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個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

いろんなことを知ってからの絶望はしんどい

2018-02-10 10:35:20 | 不登校
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

今日は私立受験の日です。子どもたちが力を出し切ることができるように願っています。

いきなりですが、社会に出る前と後とでは見えている景色がずいぶんと違いますよね。ネット社会になったとはいえ、小・中学生が実際に経験したり、自分の目で見ることができる世界というのは、ほとんどが学校という社会の一部分だけです。ネットでも情報は手に入りますが、それは生きた経験ではなく、しかも自分に都合の良いものしか見ていない可能性もありますので、やはり小・中学生という時期には、世の中の多くの部分を知ることは難しいです。それは、高校生になってもあまり変わらず、ただアルバイトなどをすることによって、少しは広くはなるでしょうが、それでも学生と社会人とでは大きな差があると思います。

子どもたちは、そういったとても狭い世界の中で生きています。その先に無限に広がる世界の存在に気づかず、その狭い世界の中で与えられた情報や価値観に基づき生きているのです。

その狭さ故、順調にいくことも決して少なくありません。たとえば勉強やスポーツにしても競争相手が少ないですので、それらが得意な子どもは優位な立場になることができ、居心地がいい生活を送ることができるかもしれません。あるいは、それ以外の分野でも、何か秀でたものがある子どもは、それを評価されることによって精神的な安心感を得られているのかもしれません。ヤンキーなどで喧嘩が強いというのも、ひとつのステータスになっているんでしょうね。

こうして順調に自分の能力が評価されている間はまだいいのですが、その得意なものが周りの子どもに抜かされていったり、評価されなくなった瞬間にしんどくなってしまいます。大人はどの分野であっても自分より優れている人なんていくらでもいるということを知っていますし、それが当たり前であって特に気にもしていませんよね。ですが、子ども社会ではそうではなく、勉強がすべてであって、その勉強でトップに立てない自分は、きっと社会に出ても通用しないだろうといって絶望してしまう子どもさえいます。実際に社会に出て働いている人なら、もちろん学歴は優位になることは多いですが、すべてが学歴で決まるわけではなく、働き始めたらそれこそ学校で習う勉強以外の能力が必要になってくることなんてわかりきっているのですが、子どもたちはそういう社会を知りませんので、簡単に絶望してしまいます。

勉強の面でもそうですが、あらゆる面で知っている世界が狭すぎて、簡単に子どもたちは絶望してしまいます。それでなにもかもが嫌になって、不登校になったり、ひきこもりになったりする子どもは多くいます。しかし、逆に言えば、まだ見ぬ世界に気づくことができれば、その悩みや苦しみが、ちっぽけなものと感じることができる可能性が高いということです。つまり、絶望しやすい分、そこから光を見つけて抜け出せることも早くなる可能性が高いということです。

そのためには、子どもに世界はまだまだこんな狭いものではないとわかってもらわなければなりません。1人の世界に閉じこもってしまうと、それを知ることができませんので、家族でもいいですし、家族以外の第三者が間に入って、それを伝え続けるというのは大切なことです。

いったん社会に出て、そこで絶望した20代~40代のひきこもりの人とは、ここが決定的に異なります。ある程度自分で経験し、自分の目で確かめた社会に絶望し、あるいは自分自身に絶望し、ひきこもりという選択をした彼らには光が届きにくいのです。泥沼に足をつっこんでいるかのように、浮上の手がかりすら見つけることができず、もがき苦しんでいます。

そう考えると、むしろ10代という早い段階で絶望し不登校になるということは決して悲観するものではないのではないでしょうか。もちろん本人は苦しいでしょうし、そのご家族も同じように苦しいでしょう。ですが、彼らはまだまだ成長途中の段階です。これからいろいろな世界を知り、成長していくことで、きっと変わることができますし、そしてまたこの山を乗り越えた後には、自分でも驚くほど大きく大きく成長していることでしょう。結果的に大きく成長した姿で社会に出ることができるのです。

どのくらいの期間になるのかは、そのケースによって異なりますが、まずはご家族や周りの人間が「絶対に大丈夫」と強い気持ちを持つことと、「何があっても、どんな道を選んでもお前の味方だし、応援してるよ」という信頼を子どもに与えてあげることが大切だと思います。子どもが自分の道を見つけて、1回りも2回りも成長した良いイメージを持って信じてあげてください。

一方、30代や40代のひきこもりは、おそらく一般の皆さんが驚くほどたくさん存在しています。彼らの多くは、その闇が深く、彼らに対しての支援は十分とは決して言えません。彼らにも、光り輝ける場所はたくさんあるはずです。不登校の子どもたちだけではなく、彼らについても、国全体で考えていかなければならないと思います。


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道なき道を歩いてきたんだ。きっと大丈夫!

