(写真をクリックすると拡大画像がご覧になれます)
今日のフォトログは10PICSです
『大磯人国記』 樋口季一郎
樋口季一郎 (1888年8月20日~1970年10月11日)
最終階級・陸軍中将。 1938年(昭和13)、ユダヤ人18名がナチスの
迫害下から逃れるため、ソ連~満州国の国境沿いにある、シベリア鉄道
オトポール駅まで避難していた。 樋口はこの惨状を見かねて、出国斡旋、
満州国内への入植斡旋、上海租界への移動斡旋等を行った。 その後も
避難民が増え続け、一説には2万人とも。 自らは<悲劇の島 アッツ・キスカ
方面軍司令官>となり、「太平洋戦争最大の奇蹟」を演出した。 そのことを
相良俊輔は「流氷の海 - ある軍司令官の決断」で紹介している。 相良は
死後、「樋口将軍の墓のそばに埋葬してほしい」と言い残し妙大寺に。
樋口中将は戦後、昭和34年ごろから台町にしばらく居住。 妙大寺を大変
気に入られて墓を移され菩提寺とされた。