富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

「アイセルシュラホール」を訪ねて 後編

2018年03月18日 | 博物館・資料館

西浦小学校西側の道路のフェンスに掲示されています。

 

第22代 清寧天皇陵古墳 在位 480年~484年

文化十一年(1811)の道標です。

第24代 仁賢天皇陵古墳 在位488年~498年

車だと、通りすぎてしまいそうです。注意!!

「アイセルシュラホール」到着

 

参道に入って直ぐに、「田中翁」の碑があります。

どの様な人なのかわかりません。

延喜式にも記載のある古い歴史を持つ式内社で、物部の祖を祀ったことに始まります。室町時代には春日の神を合祀し、春日丘にその名を残しています。 その後、明治時代になって長野神社を合祀しました。深い緑に囲まれた長い参道は「大阪みどりの百選」に選ばれています。安産・厄除けを願って多くの方がお参りします。

詳しくは、辛国神社のHPを!(リンクします)

昔の人々は、なかなか伊勢神宮までお参りに行くことが困難なことから、お伊勢さんの方向に

向かって遥かにお参りしました。

鉢塚古墳

頂部にも登れます。

頂部からの眺め。金剛・葛城・二上山が一望です。

仲哀天皇陵古墳 第14代 在位192年~200年

Photoが1枚に、収まりませんでした。

台形の方墳側には宮内庁の管理事務所と陵墓の遥拝所が設置されています。実際に埋葬がされているのは円墳側で、方墳側では祭祀が営まれたという説があるそうで、前方後円墳の場合、遥拝所は常に方墳側の底辺にあたる場所の中央部に設けられているようです。

竹内街道沿いにある、「軽羽迦神社」です。

現在の神社は戦後建てられたもので、最初は白鳥陵古墳の濠の横に祭って会ったとされています。

現在では、この地は「軽里」と呼ばれています。

白鳥陵古墳です。

「小白髪山古墳」

「清寧天皇陵古墳」の東側にあります。

 古市(ふるいち)古墳群の南西部、羽曳野丘陵から東にのびる台地の上に造られた小型の前方後円墳です。西方には全長115メートルの前方後円墳の白髪山(清寧陵古墳)が一直線上に同じ向きで並んでいて、その陪冢(ばいづか)と考えられます。

神社の鳥居と、御陵のとの違いに留意してください。

神社は、「明神系(みょうじんとりい)」。御陵古墳は「神明系(しんみょうとりい)」

違いは、ご自身で確認してください。

今回のコースマップです。

ありがとうございました。 辰じいでした。

 


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