小説 ONE-COIN

たった一度、過去へ電話をかけることが出来たなら、あなたは、誰にかけますか?

雪が解けるまで 11

2006年02月27日 | 雪が解けるまで
 どうしてここにいるのですか。ずっと、このベンチで何をしているのですか。それとも、誰かを待っているのか、その誰かは私ですか。七年経った今、何か責め忘れた事を思い出しここで私を罵ろうとでもいうのですか。それとも、あれからずっと積もり積もった恨みでも晴らそうというのか。そうだ、あの葉書。私の元へ送られてきた七回忌を知らせる葉書。あれだって、七年の間ずっと彼の影すら私に触れさせなかったあなたが、なぜ、今になってそんな葉書を送ってきたのですか。公場に、誘い出し何らかの方法で償わせようと考えているのですか。

 どうして、このベンチなのですか。彼が育ったこの街には、思い入れのある場所は無数にあるはずで、あえて彼の母は、いまこの場所を選んでこうやって何も言わずに座っている。彼の母は、時々こんな風に座って何かを思い起こしているのだろうか。私と彼がいつも一緒にいたこの場所で。これは、私へのあてつけなのだ。私が彼の姿を待ったように、彼の母も彼が座っていた場所に座りあの時の姿に自分自身を重ね合わしているのかもしれない。消えるはずのない悲しみと恨みをいつも胸に貼り付けながら、逃げるように離れていった私を引きずり戻そうとしているのだ。

 問い質せるはずがなかった。何も言わずに、川の流れを眺め、隣に座りながら七年前の華やかさは消え、柔らかさもなく、怒っているわけでもなく、何かがぴたりと止まってしまっているそんな表情だった。
 ひとつだけ分かっているのは、このベンチは冬にたった一人で座るには寒すぎます。

 私はどうすればよいのか。それを受け止めるべきじゃないのか。明日になれば、再びこの街を離れ、今ある世界で暮らし生きていくのだ。風も匂いも違う世界を歩く。この振り落とされた世界に残された人を受け止めるべきだ。
 まてよ。私にそんな権利がどこにある。私自身、誰かを受け止められる程の心など持ち合わせていない。この七年間の私の苦しみに比べたら、彼の母の方がずっと苦しんだに違いないのだ。そんな私が受け止められるはずなどないのだ。

 連なる屋根の上にある雪を傾いた太陽が照らす。それを見ながら答えを求めた。
 彼の名を久しぶりに心の中で呼んだ。
三太、私はどうすればいいのかな。
 

 雲行きが怪しい空の下、ベンチに座る二人の間にはバック一つ分の隙間が開いていて、冷たい風が気がつくと通り抜けている。そのたびに体がぶるっと震え上がる。私は、腰を浮かしバック一つ分横へずれ、三太に体を寄せた。横においていた鞄へ手を伸ばそうとしたとき、ベンチの上にポツリと雨が落ち丸く滲む。またひとつ落ち滲む。
 空を見上げた。流動するグレーの低い雲から、透明の針がすい・すいと落ちてくる。私に釣られ三太も見上げ、雨だとぽつりとつぶやき、手のひらを空へと向けその針を掴む努力をする。
「雪じゃなくて雨か。なあ、ブリあるだろう。魚のブリ。あれって出世魚だからブリになる前にハマチやメジロの段階踏んでブリになるんだ。この雨も、凍ると雪になるんだよな。これって、うっかり忘れがちな事だろ」
「だろって、雨は出世してないと思うけど」
「でも、うっかり忘れているだろう」
「だろうって、おたまじゃくしが蛙になるみたいに」
「おまえ、そんな簡単な事を、うっかり忘れているのかよ」
 畳み掛けるような雨が、激しい交響曲のようにピッチを早め振り落ちてきた。三太は私の手を掴みながら立ち上がり橋の下へ向かって駆け出した。
 ほんの数秒だったにも関わらず、橋の下に辿り着くと辺り一面雨に濡れ連なる屋根のトヨからは雨が流れだし、くだらない話をしなければ前髪がぺたりとおでこに張り付くまで濡れずにすんだに違いない。橋の上でも、突然の雨に驚いた観光客が騒がして掛けていく。あまりにも激しく落ちる雨に三太と私は手を繋いだまま見とれていた。
「忘れてといえば、私、忘れるを書くとき、忘を忘れるんだよね」
 この雨音に、なんら共通点はなかったけれどふと思い出し言葉にする。
「なんだそれ、早口言葉か」
「それで、決まって思い浮かぶのが、笑うで、忘れるを書こうとすると笑うが出てくるの。不思議でしょ」
「あっ。ほら」
 私の話はすっかり忘れられる。土砂降りの雨は威力を半減させ失速し、その中にちらほらと舞い始めた雪が混じり、雨は完全に勢力を失いあっというまに雪へと変わった。三太は自慢げに、なっそうだろ。と言った。何がそうなのかは考えず、真っ先に目に飛び込んだのは、ベンチに置かれたままの二人の鞄だった。私はそれを指差した。
「うっかり忘れていたね」
 三太は、蛙が潰れたような声を出した。



