御油宿と藤川宿に挟まれた東海道三十六番目の宿場で。当時の人口は男500人、女800人。80数軒の旅籠があったと云われている。
豊川市の御油宿の松並木から歩いた。
音羽町の東から東海道三六番目の赤坂宿を散策へと・・・
見附跡説明板。宿場の入り口にて出入りを見張ったところ。1796年には関川神社前に移築されている、そのご明治7年に取り壊しされた。
関川神社へ歩く・・・
愛輪。手作りの店があったが見るのみでさらに歩く。・・・
関川神社。後方の木は赤坂宿の大火に残った楠、樹齢800年との説明。
関川神社には右に芭蕉の句がある。[夏農の月 御油より出て赤坂や]
途中民家前の地蔵さん・・・
長福寺へ寄った。ここで裏山にある姫様の墓を寺の人に聞きお参りにと・
5分くらい登るとお墓があつた。
街道へ戻り、酒店の看板が懐かしく見てた現在は閉鎖している。
酒店のマーク、何の形かなー・・・・
赤坂本陣跡。
本陣跡説明板。
尾崎屋。民芸品を販売している。
尾崎屋さんの屋根にある行灯、カメラポイント・・・
広重の描いたモデルの旅籠庭の蘇鉄が移植され浄泉寺にある。
浄泉寺の薬師堂を参拝して街道へ。・・・・
現在も営業している大橋屋へ
280年前に建てられた大橋屋。屋号は[伊右工鯉屋]で安藤広重が東海道五十三次・赤坂旅招婦図のモデルと言われている。
大橋屋さんの仲に広重の描いた蘇鉄絵が飾ってあった。
更に中へ入り写真を撮らせてもらった。
関川神社にあった芭蕉の句の文字ノレンが見られる。
天井には俵のような物があり、16代目のご主人に聞いたが中に何がはいっているかわからない。多分4代目の時に乗せたのではとの説明・・・・・
正法寺の椿を見に寄った。まだ5分咲きで残念。
正法寺の椿の説明板。正法寺の境内は歴史上では赤坂古屋敷跡となっている。(松平備中守久親 城主)
赤坂代官所跡に着いた。この前に高札場跡と陣屋跡(三河県役所跡)の説明板がある。
ここで一休み。中は無料休息所になっていた。
休息中、中は雰囲気造りはいいねー
さらに西へ歩き、杉森神社へ
杉森神社の大楠の説明。平成12年に復元された。まわり舞台の建物がある。
赤坂宿散策中はいろいろな人に声を掛けたが気軽に説明してくれた。ありがたい思いであった・・・・写真撮影の時も車を気楽に移動してもらったり・・・
ここで赤坂宿を終わりとして、近くの城巡りへ移動した。