日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

研修会

2014-05-25 19:15:22 | 日記
私の愛する兄弟達よ。堅く立って、動かされることなく、いつも主の業に励みなさい。あなたがたは自分達の労苦が、主にあって無駄でないことを知ってるのですから。(第二コリント人への手紙15章58節)



今日は礼拝でしたが、眠くて仕方がない。このところ顔の皮膚がヒリヒリしていて、ようやく良くなったとこなんです。薬を長く飲んだ為でしょうか。午後は関東から来られてS先生の研修会に折角だから出席しましたが、不謹慎にも眠い目をこすりながらです。



先日の宇治植物公園の薔薇です。薔薇は難しい!もっと大きな薔薇の種類も豊富なとこへ行かないと、思うような薔薇が撮れない。これは腕が悪いのもあるけど、、、



風景的に撮ったり、一応工夫はしてるのですが。



外で団体さんがお弁当を食べてらっしゃる。緑の中で皆で食べるのは美味しいでしょうね。



スナップのチョイ真似です。



不思議な窓をパチリ。



また戻って、今日の研修会の事ですが、グループで分かれ話し合って、発表するという面白い企画でした。また当教会だけでなく、同教派の2教会の方々も多く来られ、なかなか盛会です。またユニークな意見も出ます。聖書は難解な部分もあって、人間では理解し難いものがあります。我がグループの方々と話合いました。

死んだら死体は肉は腐り、骨は残り、魂は1時パラダイスに行き、キリストの再臨の時、この世にまだ生きてる人は天に引き上げられ、既に死んだ人は朽ちない姿で墓から蘇ると聖書に書かれている。神様の御心の人は救われ、この様に、復活するけど、信じてなかった人は可哀想やね。どうしたらいいやろう?だから伝道してるよね。しか~し夫婦共、クリスチャンの人はいいけど、夫が信じてない人はどうしよう、、、これって葬儀がどうのこうのでなく、信じてるか信じてないか、やろ?家族の墓へ入ればいいやろう。天国は保障やんか!時間がなく、それまででした。永遠のテーマです。


スナップに挑戦

2014-05-23 10:09:25 | 日記
愛する方の声。ご覧。その方が来られます。山々をとび越え、丘おかの上をはねて。(雅歌2章8節)



昨日は宇治植物公園へ行きました。薔薇が綺麗なのは解ってますが、本当は奈良の薔薇園に私の好きな花があるのですが、運転が遠いので、家族の者がいないと行く勇気がありません。仕方なく、、、自ら薔薇が好きでもなく、頼まれているのです。それに適したものとなれば、自分の写真では無くなって、なかなか難しいものです。そこで片方でスナップに挑戦したくなりました。ネットで旨い方が数人おられ、憧れでしょうか。スナップとは?検索すれば”生活を撮る”と。こんな公園は美しいですが、本当は工業街、町家、歓楽街、様々なバージョンがあるでしょう。なかなかそこまでは行けないな、と思いますが、せめて公園で下手ですが、無茶苦茶やりましょう。



温室へ入る手前にこんな彫刻があります。



入口にこんなアートが。



喫茶とレストランです。



お店の前に若葉が美しい。



ちょっといたずら。



覗けばやはりまだ若葉の季節です。



老人施設の方々でしょうか。お散歩に介護の方がお連れしてられます。



幼稚園?少学1年?校外授業でしょうか。

まだまだあるのですが、今日はこの辺で。なかなか公園も面白いものが一杯ある気がしますね。

宇治川散策

2014-05-17 20:41:50 | 日記
柔和な人たちは、幸である、彼らは地を受け継ぐであろう。(マタイの福音書5章)



もう少し早く起きたら良いのに寝坊ですね。8時過ぎに出発し、宇治川へ。近くの空き地に植えられている薔薇が美しいのでパチリ。



興聖寺の近くの橋で志津川から宇治川へ注ぐ激流をパチリ。そして遥か宇治川を望む。







天ケ瀬ダムまで来て、方向転換し、志津川の村へ行きたくなった。



近いのにこの周辺に入ったのは何年振りだろうか?案外民家が多いので、びっくり。この上流で近年水害だったのです。近年、上流が水害に会うという気象になりましたね。



山へ入っても若葉は緑が濃く、魅力は失せました。アー残念!再び宇治川へ。宇治川縁はまだ若葉が綺麗と思えます。



川面への映り込みは美しい。でも藤等花は皆無になっています。やはり若葉の美しい頃に来なくちゃ!
何してたのだろう?



