公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

『手塚治虫はどこにいる』 夏目房之介 に見る『非所与の自己』

2019-06-10 09:01:55 | 今読んでる本

p218 ちくま文庫

'69-'70年頃大学生だった僕は....そのときなぜそんなふうに思ったのか、よくわからない。が、とにかく僕は『世界はこのストロボの明滅と同じだ』と思ってしまったのだ。つまり、世界は意味付けられる以前に、偶発的な瞬間の不連続な連続として存在しているのだ、と思ったのである。

基礎は主観である。アニメーションも同じで、止まってしまえばただの絵に過ぎないが、止まる前の記憶があって初めて人間の意識は絵に生を認めている。

これは私が前から言っている『非所与の自己』の、夏目房之介流の発見の瞬間である。気づきの理由は本人にもわからない。感性の転換のように描かれているが、実は大変な世界観の変更なのである。本人も気づいていなかったかもしれないが。わたし達の世界の実相はさまざまな瞬間や局面の集積であるがそれはリアリティの実体ではないリアルの担い手は観念と実相を結びつけた脳裏の作用がリアリティの源泉でありその作用が違う世代は全く違う世界に生きる。であるから夏目にはもう手塚治虫に戻れない根本的変化が脳裏に生じていた。況してや創造的脳裏はこの世のものではない。p219「この瞬間僕は70年代に入ったのであり、50年代の手塚治虫がもたらした世界から出てしまったのである。」死の視線

朝日ジャーナルに長谷川明が「鉄腕アトムと聞いてアニメを思い出す人には手塚治虫はわからない」p137『鉄腕アトム』と書いたそうだが、線の変遷瞳の光、目の大きさなどに手塚治虫のある種の苦悩が同じ世代の社会現象であったことを指摘していたとしたら、明らかに私も手塚治虫を理解できない世代だろう。


『手塚治虫の世界』

※『朝日ジャーナル』臨時増刊

表紙絵・藤子不二雄A
巻頭カラー 萩尾望都 さいとう・たかを ちばてつや 石ノ森章太郎 馬場のぼる 永島慎二 藤子・F・不二雄 石坂啓 赤塚不二夫 松本零士
アンケート&エッセー 「私が愛した」手塚治虫
北杜夫 谷川俊太郎 ジェームス・三木 中村桂子 星新一 青木雨彦 新井満 永井豪 扇谷正造 夏目房之介 衣笠祥雄 糸川英夫 青木保 津島佑子 中山茂 やなせたかし 川村湊 横尾忠則 泉麻人 安西水丸 森下洋子 小田実 小田島雄志 山田洋次 新井素子 秋竜山 森毅 加藤典洋 田中優子 田原総一朗 南博 大岡信 灰谷健次郎 千住真理子 なだいなだ 里中満智子 赤瀬川原平 山藤章二 亀井俊介 立川談志 中村とうよう 斎藤茂太 芹沢俊介 羽仁進 真鍋博 谷川晃一 佐佐木幸綱 小倉千加子 大林宣彦 永六輔 サトウサンペイ 東野芳明
手塚治虫〔ベスト20作品〕解説&ダイジェスト 竹内オサム 米沢嘉博 中島梓 高取英 村上知彦 山崎浩一 長谷川明 呉智英 四方田犬彦 大澤真幸 上野昂志 長谷川つとむ
岩家緑郎 発掘!幻の絵物語『暴れ馬』
復刻掲載「ドオベルマン」 解説・本多勝一
岩家緑郎 知られざる手塚ワールド
朝日賞受賞記念講演から 手塚治虫が子どもたちに語りかけた漫画作りの原点
手塚眞 わが父・手塚治虫「父の作品を映像化するのが夢です」
担当編集者座談会-われら「手塚番」 伊藤嘉彦・大石高雄・松岡博治・山川紀生
石坂啓のアシスタント日記/座談会 戦後日本文化、そして手塚漫画第三世代にとって手塚治虫とは何だったのか 山崎浩一・米沢嘉博・四方田犬彦
多角分析 手塚治虫の全体像 尾崎秀樹 巖谷國士 池内紀 松枝到 川又千秋 副田義也 小野耕世
森卓也 手塚治虫のアニメーション世界
石上三登志 わたしの好きな手塚治虫キャラクター100人
手塚治虫作品リスト&年譜

朝日新聞社
1989年4月発行

 

 

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