久しぶりに自分のブログを開いてみると、何と1か月近くも更新していない。
それにいまだに中国の浙江省に滞在していることになっている。
そこでタイトルを表記のように変更した。まあどうでもいいんですけど。
日本に帰ってきてもう4か月になる。このごろ、中国がやたら恋しい、、なんてことは全然ありませんが、しかし、面白くて懐の広い国(深くはないかも)だなと思う。中国から日本に帰ってくると、中国の肩のこらないルーズさが懐かしく思えたりする。
逆に日本社会の居心地のよさの裏にある細かいルールや規則の多さに、ときに息が詰まる思いがする。
最近、違和感を覚えるのは、エスカレーターに行列する人の多さ。日本にいるときは何も思わなかったのだけれども。
もちろん、片側を急ぎ人のために空けているためで、立ち人が実際に使用できるのは片側のみ。
なぜエスカレーターを歩くのか、そんなに急いでどこに行く?
もともとエスカレーターを歩いて登ると、荷物を持っている人と接触したりするし、子どももいるし、あまり安全とは言えないし、
行列するぐらいだったら、2列とも立ち人用にした方が効率がいいような気がする。
最近は、事故防止のために、片側を空けないようにというキャンペーンがされているようだが、
そうなると、今度は、急ぐ人がいても誰も片側に避けてあげようという人がいなくなるだろう。
何事も規則優先なのが日本人。
ヨーロッパでも片側を空けるのは普通らしいが、何が何でもというわけではないだろう。
中国では、少なくとも見た限りでは、誰もそんなことはしないが、たまに急ぐ人がいると、ふつうに片側を空けて通してやっている。
その方が人間的だなと思う。
エスカレーターだけの話ではなく、こんなことはよくあるんじゃないだろうか。
日本に帰ってわずか4か月だが、客が店員や駅員に客が食ってかかっている光景(クレームではない、理不尽に怒鳴りつけている)を何度も見た。中国では3年間で一度も見たことがない。
あるとき、外事処主宰の外教旅行にいったが、空港で6時間以上待たされたことがある。
夕方の6時に空港に到着し、飛行機が出発したのは深夜0時半。
その間ほとんど案内はなく、もちろん謝罪のアナウンスもなく、いつ搭乗するのかもわからないまま、乗客はひたすら待っていた。
だが、誰も文句を言わない。眉をひそめることすらなく平静だった。
さすがに0時を越えると搭乗口の係員の周りに人垣ができたが怒鳴り声は聞こえなかった。
これは、日本人が抱いている中国人のイメージとはかなり違う。
中国人の「没法子」(しょうがない)の精神かもしれないが、日本なら搭乗口の係員に非難が殺到するところだろう。
日本では中国人のマナーの悪さがよく報道されるが、多くは習慣の違いと言った方がよいと思う。
夏休みにに福建省から日本の大学のサマーセミナーに参加するために来日した学生たちとJR三ノ宮駅で待ち合わせたが、折悪しく台風で電車が停まっていた。多くの日本人はあまり冷静ではなく、眉を顰めたり、中には何か事情があるのだろうが駅員に大声で食って掛かる若者もいた。駅員に非があるわけではないから言っても仕方ないのだが。
中国なら駅員は「私の責任ではない」と怒鳴り返すだろう。実際、客と店員の口論を何度も見たことがある。そうなっても店長は出てこない。客はほとんどわれ関せずで黙々と食事を続ける。要するに当人たちの個人的なトラブルとみなしていて、店対客とは考えないようである。彼の国は客だろうとなんだろうともともと人間は対等だと思っているようで、食ってかかろうものなら倍返しは必定。
日本では客が威張りすぎていると思う。マニュアル的な笑顔と接客はそれはそれで客としては気分がいいが、もし予期しないシリアスな事態が起こったらどうなるだろう。やれ確認、やれ手続き、やれ上司と相談、てなことになるのではないか。その間、おわびの言葉は聞かれないだろう。責任を問われたくないから。数少ない体験からすると、臨機応変の対応は中国人の方が上のように思える。どちらがいいのかはわからないが、少なくも中国人の方が人間的な気がするんですけど。
その後、学生たちとは宿舎の近くの駅で何とか会うことができたが、ものすごい風雨でお目当ての店まで行くことができず、
駅前の焼き鳥屋に連れて行った。最後にお茶漬けを頼んだのだが、1人が梅干を丸ごと食べてしまい、半泣きになってしまった。
だが、なかなか美味しい店だったので、学生たちも気に入って、後日、自分たちで再訪したそうである。
それにいまだに中国の浙江省に滞在していることになっている。
そこでタイトルを表記のように変更した。まあどうでもいいんですけど。
日本に帰ってきてもう4か月になる。このごろ、中国がやたら恋しい、、なんてことは全然ありませんが、しかし、面白くて懐の広い国(深くはないかも)だなと思う。中国から日本に帰ってくると、中国の肩のこらないルーズさが懐かしく思えたりする。
逆に日本社会の居心地のよさの裏にある細かいルールや規則の多さに、ときに息が詰まる思いがする。
最近、違和感を覚えるのは、エスカレーターに行列する人の多さ。日本にいるときは何も思わなかったのだけれども。
もちろん、片側を急ぎ人のために空けているためで、立ち人が実際に使用できるのは片側のみ。
なぜエスカレーターを歩くのか、そんなに急いでどこに行く?
