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気ままな散策に出かけた寺神社、風景、人、城跡、歴史建物、花などです。写真は他に転載禁止

松阪市の城巡りへ

2007年02月06日 | 三重県の城

三重県松阪市の城巡りへ

松阪市には20箇所の城跡があるが今回は電車できたので2箇所に決めてまずは松阪城へと

松阪城東から、現地説明板をまずは読んでと・・・

松阪城表門跡へ

城内に歴史民俗資料館があり、ここで資料をもらい、日本城郭協会からの日本名城100選の認定書をみせてほしいと聞いたら役所へ電話していたが役所もどこにあるかわからない・・・・残念

犬山城と同じだ金庫の奥にしまっているか・・・皆関心ないな

(彦根城は東京の日本城郭協会から天守にあると聞いているので今年も行く予定だ400年記念事業を楽しみに)

帰りに阿阪城へ行くので道を確認した。

松阪城の本丸。蒲生氏郷が1558年完成させた。右に天守閣の石垣が残っている。当時は三層の天守閣そびえていた。

天守閣跡の石垣。この後ろは梅園となっているがまだ開花は遅れていた。

城から南下に御城番屋敷(武家屋敷)は松阪城の警備を紀州藩士とその家族の住居1863年に建てられた。一部公開されていた。

松阪城の裏門へと・・・大きな灯篭があったが・・・わからないなー

南西の石垣からは本居宣長の記念館へと行く・・石垣の上は御米蔵跡。松阪城から阿坂城跡へと・・・・・・・

浄眼寺前に城の説明板がある。国指定史跡

南北300m東西150mの範囲、南北二つの郭からなり北郭を椎ノ木城、南部を白米城とも呼ぶ・・・・1415年北畠満雅が足利幕府軍を迎え撃った戦い。籠城する満雅は、馬の背に白米を流して水があるように見せて幕府軍を撃退した。1569年織田軍は阿坂城を落城。

浄眼寺の右からハイキングコースがあり登る標高300m比高250mたいへんだー

山道の標識・・・途中数人の人とすれ違い・・・

椎ノ木城跡から白米城が見えたがまだ歩くのか・・・

やっと城碑の岩が見えてきた。40分くらいは掛かったか体力が無いなー

城址碑が欠けている。地元の登山愛好家の青年達に聞くと10数年前にヘリコプターが当たったとのこと、岩破片もあるよと言われた。・・・

そうか登る途中大型のヘリを見かけたが自衛隊機かな?

これが岩の破片か・・・白米の字が

白米城の名板があり隣にあるのが三角点。向こう側が松阪駅方面。

影は城碑

太陽からの光りが強く風も強い日だ・・・帽子が飛んでしまうほどでした。

東側から城碑を見る。逆光だ・・・

年配の人が4人ほど登ってきた。話では地元の人がほとんどだ。体力コースかな・・・・

そろそろ帰ることにと下山・・・・西側の道

浄眼寺を後に高速下道がバス停にて最終バスを待つ。小銭がなくバスが来たので600円で駅まで行けますかと運転手に確認して帰路。

城巡りも小銭を用意していくが自動販売機での使用回数が多くなってしまい心配でした。

帰りは快速三重に偶然乗れた。事前調査では普通しかないのではと思っていた。早く帰れた。次回は快速か車かどうしょうかなー

車内では隣に座った人が伊勢からの年配の方でコンピュータに詳しく税理士で講演会へ行くとのことでいろいろ話が盛り上がり、山城で疲れた体は元気にもどった日でした。

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