横断者のぶろぐ

ただの横断者。横断歩道を渡る際、片手を挙げるぼく。横断を試みては、へまばかり。ンで、最近はおウチで大人しい。

非英雄論14■下関通り魔大量殺人事件■上部康明(35)被告の場合

2008-08-10 15:51:18 | Weblog
 画像のネタは、ポールデルヴォー『街の入り口』(『現代のエスプリ』NO.63「エロス」の口絵より)
 「この男性不能と去勢化の様相は、理性の完全な支配ではなく、むしろ弧絶した現代人の性的疎外と愛の不毛を物語るのだろうか。女性讃美の絵と見えながら、男の自己愛と女性恐怖の病根を深く分有している。デルヴォー的な少年期退行は、明らかに現実の女をではなく、年齢も恥部の有無もこえた憧憬的女性の原型(母性)を希求しているのだ。・・・(「口絵解説」末永照和)

下関通り魔殺人事件は、対人恐怖症の裏返しの急性発症■対人憎悪の爆発例?

上部被告は、上辺だけの「自己確立」の道を生きた人だったのかという驚き、あるいは、一流の大学を出て、1級建築士の資格を持ちながら「なぜ?」とかいった素朴な疑問は、誰しも持たれるのが普通だと思います。

 その点に関しては、畠山鈴香被告のように、「自己確立」よりも「心の問題」を抱えていて、この克服を人生最大の目標に置いていたから、上部被告は「大人になりきれなかった」ひとりであろうと私は見ています。

 で、どんな「心の問題」を抱えていたかといいますと、次の引用にありますように、「対人恐怖症」とされています。

【上部について】

 上部康明は下関市の北隣に位置する豊浦町に1964年に生まれた。(豊浦町は05年に下関市などと合併している)
 両親はともに教師。妹が1人いた。上部は地元の高校を出て、一浪したのち九州大学工学部建築学科に進んだ。ここまで熱心に努力を続けてきた上部は「大学では思いきって遊ぼう」と考えていたという。だが入学してみると、「みんなが自分のことを嫌っているのではないか」と思い始める。対人恐怖症(※)だった。
 大学卒業後も上部は「人間関係が嫌だ」となかなか就職しなかった。このため87年には心配になった両親が東京の病院に入院させ、「森田療法」(※)の治療を受けさせた。88年5月には福岡市内の精神病院に入院している。
 その後はいくつかの職場を経た後、福岡市内の設計事務所に勤めた。この事務所は所長と2人だけの職場で、上部も人間関係に悩まされることも少なくなった。症状も落ち着いていったという。だが一級建築士の資格を取得したのを機に、92年に退社して、父親の援助などもあり自身の設計事務所「康明設計」を開き、93年10月には結婚相談所で出会った女性と結婚し、福岡市内で生活していた。保母をしていた妻は二級建築士の資格をとり上部をサポートしていた。ここまでは多少のつまづきこそあったがまあ順調だった。(『事件録』「下関通り魔事件」)URA:http://yabusaka.moo.jp/simonoseki.htm


 念のため、『現代のエスプリ』NO.127『対人恐怖」に目を通してみたら、「性的羞恥心」みたいな自然な感情の発露を「ふがいない自分」とみるところから対人恐怖症を発症するというようなことを書いています。
 この点は、冒頭の末永氏の言葉「女性讃美の絵と見えながら、男の自己愛と女性恐怖の病根を深く分有している。デルヴォー的な少年期退行・・・」とは、若干の食い違いがありますが、イメージ的には、「デルヴォー的な少年期退行」のまま、上辺だけのオトナを生きていた上部被告と重なり合う部分があると思います。

 管見をここで書きますと、「恐怖」という感情をいつまでも持していると、「嫌悪」の情に転じます。この点は、ホラー映画で恐怖シーンを引っ張りすぎると、気分が悪くなる例と大いに関係があると思っています。
 この流れは、「拒否」症状を呈して、自己回復といいますか、落ち着いてきます。
 これには、もう一つの流れがありまして、「願望」があとに、「憎悪」に転じるものです。
 わかりやすいように、「女性」を頭にかぶせますと、次のようになります。

A 女性恐怖症→女性嫌悪症→女性拒否症

B 女性願望→挫折→女性憎悪

 結論だけを取り出しますと、「対人恐怖症」がねじれて「対人憎悪」に化けて、通り魔事件を起こしていることです。


 これで何かがわかったかというと、そういうものはまるでありません。

 この下に何かが隠されており、それが何か、ということを掘り下げてみる必要を痛感しています。

ポール・デルヴォーの暗号解読●メッセは「世界の終わり」?