thank you・・・
まずい・・・春になってしまう・・・でも、まだ、つづく。


雪が解けるまで 10

2006年02月20日 | 雪が解けるまで
 再び街の中。ガードレールの影が茶色くなった雪の上に張り付いている。その姿をみて空を見上げ太陽を探す。少し傾いてきている。午後を知らす。冬は早く落ち夕方には夜が姿を現す。時間とは釣り合わずすぐに暗くなる。
 低いビルが並び、十字路に道が走りその向こうに街を分断する小さな川がある。車で通り抜けてしまえばあっという間すぎて川があったことさえ気づかないような川。
 十字路に差し掛かり、柳の下を通り川沿いに歩くことにした。上流に向かって歩くと観光名所の古い町並みに突き当たる。川岸は、整備され遊歩道になっていた。土手の上は建物裏手に当たり軽自動車がやっと通れる程の狭い道幅で、住人以外は利用していないだろう。食べ物屋の裏手はたくさんのダンボールが積み重ねられていたり、ビールのケースが並んでいたりする。錆びた自転車に配達途中の軽トラック、ロープに掛けられた同じネームが入るタオル生活が生々しく感じられるが、あえて遊歩道を見下ろしながらその道を歩く。
 ぽつりぽつりと柳の木が植えられている。スコップが立てかけられていたり、ハンガーが掛かっていたりと、まるで家具の一環のように利用されている。耳がやけに長くふさふさな毛をした雑種犬、やや柴犬風が赤い紐で繋がれていた。これは犬小屋代わりだろう。私の足音に気づき一度は顔を上げたがすぐに体を丸めてしまった。私には興味がないようだ。うぉんくらい言ってくれてもいいのに。
 立ち止まり柴犬風の雑種犬の前で屈み隠れた顔を覗き込んでみる。気配に気づいているはずである、動物的反応はなんらなく無視の連続、ふさふさな耳へ手を伸ばし撫でて見る。ぴくぴくと動き揺れはしたが相変わらず寝たまま、今度は頭を撫でて見る。どうだ、これで起きずにはいられないだろうと、ひっそり笑った。

