横断者のぶろぐ

ただの横断者。横断歩道を渡る際、片手を挙げるぼく。横断を試みては、へまばかり。ンで、最近はおウチで大人しい。

非英雄論26(終論)■再び、アキバ事件■努力とは、諸悪の根源か?

2008-08-24 16:19:07 | Weblog
池袋通り魔事件の造田博受刑囚の場合●絶対的な他者との遭遇

 造田のいう「努力する人」と「努力しない人」という二分法は、幼児が「硬いウンコ」と「やわらかいウンコ」と分けて男女を識別する方法と似ています。
 造田の場合は、前者が「緊張主体」、後者が遊んでばかりいる「ゆるい主体」を意味すると解して支障はないと思っています。

 造田にとってそんな(バカげた、といってもいい)二分法がなぜ必要かといいますと、自己愛を肥大させる上で同化できる相手探しにつながる重要な意味を持っているからではないでしょうか。
 普通は、父親が健在であれば、男児は自己愛を肥大させて父親と同化しているわけです。
 長じてからの彼が教授であれば、自己愛を肥大させた結果が優れた業績を残した恩師たる博士との同化と説明できるのではないんですか。
 そういうナルシシズムが健全なものといいうるならば、造田においてはなぜかかる健全な自己愛が育たなかったかというと、次の引用にあるように、両親は「努力しない人」であったからです。

■造田博は岡山県出身、進学校の高校に通学し成績は優秀だったが、その後、両親が賭博などが原因で数千万円の借金を残して失踪。残された彼の家には借金取りが連日のように押しかけてくるようになり、経済的な困窮も原因となり、高校生活や夢見た大学への進学も破綻。以後、一時は兄に引き取られ、その後職を転々としていた。
『野中友博公式ブログ』「殺人者達の履歴書-3」http://kurenaiking.at.webry.info/200711/article_5.html

 ですから、彼は生きていく上で、親とは異なる自己愛の(絶対的な)対象を社会に出ることで捜し求めようとしたことは十分に考えられます。
 その挫折が職転々として顕われているのかもしれません。
 一方で、社会が彼のような存在をうす気味悪がり、疎外した可能性も否定できません。といいますのは、絶対的な対象と遭遇するまでの仮の姿とはいえ、自己愛を肥大させて同化した「努力する人」とは、周りの人にとっては奇っ怪な・異様なものに見えてもおかしくないからです。

 職場とは、書くまでもなく、通俗的な人間であふれかえっています。朝から口にすることは、ギャンブル等の低俗な話です。「魚群が出てきたんで、アタリと思っていたら、はずれ(T_T)・・・」とか、「いまどきの女子高校生はなあ、一万円も出せば(^_^)・・・」とかの話題であふれています。
 そうやって緊張を解くことで、その日の仕事の打ち合わせをやりやすくするなど潤滑油といいますか、それなりのメリットはあるわけですが、その中に(緊張を解こうとしない)超然としたのが一人いると、なんだあこいつはと思われてしまうんじゃないんですかね。
■日本での人生に絶望した彼は、新天地を求めてアメリカに短期渡航したが、十分な滞在費がなく、また就職先もなかったので、現地のキリスト教会の牧師に事情を話し、教会の仕事を手伝うのと引き換えに衣食の面倒を見てもらっていたという。逮捕後の尋問時には、この時期が人生で最も充実していたと回想している。
 だが、こうした現地での生活も、滞在期限の失効と同時に終わってしまう。その後、働きながらの大学への通学も考えたが費用の面から頓挫。犯行当時は都内の新聞販売店を辞めた直後だった。
(同上)

 見られますように、造田はアメリカに渡ることによって親代わりの絶対的な理解者であると同時に,、牧師という保護者との出会いに恵まれました。
 帰国してからは、「努力する人」の集まる新聞販売店に働き先を定めてきます。


 このように書いてきて、理解者と保護者の関係が見えてきたように思いました。
 彼が理解者とめぐりあうことができれば、彼は理解者を保護するためにがんばろうとする。
 反対に、彼は保護者と巡り会えれば、彼の理解者であろうと努めるのではないでしょうか。
 ところが、病的な自己愛の持ち主は、理解者と巡り会うや保護をも求めるために、自立する機会を遠ざけてしまうのではないでしょうか。
 同じように、保護者と巡り会うや理解をも求めようとして、彼は不良主体を立ち上げてくる可能性があります。