空は青く、空気が美味しい。人間は欲深く、花が無いのが物足りなくて、、、これだけ~川が美しいのだから満足しなくちゃ。



静かな流でも場所により白波が立つとこもあるものです。もっと上流へ行けば若葉の山並みが見れるのですが、今日はこの位にしましょう。






感動的な洗礼式

2014-05-13 20:26:17 | 日記
その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。(マタイの福音書3章11節)



昨夜牧師先生からメールで、Hさんご夫妻がご自宅で洗礼を受けられるので、出席下さいとのお誘いを頂きました。エ~!礼拝に見え、聖歌隊に出て下っているけど、確かに信じてられるとは思うのですが、もう早洗礼?そして御主人も?御主人は入院してられ、洗礼!?でもそうであるならこんな嬉しい事はない。ハイ、行きます、と返事しました。



今日の夕方、我が家から直ぐのH家へ。訪問した事がないですから、皆さんと一緒に入る。牧師夫妻と教会員4名。確かにI姉はよくHさんと関わって来られた。私は横で共に礼拝の恵みに預かる時や、聖歌隊で御一緒した位で、そんなにお世話していないのに、こんな恵みの席に集わせて頂いていいのか、と思ったりする。

Hさん御主人は何と、中学校の校長まで長年して来られた方だそうです。脳梗塞で入院され、最近は肺炎まで。1時帰宅で明日からまた入院です。もう90歳。大学生の時、4年間教会へ行ってられ、教え子に宣教師や牧師をやっている人があり、その先生はズーとHさんの救いを祈って来られた。今回の事も祈りと主の働きでした!1番涙を流し喜ばれたのはその牧師先生だとか。そして奥様まで洗礼の恵みに与かられるとは。私は御主人の事は入院だという事しか知らなかったのです。



賛美歌と祈り、H夫妻の紹介、経過、そして洗礼は普通教会で皆さんの前で証をいい、洗礼漕へ入るのですが、今回はご自宅でもあり、また高齢でもあるので、頭に水を垂らすやり方です。でもどんな洗礼式より素晴らしく感じました。私もその場に集わして頂けるとは、何という恵みでしょう。

全員で記念写真を撮り、帰路へ。
時々、アーお世話はシンドイとか、あれもしたい、これもしたい、と自分の欲望ばかり思い、主から救われた恩恵を忘れてる自分がいます。初心に立ち返って、主の御用をしなければ、と反省しました。

郷愁

2014-05-12 18:23:32 | 日記
わが世の旅路いかに険しくも 恐れじ 主はわがそばにまして 御助けを賜えば(新聖歌)



1昨日は姉妹の葬儀、昨日は礼拝後同窓会へ。今日はBS放送で春日八郎、三橋美智也の特集があり、複雑な思いに誘われます。クリスチャンの葬儀は暗さがなくむしろ明るいのです。天国の希望が満ちていますから。そして姉妹ももう苦もなく、イエス様と共に天におられるのですから、喜びの旅立ちでした。御主人も守られるでしょう。

昨日は礼拝後、宇治で何と小学校の同窓会でした。近いのでゆっくり出発したら、何と車の大渋滞。
料亭のガレージは4台しか置けないとか。縣通りのパーキングは皆満車!エーいつもがら空きなのに。こうなれば平等院の大駐車場しかない。ここも満車!少しまってやっと1台入れ駐車出来ました。料亭に着けばやはり遅れる人が多い。宇治川で大イベントがあるとか。親友は既に召され、親しい人は本当は少ないけど、小学校の事、誰でも話せば楽しい。美味しい料理と話に花が咲き、瞬く間に過ぎました。カラオケは苦手なので帰路に。



