吸い込み吐き出した。
「七年前、バスに乗ろうとした人が道路へ駆け出して事故に、以前から小さな事故はありましたが、その事故は大事故になってしまって、それで」
 どくんと打った心臓が指先まで鼓動を伝えた。この小さな町で、同じ年、同じ場所で同じような事故はそうそう起きないだろう。
「そうですか、事故ですか」
 他に言葉は出てこなかった。女性が抱えていた紙袋に力が入りガサッと音がした。
「そのバスの乗客も運転手も、誰も気づかないまま事故に合われて、私たちは知らずに」
口は一文字にし紙袋は今もぎゅっと抱えられている。なぜ、そんな目をするのだろうか。私はなぜ、この女性に目を留めたのか。今更問いかえる必要なんてないことは分かっていた。けれど、推測を認める事は簡単ではない。見覚えのあるダウンジャンパー、世の中に同じジャンパーを着ている人はどれだけいるだろうか、この町にどれくらいいただろうか、七年前に来ていた人はどれだけいただろうか。女性は、最後に私たちは知らずにと言った。私たちとは、乗客と運転手だろうか。
「あの・・・」
彼女のポケットが震え携帯の電子音が鳴り響く。電子音に二人はほっと肩の力を抜いた。女性は私に会釈し歩道沿いに歩いていく。七年前の事故は、彼の事故をいっているのだろうか。おそらくそうだろう。でも、彼女はバスに乗り急ぐために事故に合ったと言っていたが、もし彼ならそれは違う。
 辺りを見渡す。女性は今ある道路の向こう側を見たけれど、当時あの場所に道路はなく長屋のお土産屋が連ねていた。駅も大きくなり、道路も位置をずらした。本当に彼が七年前に事故を起こした場所はもう分からない。目印に出来るものは、何ひとつなかった。

「はい、すぐに戻ります」
  事務所からの電話は、変更された打ち合わせ時間を告げるものだった。まだポスターは余っているがとりあえず、事務所へ帰ることにする。電話を切りポケットに仕舞う。先ほどの話していた女性を思い出す。観光客の女性は、何かを言いかけた。私自身それから逃げるように電話の着信音に胸を撫で下ろすようにその場を後にしていた。いったい、何を聞こうとしたのだろうか。着信音が鳴らなかったらどうなっていただろう。
 立ち止まり植樹されたイチョウの木を振り返った。空耳のような声はもう聞こえない。開発整備されたいま、正確な場所はもう思い出せない。どんな人だったのかどんな声で叫んでいたのかも、思い出せない。あの日バスに乗り込む時、男性の声が聞こえたように思えた。無意識に声の方へ目をやりすぐにバスのステップに上がった。視界が道路から車内に比重を多く変えたとき、男性がちらりと写ったように思えた。けれど、その意識は、事故を知った後に思い返して気づいたものだ。バスは男性を乗せずに走り去り、実際あの時の男性が事故に合ってしまったのかは分からない。もしかすると、別の人かもしれないし、そんな人は存在しなかったのかもしれない。けれど、どんな思い込みをしようとも気持ちは晴れず、当時は何度も夢にあの光景が現れ苦しんだ。もし、私がバスに一瞬でも遅く乗り込み、叫んだ彼の声に耳を傾けバスの運転手に声をかけたらこんな事故にはならなかったのでないか。声も顔も思い出せない今思うのは、やはり私が見た男性が事故にあったのだろう。疑うのを止め自分に出来ることをすることにした。これは、彼のためではなく、きっと自分のため。あの日、前日届いたジャンパーを浮かれた気分で着込み出かけた。誰もが自分のジャンパーを見ている気さえなっていた。けれど、今も着ているのはうれしいからではない、自分への見せしめだ。
「すみません」
 年配の夫婦が、私の腕についた観光協会の腕章を見てから、手に持っている地図をみせる、二人に笑いかけた。


