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“お遍路さん”60年に1度の商機…「逆打ち」でご利益3倍、弘法大師に会えるかも

2016年04月05日 17時58分18秒 | 日記
■旅行各社、プラン拡充

 四国八十八カ所の霊場を巡る“お遍路さん”が旅行会社などの注目を集めている。なぜなら今年はうるう年で、88番札所から1番へと逆に巡る「逆打ち」で弘法大師・空海の御利益が3倍になるとの言い伝えがあるからだ。うるう年の巡礼者は平年の数倍に上るともいわれる。しかも逆打ちで弘法大師に巡り合えたという伝説が残る60年に1度の丙申(ひのえさる)にもあたり、旅行各社は需要増を見越してプランを投入し、地元ホテルは商機に期待を高めている。(田村慶子)

 ◆申し込み9割増

 「お遍路を始める人の多くが定年退職や子育てを終えた中高年者です」。阪急交通社広報担当の明石純子さんは、こう説明する。「お遍路は晩年の人生をより良いものにする終活の場でもある」という。

 功徳(くどく)を求める巡礼者にとって今年は特別な年だ。うるう年は88番札所の大窪寺(おおくぼじ)(香川県さぬき市)から逆に巡る「逆打ち」により、御利益が3倍になるといわれる。さらに丙申の年に逆打ちで弘法大師に巡り合えたとの言い伝えもあり、「丙申の今年は60年に1度の好機」と明石さん。

 このため予約が増えると見込んだ旅行各社がプランを拡充。本来、巡礼期間は自由だが、大きな御利益を得るには今年1年で全札所を巡る必要があり、日程を何度かに分けたツアーが増える期待が高まっているのだ。

 阪急交通社は関西圏の発着地を昨年の20カ所から33カ所に増やし、大阪発や兵庫発など6ルートを新設。現地ではタクシーやバスを使った巡礼が大半を占めるものの、2月にはあえて「歩き遍路」を売りに各所の観光地も巡るプランを投入。前回のうるう年(平成24年)は取扱人数で前年比8割増と好調で、今回も前年比5割増を見込む。

 JTB西日本は巡礼回数を前年の全11回から今年は全4回に減らし、1回分の行程を長くする代わりに何度も出かける負担感を抑えたツアーを発売した。

 また、クラブツーリズムは16コースと、前回のうるう年より商品のバリエーションを倍増し、関西出発のコースを新設。3月の申込人数が4年前の約9割増となった。同社広報担当者の青木之(ゆき)さんは「前回のうるう年や、平年に1度お遍路をしたリピーター客が多く、春や秋の需要増が見込めそう」と話す。

 ◆団体の予約好調

 一方、四国のホテルでは春の需要期を控え、宿泊予約が入り始めている。大和ハウスグループのダイワロイネットホテル高松(高松市)は昨年10月頃から段階的に宿泊プランを投入。今年3月には予約が入り始めた。巡礼衣装のオリジナル白衣を付けたプランは80着分がほぼ完売で、今年の年間客室稼働率は前年比3~4ポイント上昇の9割超を見込む。

 リーガロイヤルホテル新居浜(愛媛県新居浜市)でもお遍路が目的とみられる団体客の予約が好調な滑り出しだ。3月の客室稼働率は前年比10ポイント上昇となる9割程度で推移。同ホテル企画室の加藤泰子チーム長は「お遍路では一般観光客と違い、朝夕の2食付きを利用する宿泊客が多く、客室単価のアップも狙える」と話す。

 弘法大師・空海が修行を重ね、万人を救う霊場を約1200年前に開いた足跡を弟子の修行僧がたどったのが四国遍路の始まりといわれる。

 現在は定かではないが、遍路人口は年間数十万人といわれる。近年はタレントや著名人がお遍路を始めたことが話題となったことから若いカップルや外国人旅行客にも広がっており、新たな旅行需要として関連業界の商機につながると期待されている。

商機・・・
なんでもかんでも金儲けに結び付けようとするその銭ゲバ根性、なんとかならんの?
これじゃ、チャンコロや外人に「金さえ払えばマナーもクソも関係ないだろ!」と足元みられてもなんも言えんだろうな・・・

“極めて異例”なフリーアナ・夏目三久の『怒り新党』降板が意味すること

2016年04月05日 17時54分05秒 | 日記
フリーアナウンサーの夏目三久が、3月30日放送のバラエティ番組『マツコ&有吉の怒り新党』(テレビ朝日系)で、初回から5年間務めてきたレギュラーを卒業した。だが、この卒業は夏目にとっても、同番組の視聴率的にとっても、メリットがないとの声がもっぱらだ。

 日本テレビの局アナ時代は清純キャラで人気を博していた夏目だが、2009年に週刊誌「FLASH」(光文社)に、満面の笑みでコンドームの箱を手に持った写真&彼氏との2ショット写真が流出したことで、半ば追われるように退社に至った。あまりのイメージダウンに、フリー転身後の活動が危ぶまれた中、初のレギュラーとなったのが『怒り新党』だった。