 造田にとって父親代わりの保護者とは兄でした。同時に、唯一の理解者でもあったと思われますが、甘えが克服できていないと不可解な行動をとって兄を困らせることもあったとみています。
 一方で、理解者として「妄想の恋人」がいたらしく、次の引用にあるように、事件録は「恋人・A子という妄想の世界に入りびたなければ、彼は新しい職場でがんばれなかったのではないか」と理解を示しています。

【妄想の恋人】

 この頃の造田の中で一人の女性の存在が大きくなっている。小・中学校の同級生で、別の高校に進み、当時は大学生だったA子さんである。

「私が小学生のころだったと思いますが、A子さんが私に『造田さんが好き』と言ってくれたことがありました。しかし、私はA子さんのことを何とも思っていなかったので、はっきりとした返事はしませんでした。このことで『造田はだめだ』等との噂がたち、A子さんの友達にからも同じようなことを言われましたので、A子さん宛てに高校生の頃だったと思いますが、2,3枚くらいの抗議の手紙を出したことがあります。なぜ手紙を出したかと言いますと、自分のことを駄目だという噂が立ったことでショックを受け、不愉快になったことがあるからです」(99年9月26日付供述書)

 しかし、A子さんの方は供述書で「仲の良い同級生ではなく、親しく話した記憶もない」「自分の好きなタイプではない」とし、自分から好意を打ち明けたり、手紙を出したことは「絶対にない」と言い切っている。
『事件録』「池袋・通り魔殺人事件」
http://yabusaka.moo.jp/zouda.htm

 とありますが、女性は特にブランクでしかなかった過去に対しては「削除」の名人なわけですから、事実関係はもとより真相も不明と処理するほうが賢明と思います。といいますのは、A子さんの言い分をそのまま認めてしまいますと、この時点で造田のアタマは狂気で蝕まれていたことになるからです。

 これは程度の問題でありますが、次の引用にもありますように、依然としてストーカー行為はやまずその可能性が残る一方で、正気を保っているところがあるわけです。


■94年から95年ごろ、船舶塗装や住宅美装の会社で造田が働いていた造田はA子に5回ほど手紙を出している。うち二通は切手が貼られておらず、A子の自宅ポストに直接届けている。手紙の内容は「会って欲しい、一緒にいたい、返事が欲しい」など一方的に好意が書かれていたものだった。A子さん宅に電話をかけて「A子さんに会わせてください」と言った事もあるという。

 ある日、ついに造田がA子さん宅に押しかけた。この時、彼女の父親が対応し、「A子はあんたのことを知らない。本人も嫌がっているし、うちの子にはまだ勉強することがある」と断ったところ、造田は「わかりました」と素直に帰っていったという。

 この頃、造田は兄に「A子という人を好きになった」と話している。

 96年2月、岡山市内の電気工事会社の採用面接を受けた造田は「大学生の彼女がいるので結婚資金を貯めたい」と話したという。言うまでもなく、大学生の彼女とはA子さんのことである。恋人・A子という妄想の世界に入りびたなければ、彼は新しい職場でがんばれなかったのではないか。
(同上)


 と、調べた限りでは、「妄想の恋人」について書いてあるのは「事件録」だけでした。本来ならば、当たり前の情報みたいに思ってやり過ごすところですが、貴重なデータであることに気づいて、ネット公開ならびに保存は非常にありがたいと思いました。
 それでいて力不足の関係で、応えきれず且つ活用できずにいるところが自分でも歯がゆく思っています。

