2006年11月16日
熊本、鹿児島両県の水俣病認定申請者でつくる水俣病不知火患者会の国賠訴訟原告・弁護団のメンバーら約20人が14日、環境省を訪れ、水俣病関西訴訟最高裁判決から2年が過ぎた中、若林正俊環境相あてに、未認定患者の早期救済を求める要求書を提出した、というニュースがありました。要求書の内容は、最高裁判決から2年が経過した一方で、両県の認定審査会の機能停止で審査を待つ申請者約4,500人以上が放置されている点を踏まえ、①原告らを水俣病患者と認め損害賠償などの救済を行う、②前環境相が設けた「水俣病問題に係る懇談会」が提言した恒久的な救済の早期実施、など5項目とのことです。
水俣病問題は、最高裁判決後も、認定申請者は増え続け、新たな訴訟も提起されようとしています。なぜ、このような事態が生じているのか、平成18年9月19日に公表された『「水俣病問題に係る懇談会」提言書』及び国会の議論を引用しつつ、本日から数回にわたり整理していきたいと思います。
1.水俣病の発見と行政の不作為
(1)水俣病の発見
水俣病発生の公式確認は、昭和31年5月1日、チッソの附属病院から水俣保健所に、実に奇妙な病気が出て、すでに4人入院しているという報告があった日とされています。しかし、環境異変はそれ以前からあらわれはじめていました。水俣市ではこの事態に対し、昭和31年5月28日に水俣市奇病対策委員会を設置。熊本大学医学部に奇病の解明を要請しました。
一方、チッソは、企業秘密を理由に、医師たちを工場内立入を認めず、調査協力を拒否。熊本大学医学部研究班は、独自に調査活動をした結果、同年11月に、水俣病は伝染性疾患ではなく、ある種の重金属中毒であり、その重金属は魚介類によって人体に侵入した可能性が高いという結論を出しています。しかし、いかなる重金属が関わったのかについては、その時点では、突き止めることができませんでした。また、厚生省厚生科学研究班は、昭和32年3月、厚生省に提出した報告書で魚介類を介して摂取した何らかの化学物質か金属類による中毒であろうとの推測を示しています。つまり、水俣病の発見から1年以内には、おおよその原因が推測されていたことになります。
(2)行政の不作為
それにも関わらず、政府がこの事実を認めて、政府統一見解として発表したのは、水俣病発生公式確認からは実に12年4か月も経った昭和43年9月になってからのことでした。その間の行政の対応を『「水俣病問題に係る懇談会」提言書』から抜粋すると以下の通りとされています。
『昭和32年5月21日付けの「水俣奇病会議」と題する厚生省技官メモ(水俣病研究会編「水俣病事件資料集」葦書房)によれば、熊本大学の意向としては漁獲の禁止を求めていたのに対し、行政側は、今の段階では何とも言えない。まだまだ手を打てない。大学が行政のことまで口だししてもらいたくない。との趣旨の発言をしたと汲み取れる(11ページ)』
『厚生省は同年9月11日、熊本県知事に対し、水俣湾内の魚介類の全てが有毒化しているという明らかな根拠が認められないので、食品衛生法を適用して、漁獲魚介類のすべてを販売禁止にすることはできないという見解を示した(12ページ)』
『昭和34年7月、熊本大学の研究班が「有機水銀説」を発表すると、厚生省の食品衛生調査会水俣食中毒特別部会も、11月12日に、発生源には触れずに(つまりチッソの責任を問うのを避ける形で)、水俣病の主因をなすものはある種の有機水銀化合物であると答申した。ところが特別部会は翌日解散させられた。答申が出ても、厚生省は積極的な手を打たず、報告書は葬られたに等しい扱いを受けた』
(3)なぜ、不作為が継続されたか
行政はなぜ、このような対応に終始したのでしょうか。その理由は、当時の経済的背景に求めることができます。高度経済成長の入口に入りかけていた当時、水俣病の問題をめぐっては国の内部でも、有機水銀説を認め工場排水に適切な措置を講じるように要請する厚生省と有機水銀説を否定し重化学工業の担い手であるチッソを擁護しようとする通商産業省の対立があったとされています。