末永は、ポール・デルヴォーの絵を解釈して、「母性の希求」としたわけですが、とんでもありません。

『街の入り口』では、一人おいて右側にいる金髪の女性がまずエールを送ります。「あたしの裸を見れば、男なんてイチコロよ」と内心では思っているとみて、ほぼ間違いありません。
 中央で立ちすくむ女性は「豊かな母性」の象徴です。この裸の意味が謎です。
 続いて、右端の女性は、強力なライバルの出現に対して怖くなるぐらいの黒々とした背中を見せて、けん制しています。
 画家の分身と思われる上半身裸の男(セレブのお坊ちゃま?)の上にいる女性は、以前は取り巻きの一人だったんですが、男の「無関心」に負けて立ち去りはしても、未練が捨て切れず、少し離れたところで男の出方を見守っています。
 このように絵の中に登場する女性は、すべて意味があります。

 独りの男の持つ求心力を失うと、女性たちは「惑星」のように宇宙の漂流を始めます。
 まず手始めに通りすがりの謹厳な中年男に媚を売りますが、男のほうはすでに女心を見透かしていますから、無視します。
 で、やむなく、女たちは集ってレズに耽るというわけです。

 というように、絵に登場する人物は、重力の法則に縛られています。
 この「重力の法則」を手掛かりにして、読み直しを行いましたら、次のようなギリシア神話の存在を発見しました

 地図を読んでいる少年は、木星を意味して全能の神ゼウス。隣の美しい女性は金星で、愛と美の女神ビーナス。そのお隣のこれまた美しい(眺めているだけで、涎の垂れてくる)女性は火星で、好戦的な軍神のマルス。そして、怖いぐらいの黒々とした背中を見せているのが土星で、農業の神のサターン。占星術では、禍の星?
 少年の真上にいて、遠くで見守っているのが水星で、守護神のマーキュリー。

 背中を見せて歩いている男は、海王星で、海神のポセイドン。ゼウスの兄弟なんですが、「常に、三叉の鉾を持ち、青銅のひづめと黄金のたてがみをもつ馬が引く戦車に乗り、海の怪物を従えて海原を走る」(広辞苑)勇ましい面影はありません。
 レズビアンに耽る二人の女性は、大地の女神ガイアと月の女神ルナでしょう。

 ガイアの夫である天王星を意味する天津神ウラノスは、不在。
 不在だから、ガイアはさみしくてさみしくてたまらず、お月様とエッチせざるをえなくなったわけでしょう。
 この意味を裏付けるキーパーソンが、冥王星を意味する黄泉津国津神プルートーです。

 どういうことかといいますと、その絵の世界が地上的現世的であるのならば、天津神ウラノスは、どこかに潜んでいるはずです。
 しかし、彼の妻ガイアが月の女神ルナとレズに耽るということは、夫の不在(仮に、死亡のケースだと、かかる未亡人は再婚相手を探すのでは・・・)を告げていることになりますから、絵の持つ地上的現世的な意味が剥奪されます。

 次に、冥王星を意味する黄泉の国津神プルートーなんですが、それらしき人物が絵からは見つかりません。
 ですから、全能の神ゼウスが黄泉の国の神プルートーを兼任しているのかなと仮定しました。
 この点について調べてみますと、次の引用にもありますように、二つの神はあきれるほど仲のいいことがわかりました。

「クロノスを王位から退けてしまうと、ゼウスは兄のポセイドーンやプルートーンといっしょに、クロノスの領土を分割しました。ゼウスの取り分は蒼穹(おおぞら)で、ポセイドーンは大洋、プルートーンは死者の国でした。そして地上とオリュムポスとは三人の共有の領土になりました。こうしてゼウスは神々と人間との王になったのです。(大久保博訳『ギリシア・ローマ神話』角川文庫・定価580円!)