「有吉弘行もマツコ・デラックスも当時は勢いこそあれ、現在のように評価が定まっていたわけではなかったので、スタート時は深夜1時台の枠で、それほど期待された番組ではありませんでした。夏目の起用も、キワモノ扱いだった有吉とマツコの相手にふさわしい、という役回りでしたしね。現在はともかく、当時の有吉とマツコの深夜番組の出演なんて、マトモなフリーアナだったら引き受けない類いの仕事でした。しかし、番組内でアクの強い有吉とマツコをうまく転がしていくうちに、“コンドームアナ”という一度は地に堕ちた夏目のイメージが、上品なそれに回復するまでになりました」(テレビ情報誌編集者)

 ORICON STYLEが毎年行っている“好きな女子アナランキング”でも、栄枯盛衰の激しいフリーアナとしては例外的にベスト10にこ数年常にランクインするなど、安定した人気を誇っている。同番組で復活した人気を足がかりに、13年には『真相報道 バンキシャ!』(日本テレビ系)のメインキャスターに就任し、古巣を見返す格好となった。14年からは、帯番組の『あさチャン!』(TBS系)のメインキャスターを務めている。

「フリーアナで、ここまで長期にわたって安定した人気を維持しているのも珍しい。あれほど人気を誇ったアヤパン(高島彩)ですら、失速気味ですからね。極めて異例なことです。しかも、最近のフリーアナにありがちなバラエティ的な展開ではなく、王道のキャスターの仕事をちゃんとこなしているのも素晴らしい。日テレを退社した経緯を考えれば、まさにV字回復といっていいでしょう。しかし、そんな彼女の人気の源泉は、やはり『怒り新党』にあったわけです。『あさチャン!』が視聴率的に苦戦しているだけに、今後の彼女の人気を危ぶむ声もないわけではありません。また、『怒り新党』という番組にとっても、彼女のポジションをこなせる後継者はそう簡単に見つからないでしょうから、双方にとって今回の卒業がメリットがあるとは思えません」(同)

 夏目の『怒り新党』卒業は、女子アナの勢力図を変えるターニングポイントとなるかもしれない。

実際、辞め方も唐突で「裏で何かあったのか・・?」と勘繰っているのは自分だけではなさそう。

神田うの、相次ぐ芸能界の不倫報道にうんざり「よくこんなに続きますね」

2016年04月05日 16時12分35秒 | 日記
タレント、神田うの(41)が4日、東京都内で行われた「レヴール フレッシュール シャンプー&トリートメント」の新製品発表会に出席。今年に入り不倫報道が相次ぐ芸能界について、「よくこんなに続きますね」とうんざりした表情。自身も夫でレジャー産業グループ社長の西村拓郎氏(46)との不仲説を過去に何度か報じられたが、「大丈夫。(不倫を)する暇はない」とキッパリ。

もし、不倫したくてもお前みたいな金しか眼中にない銭ゲバ女誰からも相手にされねーよ!

「私はナチスの7つの収容所を体験した92歳です。ホロコースト生存者が海外掲示板で質問に答える

2016年04月05日 16時07分38秒 | 日記
第二次世界大戦を経験した世代は減り、当時のことを直接知る人も少なくなりました。

海外掲示板で、ホロコーストの体験者が質問を受け付けていました。(ホロコースト=ナチス・ドイツがユダヤ人などに対して行った大量虐殺)

「私はホロコーストの生存者で、92歳になったところです。腕にはアウシュヴィッツ収容所のタトゥーがあり、7つの収容所を体験しました。全てをサバイバルし、人生を存分にに生きています。何か質問があればどうぞ」


名前はヘンリー・フレッシャーと言います。オーストリアのウィーンで1924年3月14日に生まれました。現在はフロリダ州に住み、2人のすばらしい娘と3人の孫がいます。(孫の1人がこの質疑応答を手伝ってくれます)
そして生きていて幸せです。質問に答えられることを嬉しく思います。
(Henry Flescher,Imgur)


Q:ホロコーストの映画は見たことがありますか、それとも見るのが困難ですか?
A:全て見ました。体験したものを見ることは困難ではありません。全て見ました。今でも友人が「電話のワイヤーをずり落ちるズボンのベルト代わりに使った」ことを理由に、目の前で首をつられたことを覚えています。

Q:歴史と英語の教師をしています。教師にぜひホロコーストについて生徒に話して欲しいことはありますか?
A:ありのまま話して欲しいと思います。歴史の残忍さから目を背けてはいられません。通常は私たちは歴史を本から学びます。ですがこれは私の人生に起きたイベントでした。自分は目撃し、そして今まだ生きていて話ができます。もうすぐ生存者はいなくなるでしょう。私は92歳です。
全ての生存者がいなくなれば、残念なことに懐疑論者がまた現れるでしょう。だから全員を教育する必要があるのです。これは500年前に起きたことではありません。自分の人生で本当に起こりました。

