オフィス松山 オペラの部屋

オペラ&ミュージカル制作企画オフィスの徒然

モーツアルトイヤー?

2006-10-04 20:08:46 | オペラのお勉強
昨日ある高校生が言った言葉にお答えします。高校生の言に寄れば、「今年はモーツアルトイヤーですよね、幾つで亡くなったんですかね」。。。。。。???
この画像はオペラ魔笛の家でモーツアルトのオペラ「魔笛」を」初演した劇場の敷地内にあるこの家でモーツアルトはオペラ「魔笛」を作曲しました。ここで最後のオペラ「魔笛を作曲し、その後息をひきとりました。モーツアルトはパパゲーノのメロデイを鼻歌でよく、口ずさんだいたらしい。
                  
そして臨終の時は


モーツアルトイヤーは没後記念ではなく生誕記念なのです。高校生さん。

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訃報、それははかなくも辛く悲しいもの

2006-10-04 15:41:57 | オペラのお勉強
先日旧知の友人の訃報を聞いた。彼ほど真の音楽家は他に見当たらないだろう。
学生時代は作曲家の勉学し、そんな時オペラ(西洋歌舞伎)に魅せられてしまった彼、それはもう茨の道と言えよう。当時はひたすらオペラに没頭した生活を送っていた彼。彼曰く西洋歌舞伎(オペラ)に魅せられて以来その界隈を生業にしようと思う、と言っていた彼。作曲家ではなく本当の意味での音楽家。彼曰く「観客代表になりたい」と。わが師故、三谷礼二の下に出入りしていた彼いわゆる社会と密着した音楽家としての仕事をこなしていた彼。地域オペラにおいても協力惜しまずの姿勢で、日本の地域オペラ、地域音楽での業績は、称えられるべきであります。。
若い頃ヨーロッパに飛んでは劇場行脚し、幾多のオペラを鑑賞し、音楽を見極める実力は評論家として活動しても不思議ではないほどの眼力の持ち主となった彼。
オペラに魅せられ音楽と戦い、逝った彼。
その彼の名は川島通雅。
今頃は師である故、三谷礼二と天国で音楽談義に花を咲かせているのだろか。ご冥福を祈ります。ゆっくりと御安みください。

さて皆さん、川島はホームページを持っていました。
私のPC技術力ではアドレス等記載出来ませんがインターネットで
川島通雅と検索していただき。その中の「河馬だよ」のページを開いて観て下さい。彼の業績や人となりをご覧になれます。オペラ界や音楽界においてどこへでも
出かけて協力する。真の音楽人として社会に貢献していた彼。確かに有名ではないだろうけれど、彼の業績は有名か無名かのレベルでは推し量れません。彼ほど音楽を生活にエンジョイさせていた音楽家は今の日本においては大変貴重な存在であった事は確かです。音楽活動に疲れを抱いた時もあるだろうけれども、彼の几帳面な業績は貴重な資料を遺しています。
河馬、お疲れ様!君は音楽をこよなく愛すると同時に地域の音楽活動支援を怠り無く、音楽を愛する仲間と心地よく仕事をされた事うらやましくもありました。安らかに。。。。

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