台風10号から避難していたのでブログも2日あきました。少し長くなります。
当初の『【警戒レベル3】 高齢者等避難発令 』が
翌日早朝5時過ぎに『【警戒レベル4】避難指示 発令』で飛び起きました。
もう生協の配達があるとかなんて言ってる場合ではありません。暗いは危ないので 明るくなるのを待って、避難することにしました。
庭を見ると カイズカイブキカット(正しくはゴールドクレスト)が1本斜めに倒れて、川の水が庭にちゃぽんちゃぽんと 入り込んでいました。
2020年7月の忌まわしい水害の記憶が甦ります。
国道210線に下る県道が7時から通行止めになるというので 6時半過ぎに バタバタと出発しました。
下っていると対向車の知人がクラクションを鳴らし『もうオーバーフローして通れん』と教えてくれました。
慌ててUターンし、遠回りで湯布院に向かいました。
2020年の水害の時は、一時的に湯平の高台の宿にお世話になったり、B&G体育館に避難したこともありました。
体育館は眠れません。
川のそばに住んでいる人間でないと あの恐怖はわからないでしょう。あの水害から避難に躊躇しなくなりました。
10時前に湯布院の宿に着きました。なぜか普段着の人達が続々と、しかも高齢者がやってきます。
なんと 湯布院盆地の底を流れる宮川が越水し、床下浸水、床上浸水の危険がある住人が どんどん避難して来たのです。中高年が多いです。宮川はよく越水しますが、今回は特別ひどいようです。
チェックインは通常15時からなのですが、早くからロビーで待たせてくれました。
その上 昼になるとパンやコーヒーを振る舞ってくれるのです。
14時に5階の部屋に案内されました。雨は増し 目の前の大分川が増水しています。
川岸の茅が倒れ 水の早さを感じます。
夫の同級生が駅裏の写真を送ってくれました。これは大変です。湯布院で生まれ育った私ですが こんな光景は初めてです。
夕食はコンビニの弁当とサラダです。朝はバイキングです。欲張りすぎてパンを部屋に持ち帰りました。あれ、前回も同じことをしている気がします。ここでの避難は三回目です。
テレビでは 全国放送で由布市、湯布院盆地の被害が流されるので 親戚や知人友人から心配の連絡が多く入ります。
チェックアウト前に雨が落ち着き、静かになったのは台風が由布市の上を通り抜けたからだそうです。由布山の麓の温泉の湯けむりが まっすぐ立ち上っています。
帰りの予定のルートは、盆地の中の道路に土砂が流れ出して通行止めとなりました。
湯平の県道の足元がえぐれて通行止めの連絡がありました。それで 来る時と同じく山の中をヒヤヒヤしながら遠回りで帰宅しました。
行く時に危険を知らせてくれた方に帰宅を知らせ お互いの無事を喜び合いました。こちらは 湯布院の知人の民宿に行く予定が、盆地内の通行止めで行き着けず 湯布院ラックホールにお世話になったそうです。
花合野川の水は 少なくなって、川に繁っていた草木が流れ去っていました。
2020年の経験があるので川沿いの人は避難する人が多くいました。帰宅したことを組長に伝え ようやく日常に戻りました。
避難は危険から身を守るための選択です。空振りでも良いのです。川のそばから離れなくてはなりません。高台に住んでいる方にはわからない感覚でしょう。
湯布院盆地の被害に会われた方にお見舞い申し上げます。どうぞ1日も早い復旧を願っています。
(*^_^*)
年に一回のホテルライフを楽しんで帰りました(オイオイ)
夕食はコンビニ弁当です😖
本当に水は怖い
私の実家は、海と浅い川の間に敷地がありました。
私が赤ちゃんの頃、台風で満潮時川の水が道路まで溢れ、ロープと浮き輪を使って避難したと聞いた。
五島列島は、台風の通り道になる事も多く、とにかく海の波の音、風の音、家が軋む音の恐怖を味わいました。
今でも、風の音が嫌いなのは子供の頃のトラウマなんでしょうね
台風が上陸する日は、父が寝ずの番をしていたのを覚えています
叔母の家も、目の前が海(海水浴場)
台風が来るたび、市内に住む娘(私にとって従姉妹)の家に避難しています。
水を侮るな、です。
テレビで大変な状況にあられることを知り、心配しておりました💦
ブログの更新が!
と慌てて記事を拝読しました
あー ご無事でよかったです
2020年7月には恐怖を味わい、近所の家族四人が避難中に亡くなりました。
その家族が教えてくれたことを守りました。
避難は躊躇せず 明るい時間に移動しましょう。
ご心配ありがとうございます。
ブログを通じて お会いしたことの無い方々に心配していただき、なにか不思議な感じです。
ご自身も体調の優れない中 私にまで お心をいただき 感謝感謝です。
下る道路が寸断され、生協の配達もスーパーの配達も途切れ、遠回りで買い物に行くのも山道が怖く…
そうだ 炊飯器料理で 食いつなぎます。