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『円朝芝居噺 夫婦幽霊』

2009-04-19 22:01:09 | ・近ごろのおススめ本

著者: 辻原登
講談社
発行年月日:2007/03/20

近田春夫が「家庭画報」に連載していた「僕の読書感想文」で激賞していたので読んでみました。
(しかし、近田春夫と「家庭画報」って・・・。)

江戸末期から明治にかけての大落語家、三遊亭圓朝の幻の演目「夫婦幽霊」が現代になって発見された、という話。


時は幕末。
江戸城本丸御金蔵から大金四千両が盗まれ、犯人はその半年後、世に言う安政の大地震の騒ぎにまぎれて、仲間を出し抜こうと画策する。
未だ駆け出しの圓朝は、竹馬の友である出世街道ばく進中の若き与力に付き従って、何の因果かその犯人を追う破目に。

明治になって功成り名遂げ、いまや人気絶頂の三遊亭圓朝、若き日に係りあった大事件の顛末を得意の怪談噺に仕立て、好評を博す。
圓朝の語りは袖に控えたる速記者の手で文字に写し取られ、それらはやがて地方の新聞にも連載されるほどの人気であった。

そして平成の今日。
「私」は、辻原登の小説「黒髪」の登場人物のモデルである男から、圓朝縁と思われる判読不可能な記号で埋められた謎の紙束を譲り受ける。
もしかしてこれは、ついに後世に伝わることのなかった、圓朝の知られざる演目の速記原稿ではあるまいか!?

苦心惨憺の末、これが「田鎖式」と呼ばれる、今は失われた速記法による原稿とわかり、田鎖式をわずかながらに判読できる職人を探し当て、いざ解読に及ばんとす。
解読が進むうち作者は、小さな、しかし見過ごせない矛盾に目を留める。
この演目「夫婦幽霊」は、本当に存在したのか・・・・?

我々読み手は、圓朝の円熟の語りに聞きほれながらも、章ごとに付された注釈に目を通して、噺家圓朝の小説へのアプローチ、はたまた近代小説の成り立ちについての作者の講釈に耳を傾け、ある時は、ハテ先月の「群像」にはどんなことが書いてあったっけかなぁ(初出は「群像」2006年6~10月号)と記憶をたぐるという具合に、さながら川の流れの中にいて、浮かぶ小舟から小舟へ飛び移るように、次々と視点を変えながら、物語の河口を目指して流れを下ってゆく。

若き日の自分が登場する物語を演じながら圓朝が言う。
「この円朝、私であって私ではありません。なぜならば、私は藤岡藤十郎を犯人と知っておりますが、彼、つまり円朝は知りません。明治の御世を、私は知っておりますが、彼はまだ知りません。彼は女を知っておりますが、まだお幸を知りません。以上のようなわけで、化粧前にいる仲蔵さんをじっとみつめている円朝を別人とおぼしめし下され。」

フンフンと頷きながら、読み手は「私」の姿をした作者辻原登(いや、文中では「訳者」となっているな)の作り出す大小の入れ子の内と外を行ったり来たり、ある箱から出たと思ったときにはまた別の箱の中にいたというあんばいに、ページをめくり続けることになる。
そして、単行本発刊の際に書き下ろされた「訳者後記」のおしまいは、大正12年、放蕩たたって廃嫡ののち行方をくらましていた圓朝の長男、朝太郎の言葉でしめくくられる。
「うそではないぞ。きっと天災がくるぞ。早く逃げろ。わしはひと足早く、うんと遠いところへ逃げる」
はて、このせりふ、ちょっと前に一度聞いたような。
そしてその時、彼朝太郎が抱えていたものは・・・。
ようやく流れを下り終えて大海原の玄関口に達したかと思いきや、そこはまだ、またさらに大きな流れのその始まりにすぎなかったと気づき、呆然とするなかでこの物語は終わる。


それにしても残念に思うのは、落語についてまったく知識のない自分の教養不足。
なにしろ「牡丹燈篭」の話の筋も知らないんですから。
圓朝落語、そしてそれに続く日本の近代文学についてもうちょっと知っていれば、この本はもっともっと多くの感慨を読み手にもたらしてくれるのではないでしょうか。
まずは古典落語の世界に、つま先だけでもつっこんでみようかなと思った次第です。

                                      ヨシモト


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