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気ままな散策に出かけた寺神社、風景、人、城跡、歴史建物、花などです。写真は他に転載禁止

名古屋の上街道-1

2011年09月22日 | 街道と宿場

今回は名古屋市から犬山に通ずる上街道(稲置街道・木曽街道)へ名古屋市清水から・・・味鋺神社まで散策。(途中上街道から外れて西や東の寺などへ寄って行きました。)

名古屋城三の丸清水橋から北へ・・・

明和高校前

明和高校前にある碑

七尾神社

七尾神社説明板

ここから北へ・・・清水弘法へ

清水弘法・・・特に説明らしきものはない 国道41号の西側

国道41号渡り・・・上街道へ・・・手前。

上街道から外れて東の大杉町へ行き・・・首塚へ詳しくはわからないが、昔話として上の坂上処刑場から首が転がり落ちてくるのが多く、そのため供養のために出来たとか・・・

中へ入ってみたが・・・よくわからず。

ここから、さらに西の蓮池弁才天へ・・・・

祠の中に加藤清正の手形石と云われているので見に寄ました。

写真にはないがこの横の石には嘉永7年(1854)と刻まれていたが関係は不明。

上街道へ戻り・・・名鉄電車・清水駅の高架下を北へ・・・

右手・東に白龍本店酒屋の看板。平成18年で廃業(創業 嘉永年間1848~1854)

御成道の説明板・・・この先の交差点

八王子神社

ここで神社の方から詳しく説明を受けた。

名古屋城築城(1610)に際して若宮八幡社と八王子天王社は城外へすることになった。

その際は「くじ」で決めたとか・・棒が倒れた方向へ?

八王子天王社の鎮座・・・慶長15年(1610)-天明5年(1785)火災・昭和20年(1945)5月14日、空襲にて焼失。平成16年(2004)5月15日上棟。平成17年改築・・・・

八王子天王社 祭礼の始まり・・・七代 徳川宗春により・・・志水八王子祭、享保19年(1735)

・現在は祭りの山車が撮っている写真を探しているとのこと。

名古屋城石垣の一部があった。神社が゛石垣の専門家に調べたとのこと。

刻印は「佐 」が良く見える。土佐 高知藩か・濃尾地震のときここに移ったらしい。

八王子神社に来て、この石に気付いたので話を聞くことができました。

ここから・・・上街道へ

稲置街道の説明板

この先西の解脱寺へ寄ってみた。

きょうは彼岸で人が多かったので・・・外から

解脱寺 「栗稗にとぼしくもあらず草の庵」

黒川橋・ここから黒川用水(御用水)

八幡社

この北にある安栄寺へ

六地藏6月に来たときは工事で見られなかった。現在は立派な石の部屋が出来ていた。

さらに北へ・・・・上街道から外れて

山神社

ここから西へ・・・・

 

成願寺の説明

成願寺・近代的な寺になった。(常観寺)

以前は行基の彫った十一面観世音菩薩が見えたそうですが、残念ながら見えず。

矢田川の改修工事のため、この地に移った。(矢田川と庄内川の間にあった)

ここから川を渡る・・・・

信長公記を書いた太田牛一はこの常観寺で成長。

 

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