 ですが、理解者とは、母親に対して求める態度ではないかと思っています。しかし、ギャンブルに溺れすぎて高額の借金を作ったために、息子を棄てて雲隠れしてしまいました。
 それでも母親であることに代わりはないわけですが、造田は「努力する人」と「努力しない人」というように人間を二つのグループに分けてしまったために、母親への甘えたい心を殺してしまったといえるかもしれません。
 こうして甘えや遊びへとはやる心を抑えこみ、反対のストイックな「努力する人」と自己規定を行い且つ実践していたと思われるわけですが、それを認める理解者が周りにいないと寂しいものです。
 この点は、子に対して親、学校では、生徒に対して担任の教員、職場では、部下に対して直属の上司が理解者と思うべきかもしません。しかし、日本人の親グループというのは自己愛者の集まりだとしますと、彼らのいう理解とは自惚れや幻想でしかないことになります。
 言い換えますと、彼等は国語学的な国の基準からはずれた理解法を採用しているのであり、私のいう「理解を超えた」理解法でもない、あいまいな・プリミティブな理解法が中間の域を埋め尽くしているということです。
 明らかなことは、日本にはその責を帰すべき理解主体がいないということです。

 いずれにしろ、造田は子に対して親の関係を「幻想の恋人」とセッテイングしたと思っています。
 その結果が、造田をして努力主体を立ち上げることになり、彼方に憧れの恋人を立てざるをえなくなったのではないでしょうか。
 自分でもわかりにくい話になったと決して思わなくはないわけですが、それが明治維新の志士の「恋人」のようなものではなかったかと思っています。

祝・ソフトボール「金」■記念大特集Ⅲ・関連記事8連発一挙掲載!!

2008-08-24 12:11:09 | Weblog

ソフトの勝因は、敗戦の責を帰すべき責任主体の明瞭化?

星野ジャパンの最終戦で、横浜の村田修一が打席に立って初球をフルスイングして、バットは空を切る。
点差は4点。走者が1塁と2塁におり、つなぐ打ち方をして欲しいところ。
次は、ワンバウンドになるような低い球に手を出して、またしても、バットは空を切る。
この時点で、ボールが見えていない打者への期待は諦めに変わる。

続く巨人の阿倍も凡フライに倒れて、試合終了。

と、このように書くと、ホームランバッター依存症の巨人を思い出す人が多いのではなかろうか。
この象徴が西武の砂糖といえるかもしれない。

とくると、なぜか粗塩の効果について書きたくなるが、さてどこで歯車が狂ったか?


いつも競艇場に行って想うことは、一流選手と二流選手の違いはどこにあるかというと、フアンの声援にこたえきるかどうかである。
 ソフトと野球が明暗を分けたものを、そこに求めることはあまりに酷か。

もうひとつ挙げるならば、野球の敗因は、責任の所在をあいまいにするような選手の起用法であろう。
 いいかえると、責任回避というジャパニーズスタンスが敗れたのである。

山田、主将の働き=ソフト〔五輪・ソフトボール〕

時事通信(08月22日00時22分)

 山田が主将らしい働きで日本の金メダルに貢献した。4回、苦手にしていたオスターマンから中堅へ会心の一発。エース上野をはじめとするナインを勢いづけた。
 主将としていかにチームを引っ張るか悩んだ時期もあるが、今回大会直前のけがで代表から外れた内藤に相談し、「すべて出し切ればいい。自分自身を貫こう」と吹っ切れたという。
 2度目の五輪。最後は宿敵との決勝の舞台で活躍。「うれしかった。自分たちのプレーを出し切ればと思っていた。プレーで引っ張っていけたと思う」と声を弾ませた。(北京時事)

鉄腕エース、大願成就=上野、「金」の連投-ソフト〔五輪・ハイライト〕

時事通信(08月22日00時14分)

