今回は名古屋市から犬山に通ずる上街道(稲置街道・木曽街道)へ名古屋市清水から・・・味鋺神社まで散策。(途中上街道から外れて西や東の寺などへ寄って行きました。)
名古屋城三の丸清水橋から北へ・・・
明和高校前
明和高校前にある碑
七尾神社
七尾神社説明板
ここから北へ・・・清水弘法へ
清水弘法・・・特に説明らしきものはない 国道41号の西側
国道41号渡り・・・上街道へ・・・手前。
上街道から外れて東の大杉町へ行き・・・首塚へ詳しくはわからないが、昔話として上の坂上処刑場から首が転がり落ちてくるのが多く、そのため供養のために出来たとか・・・
中へ入ってみたが・・・よくわからず。
ここから、さらに西の蓮池弁才天へ・・・・
祠の中に加藤清正の手形石と云われているので見に寄ました。
写真にはないがこの横の石には嘉永7年(1854)と刻まれていたが関係は不明。
上街道へ戻り・・・名鉄電車・清水駅の高架下を北へ・・・
右手・東に白龍本店酒屋の看板。平成18年で廃業(創業 嘉永年間1848~1854)
御成道の説明板・・・この先の交差点
八王子神社
ここで神社の方から詳しく説明を受けた。
名古屋城築城(1610)に際して若宮八幡社と八王子天王社は城外へすることになった。
その際は「くじ」で決めたとか・・棒が倒れた方向へ?
八王子天王社の鎮座・・・慶長15年(1610)-天明5年(1785)火災・昭和20年(1945)5月14日、空襲にて焼失。平成16年(2004)5月15日上棟。平成17年改築・・・・
八王子天王社 祭礼の始まり・・・七代 徳川宗春により・・・志水八王子祭、享保19年(1735)
・現在は祭りの山車が撮っている写真を探しているとのこと。
名古屋城石垣の一部があった。神社が゛石垣の専門家に調べたとのこと。
刻印は「佐 」が良く見える。土佐 高知藩か・濃尾地震のときここに移ったらしい。
八王子神社に来て、この石に気付いたので話を聞くことができました。
ここから・・・上街道へ
稲置街道の説明板
この先西の解脱寺へ寄ってみた。
きょうは彼岸で人が多かったので・・・外から
解脱寺 「栗稗にとぼしくもあらず草の庵」
黒川橋・ここから黒川用水(御用水)
八幡社
この北にある安栄寺へ
六地藏6月に来たときは工事で見られなかった。現在は立派な石の部屋が出来ていた。゛
さらに北へ・・・・上街道から外れて
山神社
ここから西へ・・・・
成願寺の説明
成願寺・近代的な寺になった。(常観寺)
以前は行基の彫った十一面観世音菩薩が見えたそうですが、残念ながら見えず。
矢田川の改修工事のため、この地に移った。(矢田川と庄内川の間にあった)
ここから川を渡る・・・・
信長公記を書いた太田牛一はこの常観寺で成長。