 反応を待ったが期待したものは何一つ起こらず、馬鹿にされているのではないかと、がっかりとうな垂れたとき、だれきっていた犬の筋肉が硬くなりビクンと跳ね上がった。よく音楽番組でステージ下から、ぴよ~んと飛び上がるみたいに。二十センチ程体が宙に浮き着地し背筋を伸ばした。何が起こったのか突然やる気がみなぎったようだ。あまりの変わりように思わず体が仰け反り手を付いた。
 尻尾が取れそうなほどグングンと振っている。遊んでほしいのだろうか。話しかけようとしたとき、けたたましく鳴き始めた。首に付けられた紐を引きちぎれんばかり、柳の枝がブラブラと揺れ、めいっぱ引っ張り間違いなく私ではない他のものに視線は釘付けだ。振り向くと、地べたを摺り足で動くビーグル犬が飼い主のおばさんに連れられやってくる。
「君さあ、分かりやすい性格だな、良かったね、待ち人来たるで」
 話かけても、聞いていない。ぐるぐるその場を回り自らのロープに絡まり二度三度体を締め付けられてもくじけず喜びを現す。私は邪魔者であるようだ。立ち上がり、その場を去る事にする。
 換気扇の古いのか、カツンカツンと何かにぶつかるような音がする。飲食店なのだろう。回った換気扇からラーメンの匂いが吐き出されている。その横の鉄のドアがガタリと音をたて開き白い服を着た男性が二人姿を現した。外に出るとまたしても私がいないかのように、二人の視線は他所へと向けられる。手には缶コーヒーを持っていた。
「おいっ、まだあのおばさんいるぜ、朝からだぞ」
 小太りの男性が眼鏡の男性にいうと、二人はその方へ視線を向ける。
「ほんとだ、なにしてんのかな」
「知らねーよ」
 二人の興味は一瞬で消え、すぐにゲームの話へと変わった。缶コーヒーを開け一口二口飲むと反対へ歩いていく。
 寒々とした遊歩道。間隔をあけて備え付けのベンチがある。雪はかろうじてないがこの寒さ、冷たい風が吹き抜けるベンチの上で休憩するような人はいない。ここまで一人もいなかった。でも、次に見えるベンチには黒いコートを来た人が一人座っている。置物のように座り川の流れを見ているようだ。あのベンチを好む人が私たち以外にもいたのだろうか。七年経った今も。しかしながら、よりによってあのベンチなんてと胸が締め付けられた。

 キャンキャン吠える犬。私が邪魔だから早く去れとでも言っているかのように、まくし立てる。犬に腹立たしい視線をやり前へと進んだが、この声がベンチにいる人に届いたのかその固まっていた背中が動きゆっくりと顔が向いた。その視線は、私の姿を捉えぴたりと止まり、私は、唾をごくりと飲み込み突然重くなった一歩を踏み出した。


THANKYOU.
夜中にふくらはぎが二回攣った。痛かったがつづく・・・。

雪が解けるまで 9

2006年02月13日 | 雪が解けるまで
 さて、今更どんな顔を下げて本殿で参拝ができるというのか。運が良いのか悪いのか、神主は見当たらない。いるのは寒空の下になぜか旅行バックを持ち、きっちりネクタイを締めた年配のサラリーマン一人で、コートでも着たほうが身のためだと思いながら目を合わせないように通り過ぎた。とりあえず、イチョウの木へ向かおう。正直何をしにここへ来たのかまだ分からない。けれど、そもそも今日は早朝から想定外な事の連続で、あの雪に囲まれたバス停に放りだされた時点で不自然な歯車はガタゴト回り始めてしまったのだから、今はもう開き直り諦めに近い。

 本殿を囲むように、雪を掻き分けた溝程度の道はあるが、どうもイチョウの木の周りまではその溝は延びていない。真っ白な雪がしっかりとひかれている。
 観光客は誰もこの雪の中へ踏み込んでまで入っていかないだろう。この神社を守る人たちもそこまで管理しきれないのかもしれない。しかし、進入禁止を示すものはない。