 7回2死一塁。走者は気にしなかった。仲間が総力を傾けて奪ってくれた2点のリード。「ボール球を振らせることだけを考えた」。エース上野はこん身の投球で守り切った。肩車の上で宙に向かって腕を突き上げた。
 1回、不運な当たりが上野に襲い掛かる。1、2番が当たりそこねの連続内野安打。この無死一、二塁を無失点で切り抜けたことで日本の流れを呼び込んだ。疲れからか110キロに満たない速球を外角低めに丁寧に集めて、後続を断った。
 4回、雨のため中断。再開後、4番バストスに1点差に詰め寄られるソロ本塁打を浴びた。流れが米国に向かったかに見えたが、呼び戻すすべは心得ていた。後続をぴしゃりと抑える。6回1死満塁のピンチも、勝ちたいという気迫が勝った。
 「マウンドで鳥肌が立ちました」。世界一の瞬間をそう表現した。崩したくても崩れなかった米国の壁。前日の準決勝では延長9回で屈した。「逆に投げさせてもらったことで、きょうの投球になった」
 強豪相手に2試合の延長戦と決勝の大舞台を一人で投げ切った。打線も最後に応えてくれた。「コンディショニングがうまくいった。まだまだ投げられる感覚がある」という。
 初めて上る表彰台。選手一人ひとりの名前が呼ばれ、念願の金メダルが首にかけられた。大歓声に向かってメダルを掲げ、右手の指を一本天に突き上げた。涙は似合わない。届きそうで届かなかった金メダルが胸に輝いた。(北京時事)

[時事通信社]

声詰まらす斎藤監督=ソフト〔五輪・ソフトボール〕

時事通信(08月21日23時19分)

 斎藤監督は「悲願を達成できた。まだ実感がわかないけど、選手たちがよく頑張った」と感無量の様子だった。課題の打線が苦手のオスターマンから4回までに2点を先取。エース上野が6回一死満塁のピンチをしのいだ直後、ベンチの思い切ったサインプレーで3点目を奪うなど采配(さいはい)もさえた。
 宿敵米国を倒しての優勝に思わずガッツポーズをし、井川チームリーダーとがっちり握手。選手の手で胴上げされると笑みがこぼれた。「最後まで攻める気持ちを大事にした。自分は(現役で)銀メダルで終わったけど、選手には金を掛けさせてやりたかった」と声を詰まらせた。(北京時事)

ソフト悲願の「金」…堅守支えに上野完投、打線も奮起

読売新聞(08月21日23時16分)

 【北京=鬼束信安、梅村雅裕】ウイニングボールをつかんだ一塁手がボールをぽーんと放り投げ、選手がマウンドに駆け寄ってきた。

 「最後の五輪」でつかみ取ったソフトボールの金メダル。予選、準決勝と2連敗していた米国を相手に、2日間で3連投のエース上野由岐子投手(26)がまたも完投し、3-1で完勝した。選手もスタンドも喜びを爆発させた。

 決勝の先発マウンドに立ったのは、やはりエースだった。前日に300球以上を投げたばかり。しかし、大きな夢がかかる決勝のマウンドに立つと、疲れた表情は見せず、パワフルな米国打線に立ち向かった。

 前日の米国戦で沈黙した打線もこの日は奮起。四回に、主将の山田恵里選手(24)の本塁打で2点目をもぎ取り、エースの力投に応えた。

 初回と六回には1死満塁のピンチ。渾身(こんしん)の力を込めた球で、初回は内野ゴロとファウルフライ、六回は内野フライ二つに打ち取った。バックも堅い守りで支えた。

 ピンチとチャンスが訪れるたびに、スタンドは「ウエノコール」と「USAコール」が交錯する。日の丸に「必勝」と書いた鉢巻き姿の日本人応援団が、カッパを着ながら「頑張れー」と声を振り絞った。

 3-1で最終回のマウンドに向かった上野投手は、一度センターの方に向かって声をかけてから、キャッチャーの方に向き直った。

 最後の打者は三塁ゴロ。一塁手の佐藤理恵選手(28)が体を思い切り伸ばして送球を受けると、金メダルが決まった。上野投手は「ナンバー1」を示すように人差し指を空に向かって突き上げ、仲間の肩に担がれて満面の笑みを浮かべた。

 スタンドにいた上野投手の両親、正通さん(52)と京都(みやこ)さん(52)は勝利の瞬間、抱き合って喜びを爆発させた。

 「本当に金メダルを取るなんて…」としばらく絶句する京都さんの横で、正通さんは「がんばった姿を知っているので、うれしいの一言。すごい娘になりました」とまな娘をたたえた。