2018-01-11 11:27:47 | 不登校
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

不登校の子どもたちが、高校受験や大学受験をすることの大変さは、この仕事をしていなければ絶対にわからなかったと思います。

「学校に行っていないのだから、時間はたっぷりあるはず。勉強時間は十分にあるんやから、やる気になれば大丈夫やろ」
私も実際に不登校の子どもたちを指導する前、10年ほど前まではそのように考えていました。教育に関わっている仕事をしている私ですらそう思っていたのですから、世間一般の人はもちろん同じように考えている人が多いでしょう。

不登校ではない子どもは、毎日学校に行き、クラブをして、ようやくそこから自由時間です。その間に勉強したり、遊んだりして忙しい日々を過ごしています。一方、不登校の子どもは学校もクラブもないため、勉強するのも寝るのも遊ぶのも自分の好きな時間でできます。だって時間はたっぷりあるから。ですがこの時間がたっぷりあるというのが問題なんですね。

以前この話題に触れたことはありましたが、人は忙しくしている時の方が計画的に行動できるんです。時間がないので、できるだけ時間を有効に使おうとします。時間がありあまってる人が、規則正しく生活できているなんて聞いた事がありません。

私は大学受験に失敗して2浪しています。2年とも同じ予備校に通わせてもらいました。2年目は、先生もほぼ同じで、もちろん授業の内容もほとんど同じでした。ですから、授業そのものは正直半分ほどしか出席していません。残りの半分は自習室で勉強したり、友だちとワイワイしゃべったり(友だちと遊んでる時間の方が圧倒的に多かったですが(笑))。そして帰宅してから勉強をするのですが結局この時間が一番集中できて、勉強がはかどりました。宅浪(浪人しても予備校などに行かず、自宅で勉強すること)はしない方がいいと、当時もいろんな人から言われましたが、その理由はよくわかりました。予備校に通うことは、もちろん授業を受けてることによって学力アップにはなるのですが、それだけではなく勉強するリズムができるようになることが利点なのではないでしょうか。1日の大部分を予備校で過ごしますから、帰宅してからの自由時間がそれほどなく、ゲームするにしろ勉強するにしろメリハリのある生活になります。もし私が宅浪していたら、24時間という時間を有効に使えていた自信はまったくありませんし、おそらく「時間はいっぱいあるんやから、勉強は後でしよう」という気持ちになり、ろくに勉強しなかったと思います。そういう意味では、2年間も予備校に通わせてくれた両親には感謝しかありません。

不登校の子どもが大変なのは、この「ありあまった時間」の問題だけではありません。学校に行っていると同級生と接することでいろいろな情報が手に入ります。それは受験勉強のことだけでなく、クラブのことやゲームのこと、恋愛のことや将来のことなど、本当に幅広い情報が勝手に入ってきますので、自分と同年代の子らが何に興味を持っているのか、どんな考え方をしているのか、どんな勉強をしてどれくらいの時間勉強しているのか、そんなことは当たり前のようにわかります。ですが不登校の子どもたちは、それがわからないのです。もしかしたら、同年代の子らは自分よりもっと大人で、自分は取り残されているのではないだろうか。受験してまた学校に行けるようになったとしても、同年代の子らとちゃんと話ができるのかな。お前何も知らんなとか馬鹿にされないかな。不登校だったことがバレて変な目で見られないかな。などと毎日不安と戦いながら過ごしているのです。