 道と斜面との境は僅かしかない。雪がフラットに近い場所の下には道があるはずだ。踏み入れていない雪の中へざくりと踏み込む。靴の同じ形の穴が開いていく。慎重に前へ進む。踏み外したら、そうそう発見が遅れるに違いない。斜面を良く見ると、小動物であろう小さな足あとが伸びている。イチョウの木への来客は動物しかいない。メインのイチョウの木の枝には雪のマフラーがしっかりとされ、起用に乗っていた。幹を思い切り蹴飛ばせば、どっさりと雪がおちてくるだろう。そういえば、よく前を歩く彼に仕掛けたものだ。一度は、想像を遥かに超えた雪が落ちてきて全身雪まみれになり呆然とする彼に笑うのを忘れ驚いたりもした。その後は、まつ毛にまで雪を載せたままの彼は私に懇々と駄目だしをした。私の言い訳は雪国育ちではないので、どうしてもやってみたくなった。再び、説教が始まったのはいうまでもない。後ろを振り返る。一人分の足あとが付いている。それをみたら、少し寂しくなり、気持ちを強く固めるように、ざくりざくりと踏みしめる。雪がなくとも狭い広場にある小さいイチョウ。木を中心に小さく窪みのようになっていた。柵の半分が雪から顔を出し幹を囲むように雪が盛り上がっている。さてと、柵を乗り越えて雪を掘り土を掘り起こす事は作業の手間がどうこういうより、踏み荒らす事が気が引ける。もしかすると、蛙が冬眠でもしているかもしれないし。あのお守りは、まだこの幹の麓にあるだろうか。われながら、随分とひどい罰当たりな行動をしたものだ。
「ごめんなさい」
 許されるかどうかは別として、あの時よりは大人になっただろう私は、イチョウの木を前に素直に手を合わせ謝罪をした。枝に止まっていた鳥がチュンチュンと鳴き、何かを思い出したのか、枝から飛び去った。パラパラと雪が散る。鳥にすら呆れられてしまったようだ。

 本殿に戻ると、足元に雪がびっしりとこびり付いていた。払ってみたものの白く固まってしまっていてなかなか落ちない、諦め歩き出す。参拝をしようかとも思ったが、そんな事が出来る立場ではないだろうと背中を向け控えめに通り過ぎ石畳の上を歩く。階段まで来て見たが、上るよりはるかに下る方が危険で、眺めながら迷ったがさすがに裏手の道路へ迂回する。
「うわっ」
 静かな神社に誰かの危機迫った声が響いた。同時に雪がどさりと落ちる音。立ち止まり辺りを見回すがその姿は見えない。本堂の裏からだろうか。数歩戻り本殿脇を覗くとイチョウの木へと続く遊歩道から白と紺のコントラストの人物が出てきた。顔を上げた瞬間に体を反り本堂に隠れた。私以上にへんな人がいるものだと足早に後にした。先ほどの鳥か分からないが、羽を休めていた数羽の鳥が驚いてぴよぴよと鳴き飛び立った。

 車一台が通れるほどの緩やかな下り坂。雪は道路端に寄せられている。中央はアスファルトが見えている。街へと続く静かな光景。カツカツカツカツカツ・・・。穏やかな気持ちに細かいノックを連続的にされたように響き渡った。しかも近づいてくる。幻覚ではない、現実だ。髪が跳ね上がるほどすばやく振り向く。体に付着した雪を振り落としながらスーツ姿のサラリーマンが突進してくる。あのサラリーマン、確か本殿にいた人だ。不自然な光景に一瞬身構えた受け止められないことに気づき踵を返しアスファルト蹴り上げた。
「待ってえ・・・はあ、はあ、待ってくださいいいい・・・」
 走り始めた私の背中に、こっちまで息苦しくなってしまいそうな悲鳴に近い声が届く。どんな用事が私にあるのだろうか、立ち止まるべきか走り抜けるべきか迷う。後ろを振り向くと、ザラザラザラとアスファルト転げ滑るサラリーマン。足が縺れて転んだのだろう。仕方なく立ち止まり恐る恐る近づき様子を伺う。
 呻き声を漏らしながら息が上がり噎せ返って話しが出来ず、なかなか立ち上がれないサラリーマンを遠めに見守った。
「神主~」
 坂を駆け下りてくる巫女さん。高校生ぐらいだろうか。手にしたものを左右に振りながらやってくる。神主。神主?神主。
「げっ・・・」
全速力で逃げた方が良いかと本気で迷った。けれど痛々しい神主に声を掛けぬわけにはいかない。勇気を振り絞り、神主に近づき労わった。
「大丈夫ですか」
 神主は、ぜえぜえと大丈夫そうには見えないが途切れ途切れ大丈夫だと言い擦り剥いた手を振りながら立ち上がり強打したらしい腰を擦る。全身をまっすぐ伸ばすまで数秒の時間が必要だった。駆けつけた巫女さんから何かを渡され、渡した巫女さんにありがとうと言うと巫女さんはぽそりと何かを言って坂を上っていった。もしかすると、巫女さんは神主の娘かもしれない、どことなく顔が似ている。
「これはどうされますか」
 落ち着いた声。神に仕えるものとして相応しい表情だった。色の変わったお守りが私の前に現れた。あまりに驚いてしまい言葉が出ない。見覚えがあるお守り。どうされますかと聞かれても、なぜ、これを神主が持っていて、今目の前にあるのかも分からずに混乱するばかりだ。私の動揺は神主に見透かされ、私の言葉をまたずに言葉を続けた。
「あの日から、ずっとお預かりしていました、あなたがいつかこうやってお越しになられるのではないかと思いまして、それにしても、また、恥ずかしい姿をおみせしてしまいました、私もいざその日が来てみると舞い上がってしまいまして、本当に驚かせてしまってすみません」
 穴に埋めたお守りを包み込むように手に持ち、恥ずかしそうに笑った。どうして、このお守りがここにあるのか、神主が持っているのか分からないけれど、確かにここにあるのはあの時のお守りでありそれをずっと神主が持っていてくれたの事実、それでも、こんなことが本当にあるのだろうかと中々信じきれずにいた。けれど、今はやることはひとつしかないだろう。

