〈リバイバル・アーカイブス〉2024.7.1~7.15
原本:2021年7月18日
2021年7月17日 13:00 富田林市加太 智福山 龍雲寺
境内の2つの蓮池とたくさんの鉢に植えられた蓮がきれいに咲いています。
大輪の大賀ハスをはじめ、いくつかの種類を鑑賞できます。
暑さにも涼しげな蓮の花。
きょうは気温が33度まであがり、蒸し暑い夏がやってきました。今日、近畿と東海が梅雨明け宣言です。
白い蓮。なんだか池の周りは涼しげに感じます。
居ついているシオカラトンボ。
お寺の境内に調和してとてもきれいです
龍雲寺は享保九年(1724)に、狭山藩第5代藩主 北条氏朝の支援を受けた独園和尚が、領内の河内長野市石見川にあった真言宗寺院をここに移転して、禅宗の黄檗宗に改宗して開山しました。墓地には多くの藩士や藩主の子息・子女のお墓があります。
狭山藩家老の江馬氏の墓碑が見える無縁塔。
創建間もない享保十四年(1729)の墓碑(無縁塔にて)
宝永三年(1706)の年号。なぜか龍雲寺の開山より古い墓碑。(無縁塔にて)
本堂のすぐ西側に 北条氏ゆかりのお墓があります。
白壁の塀に囲まれた中に、藩主の子息・子女のお墓が16基現存します。
藩主の墓はおもに江戸おもて、渋谷区広尾の祥雲寺(氏規・氏盛は大阪市 専念寺、氏燕は堺市美原区今井 法雲寺)にありますが、若くして亡くなった子息・子女はここに眠ります。
大名の子息だけに「大童子」で「院殿号」。
同寸で仲良く並ぶ北条氏朝(うじとも)第14子 双子の兄弟 兄 氏曉(うじあき)右側と 弟 氏経(うじつね)の墓 左側 仲良く「江白石」「江白玉」と刻みます。
お兄さんの氏曉(江白石)は寛保三年(1743)悲しいかな、わずか19歳で病気で亡くなりました。
その墓碑に追悼文を寄せた弟 氏経は36年後の安永八年(1779)55歳で亡くなりました。
仲の良い双子の兄弟であったことでしょう。
同じ形の墓碑で隣同士、今も仲良くおだやかに眠ります。
開祖 独園和尚のお墓(塔)もここにありました。
関連記事:
黄檗宗 智福山龍雲寺の蓮 2016.7.21.撮影:7月19日
撮影日:2021年6月28日、7月17日
2021年7月18日 ( HN:アブラコウモリH )
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます