日暮らし通信


その日暮らしの生活でも、感謝しています

日頃、見た事・聞いた事・感じた事・そして言いたい事などを発信します

リッター112円

2015年12月11日 14時53分35秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

川は流れる
左岸より曙橋を望む

空堀川沿いにて
(撮影: H271211)



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朝5時に起きてから暫くは本降りの雨だったが、10時を過ぎるとやや小降りになった

だが今日、当市の予想最高気温は22度で10月上旬の気温とか? 「ええっ?」 と驚いたがこれが12月の陽気だろうか? と、何か変だと少し不安な気持ちにもなった

さらに明日の予想最高気温は14度だから、外気温感知機能が衰えはじめた私たち高齢者の健康管理は特に微調整がより必要になる

10時前、妻と車で近くのスーパーに買い物に行った。少し野菜の値段も下がった物があるが、何でも安値になるのは有難いものだ

しかし、この陽気で野菜栽培でも異変が起きているようで、せっかくの収穫期になっても値が暴落しているので売り物にならない大根を耕運機で処理している農家のことがテレビ放映されていたが、生産者にとっては深刻な問題であろう

買い物帰りは車にレギュラーガソリンを補給したが、リッター112円 (会員価格) に下がったことはやはり有難いことだ

記憶を辿(たど)って最近の最高値を調べてみると、2014年8月にはリッター162円だったから、その差50円は車持ちにはかなり響いたはずだ

ガソリンが安いと言うことは灯油もそうであろうから、これから灯油を使う人にとっては良い傾向だろう

11時過ぎ、突然表が明るくなった。 「待ってました」 と急いで二階へ。早速内干(うちぼ)しだった洗濯物を表に干した。あの本降りが嘘のような天気の変化だった

予想通り14時過ぎの外気温は22度。確かに変な陽気だ





見知らぬご婦人のこと

2015年12月08日 15時14分44秒 | 日暮らし通信
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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

南天の実

空堀川沿いにて
(撮影: H271208)



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今日は午後1時半過ぎ妻と家を出て空堀川沿いを歩いた。穏やかな晴れ間の暖かい雰囲気だったが、少し西風が吹いていた

妻にあのような出来事があったから散歩コースも少し変更して短い時間を歩くようになってしまった

もう帰ろうと左岸を西に向かい曙橋を過ぎて、三階建の都営住宅前を歩いていた時のことだった

前方からシルバーカーを押しながら歩いてきた老婦人が妻を見て 「○○○ちゃんのお姉さんではありませんか?」 と声を掛けられた

○○○ちゃんは妻の妹のことで今は静岡在住だが、私には全く面識の無いご婦人だったが、お名前を聞くとSさんとのことだった

Sさんの話によると、もう40年も前のことだが、妹はこの近くの会社に勤めていたが、その会社にSさんも勤めていたので妹や妻のことをよく覚えていると、懐かしげに話してくれた

それで妻の顔を憶えていたらしいが、私からすれば妻の顔立ちもだいぶ変わったと思っていたのだが、Sさんによれば全く変わっていないと言った

もう80歳を越えたとSさんは言ったが、よくも妻の顔を憶えていたものだと、話も弾んで昔の事がいろいろと話題になった

私が気にするほど妻は昔と変わっていないようで、そのような言葉を掛けて貰うだけで有難いが、妻はSさんのことは覚えていないようだった

 「妹さんによろしくお伝えください」 と頼まれてSさんと別れたが、もうかなり昔のことを想い出して 「誰もが若かった」 と、懐かしいばかりだった





日暮らし雑感

2015年12月07日 14時12分19秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

今日も咲いているパンジー

自宅庭にて
(撮影: H271207)



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5日、妻に起きた出来事はその後も私の気持ちの中で重い足枷(あしかせ)のように残ってしまい、再発しないという保証が無いから日課の散歩も控えめになってしまった

