日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

大粒の涙

2014-04-28 08:32:17 | 日記
キリストには代えられません。世の宝も富みも。この御方がわたしに、代わって死んだゆえです。世の楽しみよ去れ、世の誉れよ行け。キリストには代えられません。世の何物も。(新聖歌428)



都会のコンクリートの隙間からも雑草が生え、綺麗な花を咲かせています。その逞しさに感動します。

昨日の礼拝で、牧師のメッセージが終わり、上の賛美歌を歌ってたら、隣に座った50代の婦人がポロポロ大粒の涙を出し泣かれ、私も感極まる感じになりました。賛美歌は美しいメロデイーで、また詩が素晴らしく、自分の状況や今までの人生と重なったり、主にある救いの喜びが心に迫って来る時があります。

「賛美は心に迫る時がありますよね。私も過って経験があります。」と言って、その方の背中をさすった。子供さんを中学から海外留学させ、当時は自分も着いて殆ど海外生活でしたが、今は大きくなられ、その方は殆ど家におられる様になりました。でも両親の介護が年ごとに重く圧し掛かって来た様子。

外国生活中は御主人に託してられたけど、いざ自分がずっと傍にいる様になると、また介護度が増すとシンドサも増す。まだ自分の事は出来る親ですが、朝、昼、夜の食事や、病院の往復等々自分の肩に掛かって来るでしょう。

お兄さんは他府県におられ、ほんの少し助け手欲しくて、電話してもナシのつぶて。返って兄妹仲が電話する事に悪くなり、それが余計辛いらしい。



私の様に一人子なら自分がしなきゃ仕方ない!と思ってましたが、兄がおられる場合どうしても少し替わって欲しい、と思うのでしょう。せめて10日間でも、と思う気持ち解ります。介護はこの人ばかりでなく、誰もが通る道ですが、次会った時、ショートステイや、またヘルパーさんのサービスを知ってられると思うけど、言って上げたい。でも今はそれも基準が難しくなってるかも解りません。でも宇治市は案外、福祉は整ってると思いますので希望があります。



過っての私の場合は介護になってからの方が気持ちが楽だった。キツイ母は病気になり、穏やかになってその分大変楽になりました。育てるのに難しかった娘も成長し、子供達にも手伝わせ、私一人で采配を振り頑張りました。だって他に兄弟がいないですから。幸い両親の家と我々とは廊下で繋がっていて、家の建築状況がホッと寛げる空間があって、幸いな部分もありました。これが同じ棟ならシンドイ面も多いでしょう。しかし18年間!母は8年は入院といっても施設みたいなとこへ入れて頂き、ラッキーでした。しかし父は家です。


先日も息子に、今の介護状態は以前と違い、ヘルパー制度があるし、家政婦さんを雇ってでも家におられる様にしてね。どうにも仕方なくなれば、入院や、施設に入れてね、と言った。どうなりますやら、、、ボケたら何処でもいいか。誰でも急にこの世を去りたいと思うけど、それこそ神様にお任せしなきゃ仕方ないですね。

ミニオフ会

2014-04-26 12:23:57 | 日記
平和を作る者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。(マタイの福音書5章)





昨日は久し振りに近隣のネット友オフ会を持つ事が出来ました。この3年介護の為来れなかった人もあり、京都へ全員集合。全員という事も無いかもしれないけど、都合の良い人が都合の良い日に集まった感じです。「京料理と新緑を愛でる会」なんてタイトルを作り、丁度晴天に恵まれ、美味しい京料理は生まれも育ちも京都の人が連れてくれました。出汁が美味しく、素材を旨く使い流石京料理と思わせます。いざ、カメラを持ち、祇園方面にそぞろ歩きでパチリ。





この頃の京都の観光客は外人が多く、中国、シンガポール、インド等です。外人が半分と言われています。これはインドの方とか。舞妓さんもパチリ。





路地から見るのは面白い。色んな人が通り人生模様のよう。舞妓の姿にしてくれる商売のお店もあり、偽舞妓も多い。また着物も着せてもらえ、着物で京の町を練り歩き、人力車に乗る遊びもあります。





昔日本画家の竹内栖鳳氏の屋敷跡が料理や喫茶になっていて、皆で喉を潤し雑談。新緑で庭も美しく広大な屋敷は風情があります。結婚式も出来るとか。八坂の塔が見え、高台寺の傍です。人力車も行き交い、京都の近くに住みながら、私は何度かこの界隈は来た様ですが、この屋敷は知らなかったです。むしろスナップの上級腕前のネット友の方々の方がずっと知ってられ、お恥ずかしい事!
また私はサブカメラに少しでも軽い装備へと思い、レンズは18~55のレンズにテレコンを着けて来たのが悪かった!シャッターが下りないし、露出も目茶苦茶。ブレで一杯。テレコンが悪いと気が付き、途中で取り外し、何とか撮れました。





