東方閃電|全能神の発表「ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識」抜粋6
そうした者は、征服された後も、明白な証が無い。そうした者は、単にサタンを辱めただけであり、神の言葉の現実を行動で示していない。あなたは、未だに2番目の救いを得て居ない。あなたは、単に罪のいけにえを得たにすぎず、まだ完全にされてはいない。それは何と大きな損失であろうか。あなたがたは、自分が成長すべき事、行動で示すべき事を理解し、それらにおいて成長する必要がある。最終的に、あなたが完全にされることを達成せず、真の人間ではない場合、後悔の念で満たされるであろう。最初に神により造られたアダムとエバは、聖い人間であった。すなわちエデンの園に居た両人は聖く、汚れが無かった。また両人はヤーウェに忠誠であって、ヤーウェを裏切ることを一切知らなかった。なぜなら、両人はサタンの影響による侵害を全く受けず、サタンに毒されておらず、全人類のなかで最も清らかだったからである。両人はエデンの園に住み、一切不浄に汚されることなく、一切肉に囚われることなく、ヤーウェを畏れ敬っていた。その後、両人がサタンに誘惑された時、両人はへびの毒に見舞われ、ヤーウェを裏切ることを望み、サタンの影響下で生きた。当初、両人は聖く、ヤーウェを敬っていた。そうすることが、彼らを人間としていた。その後、両人がサタンに誘惑された時、両人は、善悪を知る木の実を食べて、サタンの影響下で生きた。両人は、サタンにより次第に腐敗させられ、元来の人間像を失っていった。当初、人間にはヤーウェの息吹があり、不従順であることは一切無く、心に邪悪は一切無かった。この時、人間は真に人間であった。人間は、サタンにより腐敗させられた後、獣となった。人間の考えは邪悪と不浄で満たされ、善良さや聖さは無かった。それはサタンではなかろうか。あなたは神の業の多くを経験したが、変化しておらず、清められてもいない。あなたは依然としてサタンの領域で暮らし、神に服従しないままである。それが、既に征服されているが、まだ完全にされていない者である。それでは、そうした者が、まだ完全にされていない者であると言われるのは何故だろうか。それは、その者がいのちも、神の業に関する認識も求めず、肉の享楽や束の間の快楽をむやみに欲するからである。その結果、そうした者のいのちの性質は全く変化せず、神に造られた当時の、人間の元来の姿を取り戻していないからである。そうした者は生ける屍であり、霊のない死者である。霊の問題に関する認識を追求しない者、聖さを追求しない者、真理を行動で示すことを追求しない者、否定的側面で征服される事のみで満足する者、真理を行動で示して聖い者のひとりとなれない者は、皆救われていない者である。なぜなら、人間に真理が無い場合、人間は神の試練の時に揺るぎなく耐えることができないからである。神の試練の時に揺るぎなく耐えられる者のみが、救われた者である。わたしが望むのは、完全にされることを求める、ペテロのような人物である。現在の真理は、真理を待ち望み、求める者に与えられている。この救いは、神により救われることを待ち望む者に与えられており、あなたがたが得るためだけのものではなく、あなたがたが神により得られるようにすることをも目的とするものである。あなたがたは、神があなたがたを得られるようにするため、神を得る。今日、わたしはあなたがたにこの話をし、あなたがたはそれを聞いたので、あなたがたはこの話に従って実践すべきである。最終的に、あなたがたがこの話を実践する時は、わたしがこの話によりあなたがたを得る時である。それと同時に、あなたがたはこの話を得る、すなわち、あなたがたはこの至高の救いを得るであろう。あなたがたが清められた後、あなたがたは真の人間となるであろう。もし、あなたが真理を行動で示す事、あるいは完全にされた者の像を行動で示す事が出来ない場合、あなたは人間ではなく、生ける屍であり、獣であると言えるであろう。なぜなら、あなたには真理が無く、つまりあなたにはヤーウェの息吹が無く、したがってあなたは霊の無い死者だからである。征服された後に証しに立つことは可能であるが、あなたが得るのは多少の救いであり、あなたは霊を備えた生き物となってはいない。あなたは刑罰と裁きを経験したが、その結果自分の性質が刷新されることも変化することも無いままである。あなたは依然として従来の自分自身のままであり、サタンに属しており、清められた者ではない。完全にされた者のみに価値があり、そうした者のみが真の人生を得ている。いつの日か、誰かがあなたにこう言うであろう。「あなたは神の御業を経験したのだから、神の御業はどのようなものか、少し話をして欲しい。ダビデは神の御業を経験し、ヤーウェの御業を目の当たりにし、モーセもまたヤーウェの御業を目の当たりにしたので、両者ともヤーウェの御業を説明し、その奇しさについて話をすることが出来た。あなたがたは肉にある神の御業を目の当たりにした。あなたがたは神の知恵について話が出来るだろうか。神の御業の奇しさについて話ができるだろうか。神はあなたがたに何を要求され、あなたがたはそれをどのように経験しただろうか。