それとあの時は元気に散歩も終わって、家に着いてから起きたことなので、今振り返るとすこぶるラッキーなことだった

散歩途中で起きたらそれこそ面倒な対応に陥ったかもしれないが、玄関先で起きたので私が傍にいたから体を支えることができた。私が居なかったら間違いなく倒れて大事になったことが想像できる

女医さんからも 「散歩はするように」 とコメントされたので、翌日からは時間を短めにして歩いている

だがいつものように歩いても 「大丈夫だろうか? 突然起きないだろうか?」 の不安が付きまとってしまい、複雑な気持ちを抱えての散歩となっている

家の中に居ても今まで以上に妻の行動を見届ける負担が増えてしまった。こんな生活がいつまで続くのか? いささか私もメンタル的に疲れてしまった

妻を介護するという仕事は 「抜け道の無いトンネル」 だと思っているが、トンネルの中は無情にも夢も希望も無い闇の世界が続いている。困ったことだ





最悪の日だった

2015年12月06日 15時13分14秒 | 日暮らし通信
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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

干上がった川底

空堀川左岸にて
(撮影: H271206)



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昨日は最悪の状態に陥ってしまった

9時半過ぎ、買い物と散歩を終わって家に着いた。妻は玄関で靴からスリッパに履き替えるが、右足は21センチほどの段差を越えたが、左足が上がらずに何かに戸惑っているようだった

私は 「何か様子がおかしい?」 と感じて後から妻の体を()(かか)えてやっとスリッパを履かせたが、もう妻は勢いが無くなって徐々に体が重くなって歩く力が無いように私に体を任せるばかりだった

やっとDKの椅子に座らせたが、顔面は蒼白で額には冷や汗が滲んでいた。私は 「これはやばい」 と思ったが、はっきり言うと成す術を忘れてうろたえるばかりだった

とりあえず血圧を測ったが上が70代で危険な状態であると思った。そこでいつもお世話になっているケアマネのSさんに電話して状況を話すのがやっとだった

Sさんは 「すぐに救急車を呼びなさい」 と言われたが、まだ私は躊躇していた。また血圧を測るとさらに低下していた

そんな低い血圧値を見ていると 「妻は駄目なのでは?」 と、悲観的な気持ちになってしまった

9時32分、119番へ通報。対応したスタッフは多くを聞くこともなく 「すぐ出動します」 との返事だった

やがて (通報してから10分以内だった思う) 救急車が到着。救命隊員が四名家に入り、椅子に座っていた妻を床上の救急用の敷物に仰向けに寝かせた

しかし、その頃からは血圧が徐々に上がるようになって、数分後には100を越えた。その頃にはSさんもやって来ていろいろと助けてもらった

すぐに救急車に移されたが、やはり収容先の病院を探しているようだった

妻が通院している総合医療病院のERセンターとコンタクトしたようだが 「診察はするが、満床なので入院する場合は転院する」 が条件とのことだった

Sさんかから 「取りあえず下着とかを準備しましょう」 とのことで、慌ててそれを揃えるのも無意識な内にバッグに放り込むのがやっとな私だった

11時9分、私も同乗して救急車が出発。こんな真昼間に救急車に乗っている私は複雑な感情だった。車内にある妻の血圧を監視するモニターの表示もだいぶ値が上がってきた
11時29分、ERセンターに到着。妻はすぐ診察室へ向かった

12時前、私は呼ばれて診察室へ。担当は女医さんだった。現在、容態は安定、血圧も120代なので特に問題ないとのことだったが、このような病名は 「起立性低血圧症」 と言われた

念の為検査をするので血液を採取、その結果は一時間後とのことだが、異常なければ帰宅していいとの所見だった

待合ロビーで時を過ごしたが、この間、長男夫婦が車で迎えに来たので、帰りはタクシー利用することを考えていたので助かった

13時過ぎ、また診察室へ。血液検査項目の全てに異常ないとのことで、やっと私の胸のわだかまりが去って行った

だが何故このような低血圧症が起こるのかは判らず、また再発するのでは? の危惧が捨てきれない不安がある

散歩するのも怖くなってしまったが女医さんからは 「散歩はするように」 とのコメントだったが、あまり心配なら、立った状態で血圧を測り、100以下だったら注意するようにとのことだった