「兼任」だけでは、解釈としてはクソ物足りないので、思い切って「ヤーヌス」にしてみました。

「ヤーヌスは門の守護神ですから、そのため普通、二つの顔を持った姿で表わされています。というのは、門はどの門でもみな二つの方向に面しているからです。(同上)

 上の引用の解説にもありますように、絵の中の少年は単に二役を兼任しているのではなく、門番ヤーヌスとして、世界の片っ端(絵の中では、一隅)に身をおいて監視活動の拠点にしているのです。

(註:あれで「監視?」と、いぶかるのではなく、ああやって監視業務に専念していると解するほうが無難です。傍から見ると、腰掛けて楽そうですが、実際は、しんどいと思いますよ。大体が、ガードマンの仕事というのは、フリーな身動きができないんですからね)

 もし仮に、拠点が「特異点」であるならば、宇宙の始まりを支配しているのが全能の神ゼウスであり、宇宙の終わりを支配しているのは、黄泉の国の神プルートーということになります。

 私が思いますには、ポール・デルヴォーというベルギーの画家は、「宇宙の終わり(=究極?の地獄)」を表現したかったのではないでしょうか。
 それが絵に託した現代にまで伝わるメッセージ(タイムカプセル)であり、多分、世界で最初に受信(発掘)に成功したのが・・・、と、まあ、こんなことはどうでもいい事柄なんです。
(転載の依頼があり、お金をくれるというのであれば、話は変わりますけど・・・夢のまた夢の話?)

 言いたいことは、ポール・デルヴォーの絵の持つ意味が凶悪な事件を引き起こした犯人の心の世界を照らし出しているのではないかということです。
 つまり、全能の神ゼウスと、黄泉の国津神プルートーという二つの顔を持った絵の中の少年像(良い子?)が外の世界へと飛び出したのが、ほかならぬ彼ら殺人鬼ではないかと・・・。


締めくくり●形式的なこととはいえ、これを書くと、中にはくどいと思われる方もおられるかもしれませんが、私と末永の解釈上の相違点は、「世界の終わり」と「母性の希求」とした点にあります。
 これも、厳密に言うと、さしたる違いはないのかな、なんて思ったりもしています。


再び、締めくくり●絵の解釈としては、三通りありまして、全能の神ゼウスが門番を勤める人間界(世界の始まり?)とギリシア神話の世界と黄泉の国津神プルートが門番を勤める「世界の終わり」。
 それぞれの世界のもつ特徴は、ゼウスの支配する俗界では、個々の登場人物が「重力に法則」に縛られて意味付与が行われ、有機的な関係を保っていることです。
(ヒントは、黒い背中の女性で、ここから誰が見てもわかる、俗流の解釈が成立する《朝》の場所)。

 神話の世界では、神々は意味ありげな場所に立たせられ、神の役割を演じますが、他との関係付けが断たれ、(生死不明のまま)バラバラの状態で投げ出されています
(ヒントは、「重力の法則」で、ここから絵解きがはじめられるが、読解には神話的な知識が不可欠の《昼》の場所)。

 地獄の世界では、黄泉の国津神プルートが支配する限り、神々は明らかに死した物(マテリアル)として投げ出され、マネキン人形化されています。
(ヒントは、レズに耽る大地の女神ガイアと月の女神ルナ。自然と、天津神ウラノスの不在が読み込まれ、隠された絵の意味「黄泉の国」が浮上してくる。ここからはもはや読解の困難な、死後・死前《世界の終わり=夕?》の場所)。

 気の弱い新入生は、早々に教室の片隅を占拠します。これも彼特有の監視業務です。というのは、怖い世界に対して番をしているわけですから。


犯行予定日の1999年10月3日は「父さん・倒産・通さん」

■【凶行】

 予定していた日(註:10月3日)の4日前の9月29日、親から「冠水した車の廃車手続きは自分でするように」と言われて「この期に及んで面倒な廃車手続きをするなんてたまらない」と腹をたて、急遽計画を変更、自宅を軽自動車で出ると、下関市内で文化包丁を購入、午後1時過ぎに駅近くのレンタカー会社に車を預け、白の「マツダ ファミリア」を借りた。そして睡眠薬を飲んだ上部は車を発進させた。

 午後4時20分頃、下関駅改札口付近は旅行代理店や売店、食堂が並び、下校途中の生徒やサラリーマンらで混雑していた。そこへ猛スピードで乗用車が駅のガラスを破り突っ込んできたのである。暴走した車は通行人7名を次々と跳ね飛ばした。改札口あたりで車を停めると、上部は文化包丁を振り回しホームに向かった。途中で1人、ホームで7人切りつけている。午後4時30分頃、そこで上部は現行犯逮捕された。結局この事件で5人が死亡、10人に重軽傷を負った。(『事件録』「下関通り魔事件」)URA:http://yabusaka.moo.jp/simonoseki.htm

