スーパーヨッシーのギラギラ行こうか

自閉症のイモッチ(中3)、アニメオタクのオネッチ(高3)、と苦闘するママッチの様子をマイペースでお伝えしています。

手をつなぐということ

2005-07-25 | 療育
自閉症の次女と道路を歩く時は、必ず、手をつないで歩きます。それは、飛び出したりして事故に遭うのを防ぐ為です。自閉症の特性にイマジネーションの障碍があります。何故飛び出すと危険なのか想像することが難しいのでしょう。でも次女は手をつなぐことがあまり好きではありません。無理やりつなごうとすると、ひどく嫌がります。以前は背の高さの関係で、手ではなく手首の辺を摑んでいました。さすがに連行されるようで、自由もなく、嫌がるのも理解できたのですが、普通に手を握るようにつないでいる限りは、フィフティーフィフティーというか、どちらかが能動的に握って、片一方が受動的に握られているわけではないと思っていたのですが、どうやら違うようです。

 基本的に手の大きさや、力の強さが違うので、やはり、「つなぐ」→「つながれる」になっているようです。特に交通量の多いところでは、つい強く握ってしまいます。先日そんなことを考えながら散歩していました。私と次女との間には、「大人と子ども」、「親と娘」、「健常者と障碍者」という関係が成り立ちますから、ついイニシアティブを当たり前のように取ってしまいますが、たまには次女の側にイニシアティブを与えてみようと思い、交通量の少ないところで、「手をつなぎましょう」と言って、人差し指を指し出したところ、快く握ってくれました。勿論他に気を取られた時は、パッと離して行ってしまいますが、お願いすれば何度でも握ってくれます。そして指を握られながら歩いている時、とても自然な感じがしました。

 何かにつけ、知らず知らずのうちに、つい指導的になっているのかも知れません。考えてみれば、彼女は起きている間ずっと誰かに監視されているわけで、彼女もそれなりにストレスを感じているのかも知れませんね。ショッピングセンターなどへ買い物に行った時、脱走しようとするのが、わかるような気がします。
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