横断者のぶろぐ

ただの横断者。横断歩道を渡る際、片手を挙げるぼく。横断を試みては、へまばかり。ンで、最近はおウチで大人しい。

非英雄論22(終論)■再び、アキバ事件■努力とは、諸悪の根源か?

2008-08-19 22:22:01 | Weblog

最後に、行動モデルの検証●アキバ事件の加藤智大容疑者の場合

 努力主体を立ち上げる場合、その行為は他者に向けられていると考えています。
 この場合、その他者とは、人間か、あるいは、非人間的なものか、この二種の他者の存在を考慮に入れる必要があると思います。
 さらに、その他者が理解者であるかどうかを見極める必要があります。

 普通は、自らの努力に対して、今述べたような他者指向性はついぞ自覚することはないわけで、潜在的な願望として理解者を希求していると捕らえています。
 言い換えますと、努力主体とは願望主体(甘え)を潜りこませているから、その挫折は、不良主体を立ち上げる機縁になりやすいわけです。

 加藤容疑者の場合、カノジョを作るために携帯サイトの出会い系で知り合った相手に1000回の書き込みを行っている(フライデー)わけですが、一方で、「現実の世界から逃げてネットの世界にのめり込んだんです。現実とネットの世界の境界がわからなくなりました」(同)と、万世橋署内で淡々と供述して、ネット依存といいますか、中毒症状を語っています。
 生身の女性というのは、捕まえたと思ったのもつかの間、次の瞬間には、つるりと逃げ出してしまうわけですから、容易なことではカノジョは作れません。そんな点、オタク用語「機械は裏切らない」わけですから、自己の声をまるまる聞きとめる他者に対して、超甘の受容者といいますか、そんな関係にはまって、抜け出させなくなった心理状態を示唆するものではないでしょうか。

「誕生日までに彼女できなかったら死にます」(同)

 ですから、ハイミスのように、悲愴な決意で努力主体を立ち上げたものの、等身大のカノジョを作るため、という名分が霞んできます。

 努力主体とは、緊張主体であります。本体は、恐怖主体であります。
 一方の緊張の延長線上に現われる他者とは、彼の苦痛を癒してくれる別空間のごときものではなかったかと推測。
 この非人間的な関係は、時枝のいう「言語の過程」が立ち上がった状態で、遂行過程の俗性を受容過程の聖性が包み込んでいると形容できるのではないでしょうか。

こうして非人間的な理解者との間で、携帯における私的な通信手段を確保する一方で、カノジョがいないという現実問題は一向に解消されなかったことから、携帯サイトの出会い系でのアクセスを断念。

 次に、立ち上げた努力主体は、一転して、受信者(=女性)拒否の発信主体とみていいのではないでしょうか(フライデーの記事によると、昨年の8月ごろに別の赤面告白サイトを立てたとあります。したがって、この後か、その後々の・・・?)。
 前記のとおり、、《秋葉原で忍者姿の痴漢が刀振り回し大惨事!≫とのスレッドタイトルで、≪6/5以降絶対事件起こるだろうから先に立てとくね≫(産経新聞記事)と、犯行を匂わせる内容になっています。
 犯行予告日の5日には、「作業場行ったらツナギが無かった/辞めろってか/わかったよ」と書き込んで、急展開の様相を呈してきます。
 その日は職場で、ひと暴れして、ケツをまくりましたか。このときに、不良主体と憎悪主体を立ち上げた可能性があります。

[2218]06/04 00:58
俺がなにか事件を起こしたら、みんな「まさかあいつが」って言うんだろ

[2219]06/04 00:58
「いつかやると思ってた」
そんなコメントする奴がいたら、そいつは理解者だったかもしれない

(中日本自動車短期大学)


 上にあるような犯行予告から6月8日にアキバ事件を起こすまでの5日間の間に700通以上のメールを送っているわけです。単純に計算すると、10分間に1、2通のメールを送っていたことになります。
 つまり、携帯中毒の一方で、恐怖主体を立ち上げようとしているわけですから、そのこと自体が「願望」と「恐怖」の一体化を物語るものといえると思います。
 さらに、この両者は、事件当日の真昼を境に別れるわけですから、《願望=理解者》が伴走役を務めたといえるのではないでしょうか。
 言い換えますと、恐怖主体を離陸させるための基地機能を《願望=理解者》が果たしていたということです。

 このような見方ができるならば、前記の行動モデルは書き換える必要があります。