もちろん勉強の方法はもちろん、進学しようとしても高校や大学の情報もなかなか手に入りません。ネットの口コミや各学校のHPなどは見れますが、生きた情報を手に入れることはできません。それならば勉強するために塾や予備校に行けばよいと思われるかもしれませんが、たとえば不登校の子どもが地元の塾に通えるでしょうか?「同級生と会ったらどうしよう」そんな不安な気持ちで塾なんて行けません。だから地元から離れた塾を探します。ですが、離れているのでまたもや「生きた情報」が手に入りにくいため塾探しが困難なのが現実です。また、もし毎日塾に通うことになれば、その費用もとても大きくなってしまうでしょう。そのため週に2回ほどにすると、残りの5日は24時間自宅で過ごすわけですから、やはりリズムが作りにくく、時間が余ってしまうため、効率の良い勉強ができなくなってしまいます。

不登校ではない子どもが受験するのは、ある程度マニュアルがあります。ほとんどの学生はそのマニュアル通り進めます。しかも何通りかのマニュアルがありますので、自分に合ったものを選んで歩いていくことができます。

一方不登校の子どもたちは、そのマニュアルがありません。不登校になった原因もそれこそそれぞれ違うわけですから、「不登校の子どもは、こうやって受験勉強すればいい」なんてもんは存在しません。ある生徒が有効だった方法が別の生徒でもうまくいく保証なんてどこにもありません。それぞれが悩み試行錯誤しながら頑張っていくのです。

多くの人たちが通ってきた大きな道ではなく、舗装もされていない道なき道を彼らは必死で歩いてるのです。それもゴールがどこにあるのか予想もできず、ゴールした後どうなるのかという不安を抱きながら歩いています。

ときには、不安で不安でたまらなく眠れない日もあるでしょう。何もかもが嫌になり、もうこの社会から離れようと思ったこともあるでしょう。自分が惨めで情けなく、全てを恨んだこともあるでしょう。

でも、きっと大丈夫。君たちは誰も通ってこなかった道なき道を歩いてきたんだ!そんな道を歩いてきた君たちは自分でも気づかないほど強くなってる。歩いている間、どれほど多くの時間を、自分を見つめ直すことに費やしてきたんだ。自分の弱さや嫌いなところを、君たちの年齢で受け入れる事ができたのは、素晴らしいことなんだ。きっと数年後、笑って過去を振り返る時がやってくる。自信を持ってなんて軽い言葉は口に出せないけれど、不安で不安で立ち止まってしまうこともあるだろうけど、それでもいい、どうか諦めずに、前を向くことを忘れずに踏ん張ってほしい。






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みんな自分のことで精一杯で他人のことなんて見てないんですけどね

2017-12-07 11:15:53 | 不登校
こんにちは。堺市西区上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

気がつけばもう12月で、毎年のように言ってますが、今年もあっという間に終わってしまいます。ONE-Sを開校して2年、塾の仕事を始めてからですともう19年となります。足腰も弱くなり、体力がなくなってるのも納得ですね。

大学を卒業後、引きこもっていた頃の私からしたら、こうして20年近くも塾の仕事を続けることができているのは奇跡のようなものです。

引きこもっていたときの私は、とにかくすべてにおいて自信をなくしていました。そして、自分の欠点や弱点を必要以上に気にしていました。

他人と比べて、なぜ自分はこんなに何もできないのか、みんなは働けていいなー、どうして自分は働けないんだろう。吃音を気にしていた私は、たまにお店にいって店員さんと話したり、電話に出たときに、ちょっと吃ってしまったり、滑舌が悪くなってしまったりしたときには、「ああ、この人俺のこと変な人やと思ったやろな」と落ち込んだものでした。

いわゆる人生のレールから落ちてしまったとき、自分をみじめだと思っているので、そのみじめな自分を他人に知られたくないという思いから、プライドだけは高くなり、強がったり、自分は他人より劣っているわけではないと思いたいため、人の目を気にしすぎてしまいます。自意識過剰な状態になるんですね。そんなところまで他人は自分のことは見ていないのに、自分のことをよく見せようとか、もっと評価してもらおうとか考えてしまうのです。

働き始めた20年前には、ようやく働けることができた嬉しさと、なんとかこの塾を継続させていきたいという気持ちで無我夢中でした。5年ほど経過し、経営的にも気持ち的にも余裕がでてきた頃でも、「どうやったら、生徒たちにうまく教えることができるか」「もっと満足してもらうにはどうしたらいいか」といった仕事のことや「ばあちゃん、最近調子悪いみたいやけど大丈夫かな」「親父、仕事うまくいってるんかな」などと自分の家族のことや、そして友人のこと、自分の将来のことなどで、頭の中はいっぱいで、他人と比べて自分はどうだとか考えている時間などなく、ましてや自分の弱点や欠点に対していちいち落ち込んでいる暇などありませんでした。