 お守りをしっかりと神社に返し、神主にお礼をいいその場を後にした。坂を下る足取りが軽かった。自然と森のくまさんを口ずさんでいた。道沿いの納屋、屋根に積もっている雪の端がぱさぱさと崩れ地面にキラリと光ってから落ちた。


風邪と花粉の違いは、以外に難しい。
けれど、もう少しつづく・・・。


雪が解けるまで 8

2006年02月06日 | 雪が解けるまで
 街の中に森がある。空からみると離れ小島のように見えるだろう。町に浮かぶ森。鬱蒼と茂った森の中には、小さな神社がある。森へと足を踏み入れ神社に辿り着くには、まっすぐと高く伸びる階段を上るか、神社裏手にある車一台が通れる程の舗装された道を通るかだ。ところが、冬は雪が積もり足場が悪く多くの人は車が通れる坂道を上がる。地図でみれば明らかに道路の方が遠回りで階段は直進であるが、凍て付く階段を上ってまで早く神社に辿り着こうというものはそうそういないようだ。
 連なる階段を見上げても、人一人歩いていない。私一人だ。
 階段は昼の日差しが存分に当たり雪と氷がきらきらと光っている。階段の中心にある赤い手摺は半分掻き分けられた雪に埋まり所々錆びペンキが剥げた部分が湿っているように見える。
 一段足を掛けてみる。凍っているが上れない程はないようだ。神社を管理する人が毎日雪を退けているのか、すべてが固まっているわけでない。慎重に上ることにする。何も危険な思いをしてまで、一秒でも早く神社に辿り着きたいわけでもなく、いつこれ下落ちるかもしれないスリルを味わいたいわけでもない。私はただ、裏道ではなくて真正面からこの神社に行きたいと思っただけだった。本来、私のような人間は裏道からこっそりひっそり入るほうが良いのかもしれないが、これは私のわがままで開きのって上ることにした。

 気を抜くとつるりと滑る石段に、予想以上に手こずり、全身に力が入り所々で声ともならない声が漏れる。

 神社へ足を運ぶ人の多くは、観光で参拝に訪れるか、願いをお願いするために訪れるかだろう。中には、深刻な悩みを抱え神頼みをする人もいるに違いない。不安な気持ちや、やりきれない気持ちを抱え少しでも和らげたくて心の支えがほしくて信じるものがほしくて手を合わせる。それは、大切な人のためでもあるし、自分のためでもあるだろう。

 ただ上るだけでも息が切れるのに、この悪路が無意味に体力を奪っていく。今更ながらリュックの重みが肩にずっしりと食い込み背中が張ってきていた。だからといって止まる事もせずひたすら階段を上りきるのを待つ。
 最後の一段を踏み込んだとき曲がった膝に思わず手のひらが伸びた。曲がった体を伸ばし後ろを振り向き雪に埋まる街を見下ろす。冷たい風が頬に当たり何度も吸い込んでは肺に染み渡りそれを吐き出した。