あなたがたは終わりの日における神の御業を経験した。あなたがたが見たもののうち、最も素晴らしいビジョンは何であろうか。そのことについて話せるであろうか。神の義なるご性質について話せるであろうか。」あなたは、このように質問された時、どう答えるであろうか。あなたが「神は義であり、人間に刑罰と裁きを与えられ、人間を容赦なく暴露される。神のご性質は、人間による侵害を決して容赦しない。神の御業を経験した後、私は人間の獣のような側面を知り、神の義なるご性質を真に目の当たりにした。」と答えられるのであれば、その者は続けて「それ以外に、あなたが神に関して知っていることはあるだろうか。人間は、どのようにして、いのちの成長を得るだろうか。あなたには、個人的な熱意があるだろうか。」と尋ねるであろう。あなたは「サタンに腐敗させられた後、被造物は獣となって、ロバ同然であった。現在、私は神の御手の中で生活しているので、創造主の心を満たし、創造主の教え全てに従う必要がある。私は、そうするほか無い。」と答えるであろう。あなたがそのような全般的な話だけをするならば、その者はあなたの話を理解しないであろう。そうした者が、あなたには神の業に関してどのような認識があるか、と訪ねた時、そうした者はあなた自身の経験のことを言っている。そうした者は、あなたには神の刑罰や裁きを経験した後、その刑罰や裁きについてどのような認識があるか、と尋ねているのであり、それはあなた自身の経験のことを言っているのであり、真理に関するあなたの認識について話をするよう求めている。あなたが、そうした物事について話せなかったならば、それはあなたが、現在の業について何も知らないことを示す。あなたは常に、もっともらしい話、あるいは一般に知られている話をする。あなたには具体的な経験が一切無く、いわんや自分の認識に本質があることは一切無く、真の証しも一切無いので、他の者はあなたに説得されない。受動的に神に付き従う者となってはならず、好奇心をそそる物事を追求してはならない。あなたは冷たくも熱くもないので、あなたは自分を喪失し、人生に遅れを生じさせるだろう。あなたは、真理を得て、それを行動で示すことができるように、自分の受動性と不活性を排除し、肯定的な物事の追求と自分の弱みを乗り越えることに熟達する必要がある。あなたの弱みについて、恐れることは一切無く、あなたの欠点は最大の問題では無い。あなたの最大の問題であり、最大の欠点であるのは、冷たくも熱くもなく、真理を追求する望みが欠如していることである。あなたがた全員の最大の問題は、臆病な精神により物事の現状に満足し、受動的に待っていることである。それがあなたがたにとって最大の障害であり、あなたがたが真理を追求する際における最強の敵である。あなたが単にわたしの話が極めて重大であるために従うのであれば、あなたは真に認識を備えておらず、真理を大切にしていない。あなたの従順さのような従順さは、証しとみなされず、わたしはそうした従順さを認めない。誰かがあなたに「あなたの神は、正確に言うとどこから来るのだろうか。あなたの神の本質は何であろうか。」と尋ねるかも知れない。あなたは「神の本質は、刑罰と裁きである」と答えるであろう。「神は人間に対して思いやりがあり、愛情があるのではなかろうか。あなたは、それについて知っているであろうか。」あなたは「それは他の者の神である。それは宗教の人々が信じている神であって、私達の神ではない。」と言うであろう。あなたのような人々が福音を広める時、真の道はあなたによって歪められる。それならば、あなたは何の役にたつというのか。どうして他の者があなたから真の道を得ることが出来ようか。あなたに真理は無く、真理について一切話が出来ず、あまつさえ真理を行動で示すことも出来ない。どうしてあなたに神の前で生きる資格があろうか。あなたが他人に福音を広め、真理について話し、神の証しに立つ時、あなたが他人を説得出来なければ、他人があなたの話を論駁するであろう。あなたは場所を無駄にしているのではなかろうか。あなたは神の業を極めて多く経験してきたが、真理について話をすると、意味不明である。あなたは全くの役立たずではなかろうか。あなたは、何の役に立つというのか。あなたがたは、神の業の多くを経験しながら、よくもまだ神に関して全く認識が無いままでいられるものだ。神に関するあなたの真の認識を他人に尋ねられると、あなたは絶句するか、あるいは神には大いなる力がある、あなたが授かった祝福は真に神により引き上げられることである、自分で神を見ることが出来ること以上の特権は無いなど、無関係な事を答える。そうした事を述べる事に、何の価値があるであろうか。それは無用の空虚な言葉である。神の業を極めて多く経験してきたにもかかわらず、あなたが知っているのは、神に引き上げられることが真理であることだけだというのか。あなたは、神の業を知る必要があり、そうして初めて本当に神の証しに立てるようになるであろう。真理を得ていない者が、どうして神の証しに立てようか。
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