にいはんは周回遅れ

世間の流れとは違う時空に生きる

オーマイに阿部四郎は不要

2007-10-20 | オーマイニュース

オーマイニュース(以下OMN)が、死刑制度の是非についての取材をスタートさせました。その皮切りは、死刑廃止を推進する議員連盟会長の亀井静香氏へのロングインタビューで、テキストの他に動画記事も掲載されています。これらの記事が掲載される直前には、光市母子殺害事件で検察側が求刑した死刑についての妥当性を問うアンケートが、OMN編集部名義でスタートしました。編集部がかなり力を入れて今回の企画に取り組んでいる事が窺えます。

今後、この企画がどのような方向に進むかはまだ明らかになってはいませんが、それを暗示するような表現があり、若干の不安を覚えます。編集部所属の軸丸靖子記者による当該記事の書き出しから一部引用してみましょう。(引用部分はイタリック体で表示、フォント変更・太字は筆者)

テレビは被害者遺族の無念を扇情的に流し、元少年についた巨大弁護団に罵声を浴びせる。世論は死刑を圧倒的に支持しているようにみえる。だが、私たちは「死刑をする」ことの是非について、本当に十分に情報を持っているだろうか。

この部分を見る限り、軸丸記者は、死刑を支持する世論は被害者遺族を善、被告と弁護団を悪に色分けしたテレビによって誘導されたものだと主張したいようにも受け取れます。ですが、被害者遺族が妻子を到底受け入れられない理由で殺害された事や、裁判の中での被告や弁護団の言動には一切触れないこの書き出しも、読者に十分な情報を与えているとは思えません。

そして、記事はインタビューへと続きますが、ここで登場して持論を語るのは、前述した死刑廃止を推進する議員連盟会長です。死刑を支持しているという世論に疑問を呈する導入部から、死刑廃止論者のインタビューという構成からは、特定の方向へ論調を誘導しようという意図が感じられます。

つい半年前、元木昌彦編集長は、国民投票法案特集の是非を問うといいながら反対の論陣を張りました。元木氏は、論調の偏りを批判されて賛成派からの投稿がなかったと反論しています。談 聞き手・古木杜恵シリーズで反対派の記事を集中掲載した元木氏に対し、拙ブログでは同様の手法で賛成派の記事を集めるべきと提案しましたが、残念ながらその声は届きませんでした。

そして、先日の歴史教科書検定問題では、軍の強制があったという主張を掲載する一方で、その主張に異議を唱える投稿はニュースのたねに葬られています。コメント欄では、掲載記事のバランスを考慮する意味でたね送りとなった記事も正式掲載すべきという主張が見られましたが、現時点で編集部は対応していません。

今回の死刑制度の話でいえば、掲載記事のバランスを考慮するのなら、第1回目では廃止論者と存続論者のインタビューを同時に掲載するべきだったでしょう。また、廃止論者が大物国会議員ならば、存続論者もそれに匹敵するだけの人物を登場させなければいけませんでした。もし現時点で存続論者のインタビューが取れていないのなら、それが終わるまで企画のスタートを待てばよかったのです。しかし、残念ながらOMNはそれをしませんでした。

今回の記事が掲載されたのは金曜日の夜です。通常、OMNでは土日になると記事の掲載ペースが落ちます。従って、このタイミングで大ネタが掲載されると長時間トップページにリンクが残る可能性が高く、それだけ多くの読者の目に触れやすくなります。そのような時に賛否が分かれる問題のどちらか一方を掲載する事は、公平中立の観点からは好ましくありません。一般の記事であれば成り行き上そうなる事もあるでしょうが、OMNが行う特集・企画の第1回目という点を考えれば、今回の記事は成り行きと言い張るわけにもいきません。

とはいうものの、実際に記事は掲載されてしまいました。今更削除もできないでしょう。今回の企画が、国民投票法案特集が通ったいつか来た道の後を追うかどうかは、今後掲載される関連記事にかかっています。

