吉志部神社(大阪府吹田市岸部北4-18-1)の秋の例大祭がありました。
秋の実りに感謝して、御供物を唐櫃(からひつ)に詰めて町内を
練り歩いた後神社に奉納される「どんじ」をはじめ太鼓だし巡行
子供神輿などが催されるそうです。
境内では露店が準備中。
吉志部神社は社伝によると、
崇神天皇の時代に大和から奉遷して大神宮と称し、
極めて壮麗な社殿を構えていたとか。
その後、応仁の乱で焼失しましたが、
文明元(1469)年には再建。
さらに慶長15(1610)年には本格的な再造営がされたそうです。
本殿は、全国的にも大変めずらしい七間社で、
桃山様式の絢爛たる紋様が施された華麗な社殿だったそうです。
国の重要文化財に指定されていましたが、
本殿建立から400年を目前にした平成20(2008)年、
不審火により全焼してしまいました。
平成23年に現在の本殿が再建されました。
吉志部神社の辺りはその昔、吉志部の里と呼ばれ
大和時代から平安時代にかけて難波吉志一族が
活躍していたそうです。
難波吉志一族は、朝鮮半島から渡ってきた進んだ技術を
持った人々といわれています。
「吉志」というのは、朝鮮半島にあった新羅の国で
使っていた役人の位の称号で、
日本に渡ってから吉志(貴志、岐志、吉師)と呼ばれた人は
たくさんいたそうです。
中でも難波の津(現在の大阪城付近)に住みついた
一族を難波吉志と呼んでいたようです。
岸部にいた難波吉志の先祖は安部難波吉志といい、
大阪市阿倍野の四天王寺と関係が深いといわれているそうです。
吉志一族は、代々「吉志の大神宮」を守り神として崇敬し
一族の繁栄と周辺の民衆の幸福を祈願して暮らしていました。
それが神社のはじまりみたいです。
消失した本殿は全国でも類例の少ない七間社流造
また様々な組物や装飾、彩色が施された桃山様式の神髄が
見てとれる大変華やかなもので、約400年の間大切に守られ
吹田市内では最古の木造建築でした。
世界最古の企業として知られる金剛組が現在の神社を
施工したそうです。
400年後には歴史をかんじさせる古さに
なってることでしょう。
ご訪問ありがとうございました。
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