Q:「シンドラーのリスト」についてどれくらい正確だと思いますか?
A:かなり近いところまで表現しています。よくできていると思いました。

Q:収容所への行くことはどういうものでしたか? 何が自分を待っているか理解していましたか? もし知らなかったとしたら、いつそれを理解しましたか?
A:最初、家畜車に乗せられて、ドランシー収容所へ連れていかれました。食糧や水もなく大勢が詰め込まれて、トイレの代わりにバケツが1つ真ん中にあるだけでした。当時の私は16歳で、においはひどいものでした。
6日経って列車が止まると、看守が私たちを数え始めました。300人が選ばれて列車から下ろされ、私は298番でした。列車はそのままアウシュヴィッツへ向かい、そこで全員が殺されました。私は298と言う数字を絶対に忘れません。

Q:私たちが当たり前になっていることで、最も楽しんでいることは何ですか?
A:人生は美しい。家族に会うのが大好きさ。

Q:解放されたときはどんな気持ちでしたか? 収容所を出てノーマルな暮らしを始められる日のことです。そんな日が来ると思っていましたか?
A:思っていませんでした。理解もできませんでした。その時、自分は次の死の収容所へ移動させられていました。何とか抜け出して鳥小屋に隠れていました。そのときアメリカの護衛隊が侵攻してきました。米軍の戦車を見て、米兵を見て、私は殺されるんだと思いました。彼らの軍服を知らなかったのです。知らずに鳥小屋を離れて、彼らのところに近づきました。体重は70ポンド(約32kg)でほとんど立っていられませんでした。4月11日のことでした。
解放される日が来るとは思いませんでした。病気で食べることも、話すことも、歩くこともできなかったのです。

Q:解放された日を記念日にしていますか?
A:私の誕生日は2つあります。3月14日と4月11日です。

Q:私は栄養士をしています。解放されたときに体重が70ポンド(約32kg)だったと言っていましたが、食べ始めた最初の数週間に興味があります。
食べ始めたことにより、あなたが気づいたことはありますか? 解放されてからどんなものを食べていましたか? そして体重が常人に戻るまでどれくらいかかりましたか? ありがとうございます。
A:食べ過ぎて気分が悪くなる人がいました。自分はゆっくりゆっくり食べて回復しました。体重が戻るまでには4~5カ月かかったと思います。

Q:3年間の収容所生活のあと、一般の市民生活に戻ってからの移り変わりはどんなものでしたか?
A:世界を旅したいと思いました。後ろではなく前に進みました。日常生活の変化はかなり難しいものでした。感染症のために胃の4分の3を切除し、かなりの痛みを伴いました。

Q:収容所で一番記憶に残る体験は何ですか?
A:赤痢になったときに3日間トイレに行けませんでした。その時はほとんどすべてをあきらめました。

Q:あなたをそんな目に遭わせた人々への憎しみでいっぱいですか? それとも許していますか?
A:許すことはできません。ですが、憎しみでいっぱいではありません。憎しみは何も向上させません。

Q:幾人かのホロコースト生存者を知っています。そのひどいホラーをどうやって過ごしたのですか?
A:毎日生きることだけを考えました。私たちは死ぬために生まれます。ですが人生に感謝しています。1日ずつ生きていきます。私はいつもこう言います。「昨日は歴史、今日は現実、明日は夢」と。

Q:本にしようと思ったことは? 今でもホロコーストを否定する人がいるので、記録の全てが役立つと思うのですが。
A:ありません。生存者はそれぞれにストーリーがあります。私はスピルバーグ監督にインタビューされ、それがテープに残されています。おそらく全ての生存者は彼によってインタビューされ、記録されているはずです。

Q:看守は全てひどかったですか? あるいは中には人間らしさや同情する人もいましたか?
A:兵士たちはみんな自分の仕事をしていました。兵士から同情された覚えはありません。

Q:収容所にいるときに後悔したことや、やり直しできたと思うことはありますか?
A:何もやり直しはできず、何も後悔できません。私たちは動物よりひどい仕打ちを受けていました。私の名前は177153でした。

Q:ドイツからですが、ここではホロコーストの否定は犯罪で禁固刑を受けます。このことについてのあなたの意見は?
A:歴史は否定できず、何らかの罰則は必要だと思いますが、禁固刑が正しいかどうかはわかりません。大勢の人が無知でもあり、それに対してできることは少ないと思います。

Q:看守が許しを乞うてきたらなんと答えますか。
A:許さない、忘れない。

Q:被害者を人間扱いしなかったり、殺したりがシステム化されていたと聞きます。聞けば聞くほど純粋に悪にも思えますが、看守をしていたナチスの人数を考えると、統計的に全員の気が狂っていたとは思いにくいのですが、質問です。
ノーマルな兵士に対してどんな思いでいましたか? 彼らに後悔や嫌々やっている兆候はありましたか?
A:後悔は見たことがありません。ノーマルな兵士を1人も知らないし、見た覚えもありません。

Q:私の祖母もホロコーストの生存者です。祖母はワルシャワ出身でアウシュヴィッツから解放されました。86歳の祖母からの質問です。「彼は独身かしら?」
A:49年半の結婚の後、離婚しました。今でも時々話はします。自分には彼女がいて幸せです。元妻は離婚後すぐに再婚しました。私はあまり長い間独身ではいません。

国際的にみれば、元慰安婦(従軍売春婦)の証言もこれと同じように何を言っても歴史の真実として世界に拡散されているのだろう。