 境内には、数人の観光客がいる。階段から現れた私を驚いた顔で見てはひそひそと話す。お守りなどが並ぶ平屋には白と赤の服を着た巫女さんが座る。本殿向かって左側に樹齢五百年のイチョウの木が祀られている。この木を見ると願いが叶う気さえする。けれど、普通に考えればここでお願いをした人すべての願いが叶えられるはずもないのだ。分かっているはずなのに、無力な自分を目の当たりしたとき願わずにはいられない。境内横ベンチと共に網のゴミ箱が置かれている。私一人が、息を切らしいることに、恥ずかしくなり出来るだけ平常心を保とうと試みたが、余計息苦しくなり咽た。余計注目を浴びる。顔が赤くなるのが分かる。顔を伏せながらゴミ箱を見た。もっと顔が赤くなる。今もあった、七年前と同じ場所に。


 呼吸は激しく乱れ心臓の鼓動がドクドクと跳ね上がり続ける。息を吐き出すたびに軽いめまいが襲う。三百六十度回転してしまいそうな景色を無理やり引き戻す。歩いて上っていた階段、コブシに力が入り始めると次第に歩調が早まりのんびり歩く観光客三人を追い越し最後は駆け上がり、きつくコブシを結んだ。本殿に投げつけてやろうかと思ったけれど、参拝者が居座っていたので石畳からはずれゴミ箱の前につかつかと歩く。
 握っていたコブシを振り上げ力いっぱい投げつけた。腕が振り下ろされると同時に放たれ押しつぶされ変形したお守りは、ゴミ箱の淵に当たり跳ね返り砂利の上に落ちる。
「こらああああ、バチがあたるぞおおおおおお」
 神社に似合わない怒鳴り声。いつも澄ました表情で何があっても冷静沈着そうな神主が本殿横で箒振りかざし鬼の形相でこちらを睨んでいる。周りにいた参拝者や巫女は、何が起きたのか分からず呆然と立ち尽くしていた。落ちたお守りを無意識に拾い上げ階段へ向かおうとしたが、怒り心頭の神主が本殿から石畳まで迫っていて、咄嗟に背を向けイチョウの木の横から伸びる遊歩道へ向かい走り出していた。本殿の横を通り過ぎ、葉のないイチョウの木の根に躓きながらも、転ばず走り抜ける。森の中を抜ける遊歩道。公園へと続いていたはずだ。細い道に入り後ろを恐る恐る振り向く。足音も聞こえない姿もない。諦めたのだろう。咳き込んだ。よろよろと歩き、森の木々が囲みドームのようになっている円形の場所、本殿横にあるイチョウの木より一回り小さなイチョウの木。その木も祀られている。あの大きなイチョウの子分だろう。木を誰でも跨げる程のロープで出来た低い柵が囲む。その前で膝を落とし、咳き込みすぎて噎せ返る。いつの間にか、ロープを握っていた。
 呼吸は乱れていたが、徐々に整っていく。ロープを握ったまま、もう一方のコブシへ目をやる。カサカサと葉のある木が音を上げる。辺りを見渡す。誰もいない。人の気配かと思ったけれどそうでなかったらしい。握りつぶされ変形したお守りはもう必要なくこんなものを持っていても仕方ない、お金はしっかり取っておいて、毎日お参りもしたのに、願いは叶わない。こんなものを持っているだけ腹立たしい。ゴミ箱に入って当然なのだ。イチョウの木にお守りが跳ね返り土の上に落ちた。立ち上がり、柵を跨ぎつま先を土に打ち付けながら土を掘り穴を開ける。靴の中へ土が入り込み靴下を通じてざらざらと違和感を感じる。
 サラダボールほどの穴を開け、つま先で横に転がるお守りを突きその中へ落とし、犬が後ろ足で土を蹴るように、土を被せ、それでも腹の虫を収まらず、その上で何度もジャンプし土を踏み鳴らした。もう、二度と神社で神頼みはしないと誓い振り向くことなく逃げ去る。



風邪です・・・。更新に合わせたかのように復活しました・・・。
なので、つづきます。