平成16年10月15日の最高裁判決においても事実の概要として『昭和33年6月開催の参議院社会労働委員会において、厚生省環境衛生部長は、水俣病の原因物質は水俣市の肥料工場から流失したと推定されるとの発言をした。また、同年7月、同省公衆衛生局長は、関係省庁及び上告人県に対して発した文書により、水俣病はある種の化学毒物によって有毒化された魚介類を多量に摂取することによって発症するものであり、肥料工場の廃棄物によって魚介類が有毒化されると推定した上で、水俣病の対策について一層効率的な措置を講ずることを要望した。他方、通商産業省(以下「通産省」という。)軽工業局長は、同年9月ころ、厚生省に対し、水俣病の原因が確定していない現段階において断定的な見解を述べることがないよう申し入れた。』とされています。
結果、有機水銀説も政府統一見解とならずチッソの工場排水規制も行われることはありませんでした。
このような経過の中で、熊本大学の入鹿山教授らは、地道に原因究明の研究を続けました。そして、チッソの工場内アセトアルデヒド工程の反応管から採取されて残されていた残滓から塩化メチル水銀を抽出することに成功。昭和37年8月にその論文が発表されています。
しかし、昭和43年9月に、『熊本水俣病の原因はチッソ工場排水中のメチル水銀化合物であり、新潟水俣病の原因も昭和電工鹿瀬工場の排水中のメチル水銀化合物である』という政府統一見解が発表されるまでの『空白の8年余』における政府の有機水銀汚染対策の無策は、第2の水俣病である「新潟水俣病」を生むことになります。
また、当時の水質規制法に関する法律としては、公共用水域の水質の保全に関する法律(水質保全法)がありましたが、水俣湾がこの水質保全法に基づく指定水域に指定され、排水規制が開始されたのは、さらに遅れて翌昭和44年2月になってからのことでした。水質保全法は、『人の生命・健康は絶対的に保護するが、生活環境の保全は経済発展と調和する範囲で進める』といういわゆる調和条項つきの構成となっており、そこにも経済優先の政策を垣間見ることができます(同法は、昭和45年の公害国会において、現在の水質汚濁防止法へ改正され、調和条項は削除されています)。
こうした行政の「不作為」は、水俣病関西訴訟の最高裁判決で以下の通り、厳しく問われています。
『国が、昭和34年11月末の時点で、多数の水俣病患者が発生し、死亡者も相当数に上っていると認識していたこと、水俣病の原因物質がある種の有機水銀化合物であり、その排出源が特定の工場のアセトアルデヒド製造施設であることを高度のがい然性をもって認識し得る状況にあったこと、同工場の排水に含まれる微量の水銀の定量分析をすることが可能であったことなど判示の事情の下においては、同年12月末までに、水俣病による深刻な健康被害の拡大防止のために、公共用水域の水質の保全に関する法律及び工場排水等の規制に関する法律に基づいて、指定水域の指定、水質基準及び特定施設の定めをし、上記製造施設からの工場排水についての処理方法の改善、同施設の使用の一時停止その他必要な措置を執ることを命ずるなどの規制権限を行使しなかったことは、国家賠償法1条1項の適用上違法となる。』
『熊本県が、昭和34年11月末の時点で、多数の水俣病患者が発生し、死亡者も相当数に上っていると認識していたこと、水俣病の原因物質がある種の有機水銀化合物であり、その排出源が特定の工場のアセトアルデヒド製造施設であることを高度のがい然性をもって認識し得る状況にあったことなど判示の事情の下においては、同年12月末までに、水俣病による深刻な健康被害の拡大防止のために,旧熊本県漁業調整規則(昭和26年熊本県規則第31号。昭和40年熊本県規則第18号の2による廃止前のもの)に基づいて、上記製造施設からの工場排水につき除害に必要な設備の設置を命ずるなどの規制権限を行使しなかったことは、国家賠償法1条1項の適用上違法となる。』
※明日は、混迷する被害者救済、を掲載する予定です。
【官報ウオッチング】
新しい情報はありません。
【行政情報ウオッチング】
環境省
茨城県神栖市における有機ヒ素化合物による汚染土壌等の本格処理の開始について
経済産業省
第3次産業活動指数(平成18年9月分)
国土交通省
冬柴大臣会見要旨(平成18年11月14日・道路特定財源と環境対策)
資源エネルギー庁
石油備蓄の現況 平成18年11月分
【判例情報ウオッチング】
新しい情報はありません。
【ISO14001】
◆「環境法令管理室」に「11月6日から11月12日までに公布された主な環境法令一覧」をアップしました/2006.11.11
◆「環境法令管理室」に「11月6日から11月12日までに発表された改正予定法令一覧」をアップしました/2006.11.11
