ゆのひらんおばちゃん Part3

創業70年の土産屋を 2023年3月末で閉めました。『夫婦で余生を どう生きるか』を模索していきます。

町内一斉清掃デー

2024-06-02 | 
いつも この時期に【町内一斉清掃デー】があります。回覧板で全戸に周知されます。

主に側溝や溝の中の詰まりを無くしたり、道路脇の草取りや整備が主です。

梅雨時期に なんらかの影響や被害が無いようにするための作業のようです。

当地は三地区ありますから、一地区ごとに ここからここまでと 大まかな指示があります。

10時からですが、早い人は早く出てきます。夫も早めにスコップを一輪車に乗せて出かけまし
た。

川向こうでは ビーバーで草を刈る人、道路端の草取りをする人、土砂を集める人、そして軽トラで それらを集める人と 流れるような作業です。









結局 12時前まで作業は続きました。お疲れ様です。おかげで温泉場入り口付近は きれいになりました。




私もわずかながらの協力と思い、近くの溝付近の草取りをしました。






作業も昔に比べて参加者が減りました。高齢化もありますが、無関心もあります。

先週 全戸を対象とする ある総会がありましたが、参加は少なく、委任状も少なく…欠席なら せめて委任状を出して下さい。地区や地域のためにやっているのに これでは…😩

地域に協力する意識がなくなったら 地域はさびれ、限界集落まっしぐらです。『自分ちだけが良ければ それでいい』では 将来は お先真っ暗です。

我々は そのうち居なくなりますが、若い人たちは限界集落になって それでよいのでしょうか?

今回は社会派ぶってみました。




木の車輪のコーナーを修正しました

2024-05-31 | 
少し前に古い車輪を飾ったのですが どうも気に入りません。

左側のガラスを抜いた戸板がイケてません。せっかくの車輪の存在感が薄れます。


戸板はのけましょう。そして きのう買った木の柵を後ろに立てました。


足元に『コキア』を左に2本、右に1本植えました。


白い鉢も車輪に下げました。狭い場所ですが足元に緑が増えました。




夫は その間 椅子に白いペンキを塗ってくれています。この椅子は子供が小学生の頃 木の椅子を赤く塗り、ステンシルで花を描いていました。



30年前の椅子が 二度目の最デビューです。鉢植え🪴を飾ります。


秋にはコキアが赤く色付いてくれるように 水と肥料が欠かせません。楽しみです。








一週間遅れの誕生日会

2024-05-30 | イベント
一週間前が誕生日で アラセブンティになりました。アラ古希です(本来は古稀ですが、常用漢字に無いので古希と書かれることが多いそうです)


その日は雨で出掛けられなかったので 買い物がてら 今日になりました。

街に着いたのが ちょうど 三時のコーヒータイムだったので 夫が
『コーヒーでも飲むか』で
コメダコーヒーに寄りました。

『なんでも好きなものを どうぞ』と言われても たかが知れてます。ケーキを 半分こする 後期高齢者とアラセブンティの夫婦。



回りを見れば 高齢者が おしゃべりにふけっていたり、パソコンを一心不乱に打つビジネスマンがいたり…

小芝居をして
『私が払いましょうか?』と あえて言うと

『いや ここは俺が払う』と。
(ここだけじゃなくて すべて あんたが払うんじゃい)


その後 大好きなハンズマンに行って 苗、土、木製の柵、白ペンキなどを求め 帰途につきました。

途中 スーパーで 夫が歳の近い知人に出会い、お互い齢をかさねたなぁ…と。

致し方ない現実です。


ともあれ お互いの誕生日を祝う外出を何回も続けたいものです。

雨があがると 花が咲いていた

2024-05-30 | 
先日は豪雨と暴風による被害があったようです。当地は幸いにも風雨ともに少なく、翌日は日差しがもどりました。

とたんに 花たちが咲き始めました。

サツキか ツツジか わからない。


ゼラニウム

アジサイ

ブルーベリー🫐





このコーナーの


キンレンカにも つぼみが見え



足元のワイルドストロベリーにも花が咲いた…。ワイルドストロベリーに花が咲くと 良いことが起こるとか…信じたい❤️


右端の石臼を前に出していたら雨水がたまり 植物に水をかけることができるように…縁には亀がいて



亀がいれば、カメムシも。スノーボールの葉には 緑に同化したようなカメムシが。『カメレオンかよ❗️』と つっこんだ後 刺激しないようにして 捨てた。全国でカメムシが大量発生しているらしいが、一匹しかいないようだ。



