ゆのひらんおばちゃん Part3

創業70年の土産屋を 2023年3月末で閉めました。『夫婦で余生を どう生きるか』を模索していきます。

誕生日と母の命日

2024-05-23 | イベント
奇しくも 私の誕生日と実家の母の命日が一緒です。七年前の今日です。去年は姉夫婦とささやかな法事をしました。

予定では 夫と阿蘇の納骨堂に参り、道の駅巡りか 又はどこかでランチしようと話していましたが 天気が悪いのと、私の喉にエヘン虫が発生したので延期となりました。咳が止まりません。

よって 夕食は手作りの『豆腐ハンバーグ』と『ローソンの冷凍ヒレカツ』のワンプレートと これで乾杯しました。可愛いもんです。


お仏壇には バナナとバウムクーヘンと、庭から むりくり 葉や花を採ってきて 洋風な お荘厳です。気は心です。




アラセブンティになり、歳をとったせいでしょうか、昔のことを懐古してしまいます。特に亡き母のことです。

昭和三十年前後に姉と私が産まれました。当時は社宅に住んでいました。

七輪で『塩サバ』や『とうじんぼし』をよく焼いてくれました。『サンマ』を食べた後、残った骨をカリカリに焼いて食べさせてくれました。おかげで今でも骨は丈夫なようです。

当時、肉は高価でした。我が家の肉といえば 安い『ホルモン』でした。七輪に炭をおこし、ジンギスカン鍋のようなドーム型の鍋で焼いていました。

私は幼くて ホルモンが気持ち悪かったのですが、大人になって姉から『一番安いホルモンを固まりで買って お母さんが 一生懸命処理をして食べさせてくれたんだよ。高い肉は買えなかったんだよ』と聞きました。幼い私は そんなこととはつゆ知らず『気持ち悪い』などと…ごめんなさい。

『たれ』も母の手作りでした。リンゴや玉ねぎを すりおろしていた記憶があります。

母は高齢になってもホルモンが好きでした。車椅子で焼肉屋さんに連れて行ったものです。


食べるものも豊富ではなかった社宅時代は 畑を借りて野菜を作っていました。人様方のお茶摘みを手伝う代わりに、茶の葉を少しわけてもらい、鍋で炒った茶葉を 手を真っ赤にして揉んでいた姿を思い出します。熱かっただろうね。

山や野に行き わらび、ぜんまい、うど、タラの芽を探し、田んぼで芹を取り、野いちごでジャムも作ってくれました。

たくあんや白菜漬けや高菜漬けも自分で作り 古い高菜漬けを塩抜きし 油で炒めた母の味は忘れられません。

大豆を一晩水につけて ふやかし、茹でて 半分は豆乳、半分は味噌汁に入れて『ご汁』を作ってくれました。

小豆を茹でて 布で濾して こし餡を作り、おはぎも手作りでした。昔の親は既製品ではなく ほとんどが手作りでした。

にんにくと卵の黄身を練り合わせ小さく丸め乾燥させる『にんにく玉』は 栄養を考えてくれたのでしょう。

手作りのキャラメルは一個一個 赤や黄色のパラフィン紙で包み可愛く仕上げてくれました。母の性格や所作は姉に引き継がれました。

梅や クコの実をザラメと一緒に焼酎に漬け込み これは大人用ですが、3歳くらいの私が甘い梅酒を 原液で飲んで大変なことになったのも思い出です。

洗濯機が無い時代は 山から湧き出る清流の川で洗濯をする母のそばで水遊びする私。冷たくて すぐあがります。あんな冷たい水で洗濯していた母。

昔は姉と私の洋服は ほとんど手作りでした。足踏み式のミシン たぶん捨てたと思われますが、残しておきたかったな…今は 裁縫箱が手元に残っています。


子供に手がかからなくなると 近くの病院の厨房で働きはじめ、早出をしながら 弁当を作り、高校生の娘二人を 朝一番の列車に送り出してくれました。送り迎えは たいていは父でしたが、母のこともありました。おかげで 高校は皆勤賞でした。

家を建て社宅から卒業し、父の退職後、また家を建て引っ越しました。 その後は両親とも病気の連続で入退院が続きました。看取るまでの生活が姉と私の親孝行でした。

今思うと 私の子ども時代の母は、苦労の生活でしたが、子供にそれを感じさせませんでした。幼い私は それが普通の生活だと思っていました。

母の日や誕生日に プレゼントする母親は 私も夫もいません。寂しいですね。

誕生日は母を偲び、母に感謝する日です。

長々となりました。歳をとった証拠です。















孫の草取り

2024-05-23 | 
孫が来た時 クローバーの冠を作っていると、孫女が『ばぁば 草をとってあげるね~』と、どこからかスコップ(正しくは 泥すくい)を持ってきて
『よいしょ よいしょ』と ほじくり始めた。



『草取り』というより『砂遊び』のよう。

次の日 残った草を ばぁばは取りましたよ。


草取りは大変だけど、結果がすぐ出るから嫌いじゃない。でも草取りは いたちごっこ。


心の中の雑草も抜けたら良いのに 根が深くて なかなか抜けないのですわ。



孫とクローバーの冠

2024-05-23 | 
温泉まつりで帰って来た二人の孫に

『クローバーで冠を作らない?』と提案したら 乗ってくれて 庭にすっ飛んで行きました。

二人にクローバーの花を摘んでもらいました。長いまま 上手に抜いてくれました。




編み方を教えたけど なかなか締め方が難しくて 結局ばぁばが作りました。

二人で仲良く冠をかぶってくれて ばぁばは大満足でした。


5歳の孫女のピースサインのポーズ…押しのグループの真似だそうで…5歳の押しは

『Aぇ!groupでーす!!』と。見たことも 聞いたこともありません。これで『ええグループ』と読むそうです。


前は『なにわ男子』と言ってたのに。5歳の孫女 末恐ろしい気がします。