誰かが何かの是非を問うとき、問うている誰かが最初から是非いずれかの立場に与していれば、その結論は問いを発した誰かの立ち位置によって大きく左右されます。この企画の担当者には、OMNは政治的・思想的な中立を守っていきますと宣言した組織であることを忘れずに、取材や記事執筆に励んでもらいたいものです。


【関連リンク】
創刊宣言


オーマイが朝日に勝った日

2007-10-18 | オーマイニュース

今日の朝日新聞都内版に、職人の技早大で販売という記事が掲載されました。産学官が連携し、早稲田大学生協で墨田区の職人が作ったグッズを販売する。売りたいのは「もの」ではなく「ストーリー」というコンセプトの下で展開されているプロジェクトの紹介です。記事の署名は赤羽諭氏。東部支局長という肩書きのある、なかなか偉い人のようです。

記事を読んで、どこかで見たような話だなと思ったのですが、実はつい一昨日、オーマイニュース(以下OMN)にほぼ同じ内容の記事が掲載されていました。こちらの記事のタイトルは、コンセプトそのものズバリのモノ売り、やめました。執筆したのは編集部所属の吉川忠行記者でした。

双方の記事を読み比べると、同じプロジェクトを紹介する記事だからでしょうか、内容はかなり似通っています。朝日新聞にあってOMNにないのは商品を作っている職人さんへのインタビューくらい。逆にOMNには朝日新聞にない生協の店長さんへのインタビューがあったり、生協に販売コーナーを設置するきっかけが紹介されていたりという感じです。

さて、複数のメディアで同じ素材を取り上げると、その内容の優劣を比較したくなります。個人的な感想ですが、今回の場合、全体としてプロジェクトに関わる人たちの声や活動ぶりを丁寧にすくい上げている印象がある吉川記者に軍配を上げたいと思います。

紙面という物理的な制限がある新聞と、字数制限はあっても新聞よりは緩やかなはずのネットメディアの記事を同じ土俵に上げて情報量の面から優劣を比較するのは、公正さを欠いているかもしれません。例えば、吉川記者の記事の末尾には関連リンクが紹介されていますが、紙のメディアではリンクタグを埋め込むわけにもいきません。

しかし、日刊紙とネットメディアで掲載までのスピードを比較するのは、それ程不公平でもないでしょう。写真のキャプションを見ると、吉川記者は10月12日に早稲田大学へ取材に行っています。墨田区・早稲田大学産学官連携事業のサイト上で今回のプロジェクトが紹介されたのは同じ10月12日。従って、吉川記者はネットで今回のプロジェクトを知った直後か、またはそれ以前からmixiの当該コミュニティーをチェックしていて取材に走ったと思われます。

今回の記事は、抜いた抜かれたというように一刻を争う性格のものではありませんが、それでもスタートしてわずか1年のOMNが公称800万部の朝日新聞に2日も先んじる光景は、めったに見られるものではありません。見方によっては、朝日新聞がOMNの後追いをしているようにもとれます。ともあれ、最後に吉川記者の機動力に拍手を贈りたいと思います。


吉川忠行記者、お疲れさまでした。



意思の疎通はできていますか?

2007-10-17 | オーマイニュース

オーマイニュース(以下OMN)で市民記者編集委員(以下編集委員)制度がスタートしてから1ヵ月半が経過しました。編集部と編集委員のやり取りには専用のメーリングリスト(以下ML)が用いられ、一般の市民記者を相手にする時よりも密な形で情報の共有化が図られているようです。

ところが、編集委員が書いた記事のコメント欄で少し気になるやり取りがありました。編集部から依頼を受けてOMN関連の記事を書いている編集委員に疑問を投げかけた書き込みに対し、当の編集委員が編集部からの依頼ではなく、編集委員の個人的な判断で書いたという回答を寄せたのです。

OMNが編集委員の決定を告げたお知らせには次のような一文があります。(引用部分はイタリック体で表示、フォント変更・太字は筆者)

活動内容としては、毎週おひとりずつ順番に、記事コンテンツやサイト全般について気づいた点について記事として投稿していただきます(編集委員のコーナーを設置し、記事を納めます)。

こちらを見ると、編集委員によるOMN関連記事の執筆は、OMNが編集委員に課したノルマだという事がわかります。しかし、コメント欄での発言を見ると、当の編集委員はそのようには受け止めていなかったようです。もっとも、これは記事を書いた編集委員個人の見解ですので、他の編集委員も同じように考えているかどうかはわかりません。

このような食い違いはどうして生じるのでしょうか?