自然は天気に対して 正直に変化している。










水害からの復旧工事

2024-05-28 | 水害の復旧
先日の温泉まつりの稚児行列から帰り道 石畳から脇道に入り、砂湯橋の上から上流を写しました。左側に祭り会場が見えます。





大水害から3年10ヶ月(さきほど2年10ヶ月と書いてしまいました)2020年7月7日~8日のことです。

3年10ヶ月かかって 花合野川の護岸は直線的にセメントで固められ 昔の風情は みじんも残っていません。


右下にあった 共同温泉『砂湯』も流れ去りました。

護岸作業 復旧工事の技術には驚くも 昔の のどかな風情ある流れは消えました。同じ場所には見えません。


昔の光景・・・奥の橋は崩れ、左側の夫の恩師の家も無くなりました。



今日も うちの川向こうには ミキサー車がセメントを回しながら待機しています。上流の工事現場に向かっています。



自然と安全を天秤にかけたら 安全を優先するのは仕方ない話と思い切るしかありません。







アイロン台は出窓です

2024-05-27 | 
きのうは暑い日でした。今晩から鹿児島と宮崎は台風の影響で荒れるようです。災害が起きませんように。


洗濯は大好きですが、アイロンは苦手です。かけるものがたまってから アイロンをかけますが、汗だくになります。

立ってアイロンがかけられるよう 出窓がアイロン台です。二階なので 衣類が落ちないようにしなくてはなりません。幸いなことに まだ落としたことはありません。




窓の外の 蝋梅が繁ってきました。





去年は 蝋梅の中に ヒヨドリが巣をかけました。


今年も カップルが うろちょろしているのを見ました。今年も巣を掛けて欲しいものです。






夏は来ぬ

2024-05-27 | 
きのう ブログを2個書いたのに 今朝見たら消えてました😱

基本 スマホから投稿しているので この指が、私のこの指が消したのは明らかなわけで…

きのうは 男子バレーやドジャースを見ながら しかも負けたので 思わず消してしまったのかも…

気を取り直して 書き直そうとして、あれなんだっけ?何を書いたっけ?一晩で記憶を無くしてしまう アラセブンティ。

仕方がありません。撮った写真を見て思い出しましょう。


『ウノハナ(ウツギ)』の白い花が護岸から顔を覗かせています。



毎年書きますが『ウノハナ』は別名『ウツギ』とも言われます。唱歌『夏は来ぬ』の歌詞が有名です。

🎵ウノハナの匂う垣根に 
ホトトギス 早も来鳴きて 
忍び音もらす 夏は来ぬ” 🎵

意味は
初夏に白い花を咲かせるウノハナの花の香りが漂う垣根にホトトギスが早くも来て 今年の初鳴き(忍び音)の声が聴こえている 
あぁ夏が来たんだなぁ”


立夏が過ぎたから 今は初夏になるのですが、当地のウグイスは4月あたりから啼いています。

その花を手折り持ち帰りました。山野草も美しいことを 庭が流されて、手に入る花がなくなってから ようやく気付きました。


『ウノハナ』は『卯の花』と書くと おからを思い出します。


義母が作っていた おからの酢の物を甘く炊いた油揚げに詰めたものが好きでした。自分で作ろうと思いながら なかなか実行できません。















サトウのさとちゃん(笑)

2024-05-25 | 
我が家のクローバー畑の形が

『太った九州』に見える?

『見えない❗️』





それよりか

『サトウ製薬のマスコットのサトちゃん』に似てはいないか?