帰りの車の中ではCDからの再生演歌を口ずさんでいた元気そのものの妻の姿だったが、私には何か割り切れない気持ちだった

妻は昨夜もよく寝た。今日も全く異常も無いようなので、買い物を兼ねて歩きで家を出たが、やはり昨日のことが心配で短い時間の散歩で我慢した

全く悪夢を見ていたような昨日の出来事だった






西風強し

2015年12月04日 14時21分58秒 | 日暮らし通信
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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

ノースポール

隣家の庭にて
(撮影: H271204)



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今日は快晴、外気温も17度くらいあるので 「良い天気」 と感じるはずだが西風が強い日となった

気象庁によれば、日本付近は5日 (土) にかけて強い冬型の気圧配置が続き、北日本から西日本の日本海側では明日にかけて暴風や高波、猛吹雪や吹きだまりによる交通障害にも警戒が必要だと、注意を呼び掛けている

テレビニュースでは北国での降雪風景などを報じているが、冬将軍の到来のような記録的な寒さは生活上も大変なことだろうと察している

今日も買い物帰りに妻と空堀川沿いを歩いた。帰りは西に向かって歩くので、まともに西風を正面に受けたが、あまりの風の強さに少しコースを変更して歩くほどだった

このような強い風は今日中は吹き続くとのことだが、風が無ければ穏やかな日なのにと想いながらの散歩だった

この辺りに住んでいると、雪国の生活に憧れることもあったが、あの除雪と言う仕事を考えると高齢者にとっては体力的にも大変だろうから、その憧れもいつしか消えてしまった

東京でも時には雪が積もることもあるが、その量の少ない雪を片付けるだけでも根を上げるくらいだから、北国での一夜で数十センチ単位で積もる雪の凄さにはびっくりするばかりだ

だが、私の小さい頃はこの辺りでも一冬で何回も30センチ以上の雪が積もることは当たり前だったような気がするが、いつしかあまり雪の降らない冬となってしまった

地球上の自然は明らかに徐々に変化していることは確かなようだ





C46輸送機を撮る

2015年12月03日 15時02分50秒 | 所沢航空記念公園
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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

輸送機 と 小学生たち

所沢航空記念公園にて
(撮影: H271203)



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今日、妻はDSだから、私は独りで9時過ぎ、園内を散歩した

暫く来なかったが丁度園内の木々は色づいて、紅葉や黄葉が見ごろだった

池を見てやはり季節を感じたのは帰ってきた鴨たちの数がぐ~んと増えていることだった。まだまだ数は増えるはずだ

今日ここに来たのは展示してあるC-46輸送機を見たくなったのも理由の一つだった

お天気は曇りだから傘持参の散歩になったが、輸送機が見え始めた時にはポツリポツリと雨が落ちてきた

そこへ何処かの小学生たちが遠足 (今は遠足と言わないようだが?) にやって来た

あいにくの小雨になったので色とりどりの合羽や傘を差しての集団行動を見ていると、何となく絵になるようなので遠くから撮らせてもらった

でもせっかくの遠足なのにこの天気では可哀想だと思ったが、そんな大降りにはならなかったので私もホットしてその集団を見ていた

 「将来の星たち」 は元気でお互いにおしゃべりしながら歩いている姿を見ていると、私も何となく元気付けられたような気持になってきた

今日はC-46輸送機のエンジン回りを何枚か撮った。昨年に機体を塗装して綺麗な銀色になったが、それから一年が過ぎると少し色()せてきた

それといつも気になるのだが、エンジン内部は雀たちの住み家になっていて、プロペラなども糞だらけになっていることは飛行機ファンとしては少し嘆かわしい姿だと思った

この機体は金網のフェンスで囲まれているが、そのフェンス沿いのピラカンサはどれも真っ赤な実を付けている

 「ピラカンサと飛行機」 そんなタイトルを考えながら輸送機を撮ってきました





妻とディサービス

2015年12月02日 17時06分05秒 | 日暮らし通信
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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