中島虎彦の死を悼む

2008-08-10 13:30:18 | Weblog
画像は、数少ない友人のひとり、中島虎彦氏
障害者の文学『虎の巻』より借用。

http://apiarance.web5.jp/torahiko/

盟友ともいうべき中島虎彦が亡くなった。なんていうことだ。
私は中島から「マゾチックな書き方」と自由を奪われてもなおかつ生きてあることが幸福であるような「絶対的な幸福」を学んだ。
クソッタレメ!
心より冥福を祈る。

「2007年3月、脳出血にて急逝された。53歳、早すぎる船出だった

■中島虎彦 追悼

佐賀の詩人中島虎彦氏の死を知る。学生時代に体操部での練習中に脊髄を損傷し生涯にわたって車椅子による生活を余儀なくされた。「障害者の文学」と呼ぶカテゴリーを立て、そこであらゆるジャンルにわたる作品を書き続けた。小説や詩、短歌といった文学的なジャンルよりも上位に、健常者と障害者という社会的なカテゴリーを置くこと、そこに中島氏の思想的な核心がある。芸術への過剰な思い入れは、その背後に挫折者の絶望的な自己救済を隠し持っているとしても、普通なら練達した芸術的表現は社会的な差別や劣等意識からの逃避を完成してしまう。ところが中島氏はけっして逃避しない(プロ化しない)という決意によって文学に登場した。それは、文学にスポーツマンシップを書き加えたのである。

彼岸花にはアゲハ蝶がよく似合う私に車いすが似合うように

歌(詩?)としては二流の作品だが、その自嘲、自嘲をさらす傲慢、弱者の強さ、そして思想的強靭さの中の弱さを表現してそれは評価に値する。中島氏は社会への抵抗を、芸術的抵抗に仮託したのだと思う。なぜか文学は挫折者の天下り先なのだ。そして挫折の昇華を賭けられた文学は、悲劇的にも停滞の文学となる。真の挫折は、芸術的抵抗の先にこそあるのかもしれないのに、そこに行き着くことはなかった。

直接面識はなかったが共通の知人は何人もいた。ぼくの詩の引用や評も書いてくれた。障害者の文学「虎の巻」

なお、私はこの五月から新築の嬉野市営住宅で自立生活に踏み切りました。もう十年ぐらい前から市に要望していたのが、ようやく実ったものです。やはり何事も諦めてはいけませんね。五二歳からの遅い船出ですが、まだまだ人生はこれからです。
第二歌集『とろうのおの』あとがき

追悼文は、『坂のある非風景』より全文引用

http://freezing.blog62.fc2.com/blog-entry-280.html


非英雄論13-8■続・秋田連続児童殺人事件■芹沢俊介の遺棄論を援用すると

2008-08-10 09:15:08 | Weblog
「遺棄願望」の無限連鎖構造●オモテとウラは?

 これまでに書いたことと矛盾するかもしれませんが、凶悪的な犯罪行動を分析してみると、最初に露呈するものは、犯人の恐怖との一体化であります。次に、魔力を身につけ、復讐じみた願望を実現すると凶悪な事件としてあらわれるということです。
 なぜこのような記述になるのかといいますと、恐怖と一体化する以前の彼犯人は、非・反社会的人物だからではないかと考えました。

 たとえば、1988年7月16日の報道「母親に置き去りにされた十四歳の少年とその妹たち三人が、置き去りにした母親からの送金を頼りにマンションの一室で暮らしていたが、そのうちに少年がその友だち二人とともに、三歳にもならないひとりを妹をなぶり殺しにしてしまった」を受けて、芦沢俊介は、次のように書いています。

「・・・遺棄という暴力がここで、三重の同心円的構造を作っていたことが大切な点である。第一にまったく触れられなかったことだが、男による女と子どもの遺棄というということが起こっている。四人の子どもを置き去りにした母親はそれまで、五人の子どもを生んでいる。五人はひとりの男性とのあいだの子どもではなく、別々の三人の男性の子どもである。三人の男たちはみな、子どもと女を置いて去っている。ここに男たちによって最初の遺棄という暴力がふるわれたとみなすことができる。次に母親が子どもたちを捨てた。新しくできた愛人との生活に、五人の子どもは足手まといであった。報道は、母親の無責任な行動を厳しく非難している。けれど、これは、遺棄という暴力の二番目のものだった。母親は、男たちが自分たちを置き去りにしたように、子どもを置き去りにしただけであったのである。三番目の遺棄という暴力は、兄(大きな子ども)が妹(小さな子ども)を足手まといに感じだしたことによって、なぶり殺しにするという形をとって起きた」(芦沢俊介著『現代<子ども>暴力論』大和書房)

