小説 ONE-COIN

たった一度、過去へ電話をかけることが出来たなら、あなたは、誰にかけますか?

十一月の出来事 2

2005年05月07日 | FILM 十十一十二月
みえないもの【十一の二】→→→ 泡のついた浴槽をシャワーから噴出す水飛沫が洗い流し排出口に吸い込まれる。腕まくりをした優希が、洗い流された浴槽の内側を人指し指で摩りキュッキュッと音を立て、それを確認するようにシャワーを止める。

「なら、しょうがないよ、諦めるしかないじゃん」

 澄ました顔をした優希はちらっと、風呂場の入口の壁に手を掛けながら、券をひらひらとさせている私をみて鏡の横に置かれたシャンプーなどをタイルの上に置く。シャワーを再び出しシャンプーなどの跡が残った部分へかけ持っているスポンジでゴシゴシと擦る。

「なんで、折角取ったのに勿体無い、年末休みでしょ?それとも、どこか行くの?」

 鏡の横から風呂場のタイルを泡立てはじめている優希は、温泉よりも風呂をきれいにする事の方が大切なのだろうか。けれど、今はそんな優先順位であっても風呂さえきれいにしてしまえば、突然行きたくなるに違いなく、そこで予約を入れたくとも出来ないでは必ず後悔するに決まっている。

「休みだし、どこにも行かないけどさあ」

 タイルを擦る音と、石鹸の匂いが充満している中、優希はいまだに乗り気でないようだ。考えてみれば風呂掃除をしている優希の表情だってこの話題になる前となんら変わっていない。もしかすると、風呂掃除が嫌いなのだろうか。なんだか、タイルを擦る優希の姿は、鉄骨のサビを落とさんばかりに力が込められていて、棘を削り取っているようにも思える。風呂掃除に、こんなに力はいらないだろうしもっと、肩の力を抜けば良いのにと感じていた。

「なら、行こうよ、今、電話して空いてるか聞いてみて、空いてたら行こう、あっでも二枚しかないから、もう一人分取るようだ」

 息が弾んで肩が揺れている。それでも、タイルを磨くスポンジは止まらない。なんとなくどうでもいいと思うときは誰でもあって、優希にとって今がそうに違いないなら、ここは、無理やりにでも強引に押し進めるべきだ。

「いや、キックは温泉好きじゃないから行かないよ、だから二人分でいい」

 ようやく、顔をあげた優希のスポンジを持つ手は力が入り過ぎたのか赤くなっている。けれど、ちょっとだけ行く気になってきたかもしれない。嫌な風呂掃除しながらでも、温泉の話をしていたら、きっと白い湯煙や桶がぶつかる音や硫黄の匂いを想像して胸が騒ぎ出すに決まっている。もう一息だ。

「たしかに、風呂なんか家で入るのが一番気持ちいいとか言いそう」

 出来るだけ軽やかに投げかけると優希は頷きながら、立ち上がりシャワーでタイルの泡をざっと流し、そのまま私に背を向けたが、緩んだ表情を鏡越しに受け取った。

「よし、じゃあ電話するよ」

 一歩前にでて風呂の中に乗り出すと声が響く。普通よりテンションが高く、エコーがかかる。優希は、鏡を擦り始める。泡がたち二人の姿は消えていく。

「たぶん、空いてないとだろうけどね」

 乗り気でなかった声が、少し高くなっているのを確認し、要らぬ闘志を燃やし風呂場を後にした。
 携帯は使わず優希の部屋の電話をとり、券に書かれた番号を押すと、ツーコールで相手の受話器があがり、男性の声が聞こえる。券を持つ手に力を入れたまま、年末の予約が取れるかどうかを聞くと、男性は一度受話器を置き確認へ行く。受話器からカノンが流れている。
 電話の横に転がるノック式ボールペンへ手を伸ばしカノンを聞きながら、カチカチと手持ち無沙汰に繰り返す。
 プツリとカノンが消え、再び男性の声が聞こえ、やや背筋を伸ばし、受話器を耳に押し当てボールペンをノックする指を止める。
 うれしい男性の声に、メモを取ろうと近くにあるチラシを引き寄せ持っていたボールペンで控えよとしたが、最後のノックがペン先を閉まっていて、折り目のような線しかつかず慌ててノックしてペン先をだし、もう一度確認するようにチラシの角にペンを走らせ、男性の感じのよい声に気分を良くし電話を切る。
 私が控えたメモは、チラシの枠の余白角でジグソーパズルのように文字が埋まりそれは、直角に並びを変えていた。これでは、自分で何を書いたのか解らなくなりそうだったので、改めてメモ用紙を探し出しそれに書き写しながら、足元はそわそわと動いていた。
 書いたメモを、目の前にあるポストカードなどが張られているボードの空いたスペースにピンで留める。

