地理ヲタのオイラはどっちにしよか?
「オーストリア」紛らわしい?大使館が正式に国名変更 欧州の伝統国「オーストリア共和国」が、いつの間にか「オーストリー共和国」となっていたことが15日、わかった。似た国名の「オーストラリア」との混同を避けるというのが目的で、同国駐日大使館商務部のホームページで「日本語表音表記の変更」として正式発表した。「栄光のハプスブルグ帝国」「音楽の都ウイーン」など、中世からの重厚な歴史と文化を誇る強大帝国の名称復活はめでたい限りだが、あまりに唐突な変更に周囲から戸惑いの声が上がっている。
発表文はペーター・モーザー駐日オーストリー大使とエルンスト・ラーシャン同大使館商務参事官名で10月に出された。文面はまず「日本ではオーストリアはオーストラリアと常に混同されており、違いを明確にするため」と今回の変更の目的を明記。続いて19世紀から1945(昭和20)年までは「オウストリ」と表記されていた史実が列挙され、「(日本国内で今後)『オーストリー』の名が広く速やかに浸透していくことと存じます」と結ばれている。
あまりに突然な変更だが、この「オーストリー」の表記、実は日本人には馴染み深い。国内初の本格的な国際地理誌「萬國地名往来」=1873(明治6)年発行=には同国は「ヲウストリ」とされ、翌年開催されたウィーン万国博覧会も開催国「オウストリ」と宣伝された。第一次大戦までは英独仏露とならぶ欧州五大国(列強)の一角だったこともあり、文明開化後、富国強兵の憧れが強かった日本にとって「オーストリー」の表記は憧れの存在でもあった。
オーストリー帝国はその後、第一次大戦での敗戦により解体され、ドイツ人地域で共和国化。第二次大戦前にはナチス・ドイツに併合されこともあり、同大戦後は永世中立国として再出発した。激動の20世紀にもまれた同国は冷戦時、東西の接点の役割も果たしていたが、近年の欧州連合(EU)加盟などにより中立色が薄れ、その後は欧州の一員としての性格を強めている。
英語読みの「オーストリア」が主流となったのは第二次大戦後。ここから南半球の大国「オーストラリア」と混同する日本人が増え始めた。最近では東京都港区元麻布の同国大使館には間違って訪問する人のためにオーストラリア大使館(同区三田)への道順を記した地図を用意するほど。かつての伝統国が直面しているのは、こうした現実だった。
今回の変更で、同国関係者はすでに「オーストリー」と刷られた名刺を使うなどかなりの意気込み。その半面、国内からは「いつ変わったの?」「どっちの表記を使えばいいの?」といった問い合わせが寄せられるなど、混乱の感は否めない。平成15年に「スロヴェニア」を「スロベニア」、「チェッコ」を「チェコ」、「サイプロス」を「キプロス」に変更したばかりの外務省は「オーストリア大使館からの正式な申し入れがありませんので…」と態度を決めかねているもよう。
「オーストリア」と「オーストリー」、定着するのは果たしてどっち?
【産経新聞 2006/11/16】--------------
>いつの間にか「オーストリー共和国」となっていたことが15日、わかった
ちゃんと言えよw
>日本ではオーストリアはオーストラリアと常に混同されており
>オーストラリア」と混同する日本人が増え始めた。最近では東京都港区元麻布の同国大使館には間違って訪問
( ゜∀゜)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \ / \ / \ / \ / \
アホですな。気付よw
とは言え、オイラも以前、カリフォルニア州知事のシュワちゃんがカンガルーとコアラのいるオーストラリア出身とばかり思ってました。よく考えりゃ名前がドイツぽいワナw
んで、手元の戦前に出版された世界地図帳を見てみると、確かに「墺地利(三省堂 昭和8年版)」や「オーストリー(帝国書院 昭和8年版)」だったりする。
ほかに紛らわしい国名と言えばコンゴ共和国とコンゴ民主共和国(旧ザイール)とかドミニカ共和国とドミニカ国、アンドラとアンゴラとか、あとアイルランドとアイスランド、アルジェリアとナイジェリア、インドとインドネシア、峰竜太と竜雷太、加藤あいと阿藤海、水野真紀と水野美紀、酒井美紀と坂井真紀と酒井彩名と酒井若菜・・・ もうワケ分からん!!
と、こんな具合に世の中には紛らわしい国名?があるのでご注意を!
んで、オイラはどっちかて?どっちでもえーよw