 見られますように、今でいう「虐待の連鎖」を「同心円的構造」と見抜いて、「男たちによって最初の遺棄という暴力がふるわ」れ、「次に母親が子どもたちを捨て」て、「三番目の遺棄という暴力は、兄(大きな子ども)が妹(小さな子ども)を足手まといに感じだしたことによって、なぶり殺しに」したとして、「三重」の虐待構造を明らかにしています。
 三重の同心的構造としてみる場合は、こういう問題は生じませんが、「連鎖構造」としてみる場合は、最初に暴力を振るった男の説明に困ります。
 ですから、唐突な書き出しといいますか、「最初に露呈するものは、犯人(この場合は、DV男?)の恐怖との一体化」という記述を採用せざるをえなくなります。
 次の暴力の担い手である母親は、送金している限り、子捨てとするには未遂の状況にあります。
 三番目の暴力の担い手である兄は、末っ子を「なぶり殺し」となって、要領を得ない説明に終始しますので、書き直しを迫られる結果、次のように書き換えました。

最初に露呈するものは、子棄て願望と一体化した非・暴力的な《浅ましい》男であり、次の母親も子棄て願望と一体化した非・暴力的な《浅ましい》女であり、三番目の長男も幼い妹たちの子棄て願望に取り付かれた《浅ましい》ひとりという見方が成立するならば、その同心円的な遺棄構造は、遺棄願望の連鎖と説明できると思います。
 土居の言葉を借りると、ウラで繋がった世代間連鎖といえると思います。

 それが「暴力」でないのは、その前提にあるはずの関係性への固執がないからです。関係性への個室があれば、ヘゲモニーの確立を目的とした男の暴力だという主張も成立しますが、ない以上は、「暴力」といえないのではないかと思います。

 ここで疑問が生じます。

 長男が友だちとグルになって,末っ子を「なぶり殺し」にしたのは、「暴力」ではないのか?

 その点に関しては、次の引用。

「事件は4月21日
 まず、昼すぎに、友人たちのカップめんをN子ちゃんが食べてしまったとして、長男Hと友人O、PがN子ちゃんを含む妹たち3人を殴ったり蹴ったりした。妹たちがあやまり一段落、H、O、Pの三人はテレビを見始めた。ところが、夕方、N子ちゃんがそそうをしたため、友人Oが6畳の押入れ上段のふとんの上に押し込み、そこから落ちるのを見て楽しみ始めた。・・・三女N子ちゃんがぐったりしてしまった・・・」。(『タッチ』1988年8月23、30日号 所収は、前掲書)

 見られますように、前記のような「暴力」の意義を満たすのは、N子ちゃんが「カップめん」を食べたことを機に振るわれた暴力をいい、次の殺人では、見事なまでに希薄化されています。
 といいますのは、その責を帰すべき犯行主体(=恐怖主体)が不在だからです。

 想定外の「そそう」というものに対して、少年たちはリセットボタンを押す意味を失ったといえるかもしれません。
 鉄の秩序を保つために、いくら禁制を体で覚えさせたとしても、この種の女の子の生理現象にはお手上げだとでも思ったのかもしれません。
 次の瞬間、「そんなN子ちゃんなんかこの世からいなくなってくれればいい」と願望が過ぎったかもしれません。
 この願望には、「生理現象」なるものへの薄気味悪さ、怖いという意識が働いて彼ら自身を恐怖の一体化へと高めるかわりに、道化の道を選んだことがN子ちゃんのピエロ化に繋がったのではないでしょうか。
 言い換えますと、「殺意不在」のまま、N子ちゃんは人間的な願望主体グループによって殺害されたということです。


 このように見てきて、畠山鈴香被告の行った二つの殺人事件は、彩香ちゃん殺害事件では願望主体が執り行い、次の豪憲君殺害事件では恐怖主体が執り行ったということがいえるのではないでしょうか。

 で、その間(ヤーヌスの二つの顔)にある、いわば恐怖の始めの始めにあるもの(特異点)とは、願望と挫折に満たされた揺籃期の胎児のごときものではなかったでしょうか。