もともとエスカレーターを歩いて登ると、荷物を持っている人と接触したりするし、子どももいるし、あまり安全とは言えないし、
行列するぐらいだったら、2列とも立ち人用にした方が効率がいいような気がする。
最近は、事故防止のために、片側を空けないようにというキャンペーンがされているようだが、
そうなると、今度は、急ぐ人がいても誰も片側に避けてあげようという人がいなくなるだろう。
何事も規則優先なのが日本人。
ヨーロッパでも片側を空けるのは普通らしいが、何が何でもというわけではないだろう。
中国では、少なくとも見た限りでは、誰もそんなことはしないが、たまに急ぐ人がいると、ふつうに片側を空けて通してやっている。
その方が人間的だなと思う。
エスカレーターだけの話ではなく、こんなことはよくあるんじゃないだろうか。
日本に帰ってわずか4か月だが、客が店員や駅員に客が食ってかかっている光景(クレームではない、理不尽に怒鳴りつけている)を何度も見た。中国では3年間で一度も見たことがない。
あるとき、外事処主宰の外教旅行にいったが、空港で6時間以上待たされたことがある。
夕方の6時に空港に到着し、飛行機が出発したのは深夜0時半。
その間ほとんど案内はなく、もちろん謝罪のアナウンスもなく、いつ搭乗するのかもわからないまま、乗客はひたすら待っていた。
だが、誰も文句を言わない。眉をひそめることすらなく平静だった。
さすがに0時を越えると搭乗口の係員の周りに人垣ができたが怒鳴り声は聞こえなかった。
これは、日本人が抱いている中国人のイメージとはかなり違う。
中国人の「没法子」(しょうがない)の精神かもしれないが、日本なら搭乗口の係員に非難が殺到するところだろう。
日本では中国人のマナーの悪さがよく報道されるが、多くは習慣の違いと言った方がよいと思う。
夏休みにに福建省から日本の大学のサマーセミナーに参加するために来日した学生たちとJR三ノ宮駅で待ち合わせたが、折悪しく台風で電車が停まっていた。多くの日本人はあまり冷静ではなく、眉を顰めたり、中には何か事情があるのだろうが駅員に大声で食って掛かる若者もいた。駅員に非があるわけではないから言っても仕方ないのだが。
中国なら駅員は「私の責任ではない」と怒鳴り返すだろう。実際、客と店員の口論を何度も見たことがある。そうなっても店長は出てこない。客はほとんどわれ関せずで黙々と食事を続ける。要するに当人たちの個人的なトラブルとみなしていて、店対客とは考えないようである。彼の国は客だろうとなんだろうともともと人間は対等だと思っているようで、食ってかかろうものなら倍返しは必定。
日本では客が威張りすぎていると思う。マニュアル的な笑顔と接客はそれはそれで客としては気分がいいが、もし予期しないシリアスな事態が起こったらどうなるだろう。やれ確認、やれ手続き、やれ上司と相談、てなことになるのではないか。その間、おわびの言葉は聞かれないだろう。責任を問われたくないから。数少ない体験からすると、臨機応変の対応は中国人の方が上のように思える。どちらがいいのかはわからないが、少なくも中国人の方が人間的な気がするんですけど。
その後、学生たちとは宿舎の近くの駅で何とか会うことができたが、ものすごい風雨でお目当ての店まで行くことができず、
駅前の焼き鳥屋に連れて行った。最後にお茶漬けを頼んだのだが、1人が梅干を丸ごと食べてしまい、半泣きになってしまった。
だが、なかなか美味しい店だったので、学生たちも気に入って、後日、自分たちで再訪したそうである。
よほど、大阪の学校が忙しいんだと思ってました。
わたし、新任講師で、しかも2校も掛け持ちだから、何やるにしても時間がかかって、休みの日は授業準備やら添削やらでほとんどつぶれてますよ。
電車が遅れる。クレームを言う客に対して「中国なら駅員は“私の責任ではない”と怒鳴り返すだろう」
これ、確かにそうですね。中国人は相手が客であろうと、警察であろうと自分に非はないと思えば、堂々と言い返す。大声で言い返す。
1対1ではものたりなくて、周りの人間をも味方につけようと大声で自分の言い分を主張する。でも決して手は出さない。
ただでさえ大陸的で大らかなうえに、万事この調子だから、日本人よりストレスは少ないだろうな。