一つ考えられるのは、OMNが編集委員就任を依頼した時に、お知らせとは異なるニュアンスで編集委員の活動内容を紹介していたのではないかという可能性です。例えば「編集委員の肩書きで持ち回りで記事を書いていただきます。編集部から特にテーマを指定する事はありません」とあれば、OMN関連の話題を投稿するように依頼したとは読めません。

これは一つの例ですが、編集委員の活動内容について編集部と編集委員の認識が異なっているというのは、これまでOMNの記事やコメント欄等で再三指摘されているコミュニケーション面の課題を改めて浮き彫りにしているように思えます。

編集部は依頼したつもりだったが、相手にはその認識はなかった。

この図式は、拙ブログで先日取り上げた藤倉善郎記者の記事でも見られました。平野日出木編集次長は、藤倉記者が記事を書くので編集部はコメント欄で対応することにしたと書いていますが、当の藤倉記者は編集部から依頼を受けたとは認識していませんでした。しかも、藤倉記者は編集委員MLを見ていなかったので、当初編集部が反論記事を出すつもりでいた事を知らされていませんでした。当然、自分が編集部の代わりに記事を書いたという認識もなかったはずです。

初代編集委員は、オフラインミーティングの必要性を考慮した編集部の意向により、6名全員が首都圏在住の市民記者となりました。それに加え、専用のMLを使用しているのは前述の通りです。藤倉記者にしても、OMNの社員ではないというだけで、編集部とは極めて密接な関係にあります。こういったある種特別な人々を相手にしても認識の違いが生じる編集部のコミュニケーション能力で、まもなく4000人に届こうかという市民記者とどうやって意思の疎通を図れるのでしょうか?

いや、それ以前の問題で、編集部内の様々な場所でも認識の違いが生じているのではないかと心配になります。


OMNは大丈夫でしょうか?



ずれているのかずらしているのか

2007-10-15 | オーマイニュース

もう10日以上前になりますが、オーマイニュース(以下OMN)の平野日出木編集次長の記事が掲載されました。日本経済新聞の株譲渡に関連する前回の記事を書いてから、約4ヶ月ぶりの記事執筆になります。その内容は木舟周作記者による編集部批判への反論ですが、反論というには論点がずれているようにも思えます。どういったあたりがずれているのか、記事を引用しながら見ていきます。(引用部分はイタリック対で表示、フォント変更・太字は筆者)

予定は未定

平野次長は、まず木舟氏の批判を受け止め、改善につなげて行きたいと表明しました。その後、具体的な手段を数点挙げています。ですが、木舟氏の記事のコメントで既に表明されていたスタイルシートの公開以外は、いつ行われるのかというより、実際に行われるかどうかが疑問視されるものばかりです。平野次長自身、記事でこのように述べています。

 上記措置はまだ何ら機関決定しておりません。ですので、公約というより、新聞の見出し的に「△△策を検討」、あるいは「△△を実行へ」ぐらいの“確度”で受け取っていただければ助かります。ただ、編集部への不信感をひとつずつ払拭すべく、具体的に手を打っていきたいと考えております。

OMNは、これまでやるといった事をいつの間にかなかった事にしたり、途中で放り出してしまったケースが数多くあります。そういった組織の中から出てきた発言がどれだけの人に信頼してもらえるか、高めに見積もって安倍政権末期の支持率とトントンだと思われます。発言ではなく、実際の行動で示すまで周囲からの信頼は得られないと考えておいた方がいいでしょう。ましてやここに示されているのは機関決定していない私案に過ぎません。編集部としての対応はここに書かれてはいないと言う事もできます。