みなさんも同じではないでしょうか。人と接する仕事をされている方は、「お客様に喜んでもらうこと」を一生懸命考え、ものづくりの仕事の方は「いかに、よりよい商品を生み出すか」を毎日考え、子育てされてる方は毎日自分の子どもの育て方をあれこれ悩みながら、必死で子どもと向き合っている。自分のことや、自分の家族、仕事のことで頭がいっぱいで、他人のことはそんな気にして見ていないですよね。「あの人服のセンス悪いわ」「あの人趣味がないみたい」「あの人髪の毛薄いな」「あの人滑舌悪いな」なんて細かいことなんて、絶対に他人は見ていませんし、気にもしていません。

ですが、ひきこもっている子は、時間が有り余っていますので、そういうところに目がいくため、自分も他人に同じように見られていると思ってしまうんです。思春期の不登校の子どもたちは、この傾向がより強くなります。「なんでそんなことまで気にするの?」というのがたくさんありますが、これは一般の人たちには、おそらく理解できないことかもしれません。

ですから、「そんなん別に気にせんでいいよー」と言ってあげたところで本人は納得しません。状況が変わらない限りは、ずっと同じことで悩み続けます。ただいつか、本人が状況を変えようと頑張るときが来ます。不思議なものでどのタイミングかはそれぞれ異なりますが、現状に心から満足していない子にはその時が訪れます。そのタイミングを逃さずに、背中を押しながらというよりは、横について一緒に歩きながらサポートしていくのが、塾や学校そして親の役目だと思います。

私自身もそうでしたが、彼らもきっと何年か後には当時のことを振り返り、「なんでこんなことで悩んでいたんやろうな」という日が来ます。その原因は本人もよくわからないでしょうが、1つ言えるのは、不登校やひきこもりで、いろいろと苦しい思いをし、絶望とともに生きていた日々は、きっと社会に出て生きていくために必要な成長の時間なんだと思います。成長のスピードは個人差があります。私のように社会に出るのに十分な能力が成長しきってない人には、その力を伸ばしていく時間が必要だったんです。ですから、成長しきった段階で動き始めることができ、そのときには十分な力が備わっているはずですので、力強く生きていくことが必ずできます。そしてこの成長には1つ大きな副産物があります。それは、他人に優しくなれるという能力も自然と身につけることができることです。自分が経験してきた苦しみや辛さを嫌というほど味わっていますので、絶対に他人を傷つけたりはしません。本人はもちろん、ご家族も苦しくつらいでしょうが、その先にはみんなが大きく成長した明るい未来が待っているはずです。その未来を信じて、ともに歩いていきましょう。

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動き始めるまでが大変なんです

2017-11-30 10:55:37 | 不登校
こんにちは。堺市西区上野芝にある個別指導の学習塾ONE-Sの塾長の松下です。

何か重たいものを押したり、引っ張ったりして動かすときに、動き始めるまではめちゃくちゃ大変だったが、いったん動き始めると、意外とそれほど力をいれなくても簡単に動かせるという経験をされたことはないでしょうか?

これは、物理の法則で、簡単にいうと静止しているものを動かすために必要な力は「静止摩擦係数」、動き出してから必要な力は「動摩擦係数」というものが関係します。そして、「静止摩擦係数>動摩擦係数」であるため、静止している物体を動かす力の方が、もうすでに動いている物体をその速度で動かし続ける力よりも大きな力が必要になるのです。

日本の社会というのは、基本的に休憩することが難しい仕組みになっています。小学校~中学校の9年間は義務教育で、ここまでは全員がすでに敷かれたレールの上を足並みをそろえて歩くことが求められます。そして中学卒業後、ようやく自分の足で歩けるようになるのですが、ここでも高校に進学するのが当たり前という風潮ですので、子どもの感覚としては、自分で選択したというものではなく、義務教育の延長という意識の方が圧倒的に強いでしょう。そして高校卒業後はすぐに就職するか、大学・専門学校に進学するのかを決めなくてはなりません。うーん、あわただしいですね。さらに、進学した場合は卒業後すぐに就職を決めなければなりません。卒業して2、3年ボーっとしていると、就職先が新卒のときと比べて激減してしまいます。