八重桜も咲き、美しい京都の街。楽しい時は過ぎ、夕方になりました。この辺でおひらきに。次はオフ会は何処になるかな?また会う時を楽しみにお別れです。皆元気で良かったです。




アメージング グレイセス

2014-04-23 18:56:55 | 日記
驚くばかりの 恵みなりき この身の汚れを 知れる我に 恵みは我が身の 怖れを消し 任する心を 起させたり(新聖歌233)



先日の宇治川の帰り、ポイントがあると教えて下さり、行けば何とゴルフ場!人工的で何故?と思ったのですが、よく見れば凹凸があってなかなか面白い。中へ入った訳でなく、外から見えた場所からですが、写真て何が良い被写体か解らないものです。



朝の光は何でも立体的で綺麗。私ももう少し視線を肥やし、良い被写体を探さねば。

今日は、婦人の家庭集会を我が家でやりました。この会も月1度で各家庭を回って当番制です。だから4か月に1度当番になります。このアメージング グレイセスを賛美しました。



本での学びと楽しいテイタイム。日頃示され、御言葉や感動した事を語ります。今回は夫婦の問題になりました。夫婦は最も身近で、最も難しい存在かも。恋愛時代の様にはとても出来ないし、傷着いた事もあったでしょう。子供は大人ですし、結婚もしてるからとやかく言えないし、何とか仲良くやってくれたらヨシとしなきゃ。健康を祈るのみです。



夫も妻も罪人。どこで赦し合い、思いやりを持てるか。人生を希望の持てるものに持って行けるか。夫がクリスチャンで無い場合、価値観も違い、自分が絶対的に正しいと思う夫であれば、苦労がより多いかも。夫がクリスチャンである場合、少しでも自分の醜さ悪い部分を探るから、赦し合える場合もある。主の導きにより、主の清さと赦しを伝えられたらと尚なお思いました。

昨日近所の素晴らしいクリスチャン夫妻Iさんに会った夫は「Iさんはやはり違う、素晴らしい!」と言ってました。同じクリスチャンでも我が家とえらい違いです!

イースター

2014-04-20 18:41:06 | 日記
また、わたしがあなたがたに命じておいた全ての事を守る様に、彼らを教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつも、あなたがたと共にいます。(マタイの福音書28章20節)



今日はイースター礼拝。聖歌隊で賛美を思いっ切りさせて頂きました。牧師先生のメッセージでイースター(復活)の意義を聞き、その意義の大きさに感動しました。十字架のイエスの死は我々信じた者が罪を赦され、3日後の復活は我々が天の御国へ行ける証明です。キリスト教はそれが中心で、それさえ解ればいいのですが。なかなか心の醜い罪が視界を遮り、解る人は僅かです。こんな私がその僅かのメンバーに入れて下さった幸いを心から感謝の思いです。

昨日は人が教えて下さって、南大津の宇治川へ行きました。霧が美しいとの情報です。宇治田原では霧は薄かったのですが、濃い霧が出ていて、情報の確かさにびっくりです。何という美しさ!舞い上がる程感動しました。



今は若葉の時期。それと相まって情感が増します。ふと裏磐梯の秋元湖とよく似ていると思えました。こんな近くで、雰囲気を味わえるとは!



狭い場所ですから、多くは撮らないですが、充分楽しめました。宇治田原に少し寄って、帰路に着きました。

移りゆく季節

2014-04-18 08:50:11 | 日記
鹿が谷川の流を慕い喘ぐ様に、神よ、私の魂はあなたを慕い喘ぎます。(詩篇16編)



この10日間自分の責任を果たす為、撮影は気になりながらも、果たすものを優先し、散り桜、山桜の見頃を逃しました。昨日はどうかな、また新しいものが咲いてるかも?と一人で宇治田原へ出かけ、グルグル回って来る事が出来ました。去ったものあり、新たな花々や木も咲いていて、これから咲くものもあります。目まぐるしい季節の変化です。山桜はとっくに散ってましたが。川にはソメイヨシノの散り花が流れていました。良かった!この風景は半ば諦めていたのです。



高尾は前の大きな山桃は散ってましたが、遅咲の桃がありました。



シャガの群生が所により見受けられます。



奥へ奥へと進むと何とソメイヨシノがまだ見られました!どこも散ってますが、この町内では気温の差が大きい様です。



丘の上にオオイヌグリが、健気に咲いていました。



まさに藪椿。好きな椿です。田んぼは少し水を入れてられ、これから田植えが始まるでしょう。直ぐ茶畑は綺麗な新芽が出て、茶摘みです。最も忙しい季節の始まりです。農家の方は忙しいですが、申し訳ないですが、私達は夏まで楽しませて頂けそうです。