今日の夕方にBSTVで春日、三橋の両歌手の特集があり、まぁ懐かしい!子供の頃よく聞いたし、大人になってもTVを着けたらよく見たものです。故郷歌謡が流行ったのだな、と納得です。



集団就職の放送があった事を思い出します。子供の頃でしたが、私は弱かったので、凄く働かされるのかな、私なら直ぐ病気になるのでは!?と思ったものです。高度成長期、よく働いたけど、まだ働けば何とかやって行けたし、出世出来た時代。そして夢見て必死で働いた。
恋人と故郷で、別れる悲しさや思い出を歌った歌謡ですが、今や地方では女性が少なくなり、この歌はあの時代だから流行ったのだ、と思います。別れの1本杉なんて、深い里山で目に浮かぶなぁ、と
私も郷愁に駆られました。



私も受け継いだ農業から脱出したくて、もがき働き、高度成長の波に乗る事が出来た。苦難もあったけど、幸運もあった。全てが恵みでした。皆別れの1本杉を通り、今がある。同窓会の面々も年を重ね、健康があるから集えた幸いを覚えます。


昇天

2014-05-10 14:17:28 | 日記
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケ人への手紙第一5章16-18節)



今教会のY姉の葬儀から帰って来ました。7日に突然の訃報が入り、唖然としたものです。先週の礼拝に来てられたじゃない!!原因は食べ物が喉に閊え、虚血性心不全とか。御主人が外へ出て帰って来たら、寝てられ、時間が来て起こそうとしたら、死が解ったとか。呆気ない死で、ショックを覚えました。まだ70歳になったばかり。平均寿命には早すぎる。



生前どんな賛美歌を自分の葬儀に歌って欲しいか。また好きな聖句を書き、1年前に提出しました。Y姉の好きな賛美を3曲賛美しました。そして惹かれる聖句が上の箇所です。牧師はメッセージで、いつも喜んでいなさい、、、なんて葬犠に相応しくないのでは、と思ったけど、昇天はY姉は喜びと捕えてられ、素晴らしい!と感じたと言ってられた。

Y姉は平坦な道を歩んで来た方では決してない。御主人の仕事のこと、諸々あり、10年間愛知県に移転され、お母さんの介護、それを天に送り、お姉さんや妹さんを次々送られた。4年前に宇治に戻られ、その2年後、嫁いだ娘さんを天に送られた。子供が自分より先に行かれるのは究極の嘆きと思います。そして自分。また病気も多かった。最近では克服され、色んな集会に熱心に出席される様になったのです。2週間前には4歳の孫を奈良へ遊びに連れて行き、近鉄特急に乗せて帰って来たとか。



御主人は案外落ち着いて、平安な顔をしてられる。信仰があればこそです。主に感謝しました。これから一人暮らしになられる事が一番心配ですから。娘さんを亡くし、息子さんは東京です。御主人には慰めと祈ってます、しか言えなかったです。我らもいづれY姉の元へ行きます。少し早いか遅いかですが。長生きが幸いでもないし、早死にが不幸でもない。その人に天の約束を持ってるか、持ってないかでしょう。賛美歌が流、Y姉らしい素晴らしい葬儀でした。


茶畑

2014-05-07 08:43:35 | 日記
天の下では、何事も定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。(伝道者の書3章1,2節)

ゴールデンウイークも済、夏を待つ時が来ました。休み中息子家族と娘家族との交わりを満つに出来たかも解りません。それも大事でしょうね。さて撮影は私の場合、週に1度の割合に行ってる気がします。用事や体力の配分を考え、思う様には行けないです。女性は夕方は何かと忙しくて、、、だからまた先日の田原の茶畑をば。



早朝ではないですが、朝の光線を浴びて茶畑は輝き、陰影もあって私なりに楽しめました。大茶畑は和束や信楽の方が規模は大きいかも解りません。殆どが山の斜面を利用して植わっています。



大茶園です。菰を着せたものも多くなってましたが、この日はたまに着せてない畑もあって、良いとこ撮りです。郷の口の平地では昔ながらのお茶摘みの出来る、人が入れる菰を着せてる畑が多いです。



毎度撮らせてもらってる畑です。まだ菰の着せてないのでカメラマンには助かります。



近寄ってみました。お茶の葉が綺麗に出ています。間もなく茶摘みでしょう。



茶畑が延々と続きます。



こういったアーチ型のも多く見受けます。





茶畑を満喫した日でした。さてまだ新緑の時。宇治川へも行きたいのですが、どうなるでしょう?