【北京五輪】ソフトボール 日本、打線奮起で金メダル

2008年8月22日(金)08:15 産経新聞

 ≪3連投・上野413球 宿敵、米を撃破≫

 金メダルを懸けた駆け引きは開始早々から始まっていた。打線の主軸、3番・山田は一回、一度もバットを振らずに見逃し三振を“選択”した。

 「駆け引きでどんな球が来るかを見極めたんです」。四回の2打席目には、決勝点となる本塁打をセンターにたたき込んだ。「(わざと)ドロップを空振りして、次のライズボールを打った」。上野にかかる重圧を和らげた一発は、研究のたまものだった。

 爆発力のない打線は「上野頼み」と揶揄(やゆ)されることもしばしば。山田をはじめ野手はその陰口に耐え、最後の舞台に照準を合わせていた。米国の先発オスターマンの武器は、浮き上がるライズボールと落差の大きいドロップ。「上か下かを絞る。それだけのことなんですけどね」と謙遜(けんそん)したが、狙いは的中した。

 日本代表の主軸打者として五輪3大会を戦った斎藤氏が2006年12月、代表監督に就任した際に掲げたテーマは「スピード・パワーソフト」。投手頼みを脱却し、結束を高めることを目指してきた。おろそかにされていた相手の分析も徹底した。

 三回の先制の場面に、その成果が出た。0-1から狩野を呼び寄せ、三遊間狙いを指示。「米国から(五輪で初めて)3点取ることを目標にやってきた」と斎藤監督。米国の“穴”がどこにあるかは知っていた。「悲願達成です。私は銀止まりだったけど、選手には金メダルをかけさせてあげたかった」。五輪最後の試合で理想のチームが完成した。(川越一)

独身サヨナラ!斎藤監督が悲願達成/ソフト

2008年8月22日(金)07:42 サンスポ

 夢のような風景が目の前に広がる。選手たちが歓声を上げ、何度も跳びはね、マウンド周辺で抱き合っている。斎藤春香監督(38)はかすむ目で、頼もしげに15人を眺めた。

 「優勝の実感が沸きません。この子たちに金メダルを獲らせてあげたかった。自分は銀メダルだったけど、金メダルを掛けさせることができて、うれしい」

 悲願を達成した。主軸打者として活躍した3度の五輪は、00年シドニー大会の銀メダル止まり。06年12月に代表監督に就任するとライバル米国の攻略に執念を燃やした。

 難攻不落の左腕オスターマンを想定し、強化合宿では男子を相手に打撃練習。夜は米国投手陣のデータを分析し、ミーティングを重ねた。現役時代から配球の読みにたけていた斎藤監督の言葉に選手もうなずいた。

 勝利の瞬間、ネット裏の放送席では元全日本監督の宇津木妙子氏(55)が涙を流していた。「雨が降っていて、シドニーの試合を思い出した」。8年前、米国との雨中の決勝。延長八回に左翼手がフライを落球し、金メダルの夢がこぼれ落ちた。そんな悪夢を教え子の斎藤監督がぬぐい去ってくれた。

 この2年間、宇津木氏は若い斎藤監督を励まし続けた。「わたし人間不信になりそう」と相談されたこともある。選手一筋で組織になじめない教え子に言った。「最後は選手を信じなよ」。

 55歳の宇津木氏は、験担ぎで下着をピンク色に統一。38歳の斎藤監督も「金を獲るまで結婚しない」と監督就任時に宣言し、いまだ独身。なりふり構わない2人の思いは天に通じた。

 今大会限りでソフトボールは五輪競技から外れるが、「また16年には復活するかもしれない。ソフトの魅力を伝えていきたい」と宇津木氏。米国を倒し、ソフトの歴史を変えたこの日の勝利が、復活への足掛かりだ。


「金」のため、未来のため=貫いた堅実ソフト〔五輪・ソフトボール〕

時事通信(08月21日23時15分)