あなたの為には命を捨てます

2014-04-14 18:57:54 | 日記
「あなたの為には命も捨てます。」イエスは答えられた。「わたしの為には命も捨てる、と言うのですか。まことにまことに、あなたに告げます。鶏が鳴くまでに、あなたは3度わたしを知らないと言います。(ヨハネの福音書13章27,28節)



遅咲の桜も咲き、陽春の穏やか日々です。今週は何かと用事や、予定がワンサカ。行きたい撮影地はおおけれど、時間がありません。家族の者が吉野へといいます。そんな電車でかなり乗らなきゃならないし、人も多い所へ!私は近場のまだ山桜のある田原へ行きたいのですが。そうか平安神宮でもいいかな?と思ったりします。なかなか撮影は思う様には行けない我が人生かも解りません。しかし最も近い庭には山野草や椿が咲誇っています。



昨日の礼拝メッセージは上のヨハネの福音書からでした。イエスは12弟子の足を洗われた。足を洗ううのは当時奴隷の仕事でした。さぞ弟子達は恐縮したでしょう。この時既にイスカリオテ ユダは役人にイエスの居場所を知らせ、イエスを殺そうとしていました。イエス様はそれも充分知ってられた。

ペテロはイエスが今、あなたがたは私に着いて来る事が出来ない、と言われたら、あなたの為に命も捨てる、と言った。イエスはぺテロが裏切る事を知ってられ、鶏が鳴くまでにあなたは3度わたしを知らないといいますと、預言してられる。案の定、イエスは捕えられ拷問中に、役員に「あなたもあのイエスに従っていた人では?」と聞かれたら、3度「私はあの人を知らない。」と言った。

イエス様は自分を裏切るユダやペテロを受け入れて下さった。私達は自分を殺したり、裏切る事を知りながら、愛せるでしょうか?それはNOです!誰も出来ないです。イエスはそんな私達の身代わりに十字架へ。



後で3人づつ位で、上記の箇所を中心に話し合いと交わりの時間が10分間持たれた。ある姉妹と話合ったのですが、こんな難しい事は無い。到底私達には不可能!イエスは神だから、そして私達の罪の贖いをして下さったから、出来るお方。
胸がチクチク痛むね、と言う姉妹もいる。そして近況報告や雑談になってしまった。めったに親密に話さない姉妹だから、こんな機会もいいかな。



人の醜さをよそに、花達は清く健気に咲いています。


春色に染まる里

2014-04-08 09:29:01 | 日記
風がやわらかく 野原を通ると。木の枝が揺れて さらさらささやく。わたしたちも 春の喜びを歌おう。春を造られた 神様を歌おう。(新聖歌477)



昨日は宇治田原も多分桜が満開と思い出かけました。3月31日には梅をメーンにと出かけましたが、すっかり様変わり!里山は花木も草花も春色に染まって、道や畑の草も若葉色。木の芽も若葉が出て何と美しいのでしょ。桜はもう満開でした。先日に昭和の色濃く、我が小学校の校舎と良く似た建物を見つけ、そこに桜がある事を知り、建物と桜を撮りたい一心です。なかなか思う様にはいかないですが、記念に。郷愁を誘う様に思ったのですが。



田原川の土手に毎年咲いてくれる桜です。人々の憩いになっている様です。



田んぼの隅に土筆が咲いていました。もう少し早く来たらもっと違った風情だったでしょうに、今日は寝坊しました。でも着いたのは7時半ですが。1時間遅かったです。



川に桜の映り込みです。



お母さんは何処も逞しい。私もそんな時があったかな。



民家の畑にムスカリが無動作に生え、向こうに菜の花があって、ぼかして撮りました。



高尾高原に登ると空気が違って来ます。向いの山に多くの桜が咲いてますが、まだ少し早いです。しか~し、花木が変り、椿、桜、山桃?サンシュ:マンサク?が咲いていて美しい。向こうは大阪です。ここからは、大阪や京都市が見渡せる貴重な所です。



マンサクかな?向こうは京都市です。宇治田原在住の写友に会いました。熱心で素晴らしい写真を撮られる方。少しおしゃべりして、もっと上へ。でもお腹が減り帰路に。撮影は労力を使うのかお腹が空きます。そして案外歩くので良い運動かも。イヤハヤ春を満喫しました。

神の子

2014-04-06 18:20:08 | 日記
天から声がした。「あなたは、私の愛する子、私はあなたを喜ぶ」(マルコの福音書1章11節)



冬の様に寒い今日。教会は近いのに車で駆けつける。兄弟姉妹に挨拶し、明るく優しい姉妹両横で近況を話、開会を待つ。

牧師のメッセージは上記からで、教会とは?イエス様と出会える所である。過去には残念な事もあった。しかし世界の人口の3分の1がキリスト者であり、完璧でない集まりなのに、イエス様との出会いをする。私達は神に愛されている実感をしたい。

十字架刑は人間が考えた最も苦しい極刑である。長時間であり、ののしられ、体は大変な苦しみ。心身共に苦しむ。これがどうして神の愛の象徴なのか?