目と眉を入れてみようか

昔は こんなこと考えなかったけど…暇な人間です。

バカバカしい お話ですみません。



目に青葉の季節です

2024-05-24 | 
暑かったり寒かったり お天気が定まりません。

少し前から喉にいた『エヘン虫』が『ゴホン虫』に なり、今は『ゼーゼー虫』になり 熱まで出てきました。少し前に 夜暑くて寝相が悪かったせいかもしれません。

置き薬は契約をやめたので 期限切れの薬ばかりで、夫が隣街まで薬を買いに行ってくれました。


少し前に下書きをしていたので 今回はそれを載せます。

アジサイが小さなつぼみを付けています。姉からもらった苗です。







河岸のアジサイにも つぼみが見えます。


石垣にはたくさんなシダが生えています。夫はシダは取るなと言うけど 私は取りました。だってすぐ生えますから。


緑がきれいといえば きれいです。


二種のブルーベリーの花の後に実が見えてきました。植えたのが去年の10月10日あたりです。いつ頃食べられるでしょうか。ブルーベリー摘みは初めてです。




新しい雑草は『トウバナ』というようです。なるほど 塔のように咲いています。



クローバーも どんどん広がりました。雑草が見えなくてうれしい。





ここは4年前の水害で流される前は こんな光景でした。いろんな花が咲いて お仏壇の花も買わずにすんでいました。今は飾る花がありません😢












誕生日と母の命日

2024-05-23 | イベント
奇しくも 私の誕生日と実家の母の命日が一緒です。七年前の今日です。去年は姉夫婦とささやかな法事をしました。

予定では 夫と阿蘇の納骨堂に参り、道の駅巡りか 又はどこかでランチしようと話していましたが 天気が悪いのと、私の喉にエヘン虫が発生したので延期となりました。咳が止まりません。

よって 夕食は手作りの『豆腐ハンバーグ』と『ローソンの冷凍ヒレカツ』のワンプレートと これで乾杯しました。可愛いもんです。


お仏壇には バナナとバウムクーヘンと、庭から むりくり 葉や花を採ってきて 洋風な お荘厳です。気は心です。




アラセブンティになり、歳をとったせいでしょうか、昔のことを懐古してしまいます。特に亡き母のことです。

昭和三十年前後に姉と私が産まれました。当時は社宅に住んでいました。

七輪で『塩サバ』や『とうじんぼし』をよく焼いてくれました。『サンマ』を食べた後、残った骨をカリカリに焼いて食べさせてくれました。おかげで今でも骨は丈夫なようです。

当時、肉は高価でした。我が家の肉といえば 安い『ホルモン』でした。七輪に炭をおこし、ジンギスカン鍋のようなドーム型の鍋で焼いていました。

私は幼くて ホルモンが気持ち悪かったのですが、大人になって姉から『一番安いホルモンを固まりで買って お母さんが 一生懸命処理をして食べさせてくれたんだよ。高い肉は買えなかったんだよ』と聞きました。幼い私は そんなこととはつゆ知らず『気持ち悪い』などと…ごめんなさい。

『たれ』も母の手作りでした。リンゴや玉ねぎを すりおろしていた記憶があります。

母は高齢になってもホルモンが好きでした。車椅子で焼肉屋さんに連れて行ったものです。


食べるものも豊富ではなかった社宅時代は 畑を借りて野菜を作っていました。人様方のお茶摘みを手伝う代わりに、茶の葉を少しわけてもらい、鍋で炒った茶葉を 手を真っ赤にして揉んでいた姿を思い出します。熱かっただろうね。

