カメラの魅力に取り憑かれたのは高校生の頃だった。貧しい家の子だからカメラを買うのは夢のようなことだったが、社会人になって給料を貰うようになったら、まず買いたいのがカメラだった。
だが始めて買ったのが 「折り畳みの傘」 、これは通勤などで便利だから必需品になったが、次ぎに買ったのが一眼レフカメラの 「アサヒペンタックス」 、まだ10代後半のことだった。
当時、カメラを持っている人は珍しく、特に一眼レフカメラなどを持っている人は少ない貴重品だった。
その頃、すでに飛行機好きになっていたので、撮る被写体と言えば飛行機に決まっていた。
昭和41年4月に瑞穂工場へ転勤になってからはその 「飛行機撮り」 に拍車が掛ったように主に米軍機を撮ることに熱中した。だが当時は基地内の撮影は禁止されていたから、もっぱら会社建物の屋上から隠れるように米軍機を撮った。
その後、撮影禁止が解除されると、フェンスに貼り付いて撮るようになった。何しろフェンスの向こうはもう 「米軍横田基地」 だから、待っていれば必ず米軍機を撮ることができた。
朝は7時過ぎには会社へ到着。7時55分の予鈴が鳴るまではほとんど基地内を眺めていた。そんな繰り返しがリタイアする日まで続いた。
その間、 「アサヒペンタックス」 からデジカメに代わったが、ますます撮る枚数が増えてきた。
最近、デジカメになってから撮った画像を整理するようになったが、今日アップしたのは 「ある日の横田基地」 での USAF の大型輸送機 C5A の6枚です。
17年前にタイムスリップして、時は2001年7月3日、北側から滑走路にランディングした C5A はその後、タクシーウエーを通って駐機場に向かうが、それが丁度、私がカメラを構えている前を通り過ぎて行った。
この6枚の画像は始業前の7時45分から7時49分の4分間を撮ったが、こう見るとこの輸送機の大きさには圧倒されるばかりだった。
この画像を撮ったデジカメは今と比べると画素数がかなり低かったので、今一つ鮮明さに欠けている。
今までに膨大な枚数の飛行機を撮ったが、転居の時に私のミスで多くを失ってしまったのは残念なことだった。
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