造田のいう「努力する人」と「努力しない人」という二分法は、幼児が「硬いウンコ」と「やわらかいウンコ」と分けて男女を識別する方法と似ています。
造田の場合は、前者が「緊張主体」、後者が遊んでばかりいる「ゆるい主体」を意味すると解して支障はないと思っています。
造田にとってそんな(バカげた、といってもいい)二分法がなぜ必要かといいますと、自己愛を肥大させる上で同化できる相手探しにつながる重要な意味を持っているからではないでしょうか。
普通は、父親が健在であれば、男児は自己愛を肥大させて父親と同化しているわけです。
長じてからの彼が教授であれば、自己愛を肥大させた結果が優れた業績を残した恩師たる博士との同化と説明できるのではないんですか。
そういうナルシシズムが健全なものといいうるならば、造田においてはなぜかかる健全な自己愛が育たなかったかというと、次の引用にあるように、両親は「努力しない人」であったからです。
■造田博は岡山県出身、進学校の高校に通学し成績は優秀だったが、その後、両親が賭博などが原因で数千万円の借金を残して失踪。残された彼の家には借金取りが連日のように押しかけてくるようになり、経済的な困窮も原因となり、高校生活や夢見た大学への進学も破綻。以後、一時は兄に引き取られ、その後職を転々としていた。
『野中友博公式ブログ』「殺人者達の履歴書-3」http://kurenaiking.at.webry.info/200711/article_5.html
ですから、彼は生きていく上で、親とは異なる自己愛の(絶対的な)対象を社会に出ることで捜し求めようとしたことは十分に考えられます。
その挫折が職転々として顕われているのかもしれません。
一方で、社会が彼のような存在をうす気味悪がり、疎外した可能性も否定できません。といいますのは、絶対的な対象と遭遇するまでの仮の姿とはいえ、自己愛を肥大させて同化した「努力する人」とは、周りの人にとっては奇っ怪な・異様なものに見えてもおかしくないからです。
職場とは、書くまでもなく、通俗的な人間であふれかえっています。朝から口にすることは、ギャンブル等の低俗な話です。「魚群が出てきたんで、アタリと思っていたら、はずれ(T_T)・・・」とか、「いまどきの女子高校生はなあ、一万円も出せば(^_^)・・・」とかの話題であふれています。
そうやって緊張を解くことで、その日の仕事の打ち合わせをやりやすくするなど潤滑油といいますか、それなりのメリットはあるわけですが、その中に(緊張を解こうとしない)超然としたのが一人いると、なんだあこいつはと思われてしまうんじゃないんですかね。
■日本での人生に絶望した彼は、新天地を求めてアメリカに短期渡航したが、十分な滞在費がなく、また就職先もなかったので、現地のキリスト教会の牧師に事情を話し、教会の仕事を手伝うのと引き換えに衣食の面倒を見てもらっていたという。逮捕後の尋問時には、この時期が人生で最も充実していたと回想している。
だが、こうした現地での生活も、滞在期限の失効と同時に終わってしまう。その後、働きながらの大学への通学も考えたが費用の面から頓挫。犯行当時は都内の新聞販売店を辞めた直後だった。
(同上)
見られますように、造田はアメリカに渡ることによって親代わりの絶対的な理解者であると同時に,、牧師という保護者との出会いに恵まれました。
帰国してからは、「努力する人」の集まる新聞販売店に働き先を定めてきます。
このように書いてきて、理解者と保護者の関係が見えてきたように思いました。
彼が理解者とめぐりあうことができれば、彼は理解者を保護するためにがんばろうとする。
反対に、彼は保護者と巡り会えれば、彼の理解者であろうと努めるのではないでしょうか。
ところが、病的な自己愛の持ち主は、理解者と巡り会うや保護をも求めるために、自立する機会を遠ざけてしまうのではないでしょうか。
同じように、保護者と巡り会うや理解をも求めようとして、彼は不良主体を立ち上げてくる可能性があります。
造田にとって父親代わりの保護者とは兄でした。同時に、唯一の理解者でもあったと思われますが、甘えが克服できていないと不可解な行動をとって兄を困らせることもあったとみています。
一方で、理解者として「妄想の恋人」がいたらしく、次の引用にあるように、事件録は「恋人・A子という妄想の世界に入りびたなければ、彼は新しい職場でがんばれなかったのではないか」と理解を示しています。
■【妄想の恋人】
この頃の造田の中で一人の女性の存在が大きくなっている。小・中学校の同級生で、別の高校に進み、当時は大学生だったA子さんである。