パンジー咲く

自宅庭にて
(撮影: H271202)



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夕方、16時過ぎ、妻がDSから帰ってきた。車から降りる時もいつものようにニコニコしている姿はもう何年も続いている

妻にとってはDSは格好のコミュニュケーションの場らしく、楽しいようなので私は多いに安心している

送ってきた運転手の施設長さんが 「今日もカラオケを二曲唄いました」 とのことだったが、私は 「上手く唄えたでしょうか?」 と、やや半信半疑で妻のカラオケがどの程度唄えているのかがやや心配にもなっている

妻の自慢をする訳ではないが、病気する前は抜群の歌唱力で誰からも愛されていた歌上手な妻だったが、今はいささかその歌唱力が落ちてしまったのは残念な気がしてならない

ところでお世話になっているこのDS施設では10月一杯で自己退職したり、人事異動の影響で4人もヘルパーさんが減って、そのやりくりが大変らしい

今朝も迎えに来た施設長さんもその人事異動で転勤したが、私が 「何処にお住まいですか?」 と聞いたら何んと神奈川県の遠い市の名前が出たのでびっくりしてしまった

ヘルパーさんが減ったので急遽、転勤を命ぜられたようだが、通うのに二時間もかかるそうで、時には夜中の1時頃に帰宅することもあるそうだ

ケアマネさんの話しだとどこの施設でも人員不足とのことだったが、介護職の世界は何か異常事態であるかのような雰囲気を感じてしまう

妻に 「カラオケは何を唄ったの?」 と聞いたら 「珍度物語」 と 「北の宿」 だと言った。昔からこの歌が好きだったがそれは変わっていないようだ。私も妻のカラオケを聞きたくなってしまった





介護用品のこと

2015年12月01日 15時31分36秒 | 日暮らし通信
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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

この柿は 「鳥くん用」 です

空堀川沿いにて
(撮影: H271201)



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今日も冬とは感じない穏やかな日だった。洗濯物がフンワリと乾きそうなのでまずは安心した

午前中はいつものように空堀川沿いを散歩したが、午後は妻と車で隣市にある薬局へ買い物に行った

買う物は尿取りパッドなどの介護用品。あの 「東日本大震災」 発生後、介護用品が手に入らないことがあったので、その後は計画的に品数をストックするように買い求めている

この介護用品を買う度に思うのは、これらの用品に私がどんなに助けられているかを実感していることだ。もし、これらの用品が無かったら介護する者の苦労度は一気に増すことが目に見えている

今はどのドラッグストアでも店頭には豊富な種類でたくさんの介護用品が並んでいるが、かつてそのような用品が無かった時代に介護した人たちのご苦労が偲ばれる

私が最も介護で苦労するのが排泄の問題。この問題はこれからも付きまとって私を苦しめるだろうが、それを普通の仕事だと割り切らないと 「介護という仕事」 は成り立たないことも承知しているが、なかなかそのような気持ちに達観できないのが現状だ

年間、この介護用品代は馬鹿にならない出費となっているが、当市では 「紙オムツ代」 として申請 (ただし、対象者 (申請者) は 「要介護3」 以上の条件がある) すれば補助金として年間 (上限) 24,000円が支給されるのは有難いことであるが、実際の出費はこの補助金を越える金額になっている

この補助金制度は市町村によって違うのだろうが、現在の私たちの年齢環境で介護保険以外で市からの恩恵を受けるのはこの制度だけである

ところで我が家で月間 「燃えるゴミ」 として出す尿取りパッドなどはかなりの量になるが、何となく勿体ないような気がする

例えば尿だけを処理したパッドなどは家庭で簡単に処理して 「再利用」 できるような製品が開発できないだろうか? と、ふと思った

繰り返すが介護用品には、多いに助けられている。それだけでも 「有難い」 と私はいつも思っている