花粉が目に染みる季節・・・まだ、つづく・・・。

雪が解けるまで 6

2006年01月23日 | 雪が解けるまで
 奥の部屋から出てきた館長は、ドアを締めたが数センチの隙間を残し気づく事無く私を呼んだ。
 左手のひらにのせた懐中時計。右手のひらでそっと包み込む。カチカチと時を刻みくすぐったい振動が伝わってくる。動き始めた懐中時計はシルバーに刻まれた二センチ程の傷を残しガラスの傷はなかった。私の姿を見守っている館長に気づき慌ててお礼をいい鞄から財布を取り出そうとすると館長が私の行動を遮るように右手を振った。
「代金はいりません。バイト代と引き換えです」
 老夫婦が訪れてから、たった一人も観覧客はやってこなかった、来客は組合か何かの会報を届けに来た近くの酒造の店主のみで、館長を呼びに行こうかと思ったがその店主は不自然なほど陽気に渡しておいてくれればよいと頑なに拒み慌しく出て行った。私は、楽しかったのかそうでなかったかも分からない表情をしていた老夫婦を見送りながら、おいしい豆腐料理が食べれるところがあるかと聞かれ、おそらく七年前と変わらずに存在しているだろう店を紹介した。おいしい豆腐料理店を知った老夫婦は初めてうれしいそうに笑った。目的はこれだったのだろうか。その後差し込む日差しの下、受付カウンターの中でぼんやりとしていた。バイトというほどのものではなく、ただ待つ場所が違っていただけということで、この言葉は館長の気持ちなのだろう。快く受けさせていただくことにした。

「この時計は、七年間止まっていたんです。今動き始めたということは、あれなんでしょうか、止まった次の瞬間から動き始めたのでしょうか」
 自分で口にしておきながら、慌てて変な事を言ってしまったことに気づき咄嗟に謝った。けれど、館長は呆れる事無く、私が持つ懐中時計に手を伸ばし再び取った。
「ならば、私は時計職人なのでお手伝いいたしましょう」
 少し自慢げに胸を張って皺の多い大きな手、指先が器用にねじをクルクルと回していく。針がクルクルと回る。時間がどんどん進む。その時間は何もない空虚なものでしかない。悲しい事も楽しい事もなにもない、足早に進み続ける時間。これは誰の時間なのだろうか。彼の時間、置き去りになっていた私の時間。どちらにしても、針が回り続けるほど、彼と私が混じ合う事はもうないのだと唱え続けられているように思えた。
「もう、いいです、やめてください」
 ごつごつした、けれど温かい手に触れていた。針がゆっくりとスピードを緩めると、館内に掛けられた大きな時計がゴーンゴーンと鳴り響き、長い針が十二で止まりネジが懐中時計にカチリと戻り秒針が動き出した。
「さあ、あなたの時間に追いつきましたよ」
館長は、私の添えた手に懐中時計を入れた。彼の時間はもうとっくに失っている。私の時間はどうだろう。動いていたはずの時間、それは本物でなかったのだろうか。

 橋の真ん中から雪が積もる手摺前で立ち止まり、ポケットに入れた時計を取り出す。そのまま耳へ当てる。同じ時を刻んでいた。シルバーに刻まれていた傷を残したまま再び止まっていた針が動き始め心にシンクロしていく。そしてまた歩き出す。

 歩道を歩いてると、目の前の路地から誰かが飛び出した。歩いているのに呼吸が乱れてそれをなぜか飲み込むように歩く男の子。見覚えがあった。図書館休憩室で出会った男の子だ。わき道から出てきたと思ったら左右を見渡しこちら側へ歩きてきた。見るところ地元の人のようだし道に迷ったわけではないだろう。男の子はちらりと私を見て目が合うとすぐにそらし、歩道に引き詰めてあるブロックに躓きジャンプするように跳ねた。着地すると同時に顔が赤くなりすぐに俯く。
 くすりと笑うと男の子は唇をきゅっと結ぶ。おそらく私の事を思い出したのだろう。話かけようかと迷ったがその間にかつかつと横を通り過ぎてしまった。時計を持ったまま数歩進んだが後ろを振り向く。男の子が、足を止めさらに体を向け驚きの表情を見せた。突然振り向いた私を見たまま動かずにいる。
 手にしていた懐中時計を男の子に見えるように前に出し、時計を指す。時計直ったよと伝えたかった。それが伝わったかは分からないが、男の子は窄めていた口を緩め白い歯を見せ突然背を見せ走っていってしまった。私は、不思議な男の子だと思いながら再び歩き出していた。



