おそらく幼年時に何度もひっこしをしたせいで、3歳くらいですでに「違うところには違うことばがある」ということを深い部分で理解した。小学生になると「友達になるためには同じことばを使わなければならない」ことを知って、実践してきた。そのためには違いを見つけ出し、単語や文章だけでなく、使う状況を移し替えないといけないこともわかっていた。ただ単語を並べて「何何弁を知っている」という大人を「わかってないな」と思っていた。子供にとっては、ちょっとした抑揚や使うことばのタイミングなどが違うと「よそもの」と思われるからである。そのため、自分のまわり全体の空気のようなものをそっくり置き換えなければ実践的ではない。そういうことが身に付いていたために、東京のことばをコピーするのも、英語も、その延長線上にあった。「なりきる」のである。
山陰は関東地方とはまったく違って、10キロほど離れた町でも言葉が違う。私は鳥取県の倉吉という街で生まれ、そこに3歳までいて、米子に移った。倉吉は因幡で、米子は伯耆だからことばは大きく違う。もっとも因幡の本拠地は鳥取市で、これはまた倉吉とは違う。米子のあと、松江にも住んだが、これは出雲弁で、また大きく違う。私はそれらをかなりうまく使い分けることができる。バイリンガルどころではない。そうしたことから、自分では耳がいいと思っている。
テレビで解説者の人がでて話をしていた。ほとんど標準語なのだが、たとえば忘年会というとき、東京なら同じ高さをくりかえし「ぼうねんかい」というが、倉吉では「ねん」が高くなり、「かい」が低くなるので、標準語で探すと「高学歴」というときのような高低になる。私が「あ、この人、倉吉の人かもしれない」といったら、父が「そんなわけないだろう。きれいな標準語でないか」といったが、最後にプロフィールが出て「倉吉市出身」とあり、父が驚いていた。そういうことはよくあって、学生の出身地をかなりの打率で当てる。
つづく
山陰は関東地方とはまったく違って、10キロほど離れた町でも言葉が違う。私は鳥取県の倉吉という街で生まれ、そこに3歳までいて、米子に移った。倉吉は因幡で、米子は伯耆だからことばは大きく違う。もっとも因幡の本拠地は鳥取市で、これはまた倉吉とは違う。米子のあと、松江にも住んだが、これは出雲弁で、また大きく違う。私はそれらをかなりうまく使い分けることができる。バイリンガルどころではない。そうしたことから、自分では耳がいいと思っている。
テレビで解説者の人がでて話をしていた。ほとんど標準語なのだが、たとえば忘年会というとき、東京なら同じ高さをくりかえし「ぼうねんかい」というが、倉吉では「ねん」が高くなり、「かい」が低くなるので、標準語で探すと「高学歴」というときのような高低になる。私が「あ、この人、倉吉の人かもしれない」といったら、父が「そんなわけないだろう。きれいな標準語でないか」といったが、最後にプロフィールが出て「倉吉市出身」とあり、父が驚いていた。そういうことはよくあって、学生の出身地をかなりの打率で当てる。
つづく