愛知県甚目寺町の甚目寺観音へ寄った。
尾張四観音は笠寺観音、荒子観音、龍泉寺観音、甚目寺観音。
笠寺観音は以前に宮本武蔵の碑があると聞いたので行った。荒子観音は円空仏が多くあり、龍泉寺観音は秀吉の一夜城でいった事があり、甚目寺観音は何だろうと思い寄って見て来た。
本堂
南大門、仁王さんがにらみつけている。1196年源頼朝の命により梶原景時が奉行として再建したと言われている。いい門で . . . 本文を読む
滋賀県米原市の醒井宿へ行って来た。
観光案内所で話を聞き今年のバイカモは花も少ないとの事でしたがとりあえず歩いて見た。
旧醒井郵便局、現在は資料館となっている。
資料館入り口
地蔵川、この橋の下にも梅花藻があるが小さく写真にならなかった。
現地説明板
日本武尊像
現地説明板
腰掛石と鞍懸石
醒井の清水と蟹石
水車付近のところの梅花 . . . 本文を読む
名古屋のテレビ塔が登録有形文化財に指定されたので、なにか変わった事でもあるかと思い行って来た。すでにデジタル放送として瀬戸市にデジタル放送用タワーが建てられているのだ、今後はこのテレビ塔はどうなるのか。???
南から見るテレビ塔
昭和29年(1954年)に開業し、180メートルの名古屋のシンボルタワーとして日本で最初の集約電波鉄塔である。
設計者は早稲田大学の内藤教授で、後の東京タワ . . . 本文を読む
愛知県岡崎市の奥殿陣屋へ行って来た。今日は暑かった34℃。
奥殿藩は三河と信州に領地があり、1707年大給城から当地へ移され、1863年に信州へ移すまでの間領民支配の中心であった。現建物のは明治9年陣屋を取り壊しの際、龍渓院クリとして移転された。さらに昭和16年にここに再移築した。現地説明より
奥殿陣屋門
現在の陣屋と説明板。
庭園、奥へいくと藩主の墓があり、村積山へ登るコース . . . 本文を読む
愛知県岡崎市と豊田市の郡界川にある中部電力の岩津水力発電所へ寄った。
明治30年から平成9年で100年となり、記念碑もあった。中部電力の現存する水力発電所としては最小最古の発電所との事。
この道は以前に通った覚えがあった。そのときは気にしてなかった。そのくらい小さいので車では景色の一部と思って当時は走り過ぎた所であります。
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竜吟の滝
2005年08月15日 | 滝
岐阜県瑞浪市の竜吟湖の滝を見にいって来た。天猷寺から車で5分位の所である。
竜吟湖まで七つの滝がある。登り口の案内図。
一の滝、高さ16メートル
二の滝、上の赤い橋を行き次の滝へ。ここの滝が一番良いと観光客の人は言っていた。高さ8メートル
三の滝、高さ3メートル
えびす滝、写真に撮りにくい場所で変な絵になってしまった。烏帽子の形の岩があるから来た名か
あんま滝、名が . . . 本文を読む
岐阜県瑞浪市の釜戸の天猷寺(てんにゅうじ)臨済宗妙心派。
国道19号の横にある寺で1616年釜戸領主の馬場昌次公は父の正祐公の菩提寺として創建された。大きな墓がある寺で知られている。
ハナの木門、当地のハナの木材で作られた。全国でハナの木の門はここだけです。
現地説明板
左は七代尚式 大阪御目付代、耕雲院殿墓で笠塔婆の墓石。他は剣碑である。
右から三代利尚 . . . 本文を読む
岐阜県多治見市の神言多治見修道院へ。
昭和5年にドイツ人のモール神父により修道士の養成を目的として建てられた。現在は名古屋の南山学園が宣教活動の拠点となっているとの事。
正面から
正面、青い空が広がっていたのでここで一枚撮った。
駐車場から見る。
教会内
教会前の花が暑いのに頑張っていた。
教会ではぶどうが1933年から栽培され、修道院の地下で醸造され販売もされている . . . 本文を読む
岐阜県恵那市の旧串原村の松本砦に行って来た。
標高590メートルにある砦跡。
途中、矢作ダムを見る。写真右側が愛知県、左が岐阜県
矢作ダムの説明板
地元の人に聞きやっと見つけた。写真左の道から進むと民家で行き止まり、左の丘、山林が松本砦。串原殿と言われていたとの事。
家の方に許可を得てから裏山の砦跡の主郭へ、なにもなし。
主郭北下に井戸跡があり、姫井戸と言われている . . . 本文を読む
岐阜県安八町の城跡散策へ。
山内一豊の石碑が円長寺境内に完成した。石碑には牧村城址の名がある。
町のHPでは牧城跡が記載されているが、円長寺が城跡である事を役場で確認できた。
左が完成した石碑。8月6日に除幕をしたとの事。
円長寺門の前には来年から始まるNHK大河ドラマの[ 巧名が辻 ]で山内一豊が登場するので、タイミングもよい説明がある。-山内一豊ゆかりの地-
一豊は愛知県 . . . 本文を読む
岐阜県安八町の散策へ森部の古戦場。
信長が1561年に西美濃わ征服するために羽島より長良川を渡って森部村に入り斉藤龍興軍と戦った。(斉藤軍6000騎、織田軍1500騎)前田利家はこの戦いむで活躍した事より、そのご加賀百万石の大名になる戦いであった。
現地説明板
右に現地説明板と古戦場碑があり、左には五輪塔がある。地元の人に道を聞いたら、森部薬師堂と言わないとわからなかった。(古戦場で . . . 本文を読む
岐阜県安八町の散策。森部城跡へ
古戦場から東へ1000メートルくらいのところで説明板のみであった。
現地説明板
公民館の土地になっている。説明より写真左に神社がある。
遺構はなし。
次に北へ向かい、結神社へと
結神社、昔は左方にあったと言われている。揖斐川の堤防工事で現在場所に移動した。古くから縁結びの神として結の村名ともなっている。多くの灯篭や狛犬の文化財が指定されて . . . 本文を読む
福井県敦賀市へ散策にいって来た。
武田耕雲斎の墓へ。資料によると1864年、武田耕雲斎の水戸天狗党は敦賀で捕まり、353人斬首された。
現地説明板
武田耕雲斎等の墓
武田耕雲斎像
近くに録音テープの説明がありますのでそれを聞くとよく判ります。
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福井県敦賀の城跡散策へ、金ヶ崎城。(信長、秀吉、家康、利家揃いの地)
金崎宮、ここは桜の季節がよさそうです。
現地案内図
神社に模型がある金崎宮から登り左上の本丸までいける。
神社横の登り口に城跡碑がある。
さらに登ると説明図がある。戦国時代には越前朝倉攻めの戦いがあった山城。
浅井氏の裏切りにより信長は秀吉の殿により帰京したと書かれている。
本丸跡、月見御殿 . . . 本文を読む
福井県敦賀市の敦賀城跡へ
城は焼けて城跡のみであるがいろいろ探すと見つかります。
西小学校に説明の石碑がある。反射して撮影は困難。
1583年蜂屋頼隆が五万石の敦賀城主となり、城主病死後豊臣秀吉配下の大谷吉継と交代した。三層の天守城を整備した。城主は関ヶ原の戦い後西軍に参加し自刃した。そのご一国一城令が1615年に発令され城は焼かれたなど記載されている。
旧国鉄敦賀港駅舎に敦賀城の . . . 本文を読む