そして、その前提に立ったとしても、木舟氏をはじめとする市民記者の編集部批判をきちんと理解しているのだろうかと思わせる改善案も出されています。

 さらに、市民記者編集委員の方には、3カ月間の任期終了後、編集ツール内に入っていただき、ご自分の投稿については、編集部員に手を触れさせない形で、そのまま完成記事にしていただけるよう便宜を図ることも検討したいと思います。

どこかで、編集プロセスを通さずに記事を掲載して欲しいという要望が出されていたのでしょうか?少なくとも私はそのような要望を見た記憶はありません。木舟氏の記事に書かれていたのは「トンデモな編集をどうにかして欲しい」という話でしたし、記事掲載をめぐるやり取りの中でも、木舟氏は編集を拒絶してはいないと主張しています。

また、仮に誰かがそのような要望を出していたとしても、その対象を市民記者編集委員経験者のみに限定するのはどうなのでしょうか?

「便宜を図る」という表現も気になりますが、特定の市民記者だけが享受できる特権はできるだけ少ない方がいいでしょう。確かに、編集部員と顔が見えるコミュニケーションを取れるのは圧倒的に首都圏在住の市民記者が多いというように、編集部には解決できないものもあります。しかし、編集部が率先して市民記者間の格差を広げる必要はありません

辞める理由は記されている

「辞めてしまう」理由が記されていない

記事は、この見出しから木舟氏が公開した編集委員MLでの発言の真意を含めた藤倉善郎記者の記事掲載までの経過説明を経て、木舟氏の記事に対する反論へと続きます。経過説明については詳しく書きませんが、やはりかなりの字数を費やして説明する必要があったのだという印象を持ちました。

その後、平野次長の反論が始まるのですが・・・

ところが、木舟記事中には、その刺激的なタイトルにもかかわらず、どんな人が、どのような理由で辞めていったのかについては、何ら記されていません。

どうやら、平野次長は田村圭司記者を辞めた人としてカウントしていないようです。「市民記者登録を解除していなければ辞めた事にはならない」という解釈も間違いとはいえませんが、木舟氏が問題視したのはそんな話ではない事は、元記事を読めば明らかです。市民記者の実働率や、書かなくなった人にも着目している記事への反論にはなっていません。木舟氏の記事からサブタイトルを引用します。

編集部の対応こそが、全ての鍵を握っている

平野次長が記事の冒頭に書いているように、批判を真摯に受け止める事は勿論必要でしょう。しかし、木舟氏が自身の記事で何を言いたかったのか、そこをきちんと理解していなければきちんとした対応はできません。市民記者が辞める理由は様々という平野次長の反論は理解できなくはありませんが、編集部の対応を問題視した木舟氏に対する反論が「他にも理由はあるだろう」というのは、問題点を拡散して話を混ぜっ返しているようにも思えます。

なお、その後は市民記者の実働率を例に挙げた木舟氏の手法を批判していますが、その批判に使われた数字も平野次長が言う「生データの加減乗除」にしか過ぎない事は、記事を書いた本人が一番よくわかっている事でしょうから深くは触れません。

辛抱しましょう

記事の最後は、このように結ばれています。

 だれかや何かのせいにしたり、アレを排除すればいい、コレを付加すれば解決するなどと単純に考えて、声高に何かを批判していい気持ちになってしまうのではなく、興味を持つ大勢の人間がそれぞれのリソースを持ち寄って辛抱強く作り上げていく、そんなシビック・メディアにしていきたいと個人的には思っています。

この部分には同意します。その一方でこの記事が書かれたタイミングを思う時、複雑な心境にもなります。

この記事は、藤倉記者の記事のコメント欄に、木舟氏が“「嘘」はやめてください”と題したコメントを付けたのを受けて書かれました。掲載時刻は深夜の2時54分。当該コメントの書き込みから記事の掲載まで約9時間というスピードです。