熊本、鹿児島両県の水俣病認定申請者でつくる水俣病不知火患者会の国賠訴訟原告・弁護団のメンバーら約20人が14日、環境省を訪れ、水俣病関西訴訟最高裁判決から2年が過ぎた中、若林正俊環境相あてに、未認定患者の早期救済を求める要求書を提出した、というニュースがありました。要求書の内容は、最高裁判決から2年が経過した一方で、両県の認定審査会の機能停止で審査を待つ申請者約4,500人以上が放置されている点を踏まえ、①原告らを水俣病患者と認め損害賠償などの救済を行う、②前環境相が設けた「水俣病問題に係る懇談会」が提言した恒久的な救済の早期実施、など5項目とのことです。
水俣病問題は、最高裁判決後も、認定申請者は増え続け、新たな訴訟も提起されようとしています。なぜ、このような事態が生じているのか、平成18年9月19日に公表された『「水俣病問題に係る懇談会」提言書』及び国会の議論を引用しつつ、本日から数回にわたり整理していきたいと思います。
1.水俣病の発見と行政の不作為
(1)水俣病の発見
水俣病発生の公式確認は、昭和31年5月1日、チッソの附属病院から水俣保健所に、実に奇妙な病気が出て、すでに4人入院しているという報告があった日とされています。しかし、環境異変はそれ以前からあらわれはじめていました。水俣市ではこの事態に対し、昭和31年5月28日に水俣市奇病対策委員会を設置。熊本大学医学部に奇病の解明を要請しました。
一方、チッソは、企業秘密を理由に、医師たちを工場内立入を認めず、調査協力を拒否。熊本大学医学部研究班は、独自に調査活動をした結果、同年11月に、水俣病は伝染性疾患ではなく、ある種の重金属中毒であり、その重金属は魚介類によって人体に侵入した可能性が高いという結論を出しています。しかし、いかなる重金属が関わったのかについては、その時点では、突き止めることができませんでした。また、厚生省厚生科学研究班は、昭和32年3月、厚生省に提出した報告書で魚介類を介して摂取した何らかの化学物質か金属類による中毒であろうとの推測を示しています。つまり、水俣病の発見から1年以内には、おおよその原因が推測されていたことになります。
(2)行政の不作為
それにも関わらず、政府がこの事実を認めて、政府統一見解として発表したのは、水俣病発生公式確認からは実に12年4か月も経った昭和43年9月になってからのことでした。その間の行政の対応を『「水俣病問題に係る懇談会」提言書』から抜粋すると以下の通りとされています。
『昭和32年5月21日付けの「水俣奇病会議」と題する厚生省技官メモ(水俣病研究会編「水俣病事件資料集」葦書房)によれば、熊本大学の意向としては漁獲の禁止を求めていたのに対し、行政側は、今の段階では何とも言えない。まだまだ手を打てない。大学が行政のことまで口だししてもらいたくない。との趣旨の発言をしたと汲み取れる(11ページ)』
『厚生省は同年9月11日、熊本県知事に対し、水俣湾内の魚介類の全てが有毒化しているという明らかな根拠が認められないので、食品衛生法を適用して、漁獲魚介類のすべてを販売禁止にすることはできないという見解を示した(12ページ)』
『昭和34年7月、熊本大学の研究班が「有機水銀説」を発表すると、厚生省の食品衛生調査会水俣食中毒特別部会も、11月12日に、発生源には触れずに(つまりチッソの責任を問うのを避ける形で)、水俣病の主因をなすものはある種の有機水銀化合物であると答申した。ところが特別部会は翌日解散させられた。答申が出ても、厚生省は積極的な手を打たず、報告書は葬られたに等しい扱いを受けた』
(3)なぜ、不作為が継続されたか
行政はなぜ、このような対応に終始したのでしょうか。その理由は、当時の経済的背景に求めることができます。高度経済成長の入口に入りかけていた当時、水俣病の問題をめぐっては国の内部でも、有機水銀説を認め工場排水に適切な措置を講じるように要請する厚生省と有機水銀説を否定し重化学工業の担い手であるチッソを擁護しようとする通商産業省の対立があったとされています。
