青い空が大好きな゛bluesky531゛の徒然日記

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第3回国連防災世界会議関連事業「パブリックフォーラム」~東日本大震災の経験と教訓を世界へ~に参加して

2015-03-18 09:03:07 | 報道・ニュース
■『第3回国連防災世界会議』  


■第3回国連防災世界会議関連事業「パブリックフォーラム」


 

■「忘れない」、「守りたい」『災害パネル展』~いのちを守り、くらしを支える~
 

■『災害パネル展』会場
 

■『災害パネル展』会場
 

■『くしの歯作戦』~宮城県気仙沼市啓開状況~(2011.3.26)
 

 

 

 

3月14日から18日まで仙台市において『第3回国連防災世界会議』が開催されています。
期間中は世界会議や東日本大震災総合フォーラム、シンポジウム、災害パネル展などいろいろなイベントが開催されています。

3月16日、TKPガーデンシティ仙台ホールA(AER21F)で開催された、シンポジウム『東日本大震災の経験と教訓を世界へ』に参加してきました。
このシンポジウムは事前に申し込みで国土交通省 東北地方整備局によるイベントでした。
当日は、基調講演やパネルディスカッションが行われました。
東京大学名誉教授・(株)畑村創造工学研究所代表の畑村洋太郎氏による基調講演、コーディネーター畑村洋太郎氏、パネリスト釜石市長野田武則氏他3名によるパネルディスカッションが行われました。

畑村氏の基調講演は、1.津波 2.東日本大震災に学ぶ 3.まとめの3テーマによる内容でした。
津波の被害を考えるという講演では、田老地区(“減災を”考えた対策の必要性)、上閉伊郡大槌町(なぜ“逃げない”か、人の特性を考えた教育と対策の必要性)、相馬郡新地町乗客誘導の例など震災当時の生々しいデータをもとに分析した貴重な講演をしていました。

“なぜ逃げないか”では、高齢者の避難が遅れた心理的な要因として防潮堤の過信、小さな成功体験(チリ津波)の積み重ね、介助者への遠慮など自分流の結論、大丈夫という過信、若い人の言うことをきかないなど高齢者の頑固さが災害につながり若い人の言うことを聞く、素直に従うことが大事であると言っていました。

乗客避難誘導では、有事に有効な自分の責務の自覚と実行、助けに行くことを制止する度胸、高齢者は逃げない、平時の約束事が身を滅ぼすなどと身につまされる内容でした。

復興と対策、人の記憶と経験、津波教育などの講演があり、人の特性を考慮した復興・対策、防災だけでなく減災を考えた対策、被災者の立場で考える、危険を忘れない・伝える仕組み作り、一人一人に危険を意識させる教育や東日本大震災に学ぶとして、東日本大震災が教えるもの、まとめとして、個人・地域・組織として何をなすべきかなどの講演があり、大事なことは、主体的・能動的に行動できる個人となる・個人を作るということで講演は終わりました。最後に、是非、読んでいただきたい文献として、国交省東北地方整備局 東日本大震災の実体験に基づく「災害書道指揮心得」が紹介されました。

畑村氏は、福島原子力発電所における事故調査・検証委員会委員長を務めているそうですが、今回のシンポジウムには相応しくなかったのか、福島第一原子力発電所事故について全く触れることはありませんでした。
聴取した側からすると、「東日本大震災の経験と教訓を世界へ」という表題から行くと、未曾有の津波被害だけではなく福島第一原子力発電所事故も大震災の被害であることから原発事故についても触れて欲しいと思ったし、甚大な被害を風化させないようにということからも事あるごとに原発事故にも触れて欲しいと願わずにはいられませんでした。

パネルディスカッションでは、1.現場で何が起こったのか、対応し何を学んだか、2.将来に活かすにはどうしたら良いかという二つのテーマでそれぞれパネリストの経験を踏まえてディスカッションが行われました。

国交省主催で開催されていた「忘れない」、「守りたい」災害パネル展~いのちを守り、くらしを支える~を見てきました。
興味をもってみたのは、緊急対応として陸上での安全確保のなかにあった「くしの歯作戦」決行というパネルでした。

この「くしの歯作戦」とは、国土交通省東北地方整備局が東日本大震災に伴う大津波が沿岸部を襲い、甚大な被害が発生したことから、県や自衛隊と協力して緊急輸送道路を「くしの歯型」として啓開(障害を取り除き道を切り開く)することを決め、名付けたものであり、被害の大きい沿岸部に、東京方面からの人命救助部隊や医療チームをいち早く投入するために車両が通行できるルートを啓開するというものでした。
「啓開」という聞きなれない言葉を知ったのもこのパネル展からでした。

東日本大震災が発生した2週間後、家内の実家がある気仙沼市唐桑町へお見舞いに行った時に感じたのですが、あの想像を絶する大被害があってあちこちに瓦礫の山と化した街並みの幹線道路はゴミ一つないほどに整備されていました。
大きな道路はまだしも道路という道路が私道を含めてきちんと「啓開」されていることに驚いたことがありました。
パネル展にいたスタッフと話をすることができましたが、当時は、自衛隊はもとより建設土木関係者、ボランティア、地域の住民に至るまで沢山の人たちの協力のもとに道路を確保することができたと話していました。

東日本大震災から4年の歳月が経ちました。
まだまだ復興という道のりは遠いことのような気がしています。
パネラーもおっしゃっていましたが、“風化”ということが大災害を遠くのものにおしていくようです。
災害への対応は事前の備えが重要ですが、災害の教訓を活かして、命を守り、被害を最小限にする“減災”が大事なのではと思います。
今回のシンポジウムに出席し、“風化”という言葉は、自分自身の中に無いものと思っていましたが、改めて東日本大震災の大津波、福島第二原発事故の恐ろしさを思い出した一日になりました。


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