少し休憩をしていると、自分の置かれている状況がどんどん悪くなってしまい、またそれを許してもらいにくい社会ですから、疲れてきたり苦しくなったりしても立ち止まることができなく、必死で歩き続けるのです。ですが、だれもがみな、疲れや苦しみに打ち勝って歩き続けることができるほど強くありません。力尽きて立ち止まってしまう子どももいるのです。少し休んでまた歩き続けることができればいいのですが、「立ち止まること=いけないこと、許されないこと」と信じて歩いてきましたので、それでも立ち止まってしまうということは、完全にエネルギーを使い果たしてしまっていて、もう1歩も前に進むことができない状態になってしまっているのです。

疲れたり、しんどくなったらすぐに休んでもいいというのを認めてしまうと、それこそ社会や学校が成り立たないのはよくわかります。過剰になってしまうとただの甘やかしになってしまいますから。

私たち大人の役目としては、子どもの状態がどれくらいなのかをしっかり把握することではないでしょうか。子どもが疲れやストレスでSOSを出しているのに気づかずに、無理に歩き続けさせた結果、長期のひきこもりになることはよくあることです。他の子ができているのだから、自分の子も大丈夫ではなく、他の子は他の子、自分の子は自分の子でまったく異なった人間です。子どもは自分が苦しいことや辛いことを口に出しては言えないのです、特に親に対しては。それは、恥ずかしいということもあるでしょうが、自分がこういう状況になっているということを親が知ってしまったら、親を悲しませてしまう、失望させてしまうと考えているからです。だから、誰にも言わずに、もう限界なのに頑張り続けた結果、エネルギーが切れて、そしてそうなってしまうと親を悲しませてしまうという思考ができるほど力も残っていませんので、親の言うことも聞かなくなり、ただ自分自身に絶望してしまうのです。

こうして完全に止まってしまうと、次に動き出すためのエネルギーは今まで使ったことがないくらいの大きなものが必要となってきます。ちょっとやそっとではビクともしません。動くのに必要なエネルギーがたまるのを待つしかありません。

そうなってしまう前に、子どもの様子が少しおかしいなと感じたときには、子どもの気持ちを聞いてあげたり、少し休ませてあげたりしてあげなければなりません。そうするだけで、子どものエネルギーがまた充電され、無理なく歩くことができます。大切なのは、調子がいいときには走らせてあげればいいのですが、調子が悪いときには少しくらい歩く速度が遅くなってもいいんだよということを子どもに伝えることではないでしょうか。ゆっくりでも動けている間は、少しのエネルギーでまた走り出すこともできるはずですから。

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その経験を生かして、また次の道に進めばいいんだ

2017-11-02 10:46:40 | 不登校
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

ある卒業生が高校を中退することになりました。

彼は中学3年生の5月頃から塾に来てくれました。学力は驚くほど低く、はっきりいって高校進学を目指せるような状態ではありませんでした。しかし、彼は公立の普通科にどうしても進学したいという強く希望していましたので、どうなるかわからないけれども、一緒に頑張っていこうということになりました。

彼の学力がなぜそれほどまでに低かったのかというと、小学生のときに発達障害と診断されていて支援学級に通っていたそうです。その間、勉強らしい勉強はほとんどしていなかったようで、その証拠に九九でさえスラスラと言えなかったですし、漢字もほとんど書けませんでした。

中学生になって通常学級に通うようになりましたが、そのような学力ですから授業についていけません。支援学級にも何度か足を運んでいたらしいのですが、同級生たちにあれこれ言われるのが嫌になって支援の方に行けなくなったのです。自然と学校が楽しい場所ではなく、しんどい場所になっていき、不登校になりました。

しかし、中学3年生になったとき、「高校に進学したい。学校生活を楽しみたい」という想いが強くなり、中学校に行き始めました。ですが、授業がわからなく、もう一度初めから勉強したいということでONE-Sに来てくれることになりました。

小学校の算数から勉強を開始しました。九九がきちんと覚えることができていないため、割り算もうまくできませんし、分数の計算になるとまったくできませんでした。それでも毎回教えたことはその時間内にできるようになり、できる問題が少しずつ増えてきました。ただ塾での勉強だけでは不十分ですので、塾で学習した復習を自宅での宿題として出すようにしましたが、これまでの約15年間、家で勉強したことがなく、その習慣もついていないため、宿題をほとんどすることができませんでした。