山や野に行き わらび、ぜんまい、うど、タラの芽を探し、田んぼで芹を取り、野いちごでジャムも作ってくれました。

たくあんや白菜漬けや高菜漬けも自分で作り 古い高菜漬けを塩抜きし 油で炒めた母の味は忘れられません。

大豆を一晩水につけて ふやかし、茹でて 半分は豆乳、半分は味噌汁に入れて『ご汁』を作ってくれました。

小豆を茹でて 布で濾して こし餡を作り、おはぎも手作りでした。昔の親は既製品ではなく ほとんどが手作りでした。

にんにくと卵の黄身を練り合わせ小さく丸め乾燥させる『にんにく玉』は 栄養を考えてくれたのでしょう。

手作りのキャラメルは一個一個 赤や黄色のパラフィン紙で包み可愛く仕上げてくれました。母の性格や所作は姉に引き継がれました。

梅や クコの実をザラメと一緒に焼酎に漬け込み これは大人用ですが、3歳くらいの私が甘い梅酒を 原液で飲んで大変なことになったのも思い出です。

洗濯機が無い時代は 山から湧き出る清流の川で洗濯をする母のそばで水遊びする私。冷たくて すぐあがります。あんな冷たい水で洗濯していた母。

昔は姉と私の洋服は ほとんど手作りでした。足踏み式のミシン たぶん捨てたと思われますが、残しておきたかったな…今は 裁縫箱が手元に残っています。


子供に手がかからなくなると 近くの病院の厨房で働きはじめ、早出をしながら 弁当を作り、高校生の娘二人を 朝一番の列車に送り出してくれました。送り迎えは たいていは父でしたが、母のこともありました。おかげで 高校は皆勤賞でした。

家を建て社宅から卒業し、父の退職後、また家を建て引っ越しました。 その後は両親とも病気の連続で入退院が続きました。看取るまでの生活が姉と私の親孝行でした。

今思うと 私の子ども時代の母は、苦労の生活でしたが、子供にそれを感じさせませんでした。幼い私は それが普通の生活だと思っていました。

母の日や誕生日に プレゼントする母親は 私も夫もいません。寂しいですね。

誕生日は母を偲び、母に感謝する日です。

長々となりました。歳をとった証拠です。















孫の草取り

2024-05-23 | 
孫が来た時 クローバーの冠を作っていると、孫女が『ばぁば 草をとってあげるね~』と、どこからかスコップ(正しくは 泥すくい)を持ってきて
『よいしょ よいしょ』と ほじくり始めた。



『草取り』というより『砂遊び』のよう。

次の日 残った草を ばぁばは取りましたよ。


草取りは大変だけど、結果がすぐ出るから嫌いじゃない。でも草取りは いたちごっこ。


心の中の雑草も抜けたら良いのに 根が深くて なかなか抜けないのですわ。



孫とクローバーの冠

2024-05-23 | 
温泉まつりで帰って来た二人の孫に

『クローバーで冠を作らない?』と提案したら 乗ってくれて 庭にすっ飛んで行きました。

二人にクローバーの花を摘んでもらいました。長いまま 上手に抜いてくれました。




編み方を教えたけど なかなか締め方が難しくて 結局ばぁばが作りました。

二人で仲良く冠をかぶってくれて ばぁばは大満足でした。


5歳の孫女のピースサインのポーズ…押しのグループの真似だそうで…5歳の押しは

『Aぇ!groupでーす!!』と。見たことも 聞いたこともありません。これで『ええグループ』と読むそうです。


前は『なにわ男子』と言ってたのに。5歳の孫女 末恐ろしい気がします。


nicoドーナツ

2024-05-22 | イベント
『湯平温泉まつり』に駆け付けてくれた湯布院のnicoドーナツさん。湯平の旅館の次女さんの店です。

今回は初めて 可愛い『キッチンカー』で登って来てくれました。いつも大人気です。デザインも素敵です。ナンバーも25(nico にこ)です。




奥の方では地元の出店があったようです。真ん中にはイオンの販売車が来てくれました。


じぃじが孫のためにドーナツを買ってきてくれました。売り切れになる勢いだったそうです。夏バージョンのひんやりしたタイプのドーナツでした。


皆様 出店ありがとうございました


第145回 湯平温泉まつり②

2024-05-22 | イベント

お湯の恵みに感謝する温泉祭りですから 献湯祭(けんとうさい)が必須です。

コロナ時でも 他の行事はしなくても 献湯祭は行われました。読経の後 焼香もあります。




献湯祭の後は 湯布院自衛隊の音楽隊の演奏です。毎年必ず来てくれます。これまでは 石畳を演奏しながら登るのですが、今回からは 舞台で演奏をしてくれます。

午後からは全国的にも有名な『ゆふいん源流太鼓』が始まりました。下部組織の『ゆふいん源流子供太鼓』は3月に埼玉県であった第26回日本太鼓ジュニアコンクールで優勝・内閣総理大臣賞を受賞し日本一になりました。