雪が溶ける音って、そこらじゅうで大合奏ですね。つづく・・・。

雪が解けるまで 5

2006年01月16日 | 雪が解けるまで
 ガラスの向こうに並ぶ時計は、今も止まらずに針を進めている。半券を持ちながらゆっくりと博物館の中を周っていく。博物館といっても館というほどの広さはない。古い町並みの長屋の中の一角にひっそりと佇み入り口に付けられた木製の長細い看板に時計博物館と楷書で彫られ文字の部分だけ黒く塗られその上にニスが塗られ所々剥がれ落ちている。目を留めるものはそれぐらいで多くの観光客は気づかずに通り過ぎてしまうだろう。外見と同じく中も広くなく二つのフロアを細長い廊下で繋ぎ往復同じ通路を通る。けれど、所狭しと多くの時計が並べられそれはすべて針を動かしている。ここにある時計はすべて同じ速さで時を刻んでいるのだろうか。きっと、少しだけ早く進んだり遅く進んだりするものももちろんあるだろう。彼は、そんな少し早く進む針の音を聞き、私はそうでない音を聞いていたのだろうか。
 二つのフロアを往復しフロントへ戻りまだ健在な館長のいるグッズ売り場へ向かう。七年前にみた館長とあまり変わっていないように思える、皺の数や深さ、髪の薄さ背格好。年をとると七年という歳月はそれほど変化をもたらさないのだろうか。けれど、その現実が私を動揺させた。ガラスケースの中にオリジナルの懐中時計が相変わらず置かれレジの前で眼鏡を頭にのせ新聞を読む館長がいる。

 時間が進んでいる。それなのに、ここは止まってしまっているのではないか。

「これは、おまえが持っていろよ」
 彼の親友だった伊達が、黒いネクタイを緩めポケットから取り出し私の手を強引に掴みよせ開き握らせた。伊達の苛立ちと怒りが私へ放たれ続け言葉を失い続ける。
「ずっと、持って、ずっと忘れるな、あいつがいたことを」
 伊達が怒りを何度もかみ殺し砕きながら私に浴びせる。手のひらの中を見るまではそこに何があるのか分からなかった。ひんやり冷たく平たくて硬い。伊達は私が手のひらを開く前に立ち去った。その背中は、悲しみと怒りに包まれどこへ向かうのか不安になるもので、そして話しかけることも許されないオーラを放ち続けて、私はその姿が見えなくなるまで立ち尽くし動けずにいた。
 手のひらを開けたとき、突然重力が何倍にもなったように思えその重みに耐えられず、壁に体をもたらせ倒れないように力をいれ手のひらを閉じ力が徐々に加わりズキンと痛みが走った。その痛みで、私は生きているのだと思い出した。

「前にこちらにいらして頂きましたか」
「えっ・・・」
 レジの前で新聞を読んでいた館長は、新聞を椅子の上に置き眼鏡をかけ、いつのまにかレジの奥にある部屋のドアの前に立ち私に話しかけていた。現実と過去がミルクを注した珈琲のようにぐるぐると混ざっていた。どちらに立っているのか迷う。けれど、今は今でしかないのだ。館長は、私達の事を憶えているのだろうか。まさかとは思うが、コンビニ店長は憶えていてくれたし、たった一回でも何かのきっかけで記憶の片隅にあったのかもしれない。その記憶は、茶色かミルク色かどちらだろう。
「時計を買わせてもらいました」
 館長は、大きく頷き、その時計の調子はどうですかと聞き返す。私は、ポケットの中へ手をいれ壊れた懐中時計を取り出した。
「でも、止まっちゃいました」
 どうして、こんなふうにハニカミながら言えたのか分からずそんな自分が以外だった。取り出した懐中時計をそっと大事に手にする館長は、表情を変えぬまま眺める。もう、動くことがない時計。
「少しお借りしてよいかな、もちろんお時間があったらですが、そちらでお待ち頂けますか」
 格子が十字に入った窓の下にある日に焼けた深緑色のソファを見てから懐中時計を私に差し出す。私に断る理由はなく頷きソファへと向かった。窓から差し込む光が床に十字の影と共に落ちていた。この時間の流れに身を任せる事にする。レジとチケット売り場には今誰もいない。それもそのはず、二つの場所を仕切る館長は、奥の部屋へ入ってしまっている。万が一この博物館を見つけ入ってきてしまった人がいたら、声をかけたほうがいいだろうか。きっと、気づくような仕掛けはしていないだろう。