毎日塾にきてるわけではなく、家での復習もしていないため、塾に来るたびに前回学習した内容の一部は忘れてしまっていることが多く、予定通り進みませんでした。それでも彼なりに一生懸命勉強には取り組んでいましたが、やはりどうやっても高校受験のレベルにまで学力を上げるのは残された時間を考えると不可能でした。

11月頃になり進路を決めないといけない時期になり、この頃には本人と保護者との三者懇談をほぼ毎週するようになっていました。彼は3年生になるまで不登校でしたし、3年になってからも毎日学校に行けていたわけではなく、定期テストも受けたり受けなかったり、受けたとしても彼の学力ではほぼ1ケタの点数でしたので、内申点はオール1でした。公立高校の普通科を合格できるような内申点ではなかったので選択肢はかなり限られてきました。

中学校や保護者の方は支援学校に行くことを勧められていましたが、本人は普通科の高校にこだわっていました。私も、彼の学力からして、高校の授業についていけるとは考えにくく、彼の将来のためには普通科ではなく、支援学校や就労につながるような専修高等学校がよいと思っていました。

何度も話し合いを繰り返しましたが、彼の普通科の高校に進学したいという気持ちは強く、私も決意がここまで固いのであればと思い、彼の状況で進学できる高校を探し、その高校の1つ1つを彼と一緒にホームページやパンフレットで見て、気になる高校はすべて説明会に行ってもらうようにしました。

受験直前まで二転三転しましたが、なんとか受験校が決まり、そして合格することができました。

しかし、現実はやはり厳しく、ずいぶんと基礎から勉強してくれる高校だったのですが、それでも授業についていけず、そして毎日学校に通う習慣もついていなかったため、だんだんと学校に行く回数も減っていき、進級も難しくなってきたため辞めることになりました。

それまでも何度か本人や保護者の方から相談があり、お話させてもらっていましたのである程度は私も覚悟はしていました。

「だから、最初から普通科ではなく、別のところに進学させておけばよかったんだ」と思われる方もいるでしょうが、私はこれでよかったんだと思っています。何度も普通科に進学するリスクを説明しましたが、彼の決意は固く、あの時点で普通科以外の学校を無理やり受験させていたとしても、彼は1日もそこに通学はしなかったでしょう。いくらその子どもに適している学校があったとしても通ってくれなければ意味がありません。

そして、彼が高校に通っていたこの時間は決して無駄にはなっていません。実際にその場所に行くことで、いろいろなことに気付くことができたのです。自分に足りないものは何か、自分ができることとできないこと、なぜ学校に通い続けることができなかったのか、これからどの方向に進んでいくべきなのか、こういったことに気づき、そして考えることができているのです。この選択をしていなかったら決して気づけなかったことを彼はたくさん経験できたのです。

彼は今、次の道を一生懸命考えています。その中で、やっぱりもっと勉強ができるようになりたい、勉強を教えてほしいと頼まれました。午前中の時間は空いているから、その時間に塾に来て勉強することになりました。勉強をしながら次の進路の話もいっぱいしていこうと思っています。

大人がレールを敷いてあげることは必要かもしれません。ただ、それが必要のない時もあると思います。自分で経験しないとわからないことなんて山ほどあります。ちよっと遠回りに感じるかもしれませんが、長い長い人生において1年や2年なんで時間はほんのわずかなんです。遠回りしたことによって経験できたことは、必ず今後の人生に役立ちます。

高校を辞めたことは、失敗でもなんでもなく、よりよい道を選べるチャンスなんです。そして自分自身を見つめなおせる、とっても有意義な時間なんです。

「中退したからって、どうってことないよ。俺なんて就職して2週間でやめたんやで。その後引きこもりになったけど、そのおかげで今の仕事に出会えたんだよ」

順調に生きてきたのではなく、挫折も味わったからこそ私は彼にたくさんのことを伝えることができます。そして、その中から何か感じてもらい、何かのヒントになればと、彼といろいろな話をしていこうと思っています。

大丈夫、絶対に大丈夫。君の進むべき道はきっと君自身で見つけることができるから。

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