虎姫町唐国の国道8号沿いに17年5月に建立された碑。
周辺には一豊名の旗が多く立っておりすぐわかった。
[山内一豊公 初所領之地 近江唐国400石]と刻まれている。
現地説明板から、天正元年夏、織田信長の越前朝倉攻めに従軍した一豊は、近江と越前の国境で朝倉軍の強弓の士、三段崎勘右衛門と死闘を繰り広げ、三段崎が放った矢は一豊の左のまなじりから右の奥歯までとなり、ひるむことなく三段崎勘右衛門を討った。・・・・近江唐国は南に姉川、北東に小谷山、を望み、秀吉の領地である長浜まで数キロを隔てた位置・・・
虎姫町の大井地区へ
大井地区の妙蓮寺。町の資料から秀吉が岐阜の北方城から小野義長を大井城主に任命しましたが、6代目になるともとの北方城へ戻った。この寺には小野家の宝として信長からもらった白さやの正宗の短刀などがあるとのこと・・・・
大井城跡碑。大井城跡をさがすのには苦労した。まず地元の人にきいたがまったく不明。町の教育委員会にて電話確認し保育園南側にあることを聞き、たどり着いた。碑のみであり説明などはなかった。
町の説明によると、浅井長政の時、小谷城の支城である大井城は、戦いが始まってから真っ先に信長名攻め落とされた。
宮部地区へ
清流の里はなんだろうと思い歩いたがわからなかった。
宮部地区の西薬師堂
宮部西薬師堂の現地説明板。1839年建立
宮部神社へ
宮部神社
宮部城址伝碑「元亀三年築城」と刻まれている。
宮部城は小谷城外の出城で今の宮部の集落が全て入る大きさとのこと・・・秀吉の家臣・宮部継潤の城館と伝えられている。
宮部神社本殿
宮部神社本殿前の道を50メートルくらいで道があり、県道510号に道標がある。[左 小谷、右 長浜と刻まれている。]
湖北町の小谷城へ向かうことに・・・・
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