 入り口の引き戸がガタリと揺れたかと思うと開き、冷たい空気が入り込む。ドキリとし体に力が入った。年配の女性と男性、おそらく夫婦だろう。チケット売り場の前で立ち止まり辺りを見渡す。私は立ち上がり、二人に会釈しレジカウンターを横切りドアの前に立ち少し強くノックをする。
「すみません、お客さんがいらしています」
 ゴトゴトと椅子が引かれるような音が響き、じいちゃん、お客さんだよと若い声が聞こえそれに答えるようにドアが開かれた。扉の向こう、ドアの隙間から見え黒い背中の男性が駆け抜けた。視線が止まり覗こうと体を動かしたが館長に遮られドアを閉められてしまい、再びソファに腰掛けた。
 入場料をもらい四つ折のパンフレットを差し出し、二人を見送るとカウンターから私に手招きし、お金を入れる場所と、チケットのある場所、半券を置く場所など、一通りの作業の仕方を簡単に教えた。
「もう少し、時間がかかりそうなので、お願いできますか」
 私は、明るく、はいと頷いた。館長が、再びドアの向こうに消えるのを確認し、台の前へ立ちそこから館内を見回す。誰かお客が来ないかと少し期待していた。

「じいちゃん、直るかな。きっと大切なものなんだよ、お願いなんとかして」
 再び部屋に戻り作業を始めた館長の動く手元を顔が付きそうなほど覗き込み、声を潜めるが、耳の遠くなった祖父はいつものように大きな声で答える。図書館で女性と出会いこの時計を手にしたときすぐに祖父の博物館で作られた時計だと分かった。壊れた時計をもつ理由。それはけしてどうでも良いことではないはずだと察した。もしかしたら、この博物館へ来るかもしれないと思い駆けつけると彼女はガラスケースの中の時計を上の空で眺めていた。彼女に気づかれないように、祖父を部屋に呼び、たった今あったことを慌てて話すと祖父は、何も考える隙もなく部屋を出ていき彼女に話しかけてしまった。
「少し落ち着け、大丈夫直るさ」
 ライトが当てられている懐中時計は、バラバラに分解されたままだった。本当に直るのか不安で仕方なく落ち着いてなどいられなかった。


そろそろ折り返し・・・。
花粉にやられ四苦八苦。


雪が解けるまで 4

2006年01月09日 | 雪が解けるまで
 厚手の靴下を履きすぎただろうか。寒さで感覚がないのか靴との隙間がないのか、つま先が痺れ感覚がなくなってきた。足の裏はピクリピクリと痛みを伝える。慣れない道を夜明け前から歩き続けているわけだからそろそろ体も悲鳴を上げる頃だろう。ジーンズに擦れる脹脛も何かおかしい。時間を確かめたかったが、携帯電話を持ち始めてから腕時計をする事はなくなった。見渡せる範囲の中には時刻を知らせるものはない。防寒着に包まれた人々が姿を現し通り過ぎた車の運転手は大きなあくびをしながらハンドルを握っていた。通勤時間帯に入った事は確かなようだ。

 民家でない建物が姿を現し始め、道路を挟んで向こう側の大きな駐車場に並ぶ同じデザインのトラックが並びすべてエンジンが掛かっていて白い排気が立ち上っていた。運送屋さんのトラックで、見覚えがあった。多くの学生がここで仕分けのバイトをしていた。今も変わらないだろう。凍った横断歩道の前で信号待ちをする。赤く光る信号を見てから、向かって右側へ視線を移動させる。よく暇つぶしに通った建物は七年前と変わらずある。メロディーと共に青に変わった信号、凍った白線の上を避けながらゆっくりと渡り自然と先にある建物の方へと向かっていた。勝手に体が急速を求めているのか、いつの間にか息が切れ始める近づく程体が重くなる。一階は駐車場になり二階に三角屋根でレンガ造りの建物が乗っている。階段に足をかけたとき、突然何かが追い抜く。背中を丸めた男の子が小走りで背中を丸め駆け上がり図書館の中へと消えた。脇にある冷たい手すりを持ちながら上っていく。どうやら、私は三時間以上歩き続けていたようだ。図書館は、今も変わってなければ八時からの開館でたったいま利用客が駆け上がっていったということは、八時を過ぎているのだろう。
 それにしても驚くほど足が重く、つま先がゴツンと段を蹴った。体が斜めに傾き手すりにしがみ付き無理やり体を起こし辺りを見渡す。誰もいない。苦笑する、まるで一山上り終えたかのような心境だった。