 2日で3試合を投げ抜いたエース上野由岐子(ルネサス高崎)の鉄腕に「鳥肌が立った」という。王者米国を、理想的な試合展開で倒した金メダル。自分たちのスタイルを貫いて「金」を追い続けた日本ソフトボールが、北京で満開の花を咲かせた。
 アテネ後、日本を世界の強豪国に押し上げた功労者、宇津木麗華、斎藤春香(現監督)らが第一線から離れ、チームは若返った。一回り小粒になった攻撃陣で米国、オーストラリアなどパワーのある強豪と対等に戦うには、堅守と緻密(ちみつ)な攻撃が求められた。
 1点を守り抜くスタイルを追求。命運は世界最速右腕、上野に託され、上野は懸命に応えた。「金メダルはみんなの思い。信頼される投手に自分をつくっていきたい」
 実施競技からの除外で、金メダルへの渇望とともに、選手たちはもう一つの願いを抱いた。未来の選手のために競技の五輪復帰を願い、魅力を伝えたい、記憶に残したい。斎藤監督は「ソフトボールにとって一つの区切りであり、集大成だけど、復活に向けての思いも強い」と言う。
 決勝進出が懸かった20日の死闘に、そんな思いが凝縮された。とりわけ延長戦2試合、318球を投げ抜いた上野。米国、オーストラリアに、4年間に成長した姿で立ち向かった。「テレビで一流の選手を見て五輪に行きたいと思った。子供たちにもそう思ってほしい」。ピンチのたびに勇気を奮い起こした。
 世界選手権を6連覇中で、五輪では一度も王座を譲らなかった米国から奪った金星。ソフトボールを愛する強い気持ちとともに、悲願達成へ向かって死力を尽くした姿は、北京から世界へ向かって発信された。(北京時事)

祝・ソフトボール「金」■記念大特集Ⅱ・関連記事10連発一挙掲載!!

2008-08-24 08:03:36 | Weblog

上野投手一問一答-ソフトボール〔五輪・ソフトボール〕

時事通信(08月22日01時27分)

 ソフトボールで悲願の金メダルを獲得した日本のエース、上野由岐子投手の一問一答は次の通り。
 -決勝はどんな投球を心掛けたか。
 きのうのオーストラリア戦(3位決定戦)で思ったより体力を消耗した。スピードよりも回転、切れで勝負しようと。スピードが落ちる分、変化球を交えて制球良く、いかにボール球を振らせようかと思った。
 -2日間で3試合を投げ切ったが。
 日本では3日間で5試合ということがある。球数的には苦しくなかった。ただ、世界のトップ選手がいる五輪でこれだけの球数なので、体力だけでなく、精神的に頭がパンクするぐらい疲れた。
 -3連投できた理由は。
 球数は多かったが、気持ちの面で勝り、疲労感もなかった。勝ちたい、負けたくないという気持ちで投げ切れたと思う。
 -一番つらかったのは。
 アテネ五輪後、次の五輪という目標が遠過ぎて、モチベーションを上げるのが難しかった。五輪で金メダルという自分の夢との間を何度も行き来して、保ってくることが一番難しかった。(北京時事)

広瀬、渋い働き=ソフトボール〔五輪・ソフトボール〕

時事通信(08月22日01時00分)

 五輪初出場の27歳、広瀬が渋いプレーで盛り上げた。7回1死二、三塁で三塁走者として打者・藤本との間でサインプレーを決めた。投手が投げた瞬間スタートを切り、ボール球を体勢を崩しながらバットに当てた藤本の投ゴロで本塁へ。思い切ったスライディングで敵失を誘い、貴重な3点目のホームを踏んだ。「捕手にぶつかっていくような体を張ったプレーだった。ああいうプレーはチームを勢いづける」と斎藤監督。
 その裏には三塁右への強烈なライナーを好捕。7回の安打といい、勝利を呼ぶ活躍だった。(北京時事)


ソフト「金」奪取…選手抱き合い喜び爆発、ファンも大歓声

読売新聞(08月22日00時59分)

 「よくやった上野」「おめでとうニッポン」──。21日の北京五輪・ソフトボール決勝で、日本は米国を3対1で下し、悲願の金メダルを獲得した。

 その瞬間、グラウンドの選手たちは抱き合いながら喜びを爆発させ、スタンドのファンは「日の丸」を振って歓喜の声を上げた。

 試合は六回まで2対1で日本がリード。前日、2試合で318球を投げた上野由岐子(ルネサス高崎)が先発し、再三ピンチを背負いながら、米国打線をホームランによる1点のみに抑えた。