レスポンスが速くて何が問題かという声もあるかもしれませんが、記事冒頭に書かれた改善策の多くはOMNとしての決定事項ではありません。記事掲載から約10日が経過していますので、その後編集部内で何らかの決定が行われている可能性はあるものの、現時点で平野次長の私案がどのようになっているかのアナウンスはありません。これまでのOMNの実績から、私案に過ぎない改善案の信頼度に疑問符が付くのは前に書いた通りです。

もしかすると、この記事も編集委員MLに書き込んだ時のように「よっしゃ記事を書いてやるぜ」と思い立った勢いそのままで書かれたのではないかと心配になります。ここでは急いで反応するよりも、改善案が実行可能な段階になってから記事なりお知らせなりでアナウンスすればよかったのではないでしょうか?

一般の市民記者や読者がOMNに望んでいるのものは、実現の可能性が不安視される空手形ではありません。


賞の発表もいいけれど

2007-10-13 | オーマイニュース

先日、オーマイニュース(以下OMN)に木舟周作記者が書いた記事で、編集部発のものを含む常連記者による記事が8割を占める事が明らかになりました。それならば、週間市民記者賞に選ばれる記事にも同様の傾向が見られるのではないかと思い、毎週発表されている記事を見に行ったところ、それとは別の気になる点が出てきました。

 

これは、9月の発表記事から抽出したものです。

候補記事数は、それぞれの発表記事で紹介されている記事の本数、執筆記者名は、それぞれの記事で記者名がどのように紹介されているかを示し、記事タイトルは発表記事でどのように紹介されていたかを示します。

まず、週によって記述の方法がバラバラな事がわかります。記述の方法というよりは、講評の仕方といった方が適当でしょう。

1. ○○さんの記事は・・・という形で講評に入るもの

2. ○○さんの○○(記事タイトル)は・・・という形で講評に入るもの

3. ○○さんの○○(記事の概要)は・・・という形で講評に入るもの

4. 執筆記者名と記事タイトルを上げてから個々の講評に入るもの

このようなパターンがあります。1番の場合には、その氏名がフルネームだったり、苗字のみだったりというばらつきがあります。また、1回の発表記事に1番から3番までのパターンが混在しているものもあり、かなりフランクに講評が行われている印象を受けます。

この発表記事、月に1回は月間市民記者賞の発表を兼ねますが、基本的には候補となった記事を挙げ、講評を加え、受賞記事を発表するパターンは毎回変わりません。このような性格の記事には事前にひな型を作成して、そこに執筆記者名と記事タイトルを毎回挿入する形を取れば、表記のぶれはなくなり、執筆者も楽になるのではないかと思われます。

そして、次に気になったのは、受賞記事だけしか紹介されていなかった第4週の発表記事です。

週間市民記者賞の発表記事は、受賞記事を発表する以外にその週にどのような記事があったかを紹介する性格を帯びています。2本しか記事が紹介されていない第2週も同様ですが、こういった週には、ピックアップして講評するに値する記事がそれしかなかったというわけでもないでしょう。

元木昌彦編集長は、いつも執筆記事に優しい、執筆した市民記者を褒める講評を行っています。プロに褒められて気を悪くする素人はそうはいないでしょう。

OMNにおかしな記事が出ると、かなりの確率でコメント欄等で指摘を受けます。記事の穴はそれだけ誰にでも目に付きやすいものです。しかし、いい部分の評価というのは穴を指摘するのと同じようにはいきません。それぞれの記事の長所は、いわゆる素人には見えにくいという事もあると考えられます。

そういう意味でも、週1回の発表記事では受賞記事以外にもなるべく多くの記事をピックアップして、元木氏には講評を行って欲しいものです。

それぞれの市民記者が持つ長所を伸ばす事は、記事の質向上につながります。そして、記事の質向上を誰よりも強く望んでいるのは、OMNのはずです。


【関連リンク】
9月の週間市民記者賞発表記事(魚拓)
第1週
第2週
第3週
第4週