平成16年10月15日の最高裁判決においても事実の概要として『昭和33年6月開催の参議院社会労働委員会において、厚生省環境衛生部長は、水俣病の原因物質は水俣市の肥料工場から流失したと推定されるとの発言をした。また、同年7月、同省公衆衛生局長は、関係省庁及び上告人県に対して発した文書により、水俣病はある種の化学毒物によって有毒化された魚介類を多量に摂取することによって発症するものであり、肥料工場の廃棄物によって魚介類が有毒化されると推定した上で、水俣病の対策について一層効率的な措置を講ずることを要望した。他方、通商産業省(以下「通産省」という。)軽工業局長は、同年9月ころ、厚生省に対し、水俣病の原因が確定していない現段階において断定的な見解を述べることがないよう申し入れた。』とされています。
結果、有機水銀説も政府統一見解とならずチッソの工場排水規制も行われることはありませんでした。
このような経過の中で、熊本大学の入鹿山教授らは、地道に原因究明の研究を続けました。そして、チッソの工場内アセトアルデヒド工程の反応管から採取されて残されていた残滓から塩化メチル水銀を抽出することに成功。昭和37年8月にその論文が発表されています。
しかし、昭和43年9月に、『熊本水俣病の原因はチッソ工場排水中のメチル水銀化合物であり、新潟水俣病の原因も昭和電工鹿瀬工場の排水中のメチル水銀化合物である』という政府統一見解が発表されるまでの『空白の8年余』における政府の有機水銀汚染対策の無策は、第2の水俣病である「新潟水俣病」を生むことになります。
また、当時の水質規制法に関する法律としては、公共用水域の水質の保全に関する法律(水質保全法)がありましたが、水俣湾がこの水質保全法に基づく指定水域に指定され、排水規制が開始されたのは、さらに遅れて翌昭和44年2月になってからのことでした。水質保全法は、『人の生命・健康は絶対的に保護するが、生活環境の保全は経済発展と調和する範囲で進める』といういわゆる調和条項つきの構成となっており、そこにも経済優先の政策を垣間見ることができます(同法は、昭和45年の公害国会において、現在の水質汚濁防止法へ改正され、調和条項は削除されています)。
こうした行政の「不作為」は、水俣病関西訴訟の最高裁判決で以下の通り、厳しく問われています。
『国が、昭和34年11月末の時点で、多数の水俣病患者が発生し、死亡者も相当数に上っていると認識していたこと、水俣病の原因物質がある種の有機水銀化合物であり、その排出源が特定の工場のアセトアルデヒド製造施設であることを高度のがい然性をもって認識し得る状況にあったこと、同工場の排水に含まれる微量の水銀の定量分析をすることが可能であったことなど判示の事情の下においては、同年12月末までに、水俣病による深刻な健康被害の拡大防止のために、公共用水域の水質の保全に関する法律及び工場排水等の規制に関する法律に基づいて、指定水域の指定、水質基準及び特定施設の定めをし、上記製造施設からの工場排水についての処理方法の改善、同施設の使用の一時停止その他必要な措置を執ることを命ずるなどの規制権限を行使しなかったことは、国家賠償法1条1項の適用上違法となる。』
『熊本県が、昭和34年11月末の時点で、多数の水俣病患者が発生し、死亡者も相当数に上っていると認識していたこと、水俣病の原因物質がある種の有機水銀化合物であり、その排出源が特定の工場のアセトアルデヒド製造施設であることを高度のがい然性をもって認識し得る状況にあったことなど判示の事情の下においては、同年12月末までに、水俣病による深刻な健康被害の拡大防止のために,旧熊本県漁業調整規則(昭和26年熊本県規則第31号。昭和40年熊本県規則第18号の2による廃止前のもの)に基づいて、上記製造施設からの工場排水につき除害に必要な設備の設置を命ずるなどの規制権限を行使しなかったことは、国家賠償法1条1項の適用上違法となる。』
※明日は、混迷する被害者救済、を掲載する予定です。
【官報ウオッチング】
新しい情報はありません。
【行政情報ウオッチング】
環境省
茨城県神栖市における有機ヒ素化合物による汚染土壌等の本格処理の開始について
経済産業省
第3次産業活動指数(平成18年9月分)
国土交通省
冬柴大臣会見要旨(平成18年11月14日・道路特定財源と環境対策)
資源エネルギー庁
石油備蓄の現況 平成18年11月分
【判例情報ウオッチング】
新しい情報はありません。
【ISO14001】
◆「環境法令管理室」に「11月6日から11月12日までに公布された主な環境法令一覧」をアップしました/2006.11.11
◆「環境法令管理室」に「11月6日から11月12日までに発表された改正予定法令一覧」をアップしました/2006.11.11