 休憩室はまだ誰もいない、暖房だけが意味なく効いている。図書室には向かわず迷うことなく誰もいない休憩室でリュックを下ろし床に落としコートを脱ぎ捨てソファーに体をどっぷりと埋め足を伸ばす。ストーブに乗せた雪のように溶けてしまいそうだった。靴の紐を緩めようかと迷ったが行動に移せず、眠気がじわりじわりと包み込んでいく。息を吐くたびに喉の渇きで息苦しくなっていき、しぶしぶ体を起こし自販機でカップココアを買い飲むことにした。
 再び背もたれに背中が沈みこむと壁についた丸い時計の音が、コチコチと聞こえ耳を澄ましきった私を眠りに落とそうとする。眠っているのか起きているのか自分でも分からなくなる。動き始めたのかな。ソファーの上に投げ出されていた左手が手探りでコートのポケットの中を探り握り締めた。

「なんかさ、このコチコチコチコチコチイって音、急かされてるみたいで嫌だなあ」
 ガラスの向こうに並べられている時計の前で耳を澄ませそれぞれの時計の針が時を刻む姿を眺めていた。彼が言うように私は思えず、首をかしげた。
「私は、ゆっくりでいいぞって言われているみたいですきだけど、それにこのコチコチって落ち着く」
 よく思っていない割には念入りに時計を見ている彼も首をかしげる。どうやら、意見はお互い一方通行のようだ。それにしても、ガラスに張り付きすぎだ。時計博物館で誰よりも近くで見ているに違いない。そして、小さくすごいなあとぼそりと呟く。すべてを見終わり入場口のフロアの隅にグッズが売られていて当然私たちはそこも見る。彼は懐中時計を見つめたままピクリとも動かなくなった。
「ちょっと、それ高いから良く考えたほうが良いよ」
 遠まわしに買うべきじゃないと言ってみたが、その言葉を塗りつぶすように新聞を読んでいたレジの前に座るお爺さんが空かさず立ちあがりその懐中時計の良いところを説明し始め聞き入る彼は大きく頷き、決心を固めジーンズの後ろポケットから財布を取り出した。
「すいません、すぐ使いたいので包まないでいいです」
 必要以上の張り切りぶりに呆れながら、自動ドアを出る頃には彼は、受け取った懐中時計のネジを巻き上げ、針が時を刻み始めていた。自動ドアを出て数歩歩くと、立ち止まり懐中時計を耳に押し当てうっとりし、私の耳にも当てた。なんて、わけの分からない人なのだろうと思った。

 突然目が覚め、ポケットの中で握っている懐中時計の音を感じようとしたが、何の振動も感じられない。止まったままなのだろう。指でガラスの面を触ると数本の線を感じちくりと指先が痛んだ。ポケットから出した手を見ると、指先が血は出ていないがうっすら切れていた。まだ、あの時計博物館はあるのだろうか。立ち上がり、再び自動販売機の前に立ちミルク砂糖入りコーヒーのボタンを押した。出来上がりのランプが付くまで製作過程を眺め上がる湯気をぼんやりと前にした。行ってみるか、ここまで来たのだから。