山は緑

2014-05-03 09:27:30 | 日記
山は緑、谷も緑。森も野原も畑も。ほめたたえよ、ほめたたえよ、ほめたたえよ、御神を。(新聖歌478)



今は新緑が最も美しい時。この時期を何とか逃すまいと、近場の相変わらずの宇治田原へ昨日出かけました。山は美しく待っていてくれました。心癒され、生かされている喜びを感じます。



茶畑にはもう早菰を被せている所が多く見受けますが、やはり緑の方が美しいので、ゲット。



田植えをした田んぼもありました。農家は最も忙しい時でしょう。宇治田原は茶摘みが待ってますから、田植えが早いのです。



つつじが美しい季節。農家の庭に植えてられます。



空は青く美しい。空気が美味しく感じます。



パチパチと撮らせてもらいました。まるで自分が茶摘みをしてるみたいに。



道行くのも緑の光を浴びる様。



山を上がったり、下がったりして、精一杯緑の空気を吸ったようです。




検診

2014-05-02 15:17:04 | 日記
我が魂よ。主を誉め讃えよ。主の良くして下さった事を何一つ忘れるな。(詩篇103篇2節)



昨日はいつもの眼科検診でした。どんな病の検診というのは、不安なものです。またあの決して気持ちの良く無い網膜への注射かな?という気持ちが拭えません。人間ですねぇ。



命のどうこうという病では無いですが、昔は失明した病気。注射なんて大した事は無いですが。でもこの頃慣れて来て、病状が解る様にはなって来ました。診察結果、注射はナシで感謝です。完治はないけど、アー人間て弱い者です。自分も本当に弱い!注射を嫌がる自分がいます。でも良かった!



命がどうこうする病気も多いです。如何ばかりでしょう。過ってその病気の判定で手術した事もありました。やってみて、良性。あの頃は子供も若く親もいた。まだこの世を去りたくなかった。今はどうでもいいのですが、眼が悪くなるのは大変困ります。でもまぁ、これで新緑が撮れそうです。至って単純。前日に祈って下さった皆さんと主に感謝です。



四条でメーデーに出会いました。この頃のメーデーは静かですね。

祈りの時

2014-04-30 18:10:18 | 日記
彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。(ローマ人への手紙11章11節)



今日は水曜日、祈り会がある!と急に思い立ち教会へ。平日午前ですから多くの婦人が来てられました。私は家庭集会に重荷を感じ、余程でないとこの会は来てなかったです。かなりの遅刻。牧師のメッセージは進んで途中ですが、よく解りました。

イスラエルはつまづき、キリストを十字架に付ました。弟子パウロはトルコ、ギリシャ、ローマへと大きな苦難の中、宣教へ導かれて行きました。それは彼はイスラエル人だったからイスラエル人へ伝えたかったけど、異邦人への道が開かれ、そしてキリストは全世界へと伝わったのです。

我々こうして教会へ行き、救いの恵みに預かったのも、パウロから多くの宣教師の先生、そしてそれを支えて下さった信徒の方々によります。それはまた神の導きによります。



世界の三分の一はキリスト者と言われ、これはカトリックも含みですが、何という大きな神の導きでしょう。
祈り会で静まっていますと、平安が与えられ、私は神と多くのキリスト者の方々の労苦により、この平安と恵みに預かっている!と喜びがこみ上げます。改めて主の御心を覚え、日頃の自分のいい加減さが解って来ます。



チューリップは植物園等に出かけたら、素晴らしい画像が撮れますが、農家に植わってるものをパチリ。教会は行きたい、写真はやりたいで、欲深い自分を覚えます。主の御心と自分の心を探り過ごしたいものです。