「取れた取れた、二十八、二十九、取れたぞお!!」

 ふっふっ、やったーやったー取れた、取れた、言葉と心で、はしゃぎながら振り返り優希に知らせに向かおうと二歩前へ出たとき、うれしさに弾んでいるはずの足は、心とは裏腹に実際は弾んでいなかったらしく、短距離走のスタート直後に躓くアスリートのように走った体勢のまま宙を飛んだ。
 体が前に傾き床がみるみるうちに近づく、一瞬早く床に手をついたが、絨毯がずれつるりと滑り、跳び箱を飛ぶように体が横に押し出されたが、それは床であるわけだし、飛べない箱で結局そのまま顔から床に激突する事になる。運が良かったのは、床の上には、掃除のために弾かれていたクッションがあった事で、そこへ体ごと顔から突っ込んでいた。

「イテテテテテテテテ・・・」

 音飛びしているCDのように繰り返す。
 埋もれたクッションの中から顔を上げると目の前に裸足が二本、二本で一人。近すぎてピントがすぐに合わず、揺れる頭が落ち着き始めると、くるぶしの数センチ上の真ん丸に水滴が付着し、その中に何かが黒いものがあり、ほくろを水滴が覆っているのかと、確認するために顔を寄せると、その中には広がった自分の顔が映り込んでいる。それをみた瞬間足が動き、水滴がくるぶしを滑り、床へ落ち、もう一方の足が水滴を踏み、その足が動くと水滴は、べたり床に押し潰されていた。

「ああア!!なんで踏むのよ!!」

 自分の顔を踏みつけられたような気分になり腹が立ち顔を無理やり上にあげ声を張り上げる。

「何がよ!!のりこそ、なにやってんの!!足にコード巻きつけて、絨毯なんでこんなになってんのよお、クッションに顔突っ込んで何探してるのさあ!!」

 コード?床に寝たまま足元を見ると掃除機が転倒しコードが足に絡まり、私の体の下では絨毯がブルドックの顔のようになっている。優希の言葉どおりに確認し状況を飲み込んでいくが、最後の言葉は飲み込んだ振りをして吐き出す。

「さ・・・探してないよお!!」

 お互いが声を出すたびに覆い被すようにボリュームが上がる。私は、動きづらい倒れた体を起こし、巻きついたコードを解いて、ひとまず絨毯から離れ、絨毯の端を両手で握り強く引く。
 ブルドックの額から、元の絨毯に戻ろうとしたとき、優希の右足が偶然そこに乗っていて引っ張ったときにそれに気づいたけれど、頭で考えても体に中止の命令を拒否し、左足がバナナの皮でも踏むようにずるっと前へ滑り優希は大きく後ろに体勢を崩し傾き、倒れるかとおもいきや、軸足になっていた濡れた右足が、思わぬ力を発揮しバネのように体が引き戻された。