 コーヒーを飲み体も温まったところでコートを持ち立ち上がったとき男の子が入ってきた。高校生くらいだろうか。通路に、リュックを置きっぱなしだったので退かそうと手を伸ばしたときコートを持っていた握力が緩みすりると手元から抜けそうになりすかさず力を入れる。その揺れでポケットから懐中時計が飛び出し床に落ち一度バウンドし滑った。上がって高校生の右足の下にぴたり止まりその靴の下に隠れた。
「あっ・・・」
 絶句の後に言葉が漏れる。男の子は後ろに飛び退き休憩室の壁に背中からぶつかった。自動販売機がぐらりと揺れる。私が、落ちた懐中時計に近づく前に壁に跳ね返ったように男の子が手を伸ばした。
「すいません、割れちゃった、御免なさいどうしよう」
 声が響き渡り、見かけによらずうろたえる男の子は、私の頭ぐらいに肩がある長身でスポーツでもやっていそうながっちり型で肩幅がある。それなのに、見事に顔を赤らめおどおどし始めた。
「違うの、これ、始めから割れていたの、だから気にしないで」
 しっかりと事実を嘘のないように伝え手を出したが、手のひらに載せていた懐中時計を両手で持ちじっと見つめ裏返しにしシルバーを抉るように付いた傷を指でなぞる。私は、何かを見られているようで、強引に懐中時計を手にし無理やり笑いかける。
「本当に、壊れていたから」
 出来る限り冷静に話しかけてからコートとリュックを持ち休憩室を出た。図書館を足早に出てしばらく歩き、誰もいないバス停のベンチにリュックを乗せコートを着る。握ったままの懐中時計を見ないまま再びポケットへ突っ込んだが、すぐにポケットから手を出す事が出来なかった。手のひらが開かなかった。


thank you
寒いですね、まだ、つづきます・・・。

雪が解けるまで 3

2006年01月02日 | 雪が解けるまで
 体がムズムズと痒くなる。突然暖かい空気に包まれコートの下で肩を上下に動かす。何を買うわけでもなく体に馴染ませるためにゆっくりと棚の間を歩き見る。客は誰もいない。お弁当の棚には人気のなさそうな弁当しか残っておらずまだ、配達のトラックは来ていないのだろう。店員は男でレジカウンターの中で両手を端に置きコツコツ指先でリズムを刻みながらぼんやりと立っている。大学生かフリーターだろう。一周しレジ前まで来てしまうと、ぼんやりしていた店員の指がぴたりと止まり私へ視線を飛ばし目が合うと背筋を伸ばす。カウンター隅に置かれているおでんとその横にある中華まんのブース。引き寄せられるようにレジの前に立つ。
「ピザまんは売り切れですか」
 おかしな聞き方だと自分でも思う。ブースの中を確認することもせずに、まるで確認でもするように店員に問いかける。けれど、七年前と変わっていなければこのコンビニはいつもピザまんが売れ切れだった。
「はい。たった今入れたばかりで二十分程かかりますが」
 店員は、言い慣れているのかさらりと告げた。
「待たせて頂いてもいいですか」
 すかさず、ピザまん以外ならありますと勧められたがそれを断り待つことにしたが、店員はいい顔をしなかった。一瞬口を尖らせこくりと頷く。先に代金を支払いレシートを持ったままレジに背を向け雑誌コーナーの前に立つ。レシートに目を落とすとピザまん一つの文字が印刷され、どうして捨てずに持ってきてしまったのだろうと後悔した。ガラスに映る店員はカウンターに手をかけ、不信感を顕にしながら私の後姿を見ていた。レシートをコートのポケットにいれ雑誌へ適当に手を伸ばし立ち読みを始める。
 肉まんが好きだ。特製肉まんではなく普通の肉まん。けれど今は雑誌棚の前でピザまんを待っている。店員は、私がどれ程までピザまんを好きなのかと薄気味悪く思っているに違いない。有線から当時流れた曲が耳の中へ浸透していく。

 こつんと雑誌を持つ腕に振動が伝わる。
「出来たかも」
 ガラスに映る店員の姿をちらちらと見ては小声でささやく。いつも待つのはピザまんで私は肉まんがなければカレーまんにしたしそれがなければイカスミまんにしその時々で対処したが彼は、ピザまんを断固として譲らず雑誌を立ち読みしながら二十分間蒸しあがるのを待った。右目より左目の方が大きいコンビニの店長がレジの合間に中華まんブースの中を伺っては首を捻り再びレジを打つ。頷いた時が出来上がったときだ。
「首、捻ったじゃん」
 そわそわと始めた彼に囁くと彼は再び雑誌を読むふりをしながらちらちらと観察を続ける。たぶん、雑誌はカモフラージュだろう。後でどんな内容を読んでいたのかと聞いても答えられないに違いない。でも、なんのためのカモフラージュなのか考えると馬鹿馬鹿しくなる。