下流の橋本橋にトラックから太鼓などを下ろして舞台まで坂道を運びます。

その手際の良さは キビキビして礼儀正しく 心が洗われます。

舞台上でも同じことが言えます。感動します。


その後 『Mr.シュガー変面ショー』が行われましたが、すみません写真がありません。湯平の旅館の女将さんの弟さんと聞いています。


その後 子ども30組限定の『大宝釣り大会』は申し込み順です。じぃじ が申し込んでくれて、ギリギリセーフでした。

くじを引く前にラムネを飲み干さなければなりません。子どもには苦行です。その時は兄弟姉妹や親御さんが代わって飲みます。

うちの孫はお兄ちゃんが飲んでいました。



ラムネを飲み終えたら 紐を引きます。100円から1万円くらいのお宝がありました。去年は結構 良いものが当たりましたが、今年は花火とスライムでした。



最後のプログラムは『湯平子供神楽』です。湯平子供神楽は大人が子どもに、先輩が後輩に、お兄ちゃんが弟に指導し、町内のイベントにひっぱりだこです。

題目は『大蛇退治』で、二匹の大蛇が出て壮観です。



最後は区長の代理で観光協会長の挨拶で終了しました。

…と すべて見ていたような表現ですが、写真や内容は夫と娘からの情報です。

夫は 商売を辞めて観光協会も抜けましたが 『ゆのひらんプロジェクト』の一員として協力しました。

私は人波に酔い(笑)夫は いろんなことで(?)疲れたそうです。

プログラムは減り、賑わいも少なくなりましたが、祭りを続けられることに感謝しなくてはなりませんね。















第145回 湯平温泉まつり①稚児行列

2024-05-20 | イベント
5月19日、朝は曇り空でしたが、第145回湯平温泉まつりが始まりました。

プログラムは




朝の10時に花火の号砲で祭りがスタートです。いつも この音にびっくりします。

10時の釈迦稚児行列からスタートです。

(今年のご案内ですが、写真は去年のものです)




①釈迦稚児行列
地域のお寺の住職を先頭に 稚児~お釈迦様~市長他 地名士の方々が会場に向かって しずしずと石畳を登ります。今年の お稚児さんは7名で、ほとんどが外孫さんや 下湯平のお子さんです。

うちの孫女も大分市から二回目の参加です。着付けのお姉さんから『先頭を歩いてね』と言われました。今回が最後の参加になります。



飾られたお釈迦様を持つ人が決まっていないので 夫が慌てて 近くにいた保護者や見学者にお願いして持っていただきました。皆様 快く持って下さいます。



昨年はお釈迦様を三人で持ったので お釈迦様が前から見えなかったという反省をもとに 今年は四人で持ちました。あくまで お釈迦様が主役です。


出発です。


市長をはじめ地名士が続きます。



家族が後を続きます。


足元は享保年間に作られた石畳です。



私は孫女を見送って帰るつもりでしたが、走って行った お兄ちゃんが『ばぁばも行こう』と戻ってきました。



孫を杖にして、会場まで付いて行きました。

石畳を登ると 久しぶりの方々に声をかけられ、その度にストップしてお話します。お兄ちゃんは ずっと待ってくれます。
『ばぁばは おしゃべりだな』と思っているでしょう。

舞台と献湯祭会場に着きました。



今年から場所が変わりました。稚児の集合写真を撮り、稚児は解散です。稚児行列の参加者は写真が外に出ることを了承されています。



その後 解放され(笑)お着替えします。


参加のご褒美のお菓子をいただいてゴムまりのように帰ってきました。

稚児行列も入学前のお子さんが対象ですから 孫も今年が最後です。参加してくれてありがとうね。