 最終回の七回、日本は米国内野陣の2つのエラーに乗じて1点を追加した。その裏、米国は先頭打者をヒットで出したが、上野の鬼気迫る投球の前に、後をつなぐことができなかった。

 最後の打者を打ち取ると、上野は両手を上げて喜びを表し、駆け寄ってきたチームメートと抱き合った。控えの選手たちもベンチを飛び出し、マウンドの近くで歓喜の輪を作った。

 スタンドの日本のファンは立ち上がって拍手を送り、「日の丸」を振りながら歓声を上げた。多くのファンが上野の名を呼び、力投をたたえた。

 前日の豪州戦も応援したという東京都品川区の江川河代さんは「とにかくうれしい。上野さんの精神力の強さに脱帽です」と興奮気味に話し、友人で埼玉県富士見市の鴫原美奈さんは「チームワークが素晴らしかった。言葉にならないぐらい感動しました」と、目を潤ませながら話していた。(メディア戦略局編集部・久保田稔)

奮起した打線=見極め明確-ソフトボール〔五輪・ソフトボール〕

時事通信(08月22日00時59分)

 米国の牙城を崩すには、何より打線の奮起が必要だった。前日まで徹底されていなかった狙い球、バントへの集中力。この大舞台では明確だった。
 3回の先制点。三科の二塁打は高めに浮くライズボールに合わせた。三科は先発で2人しかいない右打者。「左打者は苦戦する。4年間この投手の研究だけしてきた」と言う。狩野の遊撃への適時内野安打は沈む球の落ち際をたたいた。狩野は「打席に立つ位置を前に変えていた」と言い、いずれもオスターマンの勝負球を見極めていた。
 4回。貴重な本塁打を放った山田も甘いライズボールを弾き返した。第1打席で1度も振らず三振して球筋を見極めた。初球の沈む球を空振りして誘い、浮いたところをコンパクトに合わせた。山田は「落差が大きい。上か下かを絞ること」と胸を張った。
 前日目立ったバントの失敗もなかった。3回の峰、7回の三科の犠打はいずれも得点に結び付いた。エース上野が3連投。負担を軽くするのが何よりの薬になった。(北京時事)

[時事通信社]

「会って抱き付きたい」=上野選手の両親-ソフトボール〔五輪・ソフトボール〕

時事通信(08月22日00時52分)

 ソフトボールで金メダルを獲得したエース上野由岐子投手(26)の父正通さん(54)さんは、観客席で娘の勝利に「夢を見ているみたい。すごい子供です」と感動。「全員が(娘を)守ってくれた。おめでとうと言って抱き付きたい。最高です」と笑顔を見せた。
 母京都さん(52)さんは「24時間、ソフトボールのことばかり考え、『いかに時間を使うかが結果につながる』と言っていた。体力は限界だったでしょう。休ませてあげたい」と思いやった。
 上野選手の精神力の強さについて、京都さんは「好きの一念とアテネの悔しさがあった。宇津木さんや斎藤監督、みなさんに支えられ、育ててもらった」と感謝した。
 20日のオーストラリア戦後、上野選手に「おめでとう」と声を掛けると、「こんな長い試合でごめんね」と気遣う言葉が返ってきたという。京都さんは「あんな大変な試合をして、どうしてこういうことを言えるんでしょう」と目を細めた。(北京時事)
正通(まさみち)京都(みやこ)
【日本・米国】日本の先発・上野=北京市の豊台ソフトボール場で2008年8月21日午後7時1分、矢頭智剛撮影

<五輪ソフトボール>上野の3完投413球 悲願引き寄せる

毎日新聞(08月22日00時50分)

 ◇北京五輪ソフトボール女子決勝(第14日の21日)

 ◇日本、3-1で米国を破り初の金メダル

 勝利の瞬間、何度も両腕で天を突いた。「最後の五輪」で、チームのエース、上野由岐子が米国の連覇を止めた。「投げさせてもらって満足。まだまだ投げられる」。26歳右腕は常識破りの2日間で3完投の力投で、日本の悲願をかなえた。