「おおおお」

 体操選手のような巧みな技が目前で繰り広げられ、驚きの声を上げる。下の階に迷惑が掛かるほど、大きな音が、ドンと響く。優希の戻された足が床にも戻されたのだ。肩で息をしている優希は一歩前にでて、私の上腕部分を二回指の第二関節で突付く。激痛が腕から体へ駆け抜ける。地味な嫌がらせであるが、腕のツボをピンポイントで力を込めて突付いてくるのは、かなりのダメージがある。それをよく理解した攻撃だ。私は、痛みに歯を食いしばりながら腕を熱いほどに摩り痛みを紛らしながら顔を上げる。
 優希は、してやったりな顔をこちらに向け、横目で口角をきゅっと吊り上げ、鼻から息を漏らし、背中を向け掃除機を片付けようとその前に屈む。
 コードを巻き上げるボタンが押されたらしくコードが反動でビクンと動く。それが先端にまで届こうとしたとき、咄嗟に投げ出していた左足のつま先を、引き戻される寸前のプラグにバレリーナのつま先のように力強く押し付ける。ピンと張られるコード、震えるつま先。止まった優希の背中。その背中が、異変に気づき動き出し後ろを振り向こうとした瞬間につま先をプラグから離すと、プラグは跳ね上がり押されたままになっていたボタンが早急に仕事をはじめ、コードは荒れ狂ったように波うちながら巻き上げられる。その先端のプラグが優希の手を弾き、乾いた音が上がり声が漏れる。私は、力を緩めた瞬間攣りそうな脹脛を心配しながらも視線を窓の外へ意味もなく向け知らん振りを決め込む。
 足に痛みが走り攣ってしまったのかと視線を戻すと、いつのまにか優希の足が絡まっていてそれは、数字の四に似ている。私の足はその四の中にあって、優希の四がしっかりと完成すると声をあげずにいられず、悶えるほどの痛みが体を強張らせた。

「イッタッタッタッタッタ」

 後ろへ倒れ床をバタバタと叩き顔を歪ませる。むせ返りそうな痛みはまだ続き、自然と口元は、痛みを訴える言葉から、ギブという二文字を繰り返し叫ぶようになる。
 優希の足が緩み四が崩れると、全身に痛みを残したまま体に入っていた力が床に溢れるように抜けていく。顔は、肩を揺らし音を立てて息をし歪んだ表情から悲しげな表情へと変わり唇に力が入り、鼻をなんどか啜りながら起き上がり、足を投げ出したまま、上半身は前へ向き両腕を絨毯につき力なくうな垂れ髪がだらしなく垂れ下がる。完全な敗北で、けれど、いったい何を勝負していたのか誰にも説明出来ない。

「何してるの?」

 世界七不思議を聞くよりも不思議そうな声を出し冷たい視線を送り続けるキックが、部屋の入口で立ち私達を見下ろしている。私は、キックに赤、もしくは青い顔を向ける。

「うわっなんで泣いているの?」

 心配する素振りはなく、むしろ笑いを交えながら何があったか知りたくて仕方ない様子がまじまじと見て取れる。
 この質問に答えたのは勝ち誇った顔の優希で、立ち上がりリングの上でステップするように軽い足取りを披露して、掃除機を持ち上げ、キックに遊んでいただけと言いながら、ステップを止める事無く廊下へと消えていく。
キックは、随分と激しい遊び方だといい、捲り上がったままのコタツを整え始める。私は、一人乱れた服装と体勢で取り残されている。

 締め付けられた足を大げさに引き摺りながらコタツに入り、寒くもないのに電気のスイッチを入れる。コタツの横に立っているキックが財布の中から細長い紙を出しひらひらとふって見せ、テーブルの上にひらっと落とした。滑り落ちたチケットが見の前で止まる。重なりあっている三枚のチケットは、チケットらしいチケットでしっかりと印刷されていて、見覚えのあるロゴが描かれその横にはナイターフリーパス引換券と書かれていた。遊園地のチケットに足の痛みとへこんだ気持ちがすっかり吹き飛んだ。

「どうしたの?これ」

 目を輝かせてキックを見上げると、得意げのキックがにんまりと笑う。

「お客さんにもらった」

 立ったまま話すキックと座った私の間にステップを踏みすぎたのか息を切らした優希が戻り顔をだし屈むようにチケットを見て、内容を確認すると声を上げた。

「おお!!ただ?」

 キックは、もちろん、無料だともとどこかの貴族のような話し方をする。ちなみに、貴族になんて会ったことがないけれど。何気に時計をみると、只今の時間午後七時を丁度回ったところで明日は三人とも仕事で、たとえば、今から行ったとしたら、遊園地は午前五時まで営業なので十分遊べるのは違いないけれど、明日の事を考えると卒倒したくなるような過酷な一日になるのは間違いなく、されど、キックの手から落とされた三枚のチケットは私達三人の心を捉えたまま離さなかった。


thank you
つづく・・・

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