この世は見た目が美しい。頭が良い。良い会社に勤めている。それが価値観。しかし見た目は老いと共に無くする。勉強が出来るのも学生の時だけ。会社もどうなるか解らない。それらは当てにならない。主は美しくなくても、出来なくても、そのままの私達を喜んで下さる。

神の子とは、、、私達は生まれた時から神に愛されていた。しかし神の子となる人とそうでない人に分かれる。前から愛されていたが、愛を受け取った者が神の子とされる。
十字架は私の罪の為に、イエス様が身代わりになって下さったものなので、それを信じる事により、神の子とされる。

御父がして下さった素晴らしい愛、、、十字架は神の愛を示す。救い主として信じた者が神の子なのです。神に愛される子として生きることが出来る。

庭にカタクリが咲ました。今日は寒いので実感は無いですが、この花やニリンソウが咲けば春はたけなわ。黄色のカタクリも咲ました。優しい春の山野草です。




満開の桜道

2014-04-03 13:42:48 | 日記
荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる。(イザヤ35章)



桜も満開。昨日は車で5~7分で行ける宇治平等院横の桜を撮りに行きました。朝8時前、まだ人を見ないです。この日、桜は精一杯咲いて、満開の華やかさを見せてくれます。世の中がパッと明るくなった様で、こちらまでウキウキ。駐車場から下流に向かって歩きます。



この古木は好きでよく撮らせて貰ってます。



鳩が止まってます。何とも長閑な風景。私も鳩と共に宇治川の清流を見る。いつ来ても急流でよく流れています。



私の好きな橘橋です。残念な事にここから塔島を見れば通常なら最も桜が美しく、流と共に絵になる場所なんです。古木も多かったのですが、国土交通省?が地域の人々の意見も聞かず、100本の桜の木を伐採!桜の木が大きくなるのは、30年掛かると言います。市役所に通告し、市民が喧々囂々。後にアンケートが来て、多くの方が記入され、それを元に再工事され、蘇る予定ですが、さていつか?平等院の修復工事は終わり、美しい姿になった様子。



参道の大きな唐傘をパチリ。お茶の香りが香ばしい。

川沿いを歩くとまた景色が違う。上流に向かって歩きます。赤い喜撰橋が美しい。





この船で私も1度食事をしたいものです。まだ1度も乗った事がないです。



喜撰橋から上を見れば、桜と川がマッチして好きです。今回は平等院側の参道や川沿いを少しばかり散歩しました。桜はここから上流にも、宇治橋下流にも綺麗な桜が多くありますが、道が余り広くないのに、交通量が多く、危ないので、私は殆ど行かないです。古木で、美しい姿を見せています。


里山へ

2014-04-01 10:15:13 | 日記
私の敵の前で、あなたは私のために食事を整え、私の頭に油を注いで下さいます。私の杯はあふれています。(詩篇23篇5節)



この御言葉はもう30年前でしょうか、凄く残念で悲しいと思ったのですが、私を溢れるばかりに導いて下さる前兆でした。その時は辛くても、全て恵みの時の備えです。何にもくやむ事は無いものですね。

昨日はカメラバッグにカメラとレンズ2個を持って、宇治田原へ行きました。307号は朝は通勤ラッシュで、高尾高原に上った方が良いと判断。あこには梅やサンシュがありますから。



傾斜が凄く、踏み外せば転げ落ちる!細心の注意をして移動。何度も通った所ですが、やはり怖い場所。這う様に草につかまって登る箇所も。被写体に向かわなければなりませんから。梅は遅かったけど、サンシュは綺麗でした。



水仙がありました。誰かが植えて下さるのでしょう。



大怪我をしたら何にもならないので、8時過ぎだから307の通勤車も少なくなるので、奥山田に移動。
ここは気温が少し違うので、梅は見頃でした。



茶畑の中に大きな梅の木で有名な所です。近年菰を着せられ、針金や菰に黒で汚くなったのですが、これも農家には楽で大事だから仕方ない時代の流です。空は青。高尾でもここでも本当に空気が澄んで美味しい!



観光客に邪魔される事もなく、里山はやはり気持ち良くて、恵まれた時でした。