 前日の準決勝、3位決定戦の延長戦2試合を投げ抜き、計21イニングで318球を投げた。その夜「握力が落ちている」と周囲に漏らした。だが、斎藤春香監督(38)から「行けるか」と問われると、うなずいた。

 世界最速119キロの豪速球を持つ。だが今大会は調子が上がらなかった。1次リーグ初戦のオーストラリア戦では「記憶にない」という1イニング2本塁打を浴びた。

 球速も伸びず、上野を育ててきた元代表監督の宇津木妙子・ルネサス高崎総監督(55)には「心も体もぼろぼろ」と伝えた。最後の五輪でエースを務める重圧のせいか、投げ急いでフォームを崩していた。

 だが準決勝の米国戦で表情が一変した。上野は語ったことがある。「自分より強い相手と戦うときが一番楽しい」。1次リーグの米国戦で、日本は五輪で初めてコールド負けを喫していた。その強敵を前にしたとき、上野の表情が挑戦者のそれに戻った。「100%の力じゃなくても、自分らしく」。言葉から力みが抜けた。

 決勝も苦難続きだった。不運な内野安打に走者を背負い、雨による中断で肩も冷えた。上野の精神力を示す言葉がある。「どんな状況に立たされるか考えて悩むより、何かが起きたときにどう対応できるかを大切にしている」。この日の95球を含め、2日間で413球を投げ抜いた。

 日本の戦力が最も充実していたとされる00年シドニー五輪でも、全勝で臨んだ決勝で米国にサヨナラ負けした。今回のチームは、それほど前評判は高くなかった。だが頂きに立った。不調にも不運にも負けない精神力を持つ大黒柱がいてこそ、である。【藤野智成】

ソフトボールの五輪除外問題〔五輪〕

時事通信(08月22日00時44分)

 ソフトボールは、野球とともに2012年ロンドン五輪で実施競技から除外される。ただし、16年五輪で復活する道は残されている。発端は02年8月、国際オリンピック委員会(IOC)のプログラム委員会が五輪の肥大化抑制策として野球、ソフトボール、近代五種を外す見直し案をIOC理事会に勧告したこと。理事会は継続審議とし、同年11月のIOC総会では賛否を04年アテネ五輪以降に先送りした。
 アテネ五輪後、プログラム委員会が12年五輪の実施競技見直しのため、現行28競技などの評価報告書をまとめて05年6月に公表。ソフトボールに関しては、五輪や世界選手権でのマスコミの関心の薄さなどを指摘。同年7月、IOC総会で野球とソフトの12年五輪除外が決まった。(北京時事)

ソフト日本、米国破り念願の金=団体球技32年ぶり=なでしこはメダル逃す〔五輪〕

時事通信(08月22日00時37分)

 【北京21日時事】北京五輪第14日は21日、ソフトボール決勝で日本が米国を3-1で破り、初の金メダルを獲得した。2012年ロンドン五輪で実施競技から除外となる前の大会で、念願の優勝を果たした。日本勢の金メダルは今大会9個目。団体球技での金メダルは、1976年モントリオール五輪バレーボール女子以来32年ぶり。
 日本は前日に延長戦の2試合、21回を投げていたエースの上野由岐子(ルネサス高崎)が1失点に抑え、3試合連続完投を演じた。打線は3回に1点を先制した後、4回には山田恵里(日立ソフトウェア)の本塁打で2点目。1点差の7回には追加点を奪って振り切った。96年に実施競技となってから3大会連続で制していた米国は、初めて優勝を阻まれた。
 サッカーの日本女子は3位決定戦でドイツに0-2で敗れ、日本勢としては68年メキシコ五輪男子の銅以来となるメダル獲得はならなかった。
 女子高飛び込み決勝で入賞を狙った中川真依(金沢学院大)は11位。卓球シングルスの男子は韓陽(東京アート)が4回戦、水谷隼(明大)は3回戦で敗れ、男女とも姿を消した。近代五種で日本選手として4大会ぶりに出場した村上佳宏(自衛隊)は31位だった。
 陸上の男子400メートルリレーで日本は決勝へ進出。女子200メートル決勝はベロニカ・キャンベル・ブラウン(ジャマイカ)が21秒74で連覇した。 (了)