富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

別井・南大伴地区散策

2015年11月03日 | 館外活動

北別井・元「上の城」址地、別井神社址付近から市内展望

中央PLの塔、楠公時代は右は中野城、中央は毛人谷城、左は篝山城が一望できたであろう。 

浄信寺

    

旧大伴村大字別井字、上の城にありました。観照山と号する。浄土宗知恩院末寺。本堂、庫裏、門を存す。

本尊阿弥陀如来は行基の作と伝えられています。

京街道(山崎街道又は古市街道とも云う)

 

 赤坂村大字水分碑之前より真直に北し、中村大字寛弘寺を経て別井に入り、石川村より北方北河内郡に通ず。現今は里道となり廃墟す。

楠木正成は出陣時、この街道を通り喜志まで出て、喜志から船を使い出陣したと伝えられています。

保存樹(クスノキ)

 

富田林市保存樹第12号 クスノキ  幹周 3.4m  高さ 12.0m 

慈眼寺(じげんじ)

      

 

旧大伴村大字別井字一四、宝塔山と号し、黄檗宗、萬福寺末の尼寺、聖観世音菩薩を本尊とする。

寺伝に依ると、本来は観音堂と称して、真言宗に属し、四天王寺念仏院の分院であったのお、徳川中期に天王寺の僧「空厳」が来住し、慈眼寺と号したという。境内に弘仁年中(810~823年)弘法大師が掘ったと称する古井があって、別井の地名はこれから出たと言われている。

本尊、聖観世音は聖徳太子御作の仏像といい、梅ノ木観音とも俗称する。寺宝に楠木正成自筆といわれる「軍壇目鏡一巻」がある。

極楽寺

  

 

旧大伴村大字別井字下田井、不遠山と号す。浄土宗知恩院末にて、阿弥陀如来を本尊とし、本堂、庫裏、門を存す。

お相撲さんの墓(南大伴墓地)

 

地上3mもある巨大な墓石であり、正面は力辰墓、大正十四年十月建之、基礎上段には、相撲関係者の名が刻まれている。

大阪角力頭取十四代朝日山、同高田川、横綱宮城山、大阪角力頭取三保ケ関、同時津風、同陣幕 他

大阪相撲は江戸、元禄期の頃から、昭和二年まで存続し、東京相撲と統合し大日本相撲協会が発足し、日本相撲協会に至る。

円照寺址(岡田家住宅)

    

 

大字南大伴70、真宗本願寺派末、阿弥陀仏を本尊としていたが、現代岡田家住宅となっている。

寺内町には、四門を設けられていたが、現代唯一既存する門は、大正二年に向田坂門を円照寺に移設された、貴重な山門である。 

 

kusu  2015.10.28

  


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