岐阜/医大生が指導する明光義塾長良教室&芥見教室

医大生が個別指導する全国でも珍しい塾が明光義塾長良地区、芥見地区に登場。山県市、美濃市、関市からも通塾されています

★夏の二つの思い出

2015年07月19日 22時19分38秒 | 日記

★随分遠くに来たものだ

 いよいよ明日から夏期講習が始まります。早くから準備をしていましたが全く進まず困ったものです。しかしながらその中で今まで見えてなかったことも多だあり色んな意味で考えさせられれています。
 
 世間では安保保障関連法案の反対で国会の周りはかなり騒がしくなっています。岐阜新聞によりますと岐阜市内でも大垣市内でもデモ行進がありシュプレヒコールをしていたようです。法案を10本まとめて一度に通すことなど無理なわけですが米国の国会で発表した手前何としてもまとめたい安倍総理。丁寧に説明をしたいといいながら毎度おなじみのセリフで論点のすり替えばかり。そこまで違憲と言われる憲法を変えたいのなら解散総選挙をすればいいのですが自信がないのでしょうか・・・。非常に支持率を気にされているようですが37%まで下がっています(共同通信社)。国会の議員の方はそれぞれ地元に帰り国民の声を真摯に聴くべきだと思います。

 今の米国との日米ガイドラインについて国連を無視するとすれば米国の敵は多く地球の裏側まで自衛隊を軍隊として送ることになります。罪のない人を殺し合うような戦後に戻るようなことは絶対にしてはならないです。中国の脅威と言いますがそのために消費税を19%までUPしていく。何考えているんだろうと思います。ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は虚構ですとまで言っています。

 今日は夏の思い出を書いてみようと思います。

 最初は高校野球。高校球児の私は夏がくれば必ず体が熱く燃えてきます。今年も順調に勝っています。1959年(昭和34年)41回全国高校野球選手権大会で夏の優勝をいたしました。延長15回で宇都宮工業に勝ったのです。これが野球をするきっかけになったのですが私の時は昭和37年第44回夏の大会でベスト4まで行きましたがそこで私の夏は終わりました。そしてこのことが二つ目の夏の思い出につながるのです。
 野球部はその時点で退部して辞めたのですがこれには事情があります。正直私の高校は公立高校ですが今でも野球は強いです。特に四国は野球熱が高く四国を制する学校は全国を制するとさえ言われました。あのやまびこ打線の池田高校や高知の明徳義塾などは色んな思い出があります。延長18回再試合の松山商業と三沢高校など。ですから優勝回数はPL学園が連覇するまでは優勝回数は愛媛県が一番多かったのです。甲子園に行って負けますと監督は交代、それが常識でした。最低ベスト8までは残らなくてはならなかったのです。私どもの監督はその後亜細亜大学野球部の総監督になりました。
 
 四国では喫茶店には普通ないものが二つあります。それは一つはテレビ、もう一つはうどんです。この二つがないとお店に客は入りません。そして街を歩いていても野球放送が各家庭から流れてきて分るのです。それだけ野球フアンが多いのです。ですからプロに行かれた方も多いです。
 
 翌年の夏、私はあることで国語の先生と親しくなりました。それが大学受験の失敗にまでなったのですが(人の所為にするのはよくはありませんが・・・)興味が野球より深いものが出てきたのです。それが文学でした。学校から帰って夜の1時ごろに起きて静かな時間の中で陶酔に埋もれていました。そして泣きながら小説を書いていたのです。これは雑誌『文学界』で私がある有名な賞の候補になるまで続くのですがただ悔しくてひたすら書いていました。そういった時に同じ部活の女性と親しくなりましたが大学を卒業と同時に別れていきました。何故?って思っていました。四国まで会いに来てくれたこともありましたが結局別れてしまいました。理由は当時は分からなくて彼女の詩を何度も読み返していましたが社会人になって岐阜に赴任してやっと原因はわかりましたが懐かしく今でも彼女は20才のままです。

 僕の青春の一コマはこのようにして始まり終わりました。そしてもう一つの夏の思い出は大学の近くの神社での酒盛りでした。あの汗と涙と汚れの中で戦ったものが70年安保について熱く語ったのです。今の時代のように遊ぶものはなかったです。ですが話はよくしました。神社で酒盛りをしてなくなると焼酎を買ってきて飲みました。結局朝まで飲み明かしみんな境内でダウンしたのです。その時私は議論の中で集中攻撃を受けていたのですが「個人攻撃は卑怯よ!」と云って救ってくれたのが彼女でした。その後彼女は交通事故にあい入院生活を1か月ほどしたのですが私の下宿先の近くということもあって急速に親しくなっていったのです。

 しかし、私は彼女のこともさることながらこの境内での焼酎を飲みながら議論を交わしたことが忘れられないのです。その後私は部活を退部し本格的に作家活動に入っていったのですが残った者は全学連の中心メンバーとなりヘルメットと角材をもって走っていくのです。まったく道はばらばらになりましたが心は通う仲間でしたので今でも2年ごとに逢ってお酒を飲んで馬鹿話をしています。そして彼女もまた部活は退部し卒業まであまり逢わなかったです。ただ卒業試験で1科目落としたので彼女からすぐ帰るるように実家(当時はもう帰っていました)に電話があったのです。夜行列車で大学に戻りノートを彼女に借りて卒業したのです。彼女は私より一つ下でしたので卒業後大垣城で別れてしまったのですが今はどうしているのでしょうか・・・。

 夏、となるとこのことがいつも浮かんでくるのです。暑い灼熱の太陽の下でボールを夢中で追った日々、そしてあの神社での夜を徹して話した暑い夏の夜。若いからできたのかもしれませんがただこの夏には必ず私は「別れ」が伴っているのです。ですからあまりいい思い出ではなく苦い思い出しかありません。

 凡そ大学時代は今の生徒と違って勉強はしなかった。しかし、逞しく育ったことは間違いはないです。人間はどこかで誰かに出会いそして別れていきます。そしてその一つ一つが将に人生の道標の様に逞しくなっていくのです。

 もう私は今からどうするか少しではありますが先のことが見えてきました。一直線に進むだけです。明日から夏期講習ですが私の個別指導のやり残したことをやっていきたいと考えています。暑い中ですが目標は一つです。精一杯頑張りましょう!
それにしても遠くまで来たものです!

<今日の言葉>
『このまま行けと僕の中の僕が命じるんだ』
                  ゴッホ
<今週のYouTube>

今週は永井龍雲の『心象風景』を選びました。
https://www.youtube.com/watch?v=Wy8Fwsa2r2A


7月31日まで入会金無料!
夏期講習生まだ少し入れます!
<詳細>

http://mm.visia.jp/dozan/

長良教室 058-210-1730
芥見教室 058-244-0170

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