「私が小学生のころだったと思いますが、A子さんが私に『造田さんが好き』と言ってくれたことがありました。しかし、私はA子さんのことを何とも思っていなかったので、はっきりとした返事はしませんでした。このことで『造田はだめだ』等との噂がたち、A子さんの友達にからも同じようなことを言われましたので、A子さん宛てに高校生の頃だったと思いますが、2,3枚くらいの抗議の手紙を出したことがあります。なぜ手紙を出したかと言いますと、自分のことを駄目だという噂が立ったことでショックを受け、不愉快になったことがあるからです」(99年9月26日付供述書)
しかし、A子さんの方は供述書で「仲の良い同級生ではなく、親しく話した記憶もない」「自分の好きなタイプではない」とし、自分から好意を打ち明けたり、手紙を出したことは「絶対にない」と言い切っている。
『事件録』「池袋・通り魔殺人事件」
http://yabusaka.moo.jp/zouda.htm
とありますが、女性は特にブランクでしかなかった過去に対しては「削除」の名人なわけですから、事実関係はもとより真相も不明と処理するほうが賢明と思います。といいますのは、A子さんの言い分をそのまま認めてしまいますと、この時点で造田のアタマは狂気で蝕まれていたことになるからです。
これは程度の問題でありますが、次の引用にもありますように、依然としてストーカー行為はやまずその可能性が残る一方で、正気を保っているところがあるわけです。
■94年から95年ごろ、船舶塗装や住宅美装の会社で造田が働いていた造田はA子に5回ほど手紙を出している。うち二通は切手が貼られておらず、A子の自宅ポストに直接届けている。手紙の内容は「会って欲しい、一緒にいたい、返事が欲しい」など一方的に好意が書かれていたものだった。A子さん宅に電話をかけて「A子さんに会わせてください」と言った事もあるという。
ある日、ついに造田がA子さん宅に押しかけた。この時、彼女の父親が対応し、「A子はあんたのことを知らない。本人も嫌がっているし、うちの子にはまだ勉強することがある」と断ったところ、造田は「わかりました」と素直に帰っていったという。
この頃、造田は兄に「A子という人を好きになった」と話している。
96年2月、岡山市内の電気工事会社の採用面接を受けた造田は「大学生の彼女がいるので結婚資金を貯めたい」と話したという。言うまでもなく、大学生の彼女とはA子さんのことである。恋人・A子という妄想の世界に入りびたなければ、彼は新しい職場でがんばれなかったのではないか。
(同上)
と、調べた限りでは、「妄想の恋人」について書いてあるのは「事件録」だけでした。本来ならば、当たり前の情報みたいに思ってやり過ごすところですが、貴重なデータであることに気づいて、ネット公開ならびに保存は非常にありがたいと思いました。
それでいて力不足の関係で、応えきれず且つ活用できずにいるところが自分でも歯がゆく思っています。
ですが、理解者とは、母親に対して求める態度ではないかと思っています。しかし、ギャンブルに溺れすぎて高額の借金を作ったために、息子を棄てて雲隠れしてしまいました。
それでも母親であることに代わりはないわけですが、造田は「努力する人」と「努力しない人」というように人間を二つのグループに分けてしまったために、母親への甘えたい心を殺してしまったといえるかもしれません。
こうして甘えや遊びへとはやる心を抑えこみ、反対のストイックな「努力する人」と自己規定を行い且つ実践していたと思われるわけですが、それを認める理解者が周りにいないと寂しいものです。
この点は、子に対して親、学校では、生徒に対して担任の教員、職場では、部下に対して直属の上司が理解者と思うべきかもしません。しかし、日本人の親グループというのは自己愛者の集まりだとしますと、彼らのいう理解とは自惚れや幻想でしかないことになります。
言い換えますと、彼等は国語学的な国の基準からはずれた理解法を採用しているのであり、私のいう「理解を超えた」理解法でもない、あいまいな・プリミティブな理解法が中間の域を埋め尽くしているということです。
明らかなことは、日本にはその責を帰すべき理解主体がいないということです。
いずれにしろ、造田は子に対して親の関係を「幻想の恋人」とセッテイングしたと思っています。
その結果が、造田をして努力主体を立ち上げることになり、彼方に憧れの恋人を立てざるをえなくなったのではないでしょうか。
自分でもわかりにくい話になったと決して思わなくはないわけですが、それが明治維新の志士の「恋人」のようなものではなかったかと思っています。