 レジの奥左に部屋があり、仮眠を終えた店長がレジに姿を現した。不信顔で雑誌コーナーで立ち読みしている女を見ているバイトに気付く。
「どうした」
 小声でささやくとバイトがはっとし手持ち無沙汰で弄っていたボールペンを落とし床に転がり慌てて拾い上げる。
「ピザまん待ちの客なんです、ピザまん以外は全部揃っているのにピザまん待ちですよ」
 店長の耳元で手で口を隠しながら話しかける。店長は雑誌コーナーの前でたつ女の後ろ姿を見てからガラスに映る姿へと視線を移動させる。バイトの大学生に棚整理を頼み、中華まんブースの前に立ちバイトから引き継ぐと、バイトの大学生が支払い終わってますのでと店長に告げながら棚へ向かった。

「あっコクッと頷いたよ」
 すっかり見過ごしていた彼の横腹を肘でつつき知らせる。彼は雑誌を持ったままガラスに映る店長をみて、店長が白い袋を取り出しそれを開く音がしドアを開けられたブースから湯気が立ち上り、肉まんと出来立てのピザまんを袋に入れる。
「ピザまん出来上がりましたよ」
 その声を合図に雑誌棚がぐらりと揺れ私はすかさず棚を押さえる。彼はレジに歩いていく。

 山肌を出たばかりの朝日が鋭角にコンビニの中まで光を伸ばす。朝が始まったのだろう。コンビニの前の道路を雪を巻き上げながらいくつもの車が通り抜けていく。
「お待ちどうさまでした」
 驚いて振り向くといつのまにか、レジの中にいた店員は変わり、目の大きさが違う店長がそこにいて心臓が、トクトクトクトクと早くなっていた。きっと私の事は憶えていないだろう。あれから随分と歳月が過ぎてしまったし、ただの客の顔などイチイチ憶えていられるわけがない。袋を受けとろうと手を出し温かく少し湿った袋を手にすると懐かしい重みが伝わった。あれ、間違ったのだろうか。この感触は覚えがある。どういっていいのか分からないまま顔を上げ店長を見る。
「あの、これ」
「ひとつは僕のおごりです、食べてください」
 大きさの違う瞳がにこりと笑った。憶えているのだろうか。でも、聞けなかった。彼の話になったとき何をどう説明すればよいか分らない。小さな声で御礼をいいコンビニを後にする。熱々の袋が手のひらにお構いなしに熱を伝えてきた。

「店長、知り合いですか、それにしても、ピザまんって案外売れるんですから、せめて他と同じ数だけ入れときましょうよ、ストックはどれよりも多いんですから。あの人だって待たなくてすんだのに」
 歩いていく女の後ろ姿を見ながら、返事を待たずにレジを出ておにぎりコーナーへ向かい棚整理を始める。
「待っている時間がいい味を出すんだ」
 バイトは返す事もせず黙々と作業をし、自動ドアが開くといらっしゃいませと声を出した。
 七年前二人は頻繁にこのコンビニを訪れよく品切れになるピザまんを待っていた。最後に見たのはピザまんの在庫が尽きてしまった日だった。男性の方がひどく悔しがりカレーまんで妥協するか迷ったあげく女性だけが肉まんを買いさっさと店を後にした。男性は一人残され、思わず声をかけた。君たちがピザまんを待つ姿、結構好きなんだと。男性は、僕も好きなんですと笑い彼女を追いかけていった。それから少しだけ多くピザまんを仕入れてみたが二人が現れる事はなかった。町の新聞に男性に似た写真が載っていたけれど、似ているだけでそれが本人なのかは分からないまま、時間と共に記憶の奥に沈んでしまった。

 もう一度、自動ドアの向こうにいる女の後姿を眺める。女より少し背が高い木立の横で立ち止まった女の後ろには二つの影が歩道に伸びていた。一瞬その影は、七年前によく見かけた光景かと一瞬勘違いした。

 立ち止まり熱々の袋の中を開けると、湯気が上がり肉まんとピザまんが入っていた。店長の記憶の中にも彼がいるのだろうか。


あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
            三日月。