okinatchiの四次元徘徊記

 毎日の出来事を書き綴ります。

2月11日

2015-02-11 19:45:29 | 日記
 2月11日
 晴れ、曇り。朝6時の屋外の気温は2℃であった。今日はTo子さんの83歳の誕生日である。起床後に顔をあわせたときにTo子さんへ誕生日の祝辞を述べた後に、お互いにこんな高齢になるまで比較的元気に生きてこれたとは! とか、子供の頃には高齢者が少なかった状態のことなどを話合った。

 新聞にはイスラム国と称しているテロ集団の資金源を絶つことの困難性に言及していたが、何かいい手はないのだろうか。TVニュースショウ番組ではバレンタインデイのチョコレートのことが取り上げていたが、バレンタインデイにチョコレートを贈るなどのことは私達高齢者が若かったころには無かった風習だったので、今の若者は大変だな~、とか、私などは多分誰からもチョコレートを貰えず、寂しい思いをしたであろうな~と思ったりした。

 午前10時過ぎにTo子さんが買い物に出て行き、私は確定申告書を書き始めた。午前11時半ころにTo子さんが帰ってきた。お昼はTo子さんが買ってきた握り寿司でTo子さんの誕生日祝いをした。  

 午後は寝転びながらTV画像を眺めて過ごした。新聞に建国の日の意義を知らない国民が大多数である、と書かれていた。戦前の2月11日の紀元節のことを思い出した。戦前の小学校では2月11日の紀元節には、先生が神代から神武天皇の即位までの話や、万世一系の天皇を戴くわが国の国体の説明を行ない、式典では奉祝歌 ♪ 雲に聳ゆる高千穂の高嶺おろしに草も木も 靡き伏しけん大御代を 仰ぐ今日こそ楽しけれ。海原なせる ‥‥ ♪ を歌い、帰りに紅白の餅を貰って家に帰り、兄弟姉妹で餅を分けて食べたっけ。などのことを懐かしく思いだした。

 敗戦後のオキュパイド ジャパンに君臨していた連合国軍総司令部を牛耳っていた米国は、インディアンが住んでいた大陸のインディアンを駆逐して実効支配したアメリカ合衆国を名乗る武装勢力が一方的に独立を宣言して以来の僅か数百年の歴史しかないことから、神武以来の長い歴史を有する日本を羨んでいた。それで、敗戦後の一時期に日本は米国に気兼ねして紀元節の行事を取り止めたとの話を聞いたことがあった。

  紀元節 古き